救世主(31)
続きです。
ぶわっと重い空気が広がる。
光の粒子も貯まるようにその場に溢れた。
鉄パイプの先端が、道路を叩く。
高い金属音がビリビリと空気を揺らした。
私よりおそらく年下だろうその少女からは底の知れない重圧感が溢れる。
その重圧は私の筋肉を硬直させた。
未だ未来の幻影は現れない。
少女はカツンカツンと鉄パイプを一定のリズムで鳴らしている。
その意図は読めない。
沈澱した粒子が舞い、闇に消えていく。
その粒子に包まれた少女からは何も感じられない。
敵意も、殺意も、その瞳の奥には見えない。
ただその存在感でもってして、私よりずっと高次の存在であると知らしめていた。
「・・・・・・何が目的?」
少女とは言え、目の前に居るのは犯罪者。
少なくともこのまま見逃してはくれないだろう。
「世界を、救う」
少女は私の問いに言葉少なに答える。
正直返事には期待していなかったが、その予想に反して言葉は返ってきた。
「まぁ・・・・・・どっちにしたって」
言っていることは意味不明だ。
犯罪者の思考だなんて分かりたくもない。
気持ちが悪い。
そっちが動かないなら、とこちらから仕掛ける。
今の私には時間がないのだ。
仕掛けると言ってもただ殴りかかるわけじゃない。
戦うつもりなど、毛頭ない。
逃げるのだ。
今の最優先事項は芹だ。
疲労の溜まった足で、アスファルトを蹴る。
未だに立ったままの少女に向かって、駆けた。
一瞬の隙があればそれでいい。
いかに救世主なんて言っていても、所詮は私と同じ人間。
逃げることは出来るはずだ。
私の走る風圧で、光が散る。
私の体はすぐに少女の脇にたどり着いた。
そこで・・・・・・。
「せっ・・・・・・!」
身を低くする。
格闘ゲームで何度も見た動き。
アスファルトに手をついて、踵を滑らせる。
視界の外側だが、確かに私の伸ばした足は少女の足を捉えた。
足払い。
当然私にそんなことが出来る運動能力はないだろうが、宝石のある今なら出来た。
自らの足の勢いに逆らって、無理矢理振り向く。
すると既に目の前には鉄パイプの幻影が現れていた。
その幻影越しに、倒れゆく少女が表情のない瞳でこちらを見つめている。
その様がやけに不気味というか、嫌な感じがした。
体勢を崩しているにも関わらず、少女が身を捻る。
目視できないスピードで振られた鉄パイプが起こした風が私の前髪を揺らした。
「・・・・・・っぶな」
その風に遅れて飛び退く。
幻影を見つけるのが遅すぎた。
避けようだとか、そう言うことを考える前に攻撃がやって来たのだ。
飛びのいた勢いを手をついて殺しながら、顔を上げる。
そこには当然のように二撃目が迫っていた。
幻影でなく本物の。
「速い・・・・・・」
慌てて鉄パイプを両腕で受け止める。
その衝撃が奥歯まで伝わった。
三撃目が来る前に、転がって射程外へ逃げる。
そして立ち上がって目に入った光景に、自らの目を疑った。
変な笑いまで込み上げてくる。
「は・・・・・・」
目の前が、少女の幻影で埋め尽くされている。
一つや二つじゃない、幾つもの幻影が重なり、存在している。
「どれが・・・・・・?」
どれだ?
どれから来る?
その無数の幻影の前では、私の能力など有って無いようなものだった。
見えていても、そのどれが次に来るのか分からない。
考えている間にも少女は鉄パイプに振り回されるようにして距離を詰めてくる。
その動向と、幻影を目で追っていたが、ガクンと少女の姿勢が変わり想定外の方向から攻撃が飛んできた。
「うぐっ・・・・・・」
私はその速度に追いつけない。
パイプは脇腹に食い込んだ。
続く攻撃。
視界から何度も少女が消え、そして現れる。
その動きは不規則で、とても人間と言う生き物がする動きに見えない。
動きが読めないまま、攻撃だけに翻弄される。
幻影を追うが、その行為は全く意味をなさなかった。
何度も打ちのめされた末に、やっとのことでその鉄パイプを捕らえる。
頭上に振り下ろされたそれを、手のひらで受け止めた。
私にはどれくらいのダメージが入っているのか、既に分からない。
「最初から・・・・・・」
最初から幻影なんて当てにするべきではなかった。
見えてしまうから、そこに思考が発生する。
だが、この少女の攻撃の前では僅かな思考ですら大きな隙となる。
反射で対処せねばならないのだ。
少女が私の掴んだままの鉄パイプを持ち上げる。
こちらも思い切り掴んでいるはずなのに、それをものともせず強引に私ごと振り上げた。
その速度に追いつけず、私の手が離れる。
するとすぐにパイプは振り下ろされた。
慌てて横に跳んで避ける。
その私を追って鉄パイプは直角に軌道を変えた。
その追撃を跳ねて避ける。
つま先をパイプが掠めた。
しかし少女はまたパイプの軌道を無理やり変える。
「キリがない・・・・・・」
避けるたび、どんどん追い詰められていく。
こちらの余裕だけが、削られていく。
遂には、攻撃の命中を許してしまった。
「くっ・・・・・・」
鉄パイプがくるぶしの辺りに命中する。
その衝撃に私の体は容易く宙を舞った。
背中が暗闇の中のフェンスに打ち付けられる。
ガシャガシャ鳴る音が騒々しかった。
「・・・・・・くっそぅ」
格の違い。
その一言で十分だった。
鼻先に雪のように光の粒子が降りかかる。
少女はすぐ目の前に立っていた。
あれだけ動き回っていたのに息も切らさず、汗もかかず・・・・・・。
何一つ乱れていなかった。
少女が迫る。
その足音が鼓膜に張り付いて反響した。
その音に苛まれながらも、立ち上がる。
幻影を無駄と判断した瞬間からそれは姿を消したが、都合良く変わりを授けてはくれない。
「痛みがないだけマシか・・・・・・」
汗を拭い、再び少女の射程内に自ら飛び込んで行った。
続きます。