救世主(27)
続きです。
念のため、トドメは刺さないで置いた。
未来を見る能力、そう言っていた。
ならば俺にとっても必要になるかもしれない。
使えるものは使う。
芹を死なせないためには当然のことだった。
あいつも俺の話が分かったなら、きっと芹にはもう近づかない。
それが出来る程度にはあいつが変わったという感触があった。
今まで自分がどうして来たのか、自分がどれだけ酷いやつだったのか、帰り道で思いしればいい。
その時には、きっと芹のそばに居る資格がないことに気づくだろう。
午後の日差しは傾き始めている。
まだ夜は近くないが、遠くもないだろう。
俺は身を隠して、芹の家を遠巻きに眺めていた。
芹が家に居ることは知っている。
だから家から誰かが出てきたことが分かる距離に居れば十分なのだ。
監視を始めて少し経つが、玄関のドアが開く気配はない。
夜までこのままならいいが・・・・・・。
あいつも言っていたが、芹がいつ襲われるのかは分からない。
それ以外のことだって、どこで何に襲われるかも分からない。
まぁ十中八九アンキラサウルスだろうし、あいつもそう思っているようだった。
注意するべきはもう一つ。
それはあいつのことだ。
あの廃工場はこの街で生きていればどこかは分かる場所。
となれば当然芹の家に訪れることも可能。
その事態も俺は許すわけにはいかない。
時間の進みを、やけにゆっくりに感じる。
その間、気を緩められる瞬間はなかった。
注目しておくべきポイントは少ない。
それでも人の命が・・・・・・よりにもよって芹の命がかかっているとなれば気が抜けるわけがなかった。
ただ何日も何日もこの場所で夜を待っていられるわけでもない。
死の未来を回避したという答え合わせが必要になってくるはずなのだ。
だからあいつにトドメを刺さなかった判断は正しい、はずだ・・・・・・。
「今日ではないかもな・・・・・・」
もちろんそう決めつけるべきではないし、夜までは待つつもりだ。
ただ目前に広がる時間の長さに疲れているのも事実ではあった。
思うくらいなら許してほしい。
誰に言うわけでもなく、胸中に言い訳を溜める。
夜までの辛抱だ。
夜が来れば、今日は大丈夫。
感情エネルギーから生まれるアンキラサウルスが、夜中の、しかも一家庭に生まれるなんてことは考えられない。
雲はゆったりと、のんびりと高い空を泳いでいた。
荒い呼吸が、鼓膜にザラザラ響く。
それは私の呼吸だ。
道行く人々の横を、見慣れた風景を、出鱈目な全力疾走で通り過ぎて行く。
頭の中には誰かの言葉が響き、しかしそれは意味を持たずただの音にしか聞こえないのだった。
口呼吸のせいで、口が乾き喉がひりつく。
しかしこの息苦しい状態でいないと、すぐにでも声を上げて泣き出してしまいそうだった。
私はただ、いじけて、拗ねて、逃げ出してしまったのだ。
がむしゃらに動かしていた足はやがて、自分の家にたどり着きその玄関に飛び込む。
勢いよく閉じたドアの音で、頭の中の声が止んだ。
代わりに湧き出してくるのは、嗚咽。
閉まったドアに背中を預けて、歯を食いしばって、ただそれを喉の奥に押し込めていた。
重力に従って、ずるずる体が下がっていく。
玄関の床に染みを作った雫は、汗だか涙だか区別がつかなかった。
「お帰り。早かったわね」
おたまを手に持ったまま、お母さんが玄関までやってくる。
私は玄関にしゃがみ込んだまま、顔を隠すように腕で自らを抱いた。
視界に映るのは、私の膝だけ。
必死に声を抑えていると、お母さんの声が頭上から降り注ぐ。
「・・・・・・。こんなところで蹲ってないで、早く上がりなさい。汗もかいたでしょ?お風呂入って、それで出たらお昼にしましょ。さ、芹・・・・・・」
私の肩に手がかけられる。
「・・・・・・うん」
私はやっとのことで、震えた声を絞り出した。
続きます。




