竜の泪(2)
続きです。
一日飛ばして月曜日。
ほとんど一年ぶりの通学帽を被って、鏡の前でポーズを決める。
ランドセルも埃を被って、すっかりくすんだ赤色になってしまっていた。
洗面所から出て、玄関に向かう。
靴を履いて、振り返る。
そこでは、見送りのおばあちゃんがすごく嬉しそうな表情をしていた。
それに釣られて、私も嬉しくなる。
覚悟が完了するのに、日曜日まるごと費やしてしまったが、この顔が見られるなら、やっぱり決断が出来て良かったなぁと実感出来る。
「行ってきます」
「が、頑張ってね......あ、でも無理もしないでね?」
どっちだよと心の中で笑って、外へ出て行った。
通学路のアスファルトを踏むと、手提げ鞄からゴローが顔を出す。
私の方を見て、何か思ったのか「まぁなんとかなるニャ」と言って引っ込んでしまった。
ゴローからそんな言葉を頂戴するのもまぁ仕方ないだろう。
「この私、かなり緊張している!」
口に出せば和らぐかと思ったが、効果は薄かった。
まだ朝にも関わらず、既に気温はくらくらするくらい高かった。
深呼吸して、他の生徒たちの喧騒に紛れる。
他学年なら私のこともよく知らないだろうし、下級生の群れに姿を隠した。
「......なんか、情けないな」
鞄の中を覗くと、ゴローはしっかりこちらを見上げていた。
教室の前まで小走りで行き、ちょっと周囲の確認。
そーっと、扉を開く。
もう後戻りは出来ない。
背中に変な汗がつたい、途端に息苦しくなる。
扉の開く音で私に視線が集まり、早くも帰りたくなる。
扉を開けるだけ開けて、二の足を踏む私に人影がぬっと近寄ってきた。
見上げるとそこに居たのは、他の誰でもないどらこちゃんだった。
「うっ......」
思わず一歩後ずさってしまう。
まさかここで戦い始めるなんてこと......。
私の考えを知ってか知らずか、どらこちゃんがその口を開く。
「あんたの席はあっち」
そっけない感じで、教室の角の席を指差す。
「あ......ありがとう」
思いがけない言葉に、表情が引きつる。
それを見て、どらこちゃんが一歩詰め寄る。
「流石にここで始めたりしないよ......」
そう言って、自分の席に戻っていった。
どらこちゃんの机の周りにはもう一人女の子がおり、二人は仲睦まじく話している様子だった。
「友達......居るんだ」
安堵すると共に、敗北感も覚える。
自分には友人らしい友人もいない上、“例の転校生”がいる。
私の席と教えられた席。
その一個前の席を睨みつける。
サラサラしたロングヘアーに、何大人ぶってやがると思わせる長いスカート。
名前は“さくら”。
私の不登校のきっかけの人物である。
教室の後ろ側を通って自分の席に移動し、そしてわざと音を立てて椅子に座る。
「よくまた来る気になったわね」
こっちを見もせずに、あざ笑う。
「ふざけんな......」
小さな声でボソッと吐き捨てるが、聞こえてしまったのかさくらが振り返る。
「ふふっ。ごめんなさいね。そんな名前で堂々とよく歩いていられるなって思うと、可笑しくて可笑しくて」
「うっせー、馬鹿!」
言いながら振り向いた頭に頭突きした。
すると向こうも押し返し、食い下がる。
「あなたねぇ......。そういう態度......醜いわよ?」
「馬鹿!アホ!生え際後退してるぞ!」
私の罵声に呆れたように答える。
「あのねぇ。まぁ、あなたには分からないかもしれないけど、これはこういう髪型なの。そんな必死になっちゃって......。少し落ち着いたらどう?き・ら・ら」
笑い声を堪えるようにしているさくらに更に頭を押し付ける。
「さんを付けろやデコ助やろう......」
さくらも私の机に両手をついて、より力を込める。
「デコの広さは、心の広さ!もっと余裕を持ったらどう......か・し・ら!」
「どぉわぁっ......!」
力が増していき、遂には椅子が後ろ側に倒れ、ひっくり返ってしまう。
ぶつけた後頭部をさすっていると、横側からどらこちゃんが「何やってんだ」という目で見ていた。
「くっそぉぉ!ムカつくぅ!」
トイレの個室で足をバタバタさせる。
因みに今は一時限目だ。
「とりあえずボクはトイレに持ち込まないで欲しいニャ......女子トイレだし」
「別に授業中だから誰も来ないよ......」
せっかく来たっていうのに、結局この有様である。
「さっきの子......キミを不登校にさせた子かニャ?」
ゴローはとりあえずトイレットペーパーの上に座ったようだ。
「......そう。アレが三年生の初めの時に転校してきて......それで私の居場所は無くなりましたってわけ」
「ふぅん」
ゴローが足を組む。
動きに合わせてトイレットペーパーホルダーがカチャリと鳴った。
「まぁともかく、今日は学校に来られた。それだけでも一歩前進ってことでいいんじゃないかニャ?何も焦ることないニャ」
「......うん」
ただ単純に悔しかった。
今日も、あの時も。
タイルを見つめていると不意に足音が近づいてくる。
「ありゃ?」
「ちょ、ちょっと!誰か来たじゃないか!まずいニャ!」
ゴローがオロオロし出す。
「だ、黙ってればただのぬいぐるみだし......セーフ......?」
「アウトニャ」
ゴローが断言する。
そう言ってる間にも足音は近づき、そして隣の個室に入っていく。
「ど、どっど......どうするニャ」
ゴローはアンキラサウルスに追われていた時以上の焦りを見せている。
「どうするって言ったってぇ」
ヒソヒソ声の会話に、はっきりとした声が割り込んでくる。
「おまえ、何やってんの?」
その声は、どらこちゃんのものだった。
「え......?なんで?」
動揺する私を、なだめるように言う。
「あのさぁ......がっこ来たなら授業くらい受けなよ」
「は、はぁ......」
隣の個室から出てきたのか、再び足音が鳴る。
それは私の前で止まり、扉越しに声が届く。
「あと、戦線布告しとく。あたしは放課後、おまえと戦う。......だから早退とかすんなよな」
ゴローと顔を見合わせる。
足音は遠ざかり、やがて人の気配は消えた。
「どういう......こと?」
わざわざこんな所まで来て、戦線布告をするだけ。
何を考えているのか、さっぱり分からなかった。
「と、とりあえず......一安心ニャ」
全く違うことを心配していたゴローは、一人安堵の溜息をついていた。
続きます。