ドッペルゲンガー(10)
続きです。
ノワールがカーペットを人差し指で叩く。
その衝撃はカーペットに吸収され音を立てることはないが、しかしとても素早く叩いていた。
「あの・・・・・・どうしました?」
「どうしたもこうしたも・・・・・・」
ノワールの表情にあるのは苛立ち。
きららちゃんが寝ると宣言してから既に数十分経っていた。
別に向こうの本人たちはただ気ままにのんびり過ごしているだけなわけだけど、ただ寝るのを待っているだけの立場からすれば煩わしいことこの上ないだろう。
「何をやっているんだ・・・・・・」
ノワールが顔をしかめる。
更に人差し指は加速した。
「あの・・・・・・寝るのを待つ必要があるんですか?」
今までの様子を見ていると、恐らくノワールはあまり気長に待っていられるタイプじゃない。
口ぶりこそ格好つけてはいるが、その実じっとしていられるような性格ではないのだ。
そして作戦の成功には、ノワールの我慢の限界が来て爆発しないことが必要な気がする。
・・・・・・って、何で私が作戦の心配をしているのか。
「確かに必ず必要なわけじゃない。しかし、寝れば絶対安全だ。失敗は許されない。待って百パーセントの成功率が手に入るならそうするさ」
なるほど確かに相手が寝ればやりたい放題だろう。
ゲームだったらすぐに出来る命中率八十パーセントと時間がかかる百パーセントなら前者を選ぶところだが、現実なら堅実な後者を選ぶだろう。
ただノワールは少し間違いを犯している。
それはノワール自身の忍耐力が勘定に含まれていないことだ。
あとそもそも二人が寝るかも分からないこともか・・・・・・。
ともかくそれらの要素を含めた場合、成功率が百パーセントではなくなる。
その時にどちらの方が成功率が高くなるのか、それは私には分からない。
「・・・・・・まだか・・・・・・まだ・・・・・・」
苛立ちが募るノワールのことは意に介さず・・・・・・というか実際にそんなこと知らないのだけれど、きららちゃんたちは何やらじゃれ合っている。
「・・・・・・この感じはまだそうですね」
私は知っている。
これは何だかんだで寝ないパターンだと。
たぶんどらこちゃんが先に帰ってきてそのまま流れ解散だろう。
「あの・・・・・・て言うか、これたぶん・・・・・・」
言いかけて口をつぐむ。
恐らくこのまま寝ない可能性が高いことをつい教えそうになってしまったが、そもそも作戦が失敗した方が私にとってはいいのだった。
まぁ作戦の概要はよく知らないけど。
「まぁ・・・・・・頑張ってください」
とりあえず笑って誤魔化した。
ノワールはというと、もう限界が近いのか喋らなくなってしまった。
水晶の中は相変わらず平和な時間が流れている。
それがノワールの摩耗した忍耐力を更に激しく削った。
「あーもう!分かった!もう知らん!作戦変更!強制的に寝かせてやるよ!」
ノワールの拳がカーペットをぶっ叩く。
今度は音が鳴ったはずだけれど、それを上回る声量が掻き消してしまった。
「暑いんなら脱がしてやるよ!」
「うわぁ・・・・・・」
たぶんゲームで劣勢になると性格変わる人だ、この人。
水晶の中の私が確実にもう私ではない。しかしバレない不思議。
もう何だか危なっかしくて見ていられなかった。
いつバレてもおかしくない緊張感が心臓に悪くて、思わず目を逸らす。
あと単純に私の姿でアレをやられるのが恥ずかしかった。
「ほら!ほら!死にな!ぶっ倒れろや!」
騒ぐノワールに背を向けて罵声に耳を塞ぐ。
ノワールの理性は完全にぶっ飛んでいた。
何度キャラ崩壊すれば気が済むのだろう。
「うっしゃぁぁぁぁぁ!!やれ!そこだ!勝ち・・・・・・」
ピンポーン
と、あまりにも場違いな電子音が鳴り響く。
いや、もしかしたらこんな場所でこんなことをやっている私たちの方が本来場違いなのかもしれない。
その音にノワールが固まる。
抜け殻みたいな何もかもどうでもよくなってしまった人の表情をしていた。
「あ・・・・・・あの・・・・・・?」
真っ白に燃え尽きたノワールににじり寄る。
「なんか萎えた。追い詰めたからトドメ刺しといて。応対してくる」
今までのどの言葉より平坦で、抑揚が完全に欠如していた。
果たしてノワールは私がトドメを刺すと思っているのだろうか。
「あ、あの・・・・・・ていうかこれ、私が動かせるんですか?」
「あ、うん。既に主導権譲ってあるから水晶の向こうのあんたもあたふたしてるよ。面白いね。はは・・・・・・」
そう全く面白くなさそうに言い残して、ふらふら部屋を出て行った。
いや、普通に扉開くんかい。
てっきり鍵がかかっているものだと思っていた。
「あっ・・・・・・と、ええと・・・・・・」
とりあえず水晶玉に向き合う。
何故か先程までと違い一人称視点になっていた。
視界には怯えたきららちゃんがいる。
完全に諦めている顔だった。
この期に及んでこちらを一切攻撃しないのは、まだ私が偽物なのに気づいていないからなのだろうか。
まぁ今は間接的に本物だけど。
不意にきららちゃんの下半身に目が行く。
服の裾が長めだから気づかなかったが、ズボンを脱がされて薄緑色のパンツがチラチラ見えていた。
「あの人ほんとに脱がしたんですか・・・・・・」
やや困惑しつつ呆れていると、今度は突然画面が・・・・・・水晶が暗転した。
「あ、あれ?壊れちゃいました?」
あまりにも唐突だったのでびっくりして、とりあえず水晶玉を叩いてみた。
一瞬の砂嵐の後にニュースが映る。
その次に空が映った水面が映った。
次には小さな子どもが見つめるガラス窓が映る。
そして最後には、水晶が真っ二つに割れてしまった。
「あれ・・・・・・これ、私が壊しちゃいました?」
古いテレビの感覚でとりあえず叩いたのはまずかったかもしれない。
「あひっ・・・・・・」
丁度タイミング悪く部屋の扉が開く。
「・・・・・・ってあれ?」
しかしその扉を潜って現れたのは、すっかり伸びてしまったノワールを引きずったどらこちゃんだった。
「よっす」
どらこちゃんがそう言って、片手をあげる。
「えっと・・・・・・」
一体この状況はなんなのだ?
続きます。