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09 悪夢と夢心地。




 最初は母が黒に身を包んで葬式に出ていた。涙する黒い服の人達がいて、棺に横たわった人が動き出して私を見た。

 そんな夢。

 またある時は、血溜まりの中に蠢く死人。

 またある時は、殺戮の吸血鬼。

 ホラーな夢で魘されるのは初めてじゃない。

 ホラー映画を観れば、その夜はゾンビや吸血鬼が襲ってくる。

 でも今回は映画を観たんじゃない。体験した。

 血の匂いとあの時感じた恐怖が、夢の中でも感じる。

 家にいると、母が死んだ同僚の話をするんじゃないかと思って、逃げるように璃の家に行ったりした。

 眠れずにいた。

 眠れたとしても、せいぜい三時間ぐらい。

 そんな日々を過ごす羽目になった。

 璃の家では彼と喋りたいから眠らないように耐える。

 家にいても、ソファに座り、ボォとするだけ。

 眠れない。それが最近の悩み。

 罪悪感がある。

 被害者の家族は、今も殺人鬼が捕まることを期待している。

 こんな殺人事件に慣れてないここの警察も、メディアに責め立てられ焦っている。

 未解決に終わってしまう。

 吸血鬼を捕まえるなんて無理だから。煙を掴むようなもの。

 どうしようもできないこと。

 だけど罪悪感が消えない。

 罪悪感が自分を責め立てるように、悪夢を見させるんだ。

 昔からそう、色んなことに罪悪感を覚えてきた。

 離婚の原因は自分なんだとか、友達に悪いことしたとか、勝手に自分のせいにする。

 罪悪感なんてなければ楽なのに。


「茜ちゃん?」

「えっ、あ」


 呼ばれて、ハッとなる。

 今は璃の家。

 あの事件から、一週間は経った。


「顔色悪いけど……口に合わなかった?」

「ううん! すっごく美味しいっ」


 私の目の下のクマをなぞって、心配する璃に笑顔を向ける。

 今日はグラタン。美味しいけど、食べたい気がしない。

 気力で食べる!


「茜ちゃん、やっぱり……無理してない?」

「いいえ」


 慌てて首を振る。

 璃の冷たい手が、私の手首を掴む。それから怪訝そうな顔をした。


「いつもより冷たい」

「え? そう……うっ」


 ずいっと顔を近付けた彼に驚く。

 額を重ねて、私の温度を計る。

 冷たい両手で頬を包む。それから首を包む。

 流石に冷たくて、震えた。


「ごめん。ほら……冷たい」


 手を離す。

 そんなに? 

 私にはわからない。確かに両手はいつもより冷たいかな。


「大丈夫だよ、ほんと」


 彼の両手を握って、元気付けた。


「昨日のドライブで振り回しすぎた?」


 昨日のドライブを思い出して、吹き出した。

 早速、購入した真っ赤な車でドライブに行ったのだ。

 警察に引っ掛かるんじゃないかって、ひやひやした。

 でも気持ちよかった。

 彼の運転は安定していて酔わなかったし、ウィンドウから入る風に当たって心地よかった。


「車もかっこよかったし楽しかったよ、私は大丈夫だって。ほらっ学校の時間だよ」

「車で行こう」


 名案みたいに璃くんは言う。

 わざわざ車で行くことないじゃん。


「君の家まで送るんだからいいじゃん」


 なら歩きがいいのに。

 その方が、長く君と居られる。

 彼が乗り気になって引っ張られ、駐車場へ。

 まだ新しい車は、真っ赤だしすごく目立っていた。

 ピッと鍵のボタンを押すだけで鍵は解除。

 すぐに璃が助手席を開く。紳士的な行動。

 助手席に座るのって、変な感じ。

 それでハンドルを握る璃を見るのも変な感じ。

 いつになったら、馴れるかな。

 学校にはあっという間に着いた。車だし、近いし、五分も経ってない。

 校門入ってすぐ目の前の駐車場に置いた。

 悪戯されないかな……心配。


「はい」


 ドアを閉めた璃が手を繋ぐため手を差し出した。

 喜んで手を繋いだ。

 だけど、妙に力が入らなかった。

 足取りがふらつくから、璃に気付かれないように慎重に歩く。

 一限と二限の授業は、普通に過ごせた。大丈夫そう。


「喉渇いちゃった」

「じゃあ買いにいこう」


 渡り廊下にある自動販売機に向かおうとして、二人で教室を出た。

 酷く歩くことが、しんどかった。

 そっと璃の肩に手を置く。


「大丈夫?」


 それで気付いた璃が顔を覗いた。

 力なく頷くけど、これ以上歩けない気がする。

 目眩がした。足元がふわふわしてる。


「茜!」


 遠くで璃が呼んだ。

 意識が遠退いて、冷たい廊下に倒れた。

 プツリと記憶は、そこで途切れる。

 けれど、冷たくて気持ちいい手に意識を戻された。

 ぼんやりした視界に、一番早く目に入ったのは、見下ろす璃。


「あれ……?」


 何故か横たわっている。枕に布団。ベッドの上だ。


「君が気を失ったから保健室に運んだんだ……二十分眠ってたよ」


 あぁ、保健室か。情けないな。


「ごめんなさい……」

「寝不足だって……言ってくれればいいのに」


 笑顔のない璃が言った。

 どうして言ってくれなかったの? そういう目。

 罪悪感や悲しさが見えた。


「大丈夫だと思ったの……ごめんなさい。あの事件から眠れないの……」


 彼が自分を責めないように、顎を撫でる。

 起き上がる力が出なから寝たまま。


「夢に魘されて……」

「夢? あの夜からかい?」

「次の日から。ほら私の母の知り合いが被害者にいたって言ったでしょ? そのせいかも……葬式で彼が目を開いて見てくるの」


 ボソボソと言う私の言葉を腰掛けた璃は、真剣に聞いた。


「それからノラとか。血溜まりの中で死体に囲まれたりとか……似たような夢にしつこく」

「どうして言ってくれなかったの?」

「ごめんなさい、そのうちちゃんと眠れると思ったんだけど……ごめんなさい」


 謝るしかできない。


「もう謝らないで、俺が気付かなかったのが悪いんだ。俺も君が心配で眠れなかったよ」


 頬を撫でて璃は静かに言った。


「大丈夫、ちゃんと眠れるから」

「……今なら眠れる気がする、君がいれば」


 本当、そんな気がする。

 彼の手が頬に触れて、目を閉じればそのまま安らかな眠りにつけそう。


「本当?」


 目を丸めた璃が、真上から顔を覗いてくる。

 うん、とまた力なく頷く。

 少し考えるように髪を撫でて、私の顔を見つめる。

 早く起き上がりたい。


「俺の家に泊まろ」

「えっ!?」


 言うなり、璃は立ち上がる。


「え!? ちょ、待って! 本気?」

「本気。今夜は俺の家に泊まって」


 掛けた布団をひっぺがして、私を起こす。


「む、無理だよ! 許可がでるわけないし……無理!」


 立ち眩みに耐えながら、大慌て。何がどうして泊まりになるのかわけわからなくパニックになりそう。泊まるなんて恐れ多い。

 それ以前に、母が許すとは思えない。


「許可を取りにいく。静かな部屋でちゃんと眠らなきゃ」


 サンダルまで履かせてくれた璃は、私を抱えた。

 またお姫様抱っこ。真っ赤になる。


「ねっ無理! そんなっう」

「君が体調崩すのを見てられない」


 本気って顔に書いてある璃は私を抱えたまま保健室を出た。

 誰にも会いませんように!

 心臓がバクバクする。

 何回目かわからないけれど、それでも慣れてないからドキドキした。

 停めてる車に向かえば、人集りを見付けた。

 げ、璃の車を囲ってる。

 好奇の目で生徒達が見てるのに、気にしない璃がロックを解除した。

 痛い視線を浴びながらも、璃に乗せられて、車は発車。

 恥ずかしい。熱でクラクラしてきた。


「……本気?」


 車は真っ直ぐ私の家に向かってる。


「本気だよ、君のお母さんを説得させるから任せて」


 私は顔を押さえて唸った。

 かなりまずい、それ。

 どうしたら、あの過保護が許すと思う?

 ていうかカレシの家に泊まるなんて言ったら、怒られそう……!


「大丈夫だよ、誰も君を怒らない」


 よくても冷やかしだ!

 シートベルトを握り締め、信号を睨み付けた。だけど赤のままではいてくれなくって、簡単に私の家まで通してしまう。

 璃に引っ張られて階段を上がる。あー死にそう。


「……ただいま。お母さん、ちょっと、来て」


 鍵を回して入る。テレビの音、全員いる、よね。

 隣にはしっかりと璃がいる。

 お母さんはかなり驚いてた。

 男の子がいて喜んでいるようにも見える。美少年だからか。


「こんばんわ、初めまして。茜とお付き合いさせていただいています、水梛璃です」


 礼儀正しく愛想よく璃は、丁寧に名乗る。

 恥ずかしくて私はすぐ逃げ出したかった。

 声を聞き付けて、妹と弟が顔を出す。

 顔で、見るな! 言うけど、興味津々にニヤニヤと璃を見ている。


「今日彼女、寝不足で倒れたんです」


 本題に入って彼は私の背中を押した。

 多少の服を持ってこいって。

 逃げる口実になったから、さっさと私は寝室に向かった。


「ねぇちゃん」

「煩い! シーッ」


 小声で怒鳴り付けて、下着と服を鞄に突っ込んだ。


「そう、ならいいわ」


 母のオッケーの言葉に驚いて、玄関に駆け寄った。


「娘さんを預かります、心配はご無用です」


 笑顔で璃が、私に手を伸ばした。

 え? もう説得したの? 一体どうやって?


「あ、た、ただ泊まるだけなんだからね!」


 彼の手を掴めば、母に意味ありげな目を向けたから、慌てて言った。


「では失礼しました」

「いってきまぁす!」


 私は逃げるように、彼の背中を押して家を飛び出す。

 すぐに璃はまた私を抱えて二階から飛び降りる。

 驚いた私は、彼にしがみついた。


「嬉しいな、君が泊まるなんて」


 璃はキラキラした笑顔で、楽しそう。

 はしゃいでいるようだ。


「結局、君の要求通りね」


 溜め息を吐いて、助手席の背凭れに項垂れた。

 車に同居。璃が望んだものだ。


「ただのお泊まり会だって。そのまま同居してくれたら嬉しいけど……君も要求すればいい」


 運転席に乗り込んで、璃が頬を撫でる。

 君なら何でも要求をのんでくれそう……。


「とりあえず眠りたいかな」


 璃を見つめ返して、私はぼやいてみた。力がまた抜けていく。

 彼は頷いて、車を走らせた。

 ぼんやりしていれば、あっという間に璃のマンションに到着。

 彼が助手席を開いたけど、私は動かなかった。

 緊張してきた……。

 付き合って一ヶ月過ぎたけど……だけど!

 だめ、やっぱり無理っぽい!

 彼がまた抱えようとしたから、すぐに立ち上がった。


「大丈夫?」

「うんっ、もう大丈夫」


 荷物を持って璃は、腰に手を置いて、私をリードする。


「お邪魔します……」


 小さく言って入った。

 酷く緊張した声を、璃が笑う。

 サンダルを脱ぐことに手こずっていれば、暁は荷物を置きに暗い廊下を歩いた。

 明かりがつけば、彼は目の前に。


「緊張する?」

「……うん、かなり」

「リラックスして、眠って」


 そう言って、唇を重ねる。

 手を引いて、私をソファに座らせた。


「やっぱりベッドを買うべきだったな、君が前眠った時思ったんだ」

「だめだからね」


 釘を刺して私はリモコンに手を伸ばした。

 テレビをつけたら、璃がすぐにリモコンを取り上げて消した。


「まだ寝る時間じゃないよ」

「君は寝不足だよ」

「三十分だけー」

「だめだよ」


 リモコンの取り合い、私が手を伸ばすけど、届かない。

 夢中なってリモコンに手を伸ばしていれば、いつの間にか璃の顔が鼻の先にあった。

 璃の顔に見惚れていれば、笑った彼に押し倒された。

 それから目の前が真っ白になった。毛布がかけられたみたい。

 退かせば、また暁の顔が目の前に現れて、唇が重なる。

 頭にはいつの間にかクッションがあった。


「おやすみ」

「おやすみなさい」


 仕方なく笑い返して、隣に横たわった璃の方を向いて目を閉じた。

 しんっとした部屋の明かりは消える。

 少し怖くなった。

 悪夢が忍び寄ってる感じがする。

 恐怖がじわじわ広がってきたら、唇に何か重なった。

 ゆっくりと絡み付く唇。彼がキスしてる。私は吹き出した。


「眠らせてくれないのかな」

「ごめん」


 笑いを押し殺す気配がする。

 彼がいるって、再確認したらホッとした。

 目を閉じたまま腕を伸ばして、璃を抱き締める。

 引き寄せて、静かに彼の匂いを吸い込む。

 落ち着く。

 まるで風船が落ちるように、眠りの淵に落ちた。

 朝、目覚めれば、彼がいる。

 それを期待して。


 冷たい指先が頬の上で踊る。

 気持ちいい寝起きだと思う。

 目を開けば、待ち構えている彼の笑顔があるのだから。


「おはよう……璃」

「おはよう、茜。よく眠れた?」


 目を擦っていれば、璃が優しく頭を撫でてくれる。


「うん、かなり。私寝相とか悪くなかった? 寝言とか言ってないよね」


 ヨダレが垂れてないか顔をこすった。声はぼんやりしている。


「二回ぐらい寝返りしただけだよ、可愛かった。寝言を聞いたよ」


 クスクスと笑ってコーヒーテーブルに座った璃は答えた。


「ウソ……ずっと見てたの? あ、私なんて言ってた?」


 場合によっては嘆く。

 恥ずかしい顔で寝てないといいけど……。


「よくわかんない……むにゃむにゃって感じではっきりしなかったけど、夢でも見た?」

「……わかんない、忘れちゃったかな」


 夢を見た記憶がまるでないけど。


「よかった、君が眠れて」

「うん」


 私も。かなり気分がいいよ。

 毛布を畳んでから、再び腰を下ろす。


「君はお風呂にでも入って着替えたら?」


 そう言って私の乱れた服を整えて、璃が言うからドキッときた。


「俺は買い出しに行くから、ね?」


 付き添いたかったけど、昨日の服装のままだから仕方なく頷く。

 そうしたら璃のケータイが鳴った。彼は目を見開いて、文字を打った。

 返事はすぐ返ってきたみたいで、顔をしかめる。


「どうしたの?」

「……あの人が日本に来てるんだ。だからアレを送ってくれって頼んだんだ」


 隣に移動してきた璃は、メッセージを見せた。

 相手はカリナっていう人。この前話したお姉さん的存在の吸血鬼だ。アレって言うのは血液だろう。

 メッセージには“自分で取りにこい!”と命令形の短い文しかなかった。


「無理だから頼んでるのに……」


 そう言ってまた文字を打った。車もあるんだから、彼女に会いに行けばいいのに。


「あ、わかっただって」


 笑顔に戻った彼が、また見せる。

 わかった、また短い文。

 なんかその人が想像できる。強気で負けず嫌いかも。私がそうだから……。


「じゃあ行ってくる、勝手に出ていかないでね?」

「もう危険なんてないし、しばらくは家に帰らないから」


 不安げな顔をしたから笑ってみせる。安心したのか頭の上にキスをして立ち上がった。

 私も服を持って、バスルームに向かう。

 音もなく璃は行ってしまった。

 二度目の浴室。妙な気持ち。

 シャンプーと石鹸を見比べる。使ってもいいのかな?

 彼も使ってると思うと恥ずかしい。そう思う自分が恥ずかしい。

 迷った末に使って、無事出た。

 用意された白いタオルで身体を拭く。

 意識して顔が赤くなる。

 だめだ、いちいち意識をするな! 疲れる! 変態!

 濡れた髪をタオルで拭きながら、ソファに座ってテレビをつけた。

 まだ九時。

 ケータイを見ると、暁からメッセージがきている。


 遅くなるけど10時過ぎには戻るよ。


 とのことだ。

 あ、確か駅ビル十時からオープンか。

 私も行こうか? って送ると、待ってくれだって。

 今気付いた。彼も過保護だ。

 寝不足だったけれど、今日ちゃんと眠れたんだから道端で倒れない。

 溜め息を吐いて横たわる。

 変なの……。

 璃の部屋なのに、璃がいない。

 変な気分のまままた眠りに落ちた。浅い眠り。

 ただ真っ白な中を飛んでるような感覚。

 また頬に冷たい指先が触れた。

 眠りから覚めた私は、その手を掴んだ。

 違和感を覚えた。

 やけに冷たい指は、すごく細くて、爪が長い。

 璃の手じゃない。

 慌てて目を開けば、ソファの背凭れから身を乗り出した美女がいた。

 白い肌に茶髪のふんわり浮いたボブヘアは小顔に似合っていて、瞳はオリーブグリーン色。

 丸くくっきりしたその瞳は、好奇に満ちていて私を見ている。

 口元は笑ってて、愉快そうに見えた。

 恐ろしいくらい細身の彼女は、口を開く。


「はーい、どうも。お嬢さん」

「……どうも」


 美しい顔に見惚れながら、私は軽く頭を下げた。


「……もしかして、カリナさん? ですか」


 半信半疑で尋ねた。

 白い肌に冷たい手は吸血鬼だと思ったし、イメージにぴったりだったから。

「あら、アキがアタシのこと話したの? そう、カリナよ。あなたは? アキのカノジョなんでしょ?」


 じろじろと楽しそうに私を観察している。


「あっ……はい、そうなんです。茜です」


 言っていいのかわからなかったけど、力なく笑って頷いた。


「アイツが来れないって言うから、なーんかあると思ったのよね」


 ニヤニヤと言う。

 あ、血液を取りに行けないってメッセージで勘づいたってこと?


「まさかカノジョを作るなんてねーアイツが」


 からかう笑みを浮かべてる。

 やっぱりまずかったかも。


「もしかして何も言わず来たんですか?」

「もっちろん! 気になったからね、ついでに頼まれたもの持ってきたのよ」


 袋を見せる。私は手を伸ばして受け取り、中を見た。


「何型の血液ですか?」

「あら、あなた知ってるの?」


 驚いたように目を丸めた。

 立ち上がって気付いた。カリナさん、かなり背が高い。


「あの……はい、吸血鬼だって、知ってます」


 これも言っていいかわからず、戸惑いつつ答えた。

 カウンターに行き、血液を水筒に移すべきか迷っていれば、カリナさんが私を値踏みするような目で見ていることに気付く。

 やっぱり言うべきじゃなかったかな?


「カリナ?」


 璃の声が聞こえてきて、慌てて廊下を見れば、両手で大きな袋を持った璃を見付けた。


「ハーイ、アキ」


 にやっと笑みを向けるカリナさんを見て、璃は困惑したように眉を上げる。私は片方の袋を持って中を見た。

 あれ? 私が使ってる普段使っているシャンプーだ。

 シャンプーだけじゃない。歯ブラシもある。どういうことが聞きたかったけど、カリナさんと話があるだろうから、私はバスルームに置きに行った。


「なんで来たんだよ?」

「アンタがくれって言ったんでしょーが」

「届けに来てなんて言ってないよ」


 一人暮らししていた弟の家に突然訪問してきた姉、の会話みたいで笑いそうになる。


「こうなってると思ったわ、でも人間の女の子なんてね? アンタ、言い寄ってくる女の子達から逃げてたのに」


 言い寄ってくる?

 冷蔵庫の前に立った私が反応して振り返れば、カウンターで血液を水筒に移している璃がぎょっとした。


「逃げたんじゃない、引いたんだ! あまりにもがっつくから」


 私とカリナさんに言い訳する。

 慌てるとムカつく……。


「でもやっと好きになれたんじゃん、いい子そうだしアンタが吸血鬼だって知っても怯えてなさそうだし」


 カリナさんは私の頭を撫でた。照れちゃう。

 彼女って本当、璃の姉さんみたい。


「……最高の人だよ」


 あきは私を見つめて微笑んだ。まるで心の底から思っているみたいに。

 真っ赤になって、私は顔を伏せる。


「で? ヤったの?」


 ストレートな質問に、私と璃は震え上がった。


「カリナ!」

「何よ? 恋人ならするでしょ?」

「違う! 俺はカリナと違って、慣れてないんだって!」


 声を潜めたから聞いちゃいけないみたい。

 私は冷蔵庫を開けて材料を入れた。でも聞き耳は立ててる。


「彼女に噛みつくのは嫌だ」


 やっぱりそれを気にしてるんだ。

 理性を保てないと噛みつくと恐れがある。


「バカね、平気よ。確かに殺しちゃうかもしれないけど……アンタなら大丈夫じゃん?」


 納得いかない発言。

 カリナさんは、もしかして殺したことあるとか?

 ていうかアバウトすぎる。何の根拠もない発言だった。


「ベッドがないじゃない! アンタ女の子をソファで眠らせないの! もう、ベッド買ってあげるわ」


 璃が私に目を向けたけど、賛成なのか止めようとしない。


「あの……私、昨夜突然泊まっただけで……ベッドは要らないのですが」

「だめよ! 買うわ!」


 ケータイをいじっているところを見ると、ネットから買おうとしてるのかな。


「狭いとこに住んでるのね、もっと広い部屋に住めばいいじゃない! 小さいサイズじゃなきゃ」


 文句をペロリと言っている彼女は、かなり問題児みたい。思い立ったらすぐ行動するタイプだ。


「待たせてごめん、お腹空いたでしょ?」


 食パンを取り出して璃が、私に声をかけた。

 笑みを返して頷く。


「アタシも食べるわ」


 カリナさんは明るい声でそう璃に言ってから、私の腰に手を置いてソファに誘導した。

 璃は嫌な顔をしたが、すぐに文句を言わずに食事を作り始める。


「歳いくつ? 好きなブランドは?」

「え、あ……十六です。そのブランドには興味なくて」

「あーらそうなの?」


 璃に目を向ければ、彼も気にしているらしく目が合う。

 それを数回、繰り返した。

 カリナさんは、私のことを聞き出す。趣味だとか色々と。


「アキのことどれくらい好き?」


 その質問には、目を見開いた。


「へ? え」


 慌てふためく。璃を見てみれば、じっとこちらを見ている。

 かなり答えが気になっているらしい。

 なんて言えばいいんだ?

 どのくらいって……どのくらいだろう。


「夢に……見るぐらい」

「それジョーク?」


 いや、マジですけど。


「世界の、何よりも……璃が好きです」


 もう死んじゃう。

 顔が熱を帯びすぎて、目も開けてられない。


「かっわいー!」


 そんな私を見て、カリナさんは細い腕で抱き締めてきた。


「ちょっと!」


 すぐに璃が止めに入って守るように両腕で私を包んだ。


「軽々しく触らないでよ」

「なによー、人間の扱いはアンタより慣れてるわよ。噛みつかないし」

「だめだ!」


 確かにちょっとカリナさんの抱擁は苦しかったけど、そこまで怒らなくても。


「やーねぇ、独占欲の強い男どう思う?」


 璃に包まれた私に聞くために座った状態から、カリナさんは身体を曲げて下から覗いた。ソファから落ちてもおかしくないぐらい傾いた身体は、微動しない。


「いや……男なんて彼以外必要ないので、不便じゃないです」

「あら一途ね」

「カリナが遊びすぎなだけだよ」


 呆れたような溜め息が頭に降りかかる。こんな風に包まれるのも悪くない。心底安心できる香りがする。


「ところでカリナ、仕事は?」

「oh! 忘れてた。仕事仕事、また来るわね! バァーイ、アカネちゃん」


 パンッと手を叩いたカリナさんは、私にウィンクしてから、スタスタと行ってしまった。

 彼女が居なくなれば、部屋は沈黙。

 璃は私に腕を回したまま動かない。

 私が顔を上げてみれば、璃が迫ってきた。思わず身を引く。


「もう一度言って。俺のことどのくらい好き?」


 ソファの上で後ずさるものの腰を置いてるから、下がれず。

 手をついてなるべく真剣な顔を近付ける璃から、顔を離した。

 璃は私の上によつんばになろうと気にしてないみたい。


「えっ……あ……世界中の、何よりも」

「何よりも?」


 無邪気な青い瞳が、答えを知りたがる。


「何よりも好き、だよ」


 なんで言わせたいんだろう。また顔が熱くなる。


「前にも言ったでしょ?」

「前は夢中って言ったんだよ、今回は好きって言ってくれた。嬉しいよ」


 ふんわりと柔らかい笑みを向けて、私の額にキス。私は照れくさくなった。


「……でも勝手に買うことないんじゃない? シャンプーとか歯磨きとか」


 いつも無駄遣いするなって言ってるのに、無断で私のを買うと怒るってわかってるよね?


「必要だと思って、君のお母さんに聞いてきた」

「はい!? 行ったの!?」


 今日は土曜日だから、母も弟達もいる。

 彼が頷いたから頭を抱えた。

 あの家にまた璃が行って会いに行ったなんて……。


「何聞いたの……」

「君の使ってる物、シャンプーとか歯磨き粉とか」

「それだけよね」


 じろっと睨みつけるけど、璃は笑うだけ。


「君が怒るようなことは聞いてないよ、今日は何する? 雨模様だから外に出掛けない?」

「家に帰っていい?」

「だめ」

「今日も泊まり!?」

「そう、あと二日は眠れるようになったら」

「うっそ……」


 絶句して私は上半身を支えていた手を離して、ソファに倒れた。


「……そんなにここで眠るの嫌なの?」


 まだ濡れている髪の毛を指で摘まんで、璃が不安そうに問う。近い。


「……君が一緒なら、安心して眠れるんだけど」


 醜態をさらしたくない。

 眠るだけならいいが、風呂に入るとか、そういう何気ない習慣をここでやるのは緊張して疲れる。


「だけど?」


 首を傾けて静かに答えを待つ。それを見て諦める。


「ううん、何でもない。映画にいかない? 観たいやつあるの!」

「賛成、行こう」


 無邪気な笑顔で頷いて、璃は私を起こし上げて立ち上がった。

 赤い車に乗り込んで、出発。


「カリナ、何か言ってなかった?」

「え? 何も……?」

「ならいいんだ」

「何かまずいことでも隠してるの? 女の子に言い寄られるとか」


 言い当て見れば、璃はギョとした顔をした。

 驚きすぎるでしょ。


「私が嫉妬すると怖いの?」

「え……いや……」


 問い詰めると言葉を詰まらせた。


「だって今にも殴りそうなんだもん」


 苦笑した彼に口をあんぐりと開けてしまった。

 私どんな顔をして怒ってるんだろう?


「君が怒る時って何考えてるかわからない目をするんだ、無表情に冷たい感じ。じ、と真っ直ぐみる瞳がなんか……すごい責めてくるみたいで。それに何か見えない力で抑え込まれるような感じがして……」


 彼を怒ったことなんてあったっけ?


「ていうかそれを言うなら璃だってそうだよ! ギラギラした目で翔くんとかノラを睨むじゃない!」

「俺は吸血鬼だよ!」

「吸血鬼だからって怖くて当たり前なの!?」

「そうだよ! 普通はこわがられるバケモノなんだもの!」

「……」


 私は何も言わず暁を睨み付けた。

 バケモノって自分で言わないでほしい。

 バケモノを世界中の何より好きだって言った私はなんだって言うのよ。


「……ほらその顔だ」


 何回か横目で私の顔を確認した璃が言った。

 当然。黙って怒ってるんだから、何考えてるかわからないわよね。


「……ごめん」


 私は答えなかった。


「茜……? ……本当にごめん」


 不安になった彼が、数秒私の顔を見つめる。


「もう二度と、バケモノなんて言わないで」


 怒るわよ、と脅しを言えば、璃はすんなり頷いた。

 やっぱり、と言いそうな笑みを溢す。

 移動手段が車も悪くないのかもしれない。

 思う存分、彼の横顔が眺められるのだから。

 私の目線に気付いて、彼が目を向けたから、逸らした。


「何?」

「なんでも」


 笑いを噛み締めて、窓から流れる景色を見た。当たる風が気持ちがいい。


「……君の匂いが充満してる」


 笑って暁が言った。

 片手を私に伸ばしてくる

 片手運転に驚いたけど、喜んでその手に触れた。

 冷たい手は、最高に気持ちいい。


「今年の夏がどんなに暑くても君にベタベタくっついていられる」

「それは光栄だね。……でも冬はどうかな?」

「あ……部屋をガンガンに暖めなくちゃだめかも。寒がりなの」

「……そうか、じゃあ触るのは控えた方がいいね」


 寂しそうに彼は呟いた。


「あったかくなれないの? 冷たいまま?」

「……そうだな。あたためてくれれば、あったかくなるかも」


 少し繋いだ手を見つめて、笑って言う璃。


「冬になったら試してみようか」



 私は笑い返した。

 駅三つ分離れた街のショッピングモールの映画館に到着。


「十四時からだって、どうする? それまで」


 お昼ご飯を食べていれば、璃が聞いた。

 映画のチケットを買ったからあとは時間まで待つだけ。


「ゲームで遊ぶ?」

「そうだね」


 喜んでゲームコーナーに向かった。

 だけど彼とゲームなんて初めてだから悩んだ。


「あ、茜ちゃん」


 悩んで立ち尽くせば、手を引かれた。

 彼が興味を示したのは、プリクラ機。

 私は顔をしかめた。


「……だめ?」


 私の様子に気付いて不安げに訊くから、慌てて笑ってみせる。


「いや……私、写真嫌いで」

「どうして?」

「自分を見たくないから」

「俺は見たいよ」

「いやよ」


 想像する。

 私と璃、並んだ二人はあまりにも対照的。

 白い美形にやや日焼けした私。

 嫌だ。

 釣り合わない写真を見たくない。


「お願いだよ、茜。俺と一度だけ撮って? 君との写真が欲しいんだ」

「……一度だけ、よ」


 あのすがるような甘い声で私の顔を覗くから、しぶしぶ頷く。

 そうすれば、笑顔になった璃が引っ張ってプリクラ機に入った。

 あー……なんかこわい。

 カリナさん並みに美しい容姿だったらな。


「茜?」


 キョトンと首を傾げた璃は、私を青い瞳で見てくる。

 その瞳に映る私は、どんな風なんだろう。


「カメラはここだよ」


 私は笑って教えた。

 ……きっと美化されているに違いない。

 何て思いながらも、二人で肩を並べて撮った。

 画面に映る彼は完璧。本当に素敵だな。

 あれ?

 そう言えば、カレシとプリクラなんて初めてだな!

 複雑すぎるな……。

 頬を重ねて撮るのは、最高に幸せ過ぎて死にそうだ。

 私って本当に幸せ者ね。


「次こっちで落書きするの」


 手を引いて落書きの所にいく。

 撮った写真を見ると、やっぱり暁は肌が白い。

 プリクラでよかった。私もまぁまぁ色白に見える。


「え、ちょ、茜、俺にやりすぎてない?」

「そう? わっ! 璃だってやりすぎだよ!」


 キラキラのスタンプやティアラのスタンプ。

 璃ったら、私をいじりすぎ!


「あっ、イタリア語でメッセージ書いてよ」

「メッセージ?」


 Loveじゃあありきたりだなっと思って、言ってみればスラスラと暁は画面に書き込んだ。


「てぃ……?」

「Ti amo per sempre.」


 覗き込んで見れば、璃は微笑んでメッセージを口にした。


「ティアモ……愛してる?」

「うん、そういう意味だよ」


 頷いた暁は何か楽しそうに笑った。

 あれ? でも次はなんだろう?

 考えていれば、不意に璃が触れるだけのキスをしてきた。

 それに吹き出すような笑みをお互いに溢す。

 愛しそうに見つめてきた璃は、また唇を重ねてきた。

 今度は長いキス。


〔残り60秒だよ〕


 うっとりして彼のキスを受け入れていれば、プリクラの機械が時間を告げた。

 慌てて落書き続行。

 なんとか全ての写真に落書き出来た。


「可愛い」


 やめてよ、お世辞は。

 ベンチに座って出来上がったプリクラを見ていれば、璃は嬉しそうに笑みを溢す。


「なんか夢みたい」

「何言ってるの、璃」


 本当に喜んでいる彼を笑ってしまう。

 こっちの台詞だよ。


 貴方の隣にいるだけで。

 夢心地なんだから。




 Ti amo per sempre.(あなたを永遠に愛す)

20190726

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