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8/21

08 喧嘩。




 意識が戻ったあと、ベッドの上で安心する。

 ケータイを見てみれば、血塗れだ。

 呻きそうになった。悪夢じゃなかったのだ。

 今は七時。

 騒がしくきょうだいが家を出た。

 母も出ていったのを見て、素早くお風呂に入った。

 丁寧にシャンプーして、全身を洗う。

 それから、ケータイを拭いた。

 着替えてすぐに家を飛び出して、自転車で走り出す。

 璃の家に行って、チャイムを鳴らそうとしたら、先に扉が開いた。

 私を引っ張り込んで、璃はギュッと抱き締めた。


「……もう来ないかと思った」

「どうして?」

「怖かっただろ?」

「君がいないと怖い」


 璃は溜め息を吐く。

 ズルズルとソファにまで、引っ張られた。

 座ってから、もう一度璃は溜め息を吐く。


「いいかい? もう一度聞くよ」

「私の隣にいて」


 問われる前に答えた。

 またあの質問だと思ったから。

 青い瞳が、私の瞳の奥を見つめた。


「あの血溜まりを見たのにかい?」


 悲しそうに震えた声で彼は訊く。


「君は違うもの」

「元はそういう生き物なんだ」


 吸血鬼がなんだ。

 そんなの全然問題じゃないのに。


「君がいないなら、生きてけない」

「……そんなことないよ」

「いや!」


 何なのこの流れ!

 別れるとか言うの?

 絶望感が溢れてくる。


「……子守りはうんざりになったの?」

「……ごめん、そうじゃないよ、違うよ茜ちゃん」


 頭を下げた私の顔を、片手で璃は上げさせた。

 深く呼吸して落ち着かせる。


「俺の匂いがついてたから、君は囚われたんだ。一歩遅れたら、君はどうなったと思う?」

「君と出会わなくても、ノラは近くで殺しをして、私を殺してた!」

「ノラだなんて呼ばないでくれ! 出会わなかったなんて考えないでくれよ!」

「じゃあ助からなかったなんて考えないでよ!」


 ムカつく!!

 手をしっかりソファの上に置かなきゃ、璃を殴りそう。

 じっと睨み合った。

 しばらくして目を逸らした璃は、目を閉じて自分の髪を荒らした。


「これでもまだ君の隣にいてもいいの?」

「いてほしい」


 よかった。これで解決。

 そう思うと、ホッとして笑みが溢れた。


「君って娘は……」


 ようやく璃は、薄く笑って私の髪を撫でる。


「怪我は?」

「もう治った」


 あら……そう。

 血を飲むだけで、切り傷は治るのかな。

 日焼けは、何もしないで治っていたけど。


「……あの吸血鬼が襲ってこないって本気で思ってる?」

「我慢出来る限りノラは約束を守ると思うけど」

「ノラって呼ぶなよ!」


 呻き声を上げて、また璃は怒り出した。


「なんで? 何を怒ってるの?」

「君が与えた名前をその口で言う度イライラする!」


 え、また嫉妬?


「君は吸血鬼には優しいのか? やめてくれよ! 俺以外の吸血鬼に構わないでくれ!」

「しょうがないじゃない! 知ってる吸血鬼は璃くんとノラだけなんだから!」

「だぁから! あーもう! その名前はやめてくれ!」


 璃は大袈裟に嘆いた。

 一体何がいけないの?


「ノラは名前がないからしょうがないでしょ? 他がいいの? 殺人鬼? 猫君?」


 また喧嘩みたいになって、ついイライラした口調になってしまう。


「ノラを上手くあしらうことができたんだからいいでしょ? もしノラがっ!?」


 いきなり睨んできた璃が、唇を押し付けてきた。

 金色の瞳。

 そのまま、後ろに押し倒された。

 強引なキスで息をつく隙を与えてくれない。

 苦しくて、もがこうにも、両手首を押さえ込まれて、抵抗出来なかった。

 角度を変えて、深く深くと噛み付くようなキスにもう窒息寸前。

 気がすんだのか、ようやく彼の唇から解放された。


「よく聞くんだ茜」


 まだ唇が重なりそうな距離にいる璃が囁く。

 私の荒い呼吸で掻き消さないように、慎重に耳をすます。


「アイツの名前がなんであれ、どーだっていい。俺が怒ってるのは君がつけた名前だ、君だ。君に名前をつけてもらえるなら、今の名前なんて捨てるよ」


 囁く声にゾクッときた。

 恐怖じゃない何か。どうにかなりそう。


「璃って呼べばいいでしょう? ね? それで機嫌直して」


 ボォとした頭じゃあそれしか考えられなかった。


「そう呼んでくれる?」

「うん。これで許してくれる?」

「君を愛してる」


 許してくれたみたい。

 もう一度唇を重ねた。

 長く重ねて、ゆっくり離した。

 ケータイが鳴ったから、起き上がる。


「はい?」


 母からの電話。死体が見付かって大騒動になってて、家に私がいないからパニックになっている。


「落ち着いて、私なら無事。カレシの家にいるから」


 あーだーこーだ耳元で叫ばれるけど、璃はどこか楽しそうな笑みを浮かべている。


「うん、遅くならない。じゃあね」


 電話を切って璃を見た。


「やっと俺の存在を教えてくれたね」

「さもないと帰らなくちゃいけないだもの。私が被害者の一人だって言ったらどんな反応するか……」

「その前に記者に噛み付かれる」


 そう言って、テレビをつければニュースになっていた。

 大々的に殺人事件って出ている。


「私、かなり触った気がする」

「俺がちゃんと消してきた……って言いたかったけど、あのノラが先に消してた」


 驚いたが、それなら安心だ。

 ホッとして彼に寄りかかる。ノラに対しての怒りも消えている。

 自分の指紋が出てこないのはいいこと。厄介は御免だ。


「君って可愛い」

「可愛いって……俺が子どもってこと?」

「可愛い」


 ニッコリと私は伝えた。


「嫉妬とかおあいことか、すぐに笑顔になるのが可愛い」

「……それって、そんなに子どもみたい?」

「ううん、好きだよ。嫉妬してくれるのは嬉しいよ、璃」


 拗ねないうちに彼の顔を撫でる。無邪気な笑顔を向けられた。


「怒鳴られた時はびっくりしたけど、初めて璃って呼んでくれたね」

「咄嗟で。ごめんね」


 彼の白い頬に唇を押し付ける。


「あれって狼?」


 思い出して唐突に尋ねた。

 駆け付けた彼のあの姿。


「……うん、君を探し出す為に狼になったんだ。一番鼻が利くから」


 ソファの横に置いている私の鞄から小説を手にとって、璃は答えた。


「これなんの小説?」

「見ないで。変身すると何か能力が変わるの?」


 中身を見られないように本を両手で押さえ付けて、質問した。好奇心でいっぱいだもの。彼は嫌々みたい。


「そう、怖くない?」

「どうして? 狼が好きだって言ったじゃない。かっこいいわ。じゃあ蛇にもなれちゃうとか?」

「君の好奇心には勝てないな……でも、もう終わりでいいだろ?」


 だらんと背凭れに項垂れて、また小説を開こうとした。


「じゃあ他の質問」


 また小説を開こうとするのを阻止する。


「あの血液はどこから手に入れるの?」


 横たわった彼の足を踏まないように近付く。

 小説を気にしていた璃は、質問と私の接近にどぎまぎしている。


「……怒鳴ったりしないって約束する?」

「……場合による」

「約束して」

「する、するわ」


 お互い小説から手を離さず見つめ合う。

 私が約束して、ようやく口を開いた。


「吸血鬼で一人だけ頼れる人がいるんだ。昔、予知夢を頼りに会いに行って彼女に助けてもらおうとした」


 彼女、っていう言葉に、どうして約束させたのかわかった。

 私が嫉妬して激怒しないように、だ。

 反応を顔に出さないようにしなくちゃ。


「助けてもらうって?」


 声はやけに落ち着きすぎて、不自然。


「人間に戻る方法だ。手当たり次第、吸血鬼を探して人間に戻ろうとした」


 戻る。つまり彼は、元は人間だったってことだ。

 良かった、知ることが出来た。


「彼女は知らなかった。ないって言ってたんだ……誰も知らない、本当にあるかもしれないけど、吸血鬼から人間に戻った奴を見付け出すなんて無理」


 憂鬱に肩を竦めて、璃は言う。


「でも彼女に会えたのは良かったよ。生きる術を手に入れることができた。あの不味いドリンク」


 ピンときた。

 なるほど、あの血液は彼女から?


「彼女は看護婦だったんだ。しばらく一緒にいた時はまだ美味しい血が飲めた。病院から盗んできてくれるんだ。買うより盗む方が安全でね」

「どうして今は一緒じゃないの? 彼女はどこ?」


 一緒にいたんだ、とぼんやり想像する。


「彼女も好きなところに暮らしてる。時々血液を送ってもらってるよ。俺はノラみたいな吸血鬼に出くわしたくなかったんだ、だからここにしたんだ……吸血鬼が住み着いてないからね」


 溜め息を零す。近すぎて、顔に当たる。


「あら、私に会うために来たんじゃないの?」

「君が一番の理由だよ」


 璃は微笑むと、キスをしたかったのか、顔を近付けた。

 でも私は璃の胸を押して、近付くことを阻止。


「その人、どんな人?」

「大胆な人だった、男遊びが趣味で……問題児の姉って感じかな? 俺の予知夢を使って博打をしまくった時もあるよ」


 楽しそうな笑顔を浮かべたから、私は少し落ち込んだ。

 私って璃を楽しませてるかな?


「姉みたいな存在であって、なんでもないからね?」

「あ、前にも言っていたよね? えっと……カリナさん?」


 私の顔を見て誤解した璃は、そうだよっと頷く。


「もう少し妬いてくれると思ったのに」

「え? よし、わかった」


 またニッコリと笑みを向けたら、彼はキョトンとした。


「他の女の話なんてしないでよ! 私よりその女といた方が楽しい!?」


 少し声を張り上げて言えば、璃が面食らった顔をする。

 私はすぐに笑ってみせた。半分本音だけど。


「こんな感じでどう?」

「びっくりさせないでよ……」


 ホッとした笑みを璃は返した。それから私の頭を撫でる。


「君といた方が何倍も楽しいよ、すごく癒される」

「私も……地球上の誰より癒される」


 君がいなくなったら、きっと生きていけないぐらい。

 微笑んで璃に見惚れていれば、小説を奪われた。


「あっちょ」


 思わず身を乗り出して手を伸ばしたけど、彼に勝てるはずもなく、届かず宙に止まるだけ。気付いたら、暁の上に倒れていた。

 彼は気にした素振りを見せず、本の中身を見る。


「璃……」


 この体勢を変えたいのに、彼の足が絡んでいて後退りができない。

 背中には、璃の腕が置かれてる。


「君の言ってた……吸血鬼と人間の恋?」


 驚いた目で、自分の胸の上にいる私を見た。

 小説の中身は吸血鬼の少年が、人間の少女と恋に落ちるもの。


「どうして教えてくれなかったんだい? 俺も見てみたい」


 そう言って起き上がる。もちろん上にいた私も一緒に。

 私の向きを変えて、彼は背中と胸板を重ねて、小説を私にも見えるように見せた。


「朗読でもする?」


 冗談で言ってみたのに、璃は乗る。


「オッケー。君が女役、俺が男役」


 やめてもよかったけど、彼との密着が嬉しくて、つい頷いてしまった。

 少女視点の物語だから、ほとんど私が読み上げる。

 吸血鬼の少年を演じる璃に、胸がキュンとした。

 この小説の吸血鬼も肌が白くて冷たい身体。魅力的で魅惑的だって少女は、私のように虜になってる。


「……ねぇ、茜。君も彼女みたいに俺を見てる?」


 途中で止めて璃は耳元で尋ねてきた。

 振り向いたら喋れなくなるから、振り向かない。


「だいたい……かな、魅惑的だと思うし」


 恥ずかしくなる。


「この主人公に共感できる?」

「吸血鬼の彼に対する想いなら共感できる、元々彼女と性格似てると思ってたからハマったの」


 思ってた、過去形。

 今じゃあ違う考え。


「人付き合いが苦手とかそういうのは似てると思ったんだけど、悲観的すぎるっていうか……彼を救うために命を捧げようとするの、そんな必要ないのに。彼がどれだけ傷付くかも知らないで。それに、他の子にも気があるのは許せないわ」


 ペラペラとページを捲ってそのシーンを読ませる。

 読んでいた彼は、なるほどと納得した。


「面白いね、この小説。世界観が独特だ」

「小説は憧れや願望、空想でできてるもの」


 私は笑う。

 そうすれば、彼の腕に力が入った。

 璃がまじまじと小説を読む。私も読むけど半分もいかないうちに彼がページを捲ってしまう。

 ふと、手が止まった。

 少年の台詞を耳元で囁いてきて、逃げたくなる。

 甘すぎる愛の言葉に、とろとろに溶けてしまいそう。


「ちょっと……璃」

「君なしでは生きてけない、だけど君が他の男を選ぶなら……」

「ちょっと! それはないからやめて! 言わないで」


 我に戻って、彼の腕を掴む。

 無理矢理巻き付く腕を振り払い、胸板を押して倒す。


「君以外好きになるつもりはないから! ていうかならない!」


 左手で彼を押さえ付けて、右手で指差す。

 キョトンとした彼は笑みを浮かべて、腕を私の後ろに回して引き寄せた。

 唇が重なる。

 ゆっくりと味わうかのようにキスをした。

 垂れる長い髪の毛を耳にかけて、璃は指先で撫でる。


「もう帰らなくちゃ」


 私から離れれば、彼はニッコリと笑みを向けた。

 起き上がった璃の瞳は、キラキラに好奇心に満ちている。


「提案なんだけど」


 指を私の髪に絡めてもったいぶる。

 楽しそう。


「なぁに?」

「一緒に暮らさない?」


 すぐに理解ができず、目を丸めた。

 暮らす? ここで? 二人で?


「いっいや! そんな」

「だめかい? ここじゃあ狭い?」


 取り乱して首を振ったら、璃が悲しそうに俯く。


「いいえ! そうじゃないのっ! この部屋好きよ、すごく。ただ……同居は、無理」


 自分と璃を落ち着かせるために、強調させて私は答えた。

 住み着いてもいいが、性格面からして璃にだらしない姿など見せられない。

 洗濯、料理、掃除。まるっきり彼にやらせるなどできっこない。


「えー…」


 璃は拗ねたように唇を尖らせた。


「君がいない時間って本当、退屈なんだ……」


 すがり付くような目で見上げてくる。まだ諦めていないようだ。


「ごめん……住むのは、まだ無理。ね! また今度にして?」

「……じゃあさ!」


 気分がコロッと変わったのか、璃が背筋を伸ばした。


「君が今すぐここに住むのと、車を買うの、どっちがいい?」


 突き付けられた選択肢に、唖然とした。

 意地悪とかそういうつもりじゃないと信じたいが、目が本気だ。

 どっちかを選ばなくてはいけない。


「……車」

「決まり! 何色がいい? 好きな機種ある?」


 勢いよく頬に唇を押し付けて、両腕を掴む璃。

 かなり嬉しそう。やっぱり男の子って車好きなのね。

 末っ子が車に詳しいけれど、私はさっぱりだ。


「そうね……君の好きな色とか」

「君の好きな色でいい」

「んーじゃあ共通の好きな色はどうかな? 青とか」


 赤とかもいいけど……やっぱり青の方が目立たないかと思う。


「君なら赤を選ぶと思ったのに」


 驚いた顔の璃に図星をつかれる。

 言葉に詰まって呻いていれば、彼は笑った。


「赤にする?」

「……私のために買うなんて言わないで」

「君のために買う。中を青でいっぱいにしよう、それでいいだろ?」


 優しくて甘い声。

 逆らえなくなるし、その気になる。


「とびっきりかっこいいのお願いね、王子様」

「お姫様のためなら、なんなりと」


 リップ音を鳴らして、また唇を重ねた。

 私の王子様は、吸血鬼。



 

20190725

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