06 指先と掌。
「やぁ」
月曜日。家を出れば、待ち受ける璃くん。
魅力的な声に溜め息が出そう。
「おはよう、璃くん」
笑顔で応えて、自転車を押して歩いて学校に向かった。
今日は晴れてて、まだ太陽が沈んでないから、彼はフードを被っている。それでも彼の魅力は全然減らない。
「つけてくれたんだ」
璃くんの目線は、私のつけた十字架のネックレス。
もちろん。
「晴れの時は無理しないで」
迎えに来てくれるのは嬉しいけど、ダメージを受けるなら無理をしてほしくない。
「わかった、今日だけ。君と会って一週間目だから早く会いたかったんだ」
純粋。本当……可愛い。
ギリギリ、授業前に学校につけた。
自転車を置けば、すぐに彼は手を差し出す。
私はその冷たい手を握り締める。
校舎に入って階段に行けば、じろじろと喫煙所で煙草を吸っている先輩方に見られた。
ずば抜けてかっこいい彼とイマイチな私とくっついてるから?
ショックだわ。
「……君を見てる」
階段を上がれば、溜め息をまじりに璃くんは口を開いた。
「苛々する……」
「無視して。君がかっこよすぎだから見てるの」
繋いでいない手で、璃くんの肩を撫でた。
先輩の中には、男性もいたから嫉妬かな。
「釣り合ってないから」
私も溜め息を吐いてしまう。
「他人の目なんて気にしてるの?」
繋いだ手を離して、彼は私の頭を撫でた。
「君の隣は俺だけでしょ?」
「君の隣もでしょ」
笑って言う。
教室には、もう瑛美とあつきがいた。
溜め息を出さないように唇を結ぶ。
早速、隣に居られない。これはしょうがないか。
私は挨拶して、いつもの席に座った。
璃くんは私の後ろ。
なんか……物足りない感じ。
ケータイを開いて、イヤホンを耳に入れる。この前、璃くんが歌ってくれた曲を流した。
また彼の歌で聴きたい。
後ろを振り返れば、璃くんは微笑んでくれた。
彼の歌声を思い出しながら、黒板の字を写す。
「そんなに好きなの? その曲」
授業が終わって、もう一度あの曲を再生させたら、隣のロッカーに腰掛けて璃くんは話し掛けた。
「そうだよ」
同じ調子で、璃くんに向き直す。
「璃くんの好きな歌手は?」
この前は聞き忘れてたから、尋ねてみた。
「最近は……応援みたいなヤツかな、ほら流行ってるでしょ?」
「アレでしょ」
ケータイを弄っていた瑛美が、会話に加わって言い当てた。
若者にかなり人気な曲。瑛美も好きで、人気のドラマの主題歌。
「そう、それ」
そうそれ。君だって笑みを向けてるじゃない。
ムカムカする。でもバレないように笑みを保つ。
英美は調子に乗って会話を続ける。
人気なドラマの話になって、璃くんがそれを観ていたかどうかを聞いた。
「あー映画は観てないけどドラマは観たよ。茜ちゃんは?」
「私も璃くんと同じだよ」
ケータイをいじり出した私に首を傾げたから、笑みを返す。
じっと青い瞳が見つめてくる。
「茜ちゃんはどんなドラマ好きなの?」
「今は……推理ものかな? 色々だよ」
私だけにした質問に、気分がよくなる。
「映画は?」
「ご存知の通りホラーやアクションだよ」
吸血鬼好きだって言ったから知ってるでしょ。
「でも殆どDVDで観てる。あ、言ったね、これ。……この前は吸血鬼と女の子の純愛映画を観たよ」
悪戯っぽく笑えば、璃くんは口元をつり上げた。
私が弱い笑みだ。
「璃くんは?」
「アクション系かな」
私の座る椅子の背もたれに足を置いて、璃くんは答えた。
私はその足に肘を置いて、彼を見上げる。
一瞬だけ、金色の瞳になった気がする。
「カーレースとか好きだよ」
笑みは私の背中だから、まだ彼を見てるかどうかはわからないや。
璃くんは、私の髪に触って遊び始めた。
これを見れば、流石に付き合ってるって気付いちゃうでしょ。
「二人って付き合ってるの?」
あ、聞いちゃうんだ。
私は暁の手を掴んで放してから、瑛美達を振り返った。
「そうだけど、気付かなかった?」
棘は隠すけど、ちょっと冷たく言ってみた。満面の笑みで。
いつもの毒吐きの笑顔か、カレシを自慢してる笑顔か、どっちだと思うかは知らないけどね。
「言えよ~!」
笑って小突いてきた。わりと痛いのは怒っているのか。
いつから? とかの話になるけど、軽く流す。
嗚呼、言わなければ良かった。
なんとも言えない顔は彼には見られたかも。
「矢田部さんが嫌いなの?」
二人きりの下校。
自転車を押してくれながら、すぐに彼は尋ねた。
「先週の瑛美の態度覚えてる? カレシいるのに君を狙った」
冗談っぽく言ってみた。
「俺はかわした」
璃くんは小さく笑う。
「でも俺をカレシだって紹介したくないのはなんで?」
「私といるのに、カレシと長電話するの」
呆れて溜め息を吐いた。
「いつも放って置かれる側だったから……ちょっとそれを味わってもらおうかと思って、茅の外ってやつ」
明るく悪戯っぽく言う。でも彼の笑みは薄れていった。
「寂しがり屋だって気付いてないんだね」
そう言って私の頭を撫でた。
寂しがり屋、か。
私が何も言わないから、璃くんは私の肩に腕を回して抱き寄せた。
「君って人前でイチャつきたくない?」
「やっと気付いたぁ?」
「言えば気を付けるのに」
「いや、嫌いなわけじゃないんだよ」
弁解しようと肩に置かれた璃くんの手に触れた。
「カップルのイチャつきが、周りにとってどれだけムカつくか知ってるから」
苦笑いすれば、璃くんは吹き出す。やっぱりおかしいかな。
「君ってそんなに周りを気遣うんだ?」
「そーですぅ。君は?」
「見せ付けたいかな」
平然とそう答えた。
「うっわー」
「何その反応」
二人してニヤニヤとお互いを見た。
この話はもう終わり。
「今日は何の夢見た?」
自分から話を変える。
「危険に遭う予知はなかった、平凡そのものの夢」
「私と並んでた?」
「そうだよ」
クスクスと笑う璃くんを、私は眺めた。
「……ねぇ、夢ってどれぐらいの長さを見るの?」
気になって問う。
「夢だから、ほんのちょっとだけど?」
「……変なの見てない?」
じっと彼の顔色を見逃さないように見つめた。
きょとんとした顔は、すぐに理解したのか笑い出す。
「どうかな? 俺も男だから」
ニヤニヤと意地悪な笑みを向けたから、真っ赤になった。
「そういうの見たら許さないんだからね!」
一歩、彼から離れる。
「どういう目にあうの?」
うっ……意地悪!
吸血鬼だからきっと殴ってもダメージ食らわないだろうし、別れる! なんて冗談でも言いたくない。
「口を聞かない!」
また一歩と離れて、そっぽを向いた。
「わかったよ、ほら茜ちゃん」
私の反応に笑って、璃くんは腕を掴んで引き寄せる。
「勝手に見ないよ、君が見られたくないものは。約束する」
額に唇を重ねてそう言った。
着替えとか……うん、見られたくないことはかなりある。
「約束だよ」
「オッケー」
一安心。
彼と腕を絡ませて、また帰り道を歩いた。
「二時間足らずで睡眠は十分って言ったよね?」
「うん、吸血鬼はそれで十分なんだけど、昼間を嫌うから皆眠るしかないみたい」
「ふーん」
冷たい彼の腕を触った。
すーとなぞるようにそって、彼の手首まで辿り着いた。
自転車のハンドルを掴むその手に自分の手を重ねる。
やっぱり冷たい。
「吸血鬼って、皆冷たいままなの?」
璃くんと目を合わせれば、真剣な眼差しで見つめられていたことに気付いた。
あ……また金色の瞳になっている。
顔を近付けて、そっと唇を押し当てた。
「君の手はあたたかいよ」
そう言ってから、また唇を重ねる。
彼のキスは熱に魘されるようで。
地に足がつかないようで。
ふわふわ。
でも急落下するみたいで。
病み付きになる。
翌朝は、家族の朝から出掛ける支度で、一度眠りから覚まされたけど、なんとか二度寝に成功。
だけど、数分後にかかってきた電話に起こされてしまった。
「はい……なぁに?」
相手は璃くんだから、なるべく愛想のいい声を出す。
〔ごめん、君の寝起きの声が聞きたくて〕
笑いが混じってたけど、どこが元気がない気がした。
「声フェチなの?」
まぁ私も人のこと言えないんだけど。
〔君の声なら何でも好きだよ〕
眠らないように、何度も瞬きして、小さく欠伸をした。
「どうかしたの?」
「誰と電話?」
悪い予知でもしたのかと聞こうとしたら、まだ出掛けてない母親に見付かった。
〔何でもないよ、君の声が聞きたかっただけ。じゃああとで、好きだよ〕
そう言って、璃くんは切る。
朝から好きだなんて……耳元で言わないでよ。
母親が興味津々な目で見てくるから、寝たふりをした。
仕事で出掛けたあと、気だるい身体を起こしてお風呂に入る。
璃くんに変な匂いを嗅ぎ付けられたくないから、丁寧に洗う。
シャンプーをしながら匂いを確かめる。ちょっと違うかな。
それから石鹸。あ、これに近いかな。
彼の匂いは、この石鹸の匂いに近い。
清潔だけど、どこか透明感ある甘い香り。
浴室から出たら、適当にテレビをつけて、この前買った小説を読んだ。
昼になれば、母親が昼飯を食べに帰ってきて、また一人になる。
何をする気にもなれず、暑い空気の中扇風機の風に当たりながらソファに項垂れた。
眠ろうとしたら、ケータイが鳴った。
「はいっ」
飛び跳ねて、璃くんからの電話に出る。
〔やぁ〕
やっぱり元気がなさそうな声。
「どうかした?」
もう一度、聞いてみた。
〔……実はさ〕
同時にチャイムが鳴らされたから、電話から耳を離した。
「ごめん、ちょっと待ってて」
すぐに玄関に駆け寄ってドアを開けば、そこにはケータイを耳に当てた彼が居た。
思わず、即閉めた。
「………………璃くん?」
〔やっぱり迷惑だったかな〕
元気のない声。
「あ、予め言ってよ! ちょっと待ってて!!」
そう言って慌てて電話を切って、寝間着から着替えた。
だらしない格好を見せちゃったよ……う~!
それから弟が畳んでいない布団で悲惨になってる散らかった寝室の襖を閉めた。
リビングに臭い消しをばらまく。洗濯物も、寝室に避難。
それからカーテンを閉めきった。外は太陽がギラギラしていて暑い。
「ど、どうぞ!」
緊張しながら、扉を開く。
「ごめんね……何も言わず来て」
そう言って、上がるけど玄関先の電話機の上にある十字架を見て、立ち止まった。
一応清められてる十字架だ。慌てて隠した。
「……ごめんね」
もう一度謝る璃くん。
「大丈夫」
笑って言う。リビングのソファに座らせてそわそわした。
臭くないかな……とか、汚いとか言われると思って。
「……なんか変な感じ、こんなとこに君が居るから」
家のソファで璃くんと一緒にいると、すごく違うように見える。
オンボロが、寸断にオンボロに見える感じ。
彼はただ笑みを向けた。悲しそうな笑みで。
「どうしたの?」
もう一度聞いてみる。
「……俺の方が、寂しがり屋だった」
そう溜め息を吐いてこちらに身体を向けた。
「君のことしか考えられない。瞼を閉じても君が浮かんでくる、開けばいない……すごく会いたくなった」
悲しげに俯いてそう告げる。
「せめて声が聞きたくて君が起きた頃に電話したら……なおさら会いたくなった。でも君の親がいるみたいだったから……時間が過ぎるのを待ってる間に君の夢を見た……一人で暇そうだったから……来てもいいのかなって、ごめん」
かなり弱気。
「いいよ、謝らなくて。私も早く会えて嬉しいし」
元気つけるために、璃くんの肩を撫でた。
「言ってくれれば、私が君の家に行ったのに」
「……ごめん」
「謝らなくていいってば!」
くしゃくしゃと璃くんの髪を乱す。彼は苦笑した。
私も笑う。
不意に、青い瞳が私を捉えた。
髪に触れてる私の手に、自分の手を重ねる。
なめらかに指先が絡んだ。
熱い眼差しが、金色に変わった。
指を絡ませたまま、璃くんは顔を近付ける。
あともう少しで、唇が重なりそうになった寸前。
チャイムが鳴って、思わず二人で震えた。
急に恥ずかしくなって、慌てて玄関に向かう。
一番下の弟のお帰りだ。
「え……おねえちゃんのカレシ?」
璃くんを見るなり、目を丸める小学生。
なんで察しがいいのよ。
「よろしく、璃だよ」
笑顔で彼は手を差し出した。
弟は人懐こいから、すぐなついてしまう。
「君の弟は人懐こいんだね」
「私と違ってね」
「目が似てる」
そう言って、私の頬に触れた。
「丸々で綺麗な瞳」
「らぶらぶ」
弟が冷やかす。後で覚えてろよ!
「ぜっえたいに言っちゃっダメだからね?」
「なんで?」
「約束しなさい」
ビシッと指す。
「皆にカレシがいることも、来たってことも内緒だからね!」
「はぁい」
羨ましい。
璃くんの膝の上に乗れるなんて。子供の特権欲しいな……。
「どうして?」
解せないとなんとも言えない顔を、璃くんは向けてきた。
「煩いから」
妹と母親がね、と付け加える。
「紹介したくない?」
「しないよ、冷やかされるの嫌だし」
そう言って、弟の頬をつつく。
「ふーん……」
「君の家に行かない?」
「いいよ」
笑顔で了承。
弟にちゃんと言い聞かせてから、璃くんの家に向かった。
「璃くんの部屋、涼しいね」
「そう?」
ソファに座った私の隣に、彼は流れるように座って、マグカップを渡す。
前に一緒に買った飲み物かな。
「ありがとう……こんなのあったんだ?」
「君用に買った」
それには驚いた。このマグカップは私のために買ったもの。
「一体いつ買ってるの?」
「君が隣に居ない時は暇だからね」
笑って璃くんは、肩を竦めた。
「四六時中一緒に居られたらいいね」
と笑い返す。
彼は私を愛しそうに見つめて、私の髪で遊んだ。
「今度、DVDでも借りてここで見ない?」
「いいプラン」
にっこりと彼は笑った。
また手を繋ぐ。指と指の間に、指を通して繋ぐ。
やっぱり冷たい手。
指先まで冷たい。
多分、私の手はあついかな。
冷たい彼の手とあつい私の手。
吸血鬼と人間。
なんか全く正反対だな。
自分を笑っちゃう。
いつまでもーー。
続きますように……ーー。
土曜日。
一緒にレンタル店で借りたDVDをソファに座って観ていた。
私はヨーグルトを食べながら。
さっさと食べなきゃ、賞味期限切れちゃいそうだもん。
暁は食べようとしないから。
冷蔵庫の中身は、何一つ手をつけてないみたい。
激しいアクションシーンに釘付け。
スプーンで掬ったヨーグルトを口の中で堪能しては、スプーンを出す。まだ残ってたから、舌で舐めあげる。
それを繰り返して食べると言うより、舐めて楽しんだ。
気付けば、璃くんは私に釘付けになっていた。
あれ? どうしたのかな。
「璃くん?」
いいシーンだよって言いかけたら、彼の瞳が金色に変わった。
その瞳に見惚れていれば、璃くんが顔を近付けてくる。
唇を重ねて、舌を中に滑り込ませて、まだ口の中に残っていたヨーグルトをさらった。
舌が入って、ゾクッとしてしまう。
冷たい指先は、頬を撫でて、耳元から髪の中に滑り込む。
私がスプーンのヨーグルトを唇で舐めるように、似たようなキスをしてきた。
あ、キスってそうすればいいんだっけ……。
頭が、ボォとしちゃう。
テレビに目をやったら、主人公とヒロインも熱いキスをしていた。
少し璃くんの息が荒くなる。
控えめだけど、私もなんとかキスを返す。
少し冷たい舌が、気持ちいい。
テレビかこっちかはわからないけど、いやらしいクチャリと水音が聞こえた。
真っ赤になって璃くんが離れるのを待つけど。
瞳を開いた金色の瞳の彼は、やめるどころかエスカレートさせた。
もっと深く、キスをした。
だ、だめ……待って……。
あまりのことに息ができない。
色々だめっ……とにかくだめっ……。
声を出せないし、彼の服を掴む手は力が出ない。
「ふっ……」
舌が絡み付いて、本当にダメ。
酸素不足で、身体中の力が抜けた。
「茜?」
後ろに倒れかけた私を、慌てて片腕を回して支えた璃くんは首を傾げる。
慌てて呼吸をする私をゆっくり寝かせて、彼も呼吸を整えた。
「呼吸の仕方忘れた?」
悪戯な笑みで、璃くんは尋ねる。
意地悪……。
「ラスト、シーン見逃し、た」
まだ頭がぼんやりしてる。
首の辺りが冷たい。
うわっ、ヨーグルトこぼした!?
慌てて起き上がろうとしたら、彼がまた顔を近付けたから身体を強張らせた。
また金色の瞳。ニヤッと妖しい笑みに、クラッとしそう。
彼の舌が肌についたヨーグルトを舐めとる。
うっ……だからダメだって……。
ゾクゾクと身体中に何かが走る。
「あ……きくん」
肌に触れる舌。
「ん?」
顔を上げた璃くんは、妖艶に笑う。
「貴方って……キスをする時に金色の目になるの……知ってた?」
そう言えば、璃くんが目を丸めてぱちくりと瞬きする。
そのうち、瞳が青い瞳に戻った。
たちまち、璃くんは目を押さえて、私の上から退く。
「? 璃くん?」
起き上がって、なるべく離れて座る璃くんを首を傾げて見た。
「……欲情しちゃうんだ。快楽を求めると吸血鬼は本性を表すんだ……金色の時は気を付けて。何するか、わからないよ」
目を閉じたまま彼は、しかめっ面で告げる。
「噛みつく……時と一緒?」
「……そう」
「でも今噛み付かなかったでしょ?」
「自制心はある、でも……紙一重だよ。君にキスしていたら首に噛みつく、あり得る」
嫌そうに言って、丸まってしまった。
「大丈夫! 自分を信じてよ!」
明るく笑って言うけど、元気のない青い瞳が私を見る。
「キスでクラクラになった君を簡単に食べれちゃうよ」
「き、キスは……慣れればもう倒れませんって」
恥ずかしくなって赤面しながらも言う。
「……欲情させないで」
仕方なく、彼は笑った。
「何で欲情するの?」
「いやらしくスプーンを舐めること」
「た、ただ味わってるだけだもん!」
「唇にキスしたくなる衝動にかられるんだ!」
彼は明るく笑い声を上げた。
元気が戻って良かったけど……。
真っ赤になる。そんな風に見えるのか。
散々笑って、彼は私を見て溜め息を吐いた。
「欲情しない方が無理かも……」
「ちゃんと気を付けるよ、金色の瞳の時は」
そっと指先で、璃くんは私の頬を撫でる。
「どこまで観たっけ?」
ニッと笑って見せて、リモコンを持った。
続きから、観よう。
毎日のように、この家に転がっていた。
毎日のように、ベタベタ。
彼の隣は落ち着く。
自分の居るべき場所を見付けた気がする。
そう思うのは、大袈裟かな?
彼なしの人生は、考えられない。
彼がいなくなったら、きっと……ーー。
想像するだけでも、酷い悲しみに襲われる。
「血は美味しい?」
昼飯を食べてる間に、キッチンで例の水筒と向き合う璃くんに、素朴な質問をした。
「え……」
彼はギクリとした顔で私を見た。金色の瞳。
欲望が渦巻いている証拠。
喉の渇きを満たす快楽を欲する象徴。
これでも、吸血鬼に関する質問は言葉を選んでいる。
璃くんを傷付けないように。
しかし、好奇心には勝てない。この頃、好奇心に負けている。
「この血は……ちょっと」
肩を竦めて、答えた。
フォークを加えたまま、カウンター越しから手元を覗いた。
黒い水筒のコップには、赤黒い血が一杯に注いである。
鉄の香りがする。
「まずいの?」
「……臭みがあって酷いんだ」
だから飲むのを躊躇ってるんだ。
凄い深刻そうな顔してたもの。
「まぁ美味しそうな匂いはしないね。……飲まなきゃ死んじゃう?」
冗談めいて言ってから、尋ねた。
「定期的に飲むようにしてる。じゃないと欲情させてくるカノジョに噛み付いてしまうかも」
冗談を言い返した璃くんは、飲み干す。苦そうな表情になる。
「お口直しに」
スッと私のマグカップを差し出す。それもグビッと飲み干した。
「吸血鬼の主な源だからね。必要だ。君の食事のように」
「そっか……」
そうだよね。だから吸血鬼だって言うんだもの。
血は必要不可欠。璃くんの理性を保つためにも、必要。
「ごちそうさま。いつもありがとう、璃くん」
「君が喜んでくれるなら、なんだってする。茜ちゃん」
璃くんは顔を近付けてキスをしようとした。
でもお皿だけを持って、身を引く。
「何今の?」
「あー……俺の口にまだ血が残ってるから、やめておいた」
申し訳なさそうに璃くんが答える。
気にしなくていいのに。
「DVD観よう」
「うん」
片付けをすませて、また飲み物をコップに注ぐと、璃くんはソファに私を連れて行く。
DVDを観ながら、思い出したことがある。
子どもがスパイになる映画を観て、憧れてしまったから、スパイの訓練をした。妹と弟と一緒に、だ。当時住んでいたマンションの壁を走ってみたり、乗り越えたり。
超能力バトルの映画を観て、念力が使えるように訓練だってしたことがある。
笑い話でそう白状したら、璃くんはお腹を抱えて笑ってくれた。
「君って本当に可愛いね!」
「子どもだったの! ……でも、影響受けやすいのは認める」
勧めてもいないのに、璃くんが自分からマグカップの中身を飲み干す。
何かと思えば。
「試しにやってみてよ」
「ええ? 念力?」
「そう念力」
無茶振りをされてしまった。
「やめてよ、璃くん。出来っこない」
「そうかな。予知夢能力があるんだ、念動力もあると俺は思うよ。ありえないことではないだろう? 吸血鬼がいるんだ」
璃くんは、わりと真剣な眼差しだ。
確かに、超能力も吸血鬼も信じているけれども。
しぶしぶ、私は手を翳した。
それで動くように、念じる。
赤と青の線でハート型が描かれた白いマグカップ。
じっと見つめていたけれど、やがて飽きてしまい、手を下ろす。
「動いた!」
「え?」
「動いたよ、今! わずかだけど!」
「やだなぁ、そんなわけないよ」
そんなことで私は騙されない。
「本当に動いたように見えたよ?」
璃くんは言い続けた。
「地震じゃない?」
「違うよ。君には絶対に秘められた能力があるんだって」
「……そうかな」
また真面目に言ってくるから、私は自分の手とマグカップを交互に見る。
「俺を魅了する能力もその一つかな」
なんて、璃くんは言いながら、顔を近付けた。
そして今度こそ、キスをする。
それはこっちの台詞だ。