05 嫉妬。
翌日は、土曜日。
友だちと遊びに行くと言って、家を出た。
空は曇っていて、雨が降ると母に言われたので、折り畳み傘を鞄に入れておく。
璃くんは、パーカー姿でフードを被って、家の前にいた。
「おはよう、璃くん」
「おはよう、茜ちゃん」
挨拶を交わせば、璃くんが色白の手を差し出す。
私はその手を掴んで軽く握った。
今日は徒歩で駅ビルのショッピングモールまで行く。
家を出てから、デートだ。
「本当に平気?」
「平気だよ」
陽射しは見当たらないけれど、明るいから心配になった。
でも璃くんは、へっちゃらって笑う。
早く建物の中に行こうと、私は少しばかり早歩きになった。
「大丈夫だって、茜ちゃん」
「早く行きたいの」
これは嘘じゃないもの。
早く璃くんと楽しくショッピングモールを周りたい。
やっと駅ビルが見えてきた。
中に入れば、冷房が効いていて、ひんやりした空気を感じる。私が握っている手の方が冷たいけれども。
その手を見ていれば、気付いた璃くんが「嫌?」と問う。
「ううん。恋人にはベタベタするタイプなの」
「……そう」
笑わせようとしたけれど、妙な間が空く。
ちょっと疑問に思ったけれど。
「何か買いたいものある?」
「二人で選んで買いたいんだ」
無邪気な笑みを返され、エスカレーターへ急かされた。
純粋すぎて癒される。かっこいいのに可愛い。
何て人なんだろう。
「二階の服から見ていく?」
「うん」
エスカレーターで上がっていく間も、手を繋いだまま。
二階の私がいつも見ているお店に連れて行く。
前見た時と比べて、新しい服は入荷していないみたい。
でも璃くんと物色をする。
「ねぇ、恋人にはベタベタするタイプだって言ったよね?」
「うん?」
璃くんが話題を戻した。
「それって……」
ハンガーにかかった服を摘まみながら、躊躇って言う。
「俺は初めてじゃないってことだよね」
「うん?」
確かにそうだ。
それがどうかしたの?
あ、あれ? すごく落ち込んだ!?
「だから何?」
彼の反応を注意深く伺って、尋ねた。
何を思ったか知りたくって。
「……その、ん……」
じろ、と少ししかめた顔で私を見た。
「キスまでいった恋人なら君だけだよ」
真っ赤になるから顔を伏せて私は答えた。
彼が不機嫌になるのは嫌だから、正直に打ち明ける。
「本当?」
目を丸めて璃くんは、俯いた私の顔を覗こうとした。
もう! やめてよ! そんな綺麗な顔で近付かないでよ!
真っ赤になるんだって!
「……そっか」
顔を上げれば、嬉しそうに璃くんは微笑んだ。
「私のどこが好き?」
悪乗りして、ちょっと尋ねてみた。
全部ってことじゃなくて、部分的にどこが好きなのかなって。
「これかな」
笑って私の頬に触れる。
「真っ赤になるの可愛い」
恥ずかしい!
「どうしてか……君の瞳と声がとても魅力的で、俺はメロメロなんだ」
何言ってるの? それはこっちの台詞。
璃くんはうっとりしたような眼差しを注いでくる。
「匂いとかもそうだね」
一着の服を持って、璃くんは私の背中を押した。
鏡のところまで押しやって私に合わせた。
「買わないよ」
「言葉も魅惑的」
「そうなの?」
「好奇心旺盛とか気まぐれ可愛い」
そこまで言われると……なんか、自信つくような気がする。
「これ似合う、買ってあげるよ」
「絶対にダメ」
璃くんの手を慌てて下ろす。
「いらない?」
「うん」
「じゃあこっちは?」
「買わないってば!」
金を使わせるのは嫌。
首を振れば、璃くんは浮かない顔をした。
「君は遠慮しすぎじゃない?」
と溜め息を落とす。
「普通だよ」
「甘えて」
すがるような猫撫で声に、ドキリと心を揺らされる。
青い瞳が上目遣いで見てくる。
「今度ね、今度!」
ま、負けないんだから。逃げの手段!
そうしたら、ちょっとつまならそうに俯いた。
「欲しくないの?」
「んーそんなに欲しくないかな」
じゃあ欲しいものを探そう、って言って璃くんは歩き出した。
他の婦人服売り場も見たけど、何も買わなかった。
三階はアクセサリーが多い。
「あ、人増えたね」
入った時は、私達が一番乗りと言っても過言じゃなかったもの。
三階から見下ろせば、一階のフードコートのテーブルが半分埋まっている。
人々を見下ろして眺めてたから、璃くんが離れたことに気付かなかった。
「越前?」
名前を呼ばれる。呼び方からして、ううん、気配からして違っていた。
振り返れば……あ、中学校の同級生。
苗字は忘れたけど……。
「翔くん?」
「よう! 久々!」
爽やかに笑う彼は、まぁ璃くんには敵わないけどイケメンと言える。
というか璃くんは、一体どこ?
「学校楽しい?」
「あーうん、そっちは?」
「まぁまぁ。越前、変わったな」
え? 本当?
私はいつも久しぶりに会う友だちに変わらないって言われるのに。
初めて言われて嬉しかった。
恋人が出来たから、かな。ちょっと誇らしげになる。
「そう?」
「そうだ、連絡先教えてよ」
「いいよ」
別に連絡するつもりはないけど、一応教えようとした。
中学校の同級生で連絡取ってるのは、ごくわずか。それは女子だけだし。
翔くんから目を逸らせば、璃くんを見付けた。
すぐに声をかけようとしたけど、璃くんがギラついた目で翔くんを見ていたから凍り付いた。
怪訝に、怒りに満ちた目で睨み付けてる。
飛び掛かりそうで、こわかった。
「翔くんっ」
慌ててケータイを返してもらって、璃くんに駆け寄ろうとした。
それより先に、璃くんが私を掴んで歩き出した。
よろめきながらも、翔くんにさよならを言って彼の様子を伺った。
掴む手が痛い。
「璃くん……」
「誰あいつ?」
呼べば立ち止まって訊く。
笑顔なんてない。しかめた顔で問う。
「中学の同級生だよ?」
「元ボーイフレンド?」
「全然! 違うよ! どうしたの?」
「君が他の男と話すだけでも……顔を会わすだけでも苛つくんだ!」
だめだ、ここは店の中なんだから落ちつかせなきゃ。
彼の肩に触れて宥めた。
「でも、私は全然気がないんだよ?」
彼が嫉妬してる、んだよね。
どう落ち着かせばいいかわからないけど、このままじゃあダメだよね。
「嬉しそうな顔をしてた……連絡先だって。君になくてもあっちにはある」
私に合わせて声をひそめたけど、まだ棘がある。
「ないよ、璃くん。落ち着いて? ねぇ」
彼の冷たい手を握り締めて、笑ってみせた。
「笑って?」
何も言わないから、不安になった。
「ごめん」
深く呼吸して謝ってから、璃くんは笑ってくれる。
いつもの優しい笑み。ほっとした。
「ごめんね? すごく、妬いちゃって……君って誰にでも真っ直ぐな目を向けるから」
「手を繋ぐのだって君だけ」
ギュッと彼の手を握り締める。彼は青い瞳で薄く笑った。
「ごめん、お詫びにネックレスを買わせてくれるかい?」
「んー……うん」
ネックレスだけなら、しょうがない。
彼が怒ったのは、私のせいだしね。
あのギラついた瞳。金色だった。
吸血鬼なんだね、本当に。なんか改めて実感。
璃くんが私から離れたのは、私に合うネックレスを見付けたからだった。
金色の十字架。ちょっとお高いやつ。
「……さすがに」
「すみません」
私の言葉を遮って璃くんは店員を呼んで、ショーケースからそれを出させた。反対しないように私の肩を掴んで抱き寄せてる。
私は恋人にベタベタするタイプとは言ったけれど、人前でのイチャイチャって周りにとって不快だって知らないのかな。少々恥ずかしい。
結局、彼は買ってしまった。
私の負けで、得意気な笑みを浮かべている。
「本屋寄っていい?」
「うん」
次は本屋さんに向かい、私は小説を買った。
それから、また彼の家に寛ぐ話になった。
その前に私の昼飯の時間。一階でハンバーガーを食べる。
彼はただ、私を眺めていた。
「デザートにアイスでもどう?」
「君も食べるならね」
「何がいい?」
「レモン、カップで」
彼は立ち上がって、買いに行ってくれる。
私は今のうちに、ばくばくと食べた。 くしゃくしゃと包みを丸める。
彼はアイスを持って戻ってきた。
「美味しい?」
「うん」
彼もアイスを口に入れたのを見て、私も口に入れた。
「美味しい?」
今度は、私から聞いてみた。
吸血鬼でもアイスを食べれるんだ?
「うん、美味しいよ」
「普通に食べれるんだ?」
「味覚はそれなりに楽しめるよ、満たされないけど」
じっと彼は見つめてくる。
視線は私の手元。プラスチックのスプーンで掬ったアイスを溶かしながら、食べてるからかな。
ペロリと舌に乗ったアイスは溶けて消えた。
「アイス食べ終わったら帰る?」
「おやつでも買おうよ」
彼は一階にあるスーパーに目を向けた。
あ、あたしに気を遣ってるのかな。
「君がいつでも来れるように食べ物を買い置きしなきゃ」
「……そうね」
仕方なく笑った。
スーパーでの買い物は、私の好きなものばかりカゴに入れられた。
ヨーグルトだとか飲み物だとかお菓子だとか。
あとは肉に卵、野菜とか。料理作る気なのかな。
誰かと、ましてや恋人とこんなお買い物するなんて。なんか新鮮。
全て彼持ちで、荷物もほとんど彼が持つ。
駅ビルだったから、彼の家はすぐだった。
二回目の訪問。
途中で、雨が降りだしたから走った。
「お邪魔します」
軽い方の荷物を持って、キッチンに向かう。
お菓子以外を冷蔵庫にしまおうとしたけど、すぐに止められた。
「いいよ、君は座ってて」
客人にやらせたくないのかと思ったけど、何か焦ってた様子。
だから、私は無理矢理開けた。
「あ……」
冷蔵庫は、空っぽ。
上には四つの黒い水筒が並んでる。それだけ。
彼が私の顔を不安げに見てたから、さっさと飲み物を冷蔵庫にしまった。
「聞かないの?」
璃くんから、口を開く。
「話したくないなら、しょうがないでしょ?」
次はヨーグルトを入れた。
「でも予想はできる。血液でしょ?」
感情を込めないで、素っ気なく言ってみた。
「……人間を殺したことないからね」
彼は小さく答える。
良かった……人間を殺して集めた血液じゃないんだ。
「君は本当に……俺が嘘ついてるとか思わないの?」
私の安堵の笑みを見て、呆れたように彼は問う。
「嘘は見破れるから大丈夫」
にっと笑って見せれば、彼は私の頬を撫でた。
うっとりしたような溜め息を吐いてから、残りの袋をキッチンの下に置いた。
「今日も歌う?」
そう訊きながら、彼はテレビをつける。
私はカウンターに鞄を置いて、座り心地最高のソファに腰かけた。
昨日はなかったはず。テレビとソファの間のコーヒーテーブルに散乱したCDを手にした。目を疑う。
「これ……買ったの?」
昨日話した私が、好きな曲ばかりがあった。
「そうだよ、暇だったから探し出した」
隣に腰掛けて、悪戯っぽく璃くんは笑ってみせる。
「ちょっと……今時CD買う? 私のために? 一人暮らしの無職なのに?」
「まー……快適な暮らしをするには金がいるってことだね」
璃くんは笑い退けた。
そりゃあ食費がだいぶかからないみたいだけれども。
今いくら持ってるか想像もつかない。
「買うのは、よくないと思うけど」
「君の好きな曲を好きになりたかったんだよ、だめかな?」
「……許す」
嬉しい言葉だったから。ちょっと甘過ぎるかな私。
早速、彼はCDを再生させた。
「茜ちゃんはどんな歌詞が好きなの?」
「このシンガーソンガーの曲は好きだよ。世界観が似てるっていうか共感できて、でも私にはない前向きな感じがあって好き」
「へぇ……こっちは?」
「女の子に翻弄される曲だーい好き」
悪戯っぽく笑って見せる。
彼は手にしたCDに取り替えて、再生させて歌詞カードを見つめた。
「まさに俺の心境って感じ」
「やだな、私は翻弄してないよ」
苦笑いすれば、彼は首を振る。
さっきの嫉妬は不可抗力だからね。
彼が歌い始めた。
原曲のヴォーカルさんより、魅力的な声にうっとりしちゃう。
色っぽい感じを真似して、微笑むからグッとくる。
翻弄されるのは、私の方です。
まともに見れなくて顔を逸らせば、璃くんは肩を抱き寄せた。
私は彼の顔に見惚れないように、璃くんの肩に頭を置く。
あ……眠くなったかも……。
昨夜は楽しみのあまり寝付けなかったからな……
彼の歌声が、気持ちいい。
甘くて柔らかい匂いがする。
しばらくして、冷たい手が私を現実に引き戻した。
あ、寝ちゃった……どのくらい寝たのかな。
ひんやりしてる。
目を開かなくてもわかった。彼が触れてる。
顔に。でも頬より下。
まるで顔を上げさせるみたいに。
彼の荒い息に目を見開いた。
首筋に、彼が唇をつけてる。肌じゃない何かがそっと首筋に触れて、ゾクッとした。
牙が、首筋に、触れた……ーー。
「璃くん!」
慌てて呼べば、彼は勢いよく離れる。
目を丸くして、露になった牙を手で隠した。
「ごめん、ごめん!」
どうかしていたみたいにひたすら璃くんは謝って、私からさらに離れる。
「本当にごめん!」
「わ、私が悪いんだよ……無防備に寝ちゃったから」
慌てて私も謝る。
「ごめん! 嫉妬で、また!」
「え?」
嫉妬だって?
「えっ、さっきの人?」
「君のこと、変わったなって言ってただろ? ……変わる前の君なんて知らない。でもあいつは知ってる! そう思うと腹立つんだ! 馴れ馴れしくてもうっ……」
額を押さえて、璃くんは必死に落ち着こうとした。
金色の瞳だ。
「君の前の恋人だって……俺の知らない君を知ってる! あぁもうどうしようもないくらいムカつくんだ! 初めて会った時から、君が異性に笑いかけるだけでもモヤモヤしてたなんて、どうかしてる!?」
な……何? 異性に……って先生ぐらいだよね。
そんな前からも嫉妬してたの?
「璃くん……私も妬いてるよ? 瑛美達と並んでるだけでもムカムカするんだから!」
座ったまま、璃くんを見上げて笑いかける。
「本当?」
「本当。……言うのは、ちょっと恥ずかしいんだけど……」
他に思い付けない。
「俺を喜ばせてくれるなら、ぜひ言って。嫉妬で自制心を失いそうだよ……だからって君に噛みつくなんて……」
自分を責めて、悲しいブルーに揺らめいた瞳に胸が締め付けられる。
ズルズルと彼はカウンターに寄りかかってしゃがんだ。
「怒り任せに君を傷つけるなんて……」
「傷ついてないよ、大丈夫だから」
ソファから身を乗り出して、優しく声をかける。
「私だって会う前の貴方は知らないよ、でもこれから知ればいいでしょ。それに……世界中の何よりも君に夢中だよ?」
一瞬のうちに、目の前に彼が現れた。
ちょっと驚いた。
好奇心に満ちた瞳は、金色になったり、青色になったりしている。
「俺も……世界中の何よりも君に夢中だよ。世界で二人きりになってもね」
すっかり怒りは消えたらしく、にっこり笑う。
優しく、まるで子どもみたいに、無邪気に笑って、私の髪を撫でた。
「君と居る時の私だって……他の人は知らないよ」
熱くなる顔を伏せて、私は小さく言った。
意識はしてないけど、多分あたしの表情はいつにもまして無防備だと思う。
ギュッと璃くんは私を抱き締めた。
冷たい手と甘い香り。
ゆっくりと後ろに倒れて、一緒にソファに横たわった。
「君が愛しいよ、どうしようもなく」
頭の上から彼の声が降りかかる。
心臓は爆発のカウントを始めていた。
下手に動けなくて凍ってしまう。
「俺の宝物」
甘く囁く言葉に、もうクラクラ。
幸せすぎて死んでしまいそう。
優しく髪を撫でては香りを吸い込んでいる。
「どうしてこんなに狂いそうなほど愛しいんだろう」
顎を掴んで顔を上げさせた璃くんは見つめた。
愛しそうに見つめてくる。
私だってまだ信じられない。
奇跡って言っても過言じゃないでしょ?
私を好きだなんて……。
愛しそうに見つめられると、胸がキュンとしてしまう。
そっと唇が重なり、私は目を閉じた。
一度、離れた唇はまた重なる。ゆっくりと角度を変えて。まるで味あうみたいに口付けをした。
私はただじっとして彼を受け入れて、口を開いたり閉じたり。
優しくてうっとりするキス。
唇を離せば、鼻先で顔をなぞってくる。
目を開けば、深い海の底の綺麗な青い瞳と目が合う。
いつの間にか、心臓はゆったりと落ち着いている。
「好きだよ……茜」
そっと額に、キスを落とした。