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02 冷たい手。




 授業の内容が、頭に入らない。

 いつもなら無意味に携帯電話をいじるけど、そんな気力もなかった。

 ただ後ろにいる気配のせいで、緊張した身体は強張る。緊張が背中から伝わらなければいいな……。

 私を見てないよね?

 確認したくて、でも直接振り返ってまた目が放せなくなるのは気まずい。

 真っ暗になった窓ガラスから、彼を見ようとした。

 窓ガラスに映る教室を見回せる。

 真後ろの彼は前を向いてるように見えたけど、私が横を向いたことに気付いたのか彼も窓を向いた。

 慌てて、前に顔を戻す。


「……」


 かなり、気まずい。

 授業終わった一目散に出ていこうかな。作戦を考える。

 すると、チャイムが鳴る前に授業は終わった。単位より出席日数が、重要なこの定時制にはよくあることだ。

 注目されないように静かに立ち上がって、教師よりも先に教室を出た。

 嗚呼どうしよう。

 教室を出て、何するつもりだったのかわかんない。

 とりあえず、彼から離れたかった。

 トイレの前を通りすぎて、何処に行こう?

 頭を冷やしに外にでも行こう。

 そう思って、早足で階段を降りようとした。

 慌てすぎて足は段差を踏み外しして、足首を捻った。痛みと同時に襲い掛かる落ちてしまう恐怖に、悲鳴が上がりそうになった。


   ガッ。


 氷に掴まれた。

 そう思ってしまうくらい冷たい手が、階段から落ちるという無様な事故を阻止してくれたのだ。

 腕を辿って見れば、彼だ。


「大丈夫?」

「え、う、うん。あうっ」


 彼に引き寄せられるように立てば、捻った右足首が痛み、変な声を出してしまった。


「保健室に行こう。どこにある?」

「いいの、自分で行ける」

「俺が運ぶよ」

「本当に大丈夫!」


 運ぶなんて言われて、私は慌てて首を激しく左右に振る。

 見た目に反してややぷよっとしているから、重いなんてバレたくない。


「悪化したら、まずい」


 ひょいっと身体が浮き上がる。悲鳴を上げなかったことを、誰かに褒めてほしい。

 近付くことすら臆してしまうような美しい少年に、私は横抱きにされた。いわゆる、お姫様抱っこだ。

 今度こそ、顔を真っ赤にした。肌寒さなんて忘れるくらい熱い。

 彼は気に留めない。そりゃ、女の子を真っ赤にすることくらい君には、日常なんでしょうけれども。


「保健室はどこだい?」


 微笑む顔が近すぎる。

 私は赤子みたいに固く握った自分の手を見つめた。


「えっと、一階……向こうの校舎の」

「こっち?」

「うん……」


 人差し指を、隣の校舎に向ける。隣の校舎に繋がる通路を、彼は私を抱えて運んだ。モデルのように、細身に見えるのに、楽々と運んでいる。しかも、快適だ。

 渡り廊下を歩くと、階段を降りた。それから、保健室のある方を指差す。左側だ。

 すっかりお姫様抱っこに慣れたけれど、保健室に到着。

 珍しい若い男性の養護教諭の先生が、目を丸めて私達を見る。


「転校生だね。それに越前さん。えっと、どうしたの?」

「水梛です。茜ちゃんが、足を捻ったみたいで、診てもらえますか?」


 茜ちゃん。そう呼ばれたから、恥ずかしさが舞い戻ってきた。

 俯いて、唇をきつく結んだ。そんな私を、椅子に下ろしてくれた。


「階段から落ちそうになって、その、水梛くんが助けてくれたの」

「璃。璃でいいよ」


 彼の手が、私の肩にそっと置かれる。

 息を飲む。またうっとりするような声が、後ろからかけられた。

 なんだか催眠効果がある気がする。この声に命じられたら、なんだって従いそうだ。


「じゃあ……璃くん」


 私は精一杯の笑みを向けた。

 でも彼の笑みには敵わない。

 クラッときそうだ。


「湿布を貼っておくから、安静にして」

「はい」


 ひんやりする湿布を足首に貼られた。

 でも、彼の手の方が冷たかったな。

 チャイムが鳴った。今、一限目の授業が終わったのだ。


「教室に戻ろうか」

「あ、平気だから」


 またお姫様抱っこをしようとした璃くんに、私は制止の手を突き付ける。


「だめだよ、茜ちゃん。悪化したら大変だ」


 微笑みに負けて、私は再び彼にお姫様抱っこされることになった。

 それで教室に戻るのだ。なんてこと。

 教室に残っていた十数人のクラスメイトの注目を浴びることになった。


「怪我した」


 開き直ったように、私は友だちの瑛美に報告する。


「えっ? 大丈夫?」


 瑛美はなんとも表現し難い反応を見せた。私がイケメン転校生にお姫様抱っこされて戻ってきたから、驚いてはいる。そこに嫉妬も見えた。それから、私への心配。でも声は怒っているようにも、聞こえた。


「璃くんがいなかったら、命はなかったかも」

「俺は命の恩人かな?」

「ええ、そう」


 やっと下ろしてもらったけれど、ニヤリとした魅惑な笑みを寄越されて、倒れそうになる。それをなんとか堪えて、私はまだお礼がまだだったと気付く。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 もう一度、精一杯の笑みで、お礼を伝える。

 璃くんは、演技かかったお辞儀をした。それが様になるのは、何故だろう。素敵な人は何をやっても素敵ってわけか。


「軽く足を捻って、階段から転がり落ちそうになったの」

「あー部活は出来そうにないね」

「部活? 何部?」


 部活のことを持ち出すから、璃くんが食い付いた。


「バトミントン部」


 瑛美が答える。誇らしげ。

 定時制の数少ない部活の一つだ。部員はなんと、私の他に友だち二人と先輩が一人のみ。


「俺、見学してもいいかな?」

「いいよ」


 快く承諾する瑛美を横目に見つつ、私は席に戻った。

 部活と言っても、顧問がいて、ただ気まぐれにバトミントンをするだけ。だから、見学は自由だ。

 放課後も、彼といるのか。授業は四限まで、そして二十一時丁度に終わる。部活は一時間のみ。毎日あっという間だと思うけれど、今日は別だ。

 彼という存在に、緊張し続けるのだから。


「ウチも璃くんって呼んでもいい?」

「ああ、いいよ」

「やった」


 瑛美の笑顔が弾ける。その声も。

 ネットで知り合った彼氏がいるくせに。


「璃くん、何人の血があるの?」


 ああ、それ私も聞きたかった。


「俺はイタリア人と日本人のハーフ」

「綺麗な目だね」


 私も同感だ。

 また私の真後ろの席についた璃くんと話す瑛美が身を乗り出した。

 見てみれば、彼の机に頬杖をついて見つめている。

 近いわ!

 引き離したかったけれど、別に彼は私のものではないし、無理もない行為だ。

 例えるなら、彼は花だ。とっておきの魅惑な花。

 私達は、その見た目にも匂いにも引き寄せられた蝶。

 あ、でも、彼の匂いも魅惑的だった。お姫様抱っこをされた時、コロンのような香りを嗅いだ。花のように甘い。でもコロンにしては控えめな香り。それでも、蝶を惹きつけるには十分だ。


「バイトは?」

「引っ越してきたばかりで、まだなんだ」

「どこに越してきたの?」

「近所だよ」

「行ってもいい?」

「どうかな」


 瑛美の質問に、はぐらかす璃くん。

 その声をただ音楽のように聴いていた私の髪が、触れられる。

 最初は気のせいかと思った。でも、振り返れば、彼が私の長い黒髪を持っていたのだ。


「綺麗な髪だね」


 まるでうっとりしたような眼差しで、璃くんは私を見つめた。

 ゴクン、と息を飲んだことは、バレた気がする。


「璃くんの髪こそ、素敵だと思う」


 なんとか絞り出せた言葉で会話をした。


「私、染めようとして失敗したの……何色にも染まらない感じの暗い黒」


 高校生だし、イメチェンにチャレンジしようとして、あえなく失敗した話題が、口から飛び出す。自分で染めようとしたことが、そもそもの原因だろうけども。


「何色にも染まらない漆黒の髪……綺麗だよ」


 まだ私の髪を持っている璃くんが、また褒めてくれる。

 耳まで真っ赤になってしまいそうだ。


「君の髪の方がっ」


 ずっと何倍も、綺麗。


「プラチナブロンドってやつだよね? すっごい、触ってもいい?」

「ああ、いいよ」


 やっと私の髪を手放してくれた璃くんは、どうぞと頭を差し出してきた。

 私のバカ! なんで、触るなんて言っちゃうの?

 言ってしまったのは、しょうがない。私はぎこちなく手を伸ばして、そっと髪を撫で付けた。艶やがあって、サラサラだ。

「ウチもいい?」と、瑛美が便乗してきた。

「自分も」と瑛美の隣に座っていたあつきっていう友だちも参加。

 三人して、彼の髪を撫でる。


「透けそう……」


 明るい髪は、黒髪に慣れた私にはとても不思議に思えた。

 その上、プラチナがつくブロンド。根元まで、綺麗な白金色を保っていた。

 見惚れていたら、ふと視線に気付く。今まで気付かなかったことが、鈍感すぎた。璃くんが私を見ている。頬杖をついて、眺めていた。

 この距離で見つめてくるのは、やめてほしい。

 君に匹敵する美しい顔だったら、よかったのに。

 あとすっぴんだ。瑛美みたいに化粧をしていればよかった。

 そこで休み時間が終わるチャイムが鳴ったから、私達は前に向き直る。

 ああ、また身が入らない時間が始まるのだ。

 後ろの存在についつい、気にしてしまう。

 その三限を、耐えきった。

 でも放課後の部活も、彼がついてくるのよね……。

 定時制の生徒用のロッカーに教科書を突っ込み、黒いハリネズミのデザインの筆箱を鞄にしまい、いざ行こうとした。


「お姫様」

「あ、ちょっ……もう平気。痛みは引いたから、自分で歩けるよ」


 同じく荷物を持った璃くんが手を伸ばそうとしてきたから、またお姫様抱っこをしようとしたことに気付く。すぐさま断った。本当に痛みはもうない。


「そう、残念」


 え? 残念?


「せめて荷物を持つよ。いいかな?」

「あー……ううん、お願い」


 大したものは入ってないけれど、首を傾げておねだりするみたいな仕草に負けて預けた。可愛い仕草も可愛いって、美少年はずるい。

 部長である一個上の先輩とあつきは、交際している。その話をしつつ、一階に降りて、向こうの校舎の間にある渡り廊下を歩く。真っ直ぐ進めば、体育館だ。

 全日制の部活動は、すでに終わって帰っている最中。

 私達数人が使うには、広すぎる体育館に到着した。一応、靴を履き替える。

 使うのはたったの六分の一。ネットを出して、一つコートを作れば私達の部活スペースの完成だ。

 その間に、バトミントンのラケットと羽根を先輩と顧問の先生が持ってきてくれた。

 璃くんが見学したいということを伝えて、軽く自己紹介。


「璃くん、相手してよ」

「今日は見学だけさせてもらうよ」


 瑛美がラケットを差し出すけれど、璃くんはそれを受け取らなかった。

 私が荷物と一緒に並んで壁に凭れていれば、隣に彼は腰を下ろす。

 にこ、と笑みを向けられたから、私はにこっと笑い返した。同じものとは到底思えないけれども。

 どうして、この人は私の方に来るのだろうか。

 疑問でならなかった。化粧していてグイグイくる瑛美をかわして、どうして私なんか。


「足、本当に大丈夫?」

「うん。バトミントンはしない方がいいけど」

「そうだね」


 湿布を貼った足を見つめつつ、黙った。

 何か会話をしなくちゃいけないとわかっていても、話題を思い付けない。

 相手は転校生。根掘り葉掘り尋ねたくなるのが普通だと思うけれど、私はそれに慣れていない。程よい距離を保ってきたし、そもそも聞き手役だ。いや聞き手役としては、不十分だけれども。

 私は、璃くんに一目惚れをした。

 それは当然だろう。この容姿に心奪われないようにするのは難しい。

 かといって、私が彼と釣り合うと言われたら、自信はなかった。

 あるわけがない。自分がスーパーモデルか何かならその自信はあったかもしれないが。

 私に何がある? 取り柄と言えば、学年一運動神経がいいってことくらい。ニート学生だし、漫画や小説を読み漁る日々を送っているだけ。

 本当は冷めている娘だって知ったら、璃くんも興味を示さなくなるだろう。知られたくない。そんな気持ちが、早くも失恋を予想する。


「茜ちゃんは、家はどこ?」


 璃くんから、話題を振ってきた。

 あれ、それ瑛美には訊かなかったのに。

 私には興味津々って態度。理解出来なかった。


「駅の向こう側にあるの。自転車でも徒歩でもここにつける」

「そうなんだ。今日は自転車?」

「うん」

「危ないから、乗らない方がいいよ」


 璃くんの視線が、一度私の足に向けられる。


「大丈夫だよ」

「君が心配なんだ」


 君が、なんて。

 とてもずるい声だ。逆らえない。


「わかった、歩く」


 笑みで降参すると、つかさず璃くんは言う。


「俺が自転車を押していくよ。家まで送る」


 家まで送るですって!? 私が今住んでいるボロアパートを見られるのはごめんだ!

 それだけは絶対に阻止してやる。例え、手強い笑みを向けられても。


「でも歩くには遅すぎるし」

「いつもそうだから、平気」

「……じゃあ、途中まで」

「うーん、途中まで、ね」


 ようやく青い眼差しが、私から外れた。

 二人で黙って、傍観する。やがて飽きたのか、瑛美とあつきと先輩が寄ってきて、転校生璃くんについて問う。

 璃という字は、瑠璃色の璃。

 前のバイトは、レストランの厨房だったそうだ。

 一人暮らし。家族は、今海外にいる。

 そのうち、連絡先を交換しようと瑛美が言い出したので、彼の携帯番号をゲットした。連絡アプリで、メッセージを送り合える。

 バトミントンをやらないなら、片付けてと先生が言うので、手分けしてやった。璃くんが手伝うと言ったけれど、先輩が断る。璃くんの手伝いなしにあっという間に終えたから、二十二時前には体育館を出る。


「え? 二人で帰るの?」


 瑛美は、驚きつつまた怒ったような声で聞き返す。


「先に帰っていいよ。また明日」


 私の自転車を押しながら、璃くんはさよならを告げる。

 同じく自転車の三人の視線が痛いような気がした。

 先輩は空気を読んだかのように「じゃあ先帰る」と言う。

 あつきも「じゃあ明日」と言って、瑛美もしぶしぶといった様子で続く。すごく不機嫌な横顔だ。

 これで、二人きりになってしまった。

 でも途中までだ。それまで会話が続くといいのだけれど。

 校門を出るとすぐに坂がある。わりと急な坂道だ。それを下る。


「茜ちゃん、予知夢って信じる?」


 唐突にそんなことを問われて、私はちょっと自分の耳を疑った。


「正夢とか……信じるけれど?」

「そっか、よかった」

「どうして?」


 私は笑う。隣の璃くんの横顔も、笑っていた。


「実は、俺、予知夢能力者なんだ」


 青い瞳が向けられる。


「信じてくれる?」


 君の言うことならば、なんだって信じる。


「じゃあ、どんな予知をしたことあるの? 教えて」


 手放しで信じるより、詳細を知ってからの方がいいと思い、微笑む。


「君」


 ん? ってなった。

 夜の田舎街なのに、眩しそうに目を細めて、私に微笑みを返す。


「君を見たから、ここに来たんだ」


 んん? と私は首を傾げる。


「どういう……意味?」


 坂を下りたところにある信号機で足を止める。赤だ。


「思ったんだ……俺の運命の人はどこだろうって」


 運命の人だって?

 予知夢の次にそれを口にされるなんて。

 つまり運命の人を予知しようとして、私を見たというの?

 信号が青になっても、私は踏み出せなかった。璃くんも動かない。


「その綺麗な黒髪とダークブラウンの瞳を見たんだ。あの窓際の席で、俺を見つめ返す君を夢に見た。それから……君が階段から落ちそうになる夢を見たんだよ」


 璃くんは言いながら、片手を伸ばして、私の右手を取った。

 やっぱり。氷のように冷たい手。

 けれども、笑みは優しく、そして温かさすら感じた。



 


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