森からの脱出
チュンチュンと、朝を知らせるさえずりで目を覚ました。
いつも夜営をする時に使っていた結界魔法は問題なく使えた。おかげで魔物の心配もさほどないままある程度眠ることができた。
「すぅ……すぅ……」
近くで銀髪のエルフの女性が眠っている。熟睡しているようで無防備ったらない。
信頼してもらえたのなら嬉しい。それでも僕は男だ。あんまりにも無防備でいられるのもどうかと思う。
彼女はミリシャ。少なくともこの森を抜けるまでは仲間である。
エルフは森の中でも方向感覚を失わない種族らしい。しかしミリシャは何か事情があるみたいで本来の力を使えないようだった。
またオークに襲われでもしたらたまったものではない。そんなわけで僕は彼女の護衛を買って出たのだ。
オークに襲われたくないからオークに守られるなんておかしな話ね、とミリシャは笑った。笑いながら僕が同行することを承諾してくれた。
今の僕は誰かに姿を見せただけで逃げられるか攻撃されるかのどちらかだ。そんな状況もあってミリシャといっしょにいられるのは僕にとってもありがたい。
彼女は僕を怖がらない。ちゃんと一人の人間として扱ってくれるのだ。
「ん……」
ミリシャが目を覚ました。
彼女はゆっくりと体を起こす。ぼんやりした顔で僕を見る。少し緊張が走った。
「おはようレオン」
「お、おはようミリシャ」
よかった。急にオークを目にしたから叫ばれてもしょうがないと思っていた。なのに普通に接してくれた。
ほっとひと安心する。まずは一段階クリアだ。
朝食はミリシャが用意してくれた。散々探しても見つからなかった木の実を彼女はいともたやすく探し出してしまったのだ。エルフはこういった感覚が違うのだろうか?
昨晩のオークの肉に比べたら腹を満たすまでには至らなかったけど、これで動く準備は整った。
「ここは普通の森じゃないわね。人を迷わせるようにできている厄介な森よ」
木々を調べながらミリシャが言った。
僕にはまるでわからない。普通の木と何も変わらないように見える。それでもミリシャの見立てはまったく別物らしい。
ここはエルフである彼女の感覚を信じよう。そもそも僕はオークになってちょっとずつ感覚のずれを感じてきているのだ。それを修正するまではいまいち自分の感覚というものが信じられなかった。
ミリシャを先頭にして進む。
同じような景色ばかりだからまっすぐ歩いているのかさえわからなくなりそうだ。
「……来た道に戻ってしまったみたいね」
「え?」
ミリシャは一本の木を見て呟いた。
僕には前に見た木かさえわからない。それでも彼女はそれが一度見た木だと判断したのだ。
これがエルフの感覚か。森の民とはよく言ったものだ。
……それでもまっすぐは歩けていなかったみたいだけど。
「この森から出るのは骨が折れそうね」
「入るのは簡単だったと思うんだけど」
実際気づかない間にこの森に入ってしまっていたのだ。無我夢中で走っていただけで入れるんだから出るのも簡単に、とはいかないのだろうか。
「そりゃ入るのは簡単でしょう。いつだって嘘つきこそ気安いものなんだから」
「何か騙されたことでもあるの?」
「別に……」
嘘つき、というセリフに感情がこもっていたと感じた。この反応から事実そうなのだろう。
ミリシャは地面に何かを描く。僕には読めない文字だった。エルフ語だろうか。博識なパウラだったら理解できていたかもしれない。
「……」
仲間のことを思い出して涙が込み上げてくる。目をぎゅっとつむってそれに耐えた。
「わかったわ」
しばらく地面にガリガリと文字を書いていたミリシャが立ち上がる。
「わかったって何が?」
「この森から出る道筋をよ」
「おおっ」
何をやっているのだろうと思ったら脱出する道を探していたのか。地面に文字を書いたらどうやって道がわかるのかは知らないけれど、彼女の言葉からは自信が漲っていた。
「こっちよ」
ミリシャは迷いなく進む。僕はそれについて行った。
「しっ。魔物よ」
前にいた彼女が茂みに身を隠す。
見れば十匹ほどのゴブリンナイトの姿があった。
鎧や盾を装備したゴブリン……と単純に言えるものではない。並のゴブリンとは比較にならないほどの戦闘力を持っている。そして組織的な動きで獲物を追い詰める知恵もある。
オークよりも強いゴブリンの上位種だ。
「少しだけここで待ってて」
「え?」
僕は息を殺すこともなく茂みから出た。
音に反応してゴブリンナイトがこっちに気づいた。
姿だけなら同じ魔物だろうに、ゴブリンナイトは全員僕に刃を向けてきた。
どうやら魔物同士でも敵味方はあるらしい。それとも僕が本当は人間ということを察知したのだろうか? だったら魔物相手だとしても嬉しい。
「ギャギャッ」
「グギャァっ!」
「ガギャア!」
昨日のオーク相手でもそうだったけれど、魔物の姿になったからって言葉がわかるわけではないらしい。何言ってるのか全然わからない。
けれど、雰囲気から威嚇されてるってのはわかった。
あまりミリシャを待たせるわけにはいかないだろう。
「さっさと倒させてもらうよ」
ゴブリンナイトに向かって跳躍する。反応できなかった二匹を蹴り飛ばす。
残った八匹が僕を取り囲む。他は……いなさそうだ。残り八匹で間違いない。
オークの身体能力だったら勝ち目はなかっただろう。だが感覚にずれがあるとはいえ勇者であった時とさほど動きに変化はない。だったら僕が負ける理由はなかった。
勇者は人族最強の証でもあるのだから。
残ったゴブリンナイトを倒した。装備品をはぎ取ろうかどうか迷っているとミリシャが近づいてきた。
「強いとはわかってたけど、まさかこの数相手でも傷一つ負わないなんてね」
「まあこれくらいの相手なら問題はないよ」
ゴブリンの上位種とはいえ、結局はゴブリンだ。魔王城にはもっと強い魔物がたくさんいたのだ。今更苦戦する相手でもない。
「倒したのなら先を急ぎましょうか」
「わかった」
装備品をはぎ取れないことにちょっと名残惜しい気持ちが出そうになる。まずは森を抜けだすのが先だ。目的を優先しよう。
しばらくミリシャの案内に従っていると、段々と視界が明けてきた。
「森の外よ」
こうして半日ぶりに森の外に出られたのだった。木々に蔽われない日光が僕を歓迎してくれるようだ。
「レオン! あそこ!」
と、気を緩める間もなくミリシャが大声を上げて指をさす。
彼女の指の先、そこには大勢のゴブリンナイトに囲まれた一台の馬車があった。




