真夜中の出会い②
焚火がパチパチと燃えている。ついでに香ばしいにおいが鼻孔をくすぐる。
倒したオークを解体して食べられるようにしたのだ。魔物を食料とする考えは修行時代に培ったものである。
僕は魔物を安全に食べられるように解体できる。この技術を覚えてから修行の効率は良くなったものである。なんせ魔物ばかりの山の中でも一ヶ月以上は楽勝で籠れるようになったのだから。
食べられる魔物の中でもオークはなかなかのものである。この出っ張った腹の通り、いい肉をしているのだ。けっこう栄養価が高いと証明されている。
そんなわけで僕の目の前にはごちそうがあるのだった。
「……」
「……」
いや、厳密に言えばごちそうだけではなかった。
焚火を挟んだ対面には僕が助けたエルフの女性がいた。
彼女は僕が渡した毛皮にくるまっている。体格差もあって毛皮は彼女の体をすっぽりと覆い隠している。白い肌の面積はぐっと減ってしまった。
毛皮を受け取ってくれたものの完全に僕に気を許したわけじゃないみたいで、こっちを見る目は警戒心を緩めてはいなかった。彼女の服は破かれてしまっていたので仕方のない措置なのだろう。
とりあえず、彼女は僕に話があるみたいだし、僕は僕で早く何か食べないと頭がおかしくなりそうだった。なので食事がてらこうやって向かい合って座っているというわけである。
「……」
「……」
けれど、彼女から口を開く様子はない。何か言うまで待っていた方がいいかなと思って待ち続けた結果、この沈黙の状況が続いているというわけなのだ。
オークの姿というのもあって不信感に満ちた視線なのはわかっている。
だから僕からは彼女に近づかないようにした。さっき同じ顔に襲われたばかりだし、変に恐怖心を煽ることもないだろう。
それに僕は早く肉を食べたいのだ!
赤い炎がゆらゆらと揺れている。
焼き加減は大切だ。ここをテキトーにしてはいけない。
集中して焼かれている肉を見つめる。口の中によだれが溜まって溢れる。それがぽたりと地面に落ちた。
「よし、そろそろいいだろう」
僕は焼き上がったオークの肉を対面の女性に差し出す。
「え? え?」
「お腹空いているんでしょう? どうぞ食べてください。食べてお腹を壊す心配はないですよ」
できるだけ優しい声を出すように心がける。それが功を奏したわけではないだろうが、戸惑いながらも彼女は肉を受け取ってくれた。
この女性の腹の虫が鳴っていたことに気づいていたのだ。オークの体の僕と違って彼女の音はとても小さくてかわいらしいものだったけれど。
「……」
彼女はなかなか口をつけようとはしなかった。
できれば焼き上がってすぐ食べてほしかったんだけどな。まだまだ信用されてないってことか。
それともエルフって肉がダメっていうことがあるのか? 種族が違えば細かい違いがあってもおかしくない。うわ~、ちゃんと確認すればよかった。
しかし、僕の懸念はちょっとズレていたらしい。
「あなた……食べないの?」
「食べるよ。ほらいっぱいオークがいるでしょ。僕の分くらいちゃんとあるからさ」
そう言ってオークの死骸に目を向ける。ほとんど一撃で倒しているのであまり傷がない。食べられる肉はたっぷりと残っていた。
「いえその……あたしより先に食べればいいと思うし。それよりもあたしに施す理由なんてないはずよ。そもそもこれはあなたの仲間じゃないの?」
彼女の困惑が抜けきっていないということはわかった。
うーむ、どこから説明したものか。
ちょうど次の肉が焼き上がったのですぐに口へと運んだ。
「うんっ、美味い」
エルフの女性はぽかんと口を開く。僕がむさぼるようにかぶりついているのを見て腹が空いているのを思い出したようだ。小さな口を目いっぱい開いて食べ始めた。
一口食べてしまえば止まらなかった。彼女は一心不乱に肉を頬張る。よほど空腹だったのだろう。食べる姿からは必死さすら感じられた。
しばらく無言で食事をした。僕だって空腹なのだ。まずはそれを解消しないと頭だって働かない。
「ふぅ~、食った食った」
満足して腹を摩る。でっぷりとした腹がさらに膨らんでいた。新鮮な感覚だった。
結局倒したオークは全部食べてしまった。一匹だけでもけっこうな量だから余ると思ったのに。オークの胃袋恐るべしである。
けど、よく食べるのは僕だけじゃなかった。
勝手にエルフって種族は食が細いものだと思っていたけれどそうでもなかった。オークの体だったから僕の方が食べた量が多かったけど、元の体だったら彼女ほども食べられなかっただろう。少なくとも一般的な大人の男よりも彼女は食べる人だった。
「案外オークって美味しいのね。初めて知ったわ」
彼女も腹を摩って満足そうにしている。けっこう食べていたのにその腹は膨れることなくほっそりとしたままである。これは神秘の力なのだろうか?
「満足してもらえたようでよかったよ」
「あなた、オークなのに何で言葉を話せるの? それに仲間を食べてもよかったの?」
彼女の声色から少し緊張が抜けているように感じられた。いっしょに食事をしたことがいいように作用したのかもしれない。
せっかくまともな会話ができそうなのだ。これはチャンスに思えた。
僕は自分の状況を話すことにした。信じてもらえるかどうかわからない。それでもまずは僕自身は無害な存在だと証明するしかなかった。
彼女はうんうんと頷きながら聞いてくれた。
「なるほどね」
話し終えて彼女はそう呟くように言った。
僕は最後まで話し終えてすっきりしていた。初めて僕の言葉に耳を傾けてくれたのだ。充実感に似た何かを感じている。
「完全には信じられないけれど、それでもあなたのように言葉を話せるオークは見たことがないもの。ここまでの理性があるオークは上位種でもいないでしょうね」
「じゃあ」
「一応は信じてあげる。危ないところを助けてもらっただけじゃなく、こうやってご馳走にもなったのだし。恩人を疑うばかりというわけにはいかないでしょう」
「あ、ありがとう……。本当に……あ、ありが……とう。ぐすっ……」
「ちょ、ちょっとっ。泣かなくてもいいじゃないっ」
「ごめん……。信じてもらえることが嬉しくて……」
「……そう、誰からも信じてもらえなかったのね」
彼女は悲し気に呟く。同乗してくれるのだろう。同情でも僕の気持ちをわかろうとしてくれるのが嬉しくて堪らない。
しばらく僕の嗚咽だけが森に響いた。
僕が落ち着くのを待っていてくれたのだろう。彼女は静かになってから口を開いた。
「ねえ、あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
そう言われてはっとなる。
僕達は互いの名前すら知らないのだった。ちょっとバタバタしたというのもあったが、もっと早く名乗るべきだったと反省する。
一瞬言葉に詰まる。仲間に名乗っても信じてもらえなかった光景が思い出される。
初対面相手に気負っても仕方がない。僕は深呼吸を一つ挟んでから名乗ることにした。
「そうだね。僕の名前はレオン。君の名前を聞いてもいいかな」
「うふふ、いちいち確かめなくても名乗るわよ。恩人に失礼でありたくはないわ」
ころころと笑う彼女は美しかった。
意外と表情がよく変わる。彼女の芸術的なまでの美しさが硬いイメージを抱かせていた。それもただのイメージだったようだ。
彼女が僕の目を見る。その紅玉の瞳に移るのは醜いオークの顔だ。なのに彼女にはもう僕を恐れる様子はない。それが不思議であり、嬉しくもあった。
「あたしはミリシャ。何も持たないただのエルフよ」
これが僕とミリシャの出会い。僕がブタ顔のオークになってから、初めて仲間になる女性だったのである。




