真夜中の出会い
気づけば真っ暗になっていた。
ぐすっ……ブヒ……」
散々泣いたからか、ようやく涙も収まってきた。
悲しみが消えたわけじゃない。心の整理がついたわけじゃない。
ただ、ここでじっとしているわけにもいかない。それだけの理由だった。
涙に濡れた目をごしごしと擦る。そこで見えた僕の腕が自分のものではないことを思い出してまた涙が込み上げてくる。
「いけないいけない。泣いている場合じゃないんだ」
魔王城は崩れたが、魔王本人はまだ生きているのだ。
けれどそれをみんなに伝えられる状況じゃない。なんとしても僕自身の体に戻る必要があった。
「でもどうやって?」
そうなのだ。その手段がわからない。
僕の体はどこにもなかった。聖剣の威力で飛ばされてしまったのだろうか。そもそも存在しているかも怪しい。
「消滅していないと信じたいけど……」
だが、聖剣を使用した者は命を落とす。そうなると教えられた。
だからこそ希望は薄弱に想えてならない。
「こうやって魂は残ってるんだ。きっと何とかなる」
そう信じるしかない。僕だけは信じるんだ。どんなに希望がなかろうと、僕だけは諦めてはならない。
決意を固めて拳を握る。すると盛大に腹が鳴った。
「……と、とにかくまずは食べ物を探そう」
いくら力があったとしても空腹には勝てないのだ。それはどんな強者も変わらない。
周囲を確認する。森の中だ。……それくらいしかわからない。
もともとこんなところに土地勘なんてものはないのだ。現在地はまったくわからない状態だった。
「……」
いや、たとえ現在地がわかったとしても町には行けない。町に行けば魔物が出たと大騒ぎになるだろう。
僕は魔物になってしまったのだ。人が恐れる魔物に。僕の姿はみんなからすれば敵以外の何者でもない。
だからこそ町に辿り着いたとしても無意味なのだ。受け入れてなんてもらえない。
首を振って落ち込む気持ちを振り払う。また泣いている暇はないのだ。
まずは食べ物を探す。考えるのはそれからにしよう。
物事を単純化した方が動けるというものだ。とりあえず僕は森の中を進むことにした。
木の実でもあればいいんだけど。動物がいるのなら狩でもするか。幸いこの姿でも動きは前とさほど変わりがないのだ。それだけが救いと言ってもいいくらい。
鼻をひくつかせて食べ物を探し回る。しかし何も見つからない。あるのは木だけだった。
歩いている最中も腹が鳴り響く。なんてでかい音なんだ。オークの体というのは空腹には弱いらしい。
一時間ほど経っただろうか。一向に何も見つからない。
あ、頭がおかしくなってきそうだ。今すぐ何か食べたい。
何か何か何か! なんでもいい、誰か食べ物をくれ!
ふと、誰かの声を聞いた。
すぐ近くというわけじゃない。でも確かに聞こえたのだ。
何も手掛かりがないのだ。それにこのままだと空腹でどうにかなってしまいそうだ。この際なんとかして食べ物がもらえないか訴えてみよう。
僕は迷いなく声のした方へ足を向けるのであった。
※ ※ ※
「いやっ! 近寄らないで!!」
声の主は女性だった。
女性は襲われていた。数匹の魔物に取り囲まれているようだった。
瞬時に助けに行かなきゃと思った。でも、僕の足は止まった。
その理由は襲っている魔物がオークだったからである。
いつもなら一瞬で斬り捨てるところである。しかし、今の僕はその魔物と同じ姿なのだ。僕と同じブタ顔が並んでいる。なんだか自分自身を傷つけるようで気が引ける。
「や、やめてっ!! 誰かーーっ! 誰か助けて!!」
僕が迷っている間にオークどもは女性に手を伸ばした。
持っていた棍棒を捨てている。力の弱い女性だ。武器なんていらないと考えたのだろう。
オークの一匹が女性の服に手をかけた。勢いよく引きちぎる。何も守るものがなくなった裸体画さらされる。
僅かな月明りしかないというのに女性の体は美しいと感じられた。白く丸みを帯びたラインが生で見えてしまっている。
ごくり、と生唾を飲み込んだ。
「って、見てる場合じゃない! 早く助けなきゃ!」
僕は茂みから飛び出すとオークどもに向かって突進した。
「ブヒ?」
一匹のオークがこっちに気づく。でももう遅い!
手前にいたオークの頭を殴りつける。側頭部を強打されたオークはふっ飛んで木にぶつかってようやく止まった。頭の原型はとどめていなかった。
仲間がやられてから他のオークも僕に気づいたようだ。一斉に憤怒の感情が叩きつけられる。
魔物の怒りなんて大したことがない。僕が仲間に向けられた怒りに比べたら全然大したことがない!
僕はごちゃごちゃになった感情をオークどもに叩きつけた。それはまさしく八つ当たりだった。
十秒も経たないうちにオークどもは全滅していた。
はっとして女性の方を向く。よかった。無事だ。
安心させるように笑顔で女性に近づく。すると彼女は怯えた様子で地面を這いずりながら後ずさる。腰が抜けたのかその動きは遅い。
「や、やめて……! 来ないでっ」
女性は裸身を隠すように体を丸める。その体は誰が見たってわかるほどに震えていた。
そこで思い出した。僕の姿は魔物のオークになっていることを。
いくら助けたとはいえ、彼女からすればさっき襲っていたオークと僕は変わらないのだろう。事実、その恐怖心に変化はないようだった。
「……」
僕は人から恐れられる存在になったのだ。前のように助けたからって感謝の言葉をかけられることなんて、もうないのだ……。
……だとしても、僕はこの女性を助けたことを後悔なんてしない。
人に仇名す魔物を倒す。それが勇者たる僕の使命だ。たとえ姿形が変わろうとも、そのことだけは変わりはない。
僕は上半身に巻かれていた毛皮を脱いだ。女性の表情がさらに強張る。どうやら勘違いさせたようだ。
僕はその毛皮を女性に差し出す。
「着る物がないと困るでしょう? よかったらこれをどうぞ。何もないよりはマシだと思います」
女性は毛皮と僕の顔を交互に見る。
これ以上怖がらせることもないだろう。一向に受け取らない女性の前に毛皮を置く。
これで僕の装備は腰巻きだけか。少々どころじゃないくらい頼りない。でも仕方がないか。
早くこの場から立ち去ろう。僕は女性に背を向けて歩き出した。
「ま、待って!」
そんな僕の背中に呼び止める声。振り返れば女性がよろよろと立ち上がるところだった。
「え?」
月明りに照らされた彼女の銀髪がサラサラと流れる。意思の強そうな紅玉の瞳が僕を捉えていた。
ものすごい美貌の持ち主だ。国一番美しいと言われる姫様よりも美しいと思ってしまった。それほどに見たことがないほどの美人さんだったのだ。
だけど、僕が驚いたのはそこじゃない。
彼女の特徴的な部位。それは耳だった。人のそれよりも長い。
彼女は人族ではない。エルフだったのである。
……しかし、僕が見惚れているのはそこではない。
顔もすごく良いのだが、さらにそのしたの裸体も素晴らしい。これまた芸術品と呼べる裸身が僕の視覚に熱を持たせる。
正直ものすごーく勿体ないのだけど、指摘しないわけにもいかないだろう。
「あ、あの」
「な、何よ?」
「ととと、とりあえず……服、着ませんか」
「え?」
女性は視線を下ろした。自分の体が視界に入ったであろうところで止まる。
数秒の沈黙。僕は無駄だとわかっていながら視線を逸らせた。
「い、いやああああああああぁぁぁぁぁぁーーっ!!」
大声量での悲鳴が木々を揺らすのであった。




