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四月の新生活(下)



***********



 月日は流れ、日曜日の朝。俺はいつもよりも早く目が覚めた。

 俺は基本夜型で、朝は七時に起きてそのまま学校に向かうのが俺の日課だった。しかし目を覚まして時計を見ればまだ五時になったばかりだった。

 いつもなら早く目を覚ましてしまったのなら勉強でもしようと参考書を開いて机に向かうのだが、親父に再婚話を切り出されてからは面白いほどに勉強に手がつかなくなった。


 しかし、息抜きをしろと言われていたのでちょうどよかったかもしれない。息抜きをしているかと言われれば微妙なところではあるのだが。



 

 朝食後、俺はものはためしと一応部屋に戻って参考書を開いてはみたのだが頭は全く切り替わらない。もう何をするにも気分が乗らなくなり、佐奈の部屋の椅子に腰かけて窓から外を呆然と眺めていた。

 暫くうつらうつらとしていると、もう少しで十時になる頃、家の駐車場に見慣れない白い軽自動車が止まる音で目を覚ました。

 下の階からも何やらがたっと物音が聞こえてくる。どうやら親父が再婚するかもしれない相手が来たようだ。 

 俺も玄関口に立って出迎えた。

 結論から言おう。意外の一言だった。

「初めまして。新藤しんどう小百合さゆりと申します」

 度肝を抜かれた。

 人当たりのよさそうな笑みを浮かべた女性が、丁寧にお辞儀した。

 雰囲気や口調などから物腰の柔らかさが伝わってきており、立ち振る舞いは礼儀正しいの一言。長い黒髪はゆったりと後ろで束ねられ、女性ものの服装は上から下まで清楚な一面を強調させるような服装で、多少地味ではあるものの、落ち着いた雰囲気が伝わってくるようだった。三十八と聞いていたが、聞かされなかったら俺の担任よりも若いのではと思うレベルで美しい女性だった。

 おかげで俺は情報の処理が追いつかなくなる。

 一見すれば裏表なんかまったくないように感じるひとだ。親父がほれ込んだのもわかる。でも親父をたぶらかしたり金目的で近づいてくるような人という印象は受けない。

 どこからどう見ても、親父のような人に近づいて詐欺とかそういうことを企てるようなそんな人にはとても思えなかった。だからこそどうしてこんな人がと困惑が抜けない。

「親父に、何か弱みでも握られたんですか?」

「あ、いえ、そんなことはないですよ」

 あまりに信じられない現実に、もしかして犯罪に手を染めたのは親父の方だったのだろうかと思い耳打ちするが、まるで保母さんを思わせるような優しさにあふれる声音で否定された。その時の対応やしぐさからにじみ出てくる感情に、とても邪なものが入り込むすきがあるようには思えなかった。

「あの、親父が再婚するとかいう話って、もしかしてあなたですか?」

 もしや結婚というのは親父の妄想で、現実はただ親父の旧友かなんかが訪問してきただけなのだろうかと思い、続けて訊いてみたのだが。

「あ、はい。いい家族になれたらと思っています」

 どうやら再婚という認識に齟齬はないらしい。

 俺はなぜこの世に人は生きているのかという人類最大の哲学に匹敵するような謎に直面した気分だった。

「えっと、翔君、ですよね?まさるさんからよく話を伺っていました。今日会えるのを楽しみにしていたんです」

 今度は聖母のような顔で話を掛けられ、何とか生返事だけ返す。というか親父のことを名前で呼ぶ関係にすでになっているらしい。

「…………」

 そうしばらく現実の奇を見たように面食らっていたが、小百合さんの左手の薬指に光るリングが視界に入った瞬間、俺の頭は急速に冷えた。

 俺は小百合さんから視線を外し、そのままにこやかに会話をする親父の左手を見た。まだ薬指には指輪があった。

 それを確認すると少しだけ鼻を強めにこすった。

 小百合さんがどういう人なのか未だによくわからないが、今日ぐらいは話を聞いてやってもいいだろう。大きく息を吐きながらそう思った。

「そういえば今日は唯ちゃんは?」

 と、俺が今日は傍観を決め込もうと思った矢先に親父の口から耳なじみのない女の名前が出てきた。

「……一応連れてきてはいるんですけど、車の中で待っていると……」

 小百合さんも小百合さんで申し訳なさげに俯く。親父は「それなら仕方ない」と返していた。

はて、唯とはいったい誰のことだろうか。記憶を巡らせるがそんな名前の人物は頭には浮かんでこない。一人蚊帳の外になってしまった俺は、少々やな気配を感じ取って「ちょっと」と親父の手を引いて少し奥に引っ込んでから「今のって誰の事?」と疑問を投げかけた。

 すると親父の視線が泳ぎ、「あぁ」と呟きながら頬を掻く仕草をする。

 その親父の所作から少々嫌な予感を感じ始めた俺に、親父はピシッと、襟を正すように姿勢を正した。

「翔、言っていなかったんだけどな」

 そんなずるい人間の常套句を口に出し始めた親父に、俺はまたあきれ混じれのため息を漏らした。

 今までその言葉で始まった親父の報告で、吉報だったことは一度もない。

 不吉な予感が現実になる音を聞きながら、俺は親父の続く言葉を待った。

「小百合さんには、娘さんがいるんだ」

「は?」

 ただ、親父から告げられた言葉はあまりにも衝撃的で、俺は言葉に詰まってしまった。

「え?は?何それ、聞いてないんだけど」

「今日初めて言った」

 数日前再婚話を切り出されてから今日まで、俺たちは会話の場を設けなかったわけではない。俺は何度も親父に対して言ってきたはずだ。

「なぁ親父、ここ数日でさ、俺何回も言ったよな?もう隠していること、言っていないこと、ないよなって。洗いざらい全部言ってくれって、言ったよな!俺!?」

 だというのに、それでもまだ重要な事実を話していなかった親父に対して胸の中に収めきれないほど憤りがあふれてくる。

「もちろん、お前の言いたいこともわかる。だけど、小百合さんに娘さんがいるなんて話。聞けばお前は反対しただろ?」

「当たり前だろうが!」

「だからその、実際に小百合さんに会ってもらってから、打ち明けるべきだって、そう思ったんだよ」

 俺はもうはらわたが煮えくり返る思いだった。

 俺の気持ちが分かるなどと言いながら、やっていることは俺が怒り反対するかも知れないから言わなかったという子供の所業だ。

 今にも叫びたい思いを、歯をくいしばって耐え凌いだ。

 これがもしも長年俺を育ててくれていた実の親父じゃなかったら、掴みかかって張り倒していたところだ。

 本来なら、今すぐ玄関に待たせている小百合さんにはお帰りくださいと告げてやりたいところだったが、親父がなぜその娘のことを黙っていたのか、まだその理由があると思い続けて問いかけた。

「で、その娘さんって、今いくつなわけ?」

「十三、もうすぐ、十四になる」

 すなわち、なくなった佐奈と同い年の、中学二年ということだ。

 その言葉を聞いた瞬間、俺の心は決まった。

「帰ってもらってくれ」

 もう論外だ。

 俺が怒るかもしれないと理由で大事なことを話さない親父と態度も。

 そして何より親父が再婚すれば、小百合さんの娘が自動的に俺の義妹になってしまう事実も、俺には納得などできるわけがなかった。

「大体部屋はどうするんだよ!ここに住むって話で落ち着いているって言ったよな?小百合さんは親父の部屋でいいとして、他に空いている部屋なんかねえだろうが!」

 そもそもこの家は夫婦共同部屋が一つと俺と佐奈の部屋、後は風呂と物置と風呂とトイレと居間とキッチンしかない。現状二人も新たに住むことができるほどのスペースはどこにもないのだ。

 すると親父はまたも俺の目から視線を逸らす。言葉を選ぼうと努力したのか、途中「あぁ」などとこぼしながら視線をさまよわせてから口を開いた。

「……唯ちゃんには、佐奈の部屋を、使ってもらおうかと」

 聞いた瞬間、俺は拳を壁に叩きつけた。

ドガンと、家を壊すつもりで殴った俺の拳は、木材の壁をいともあっけなく砕いて、拳より一回り大きい穴をあけた。腕にいくらか木片が刺さり、熱い血がしたたり落ちるのを感じた。

 痛いとは感じなかった。だから、俺はずっと親父の目を見ていた。

 親父は顔を青白くして息を呑んだ。

「………いい加減にしろよ、親父」

 俺は低くそれだけを告げて、親父に背を向けた。

 やはり親父は壊れていた。もう、付き合ってられなかった。

 階段は玄関の正面にあるので、二階に上がろうとするとどうしても玄関の前を通らなくてはならない。玄関では先ほどの音や怒鳴り声に驚いたのか、小百合さんが眉間にしわを寄せて心配そうな顔をしていた。

「あ、あの、先ほどの音は……」

 震えた声が小百合さんから漏れる。俺はその声を無視して目も合わせようとはせず階段を上がろうとした。しかしその途中、「ちょっと待ってください」と小百合さんに両手で腕をつかまれた。

 意外だった。気の強そうな感じは受けなかったので、小百合さんはきっとびくついたまま俺を見逃すだろうと思っていた。しかし結構な力で腕をつかまれたことで、俺はさらにいら立ちの感情がどす黒く膨れ上がって、一言怒鳴り返そうと腕に結構な力を込めながら小百合さんのほうを向いた。

 ただ、小百合さんの顔を見たとき、どす黒く膨れ上がった激情も腕に込めていた力も一瞬忘れてしまった。

 小百合さんは血を垂らす俺の右腕を蒼白な顔で見つめていたからだ。

「どうしたんですか?これ、なにが……」

 小百合さんは震えた声を上げたまま一度俺の顔を見た後、俺の後方を見た。その時小百合さんの瞳が少し揺らいだ気がした。俺もその視線を追いかけた。蒼白な顔をしたまま近づいてきていた親父が、視界に入った。その口は何かを言おうと開閉していたが、親父の言葉を耳に入れるつもりは、もうなかった。

 俺は小百合さんの手を振りほどいて、逃げるように階段を駆け上がった。

「翔っ」

「翔君っ」

 悲鳴のような声で俺を呼び止める声を背中に受けた。二つの声だった。俺は振り返らなかった。

 階段を上って右側にある佐奈の部屋に入って、俺は鍵を閉めた。

 そのまま鍵を閉めて扉に体を預けて寄りかかった。感情が高ぶってしまったせいかそこまで長時間労働したわけでもないのに胸が苦しくなって息があがった。そのまま少し息を落ち着けようと胸に手を当てる。そのとき少し右腕が痛んだ。見ると壁を砕いた時に切ったと思しき傷跡から血が漏れ、いまにもしたたり落ちそうだった。

「やべっ」

 俺は妹の部屋を汚さないよう、血のしたたり落ちる道中に自分の上着の裾を置こうとしたが、慌てて対処しようとした際に手が揺れ、何滴かしたたり落ちて床に物騒な血の跡がついてしまう。

 これ以上床に血が落ちないよう気を付けながら、近くにおいてある箱ティッシュからティッシュを二三枚足で取って、したたり落ちた血を足を使ってぬぐい取った。

 ちょうどそのとき、妹の部屋のドアがノックされる。

「翔……」

 親父の声だ。俺はそのドアの方に冷たい視線を送ってふんと鼻を鳴らして、妹の椅子に腰かけた。机の妹の写真を一度視界に入れてから、苛立った自分自身にも言い聞かせるように呟いた。

 「大丈夫だ、佐奈。この部屋は、俺が守るから」

 親父はやはり壊れていた。

 親父は言いやがった。この部屋を使ってもらうと。

 この部屋は俺たち家族と佐奈を繋ぐ大切な部屋だ。俺たちが佐奈と過ごした十四年の思い出が込められた部屋だ。

 親父に佐奈が家族であるという認識があるのなら、絶対に明け渡すなんて言葉は出てこない。出てくるはずがない。

 親父は今、佐奈を家族とは思っていないのだ。佐奈のことを、もう忘れてしまったということなのだ。

 そう再認識した瞬間、肌を焦がすような怒りの感情がふつふつを湧き上がってきて、俺は左手で壁を殴った。

 百歩譲って、親父が母さんと妹のことを忘れるまではいい。別に親父の価値観なんて俺の知ったことではない。百歩譲ってそれには血と涙をのんで見守ることだってある。小百合さんが実際いい人だったら、話は聞いてやってもいいかなどと思ったことだってあった。

 だけど、俺から佐奈の居場所を奪っていくことだけは、絶対に許せない。

 俺は親父とは違う。佐奈は今でも俺の家族だ。未来永劫俺の家族だ。ここは俺たちの思い出があふれた部屋、思い出そのものと言ってもいい。

 それを奪っていくことだけは、絶対に認めたりなんかできない。

 価値観が違うどころの話じゃない。もう生理的に親父は無理だ。

 もう親父と同じ屋根の下の生活すらいやだと感じる。

 いっそのこと、この家から出て仕事を探そうか。大学もいかない。親父の金で大学に行くなんて考えるだけで吐き気がしそうだ。

 近いうちにここを出て、少し離れた町の工場とかで働かせてもらおうか。うまく巡り合うことができれば、そんな生活もいいかもしれない。そして、それからは――――。

「…………駄目だ」

 そんな想像を膨らませてみたが、佐奈の写真を再び視界に入れると、露も残さず霧散した。

 「この部屋を守るって、言ったばっかりなのにな」

 俺がこの家から出ていったら、佐奈の部屋はどうなるんだ?そのままになるのか?なるわけがない。さっきの小百合さんの娘さんに明け渡すに決まってる。

この部屋を守るためには、俺がここで守らなくてはいけないんだ。

俺は背もたれがギシっと音を鳴らすほどに深く寄り掛かった。そして天井を仰ぎ、深く息を吐く。

 その時、どたどたとあわただしく階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。

「…………小百合さん」

「…………私に任せてください」

 ドアの向こうで何を言っているのかはっきりとは聞き取れない。だが、小百合さんまでもが階段を上がってきたようで、小百合さんの荒い息遣いが聞こえてきた。

 コンコンコンと三度扉が叩かれた。

「翔君。小百合です。中に入れてくれませんか?」

 小百合さんの声が聞こえた。中に入れるつもりは当然なかった。誰かと話をするつもりもない。当然無視を決め込もうと、俯いた。

 コンコンコンと、再度ドアが叩かれた。

「うるせぇよ、ここは佐奈の部屋なんだよ」

 聞かせるつもりはなかった。ただ俯きながらも耳に入る音に鬱憤を乗せて声に出しただけだ。いつも勉強の時に自分の耳に入れるためだけに漏らす声と同じで、ドアの向こうにいる人間に聞かせようと思った言葉じゃなかった。

 聞こえてはいないだろう。少なくとも、俺が何と言っているのかはわからなかったはずだ。けれど、扉の向こうで息を呑むような音が聞こえた後、そこから声は生まれなかった。

 そこには鉛のような空間が出来上がっていた。本来なら息をつくことにすら力を振り絞らなくてはいけないのではと錯覚するような空間だ。

 けれど俺は、そんな空間を心地よく感じていた。

 先ほどまでよりも何倍も思考が加速していくような感覚もある。

 そうだ。ここで俺が小百合さんに嫌われてしまえばいい。もう俺の顔を見るのが生理的に嫌だと感じてしまうほどに、小百合さんに嫌われてしまえばいい。そうすれば、この部屋を守ることができる。

 何だ簡単じゃないか。この上なく簡単で、かつ確実な方法だ。

 どうしてやろうか。怒鳴り散らすか?いっそのこと顔面でも殴ってやろうか?いやいや、小百合さんだけ中に引き込んで無理やり押し倒してやろうか。

 そうだ、それがいい。

「…………」

 俺は立ち上がって佐奈の写真を見た。

 太陽のように笑う佐奈の写真に、暗く歪んだ影が浮かんでいた。 

 そんな時だ。コンコンコン、と意識の外側から飛び込んできた音に、暗く歪んだ影が消えた。

「あ、あのっ」坂道を自転車で登る時の、最初の一こぎと同じ声が聞こえた。

「救急箱を持ってきました。とにかく傷の手当だけでもさせてくれませんか?そのまま放っておいたら大変ですし、……大切な部屋が、汚れてしまうかもしれないです」

 小百合さんの言葉を聞いた後、俺はしばらく呆然として、視界を落とした。

 鮮血は黒く滲み始め、乾き始めた血が傷口を塞いでいた。

 視界に入ったまがまがしい文様を眺めているうちに、ようやく先ほどの小百合さんの言葉をのみ込むことができた。

 そして同時に、バカかと思った。何故か、無性に腹が立った。

 俺は、苛立ちが現れるような足取りでドアに近づき、勢い良く開けた。

「わひゃ」驚いた小百合さんが小さな悲鳴を上げた。

 眉間にしわが寄った。ぽかんと口が開いた。

「……翔君」

「……翔」

 小百合さんのすぐ後ろから聞こえてきた声に視線をあげると、親父がなさけない顔をして俺の名を呼んでいた。

 俺は肩を落として、「親父は、入ってくるな」それだけ告げて、ドアを開けたまま、部屋の中へ戻った。

 息を呑む音が二つ聞こえた後、「将さんは外で待っていてください」と小百合さんは少し強い声で言って俺の後を追って扉を閉めた。

 小百合さんしか部屋に入っていないことを確信してから、佐奈のベットに腰かけた。

 小百合さんはと言えば、救急箱を両腕で大事そうに抱えて、心なしか少しびくつきながら入口のところで突っ立ったままだ。

 眉間にしわを寄せて脅えた表情を作ったまま、佐奈の部屋を見回している。

 そして俺と目が合うと、思い出したかのように「失礼します」と告げて俺の隣に腰かけた。

 始めて小百合さんを見た時、保母さんを思わせるような包容力の大きさを感じたが、それは間違いではなかったらしい。

治療の手際はお手の物のようだった。

 少し大げさな気もするが、絆創膏では傷口に合わなかったためガーゼを挟んで包帯を巻かれる。

 隣に座られ、包帯を巻かれて改めて、小百合さんは女性なのだと認識した。

 包帯を巻かれる際に触れた肌の柔らかさも温もりも、鼻でスンと息を吸うだけで分かる香りも、存在そのものが女性だ。

 俺より二回りぐらいも小柄な女性が、何とも無防備だ。今だったら手を振り払っただけで簡単に押し倒すことができる。だというのに小百合さんは、俺の腕にけがを治療することに一生懸命になっていた。

 俺に襲われるようなことは一切考えていないのだろう。俺のことを男性と思っていないのか、それとも敵と認識されていないのか。

 その甘い認識に、何とも言えない劣情のようなものが湧き出てくる。

 そんな感情が湧き出ているにもかかわらず俺が未だに手を下ろしていないのは、きっと、俺の視線の先に、笑う佐奈の写真があるからだった。

 「佐奈さんと、言うんですよね?」

 小百合さんは、佐奈の名を呟いた。今までとは比べるべくもないほどの冷たい視線を向けると、女は手を止め、先ほどまで俺が見ていた佐奈の写真を見ていた。

 また、無性に腹が立った。今すぐ立ち上がって、佐奈の写真を小百合さんの視界から消したかった。

「将さんから、佐奈さんのことも、よくうかがっていました」

 その間もなく続けられた言葉に、俺は息を呑む間もなくいった。「だったら」

「だったら、なんでこの家なんかに来たんです?俺が佐奈のことをどれだけ大事にしているかを知ってて、何でここに来たんですか」

 言っている途中、罪悪感に少しかられた。別にこれを小百合さんにぶつけてもどうしようもない話なのだ。でも、膨れ上がってしまった怒りは誰かに向けないと収まらなかった。

「ごめんなさい。私、てっきり、もうお話しされていると思ったんです」

 小百合さんは俯いて、今更のように謝る。

 小百合さんの言う通りではあるのだ。普通小百合さんの家庭事情は親父から知らされるべきことで、それを怠ったことで今日を招いたのなら、小百合さんに問い詰めても仕方のないことではある。

けれど、だからと納得できるほど、俺は人間ができてはいない。

「へぇ、だったら、親父からはなんて聞かされていたんです?もしかして妹がなくなってまだ一年しかたっていないのに、新しい妹ができることを歓迎していると、聞かされていたんですか。それを聞いてあんたは納得したんですか」

 わざわざ言葉を捻じ曲げて、俺の目の前の小百合さんが一番苦しむであろう言葉を否応なく言いひけらかした。


「ごめんなさい」

 それを、小百合さんが涙をこぼすまで繰り返した。

 その後、きつい言葉をいくつかけても、小百合さんはただごめんなさいと返してくるだけだった。そこにさらにきつい言葉を重ねた。最後には、俺が何も言葉を掛けなくても、「ごめんなさい」と呟いくようになった。


「いつまで、そうしているんですか。ここは佐奈の部屋なんで。用が済んだのなら、さっさと出て行ってくれませんか」

 いつまでも泣きながらぼそぼそと呟く小百合さんにそれだけ告げると、小百合さんは立ち上がって、救急箱を抱え足早にドアの方に向かった。

「……ごめんなさい」

 ドアを開ける前に、小百合さんは一度俺の方に向き直ってそう頭を下げた。

 目じりに涙を浮かべ、本当なら顔を合わせるのも辛いような、そんな顔をしている。けれど、ドアの前で一度目じりを拭った小百合さんはは、精いっぱいのやせ我慢ががうかがえるような笑みを、口元に浮かべた。「ちょっと、将さんとお話してきます」

 小百合さんがドアを開けるとなさけない顔をした親父がまだ突っ立っていた。

 親父の視線が何度か俺と小百合さんを往復した。

 小百合さんは、親父がすぐそこに立っていることに一瞬驚きながらも、「しつれいしました」といって、ドアを閉めた。

「将さん。ちょっと大切なお話があります」

 ドアの向こうから、小百合さんの声が聞こえた。



 二つの足音が階段を下った。その音を確認した俺は背中からベットに身を投げた。


 きっと、下ではこれから別れ話が始まるはずだ。これで、最悪の一日は終わる。

 親父の顔を思い浮かべては、「いい気味だ」と嗤ってやった。 

 けれどどうしてか、佐奈の部屋はまだ鉛の空間だった。

 身を起こすのが辛い。勉強もする気も起きない。

 気分は、全然晴れてはいなかった。


 俺は佐奈の写真に背を向けるようにベットに寝そべった。

 佐奈の写真を見る気には、とてもなれなかった。




 コンコンコン、ドアが三度叩かれた。

 妹の部屋のドアを三度しっかりとノックする人を俺は一人しか知らなかった。

 どうやら俺の意識は微睡の中に沈んでいたらしく、意識もあまりはっきりとはしていなかった。

 体を起こすのも億劫だった。

「翔君、今日は、突然お邪魔してしまってすみませんでした」

 沈んだ小百合さんの声が聞こえる。薄い微睡の中ではあるものの、どうやら親父と小百合さんは破局に終わったらしいことがうかがえた。

 それだけ確認できれば、小百合さんとはもうただの他人になる。

 小百合さんの言葉を、耳に入れる必要はない。

 俺は、再び目を閉じた。

「――――私、決めました」

 だから、小百合さんの言葉が全部耳に入ってきていたわけじゃなかった。ドアの前で立つ小百合さんの言葉の一割も、きっと聞いていない。


「翔さん、私たちと、家族になってくれませんか?」


 だから、その言葉もきっと、俺の聞き違いだろうとおもった。



 *************



 興奮してそのまま寝ついてしまったせいか、妙なほてりを感じ、寝苦しさに耐えられずに目を覚ました。

 目を開けるとカーテンを閉めた佐奈の部屋は夜と間違えてしまうほどに暗かった。無意識のうちに時計を視界に入れると、その短針は五のほんの少し前で止まっていた。

 一瞬未明かと錯覚したが、カーテンの隙間から淡く赤い光が漏れているのを見て、どうやら夕方らしいと思った。

 あれから五時あたりまで寝てしまっていたらしい。

 結局今日は一ミリも勉強に手を付けなかった。昼飯だって食べていない。

「あっつぅ……」

 それにしても随分と熱っぽい。興奮してしまったり頭に変に血が上ってしまった弊害だろうか。

 俺は体を起こして毛布を下ろし、体を外気に曝した。

 体を起こすと一瞬くらりと軽い眩みが起こり、頭を押さえてはしばらくじっとしていた。

「あぁ、気分がわりぃ」

 ぼやきながら頭を少し揺らした。実際にそこまで熱が出ていると思うほどに気分がすぐれないわけではなかったが、どうにも精神的にそうぼやきたくなってしまった。腕に巻かれている包帯を見ると特にだ。

 そういえば、小百合さんとの一件はどうなったのだろうか。

 親父が起こしに来ていないということは、小百合さんとはうまくいかず俺と顔を合わせづらい状況にいると考えていいのだろうか。それとも、今頃下でランデブーでもしているのだろうか。

「まぁ、それはないわな」

 俺が昼に小百合さんにしたことを考えれば、それはないだろう。ものの見事に鉛のような空間を作り出してやったんだ。これでもまだ小百合さんがこの家にいたらそれはもう相当なタマだ。

 俺はカーテンを開け、窓を開けた。

 暮れなずむ街並みが眩む視界に飛び込んでは目を焼いて、火照った体を冷ます春風が部屋に満ちていく。

 佐奈の部屋に外の風を取り込むのは日課だ。

 これでまた、今日からいつもの日課に戻る。

「ごめんな、騒がしくしちまって。これからはまた……いつ、も……の……」

 妹に語り掛けていた言葉が続かなかった。窓から身を乗り出して覗いた視線の先に、白の軽自動車が止まっていたのだ。

『私たちと、家族になってくれませんか?』

 微睡の中で言われたそんな言葉が脳裏をよぎった。

「……なんで」

 口から出てきたのは怒りでもあきれでもない。ただ現実に裏切られた男の驚愕だけだった。

 俺はカギのかかっていないドアを開けて、階段を下りた。

「……あれ?」

 ただその途中に湧き上がった疑問が、俺の足を止めた。

 階段の途中で振り返り、佐奈の部屋のドアを見つめた。

 俺、カギ閉めていなかったっけ……?

 そんな疑問を自分にぶつけて思い出す。そうだ。確か小百合さんが部屋から出ていくのを確認して、そのまま眠ってしまったんだ。

 ドアのカギを、俺は閉め忘れてしまったのか。

 それはうかつだった。妹の部屋のドアを絶対防衛ラインだと自分に認識させていたのに、俺は何とも危機感のないことをしてしまった。

 ただそんなことよりも、俺の記憶を探した時、俺が毛布を掛けた記憶がないことに気づいて俺は戦慄した。

 先ほど目が覚めた時はまだ意識が覚醒しておらず気にしなかったが、俺は横になった際、寝ようと思って横になったわけじゃない。だから、毛布は掛けなかったはずだ。なのに俺はどうして毛布をかぶって眠っていたのだろうか。眠っているときに、無意識のうちに引き込んだのだろうか。

「あ、目が覚めたんですね」

 まるで保母を思わせるような優しい声が意識の外から話しかけてきた。

 先ほどどたどたと階段を下りてきたことで、俺が起きてきたことが分かったんだろう。

 ただ、決して俺に向けられないだろうと思っていた優しさが込められたその声に、俺は驚愕を隠せないまま、ゆっくりと振り返った。

「……なんで」

 まるで聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべる小百合さんに、俺はただそう言った。

 

 


 居間に降りると、親父と中学生ぐらいの女の子が、向かい合って座っていた。

 親父は俺を確認するとばつが悪そうな顔をして手を振ってくる。それを見た女の子は一度俺の方を一瞥すると、前髪で目元を隠しながらお辞儀した。

「はじめまして」不愛想で聞き取るのがやっとの声が小さな口から紡がれた。

 直感でこの子が唯という子だろうと思った。

 小百合さんに倣ったかのような地味でありながらも清純さがあふれるような服装に身を包んでいるが、それゆえにその子の不愛想がより際立っているように感じる。

 髪型は小百合さんのような長髪ではなく、肩ほどまでしか髪は伸びてはいなかった。

 保母のように優しく微笑み小百合さんには似ても似つかない。佐奈と比べようものなら雲泥の差だ。こんな子が、俺の妹になると考えるだけでも頭が痛くなる。

 ただ、その子の不愛想な表情を見るに、その子もこの再婚話には賛同はしていないらしい。それを確認すると俺の心持は少し軽くなった。これで気軽に「お兄ちゃん」などと言ってきたらたぶん我を忘れて殴っているところだっただろう。


 俺は一つ息をつくと、いやいやながら親父の隣の座布団に腰かけた。小百合さんも向かいに座る。

「翔、すまなかった」俺の耳に入る程度の大きさで親父が言った。

「口臭が臭い」と聞く耳は持たなかった。

 そんな俺たちの会話が聞こえているのか「将さん」と、小百合さんが何やら念押しするように親父の名前を呼んだ。親父は一度息を呑んだ後、改めて俺に向き直って、「すまなかった」と頭を下げた。小百合さんも同じように「すみませんでした」と頭を下げてきた。

 俺は一度目を見開いて二人を見た後、大きく息をついてから「もういいですから」と顔をあげさせた。

「翔さん、私たちと、家族になっていただけませんか?」

 微睡の中で言われたのと同じ言葉に、俺はもう一度胸に空気を詰めて、そして吐いた。

「翔。小百合さんは、翔が心配していたようなそういう人じゃない」

 俺のため息からどういう感情を読み取ったのかわからないが、親父はそういった。俺が心配していたというのは、小百合さんに出会う直前まで詐欺ではないかと心配していたことに関してだろう。もちろん小百合さんのように保母のように笑いような人柄でも詐欺の可能性がゼロとはいいがたいが、今回のこれは明らかに詐欺ではない。

「そうだろうね。いや、それは子供さんがいるのならそうでしょうよ」

 小百合さんのすぐ隣には子供が座っているのだ。もしここに子供がおらず、小百合さんの話だけだというのならまだわからないが、こうして目の前に子どもがいるのなら、もう嘘の心配はない。

 子どもがいるのに、こんなところまできて詐欺をする人間なんていたらバカだ。だからきっとこの話は詐欺だとかそんな話ではなくて、本当の本当に最悪なパターンの、本気で家族になろうとしているパターンなわけだ。

「……どうして、そうしようと思うんです?昼には結構きつい言葉もぶつけていたと思うんですけど」

 俺は昼小百合さんと二人っきりの状況の中でそれなりにつらく当たったつもりだ。もちろん怒りに身を任せての行動ではあったものの、最後には小百合さんは泣きもしたのだ。親父と再婚しようとするのなら、俺ともそれなりに顔を合わせることになる。泣かされた相手と毎朝顔を合わせなくてはいけないなんて、普通の人なら敬遠しようとするものだと思ったが、小百合さんはそうではないのだろうか。

「それは向けられて当然の言葉です。その言葉を突き付けられて、考えを変えるつもりはありません」

 昼には泣いていたはずの小百合さんは、今はまっすぐな瞳を俺に向けてきていた。その視線を向けられ、俺は俯いた。小百合さんの視線には確かな意志が込められていて、それを折ることは俺にはできないと思ってしまったからだ。

「翔。小百合さんは本当にいい人なんだ」

 ああ、いい人だろうさ。実際ほんの数分だけしか俺と小百合さんは会話をしていない。それでも、小百合さんが悪い人ではないと思わせてくれるし、親父の言うようにいいひとなんだとは思う。本当に、どうして親父のような人間が捕まえることができたのか謎だ。

「だけど」

 どれだけ言葉を重ねようが、小百合さんはいい人だ。それは認める。だけど……。

「小百合さんがいい人だからって、簡単に認められるはずがねえだろ」

 俺にとって母さんは母さんだけで。妹は佐奈だけなのだ。その事実は揺らがない。

 認められるわけがない。

「なぁ翔。やり直さないか?」

 どうしてだろう。親父の声でその言葉を言われると、どうしようもなく泣きたくなってくる。俺だけ、なのだろうか。俺だけが、この決断に納得がいっていないのだろうか。

 親父も小百合さんも、この話には何の違和感も疑問も持っていなくて、ただ強い意志だけを胸に持っている。唯という子も、きっと疑問は胸に持っているのだろうが、それでもこの席に臨んでいる。認めようとしているのだろう。

 この席の中で、俺だけが異端だった。

「もう一度家族四人で、やり直さないか?」

 親父の言葉が、また胸の奥に響く。親父の言葉は、親父の言う四人には、母さんと佐奈は含まれていない。

 その異常性を、小百合さんも唯も言及したりはしなかった。

 俺だけなのか。俺だけが、納得いっていないのか?

 俺が固執しているだけで、それが普通なのか?

 大切な家族が亡くなったのに、まだ一年しかたってはいないのに、それでも平気で笑ってこんな風に所帯を持とうとすることこそが普通なのか。

「お前の気持ちもわかる。こんな話手放しで喜べるわけもない。お前の心のうちの整理がつくまでにはもう少し時間がかかるだろうけど、二人がいなくなってから、もう一年も経つ。もうそろそろ、また歩き出してもいいんじゃないか?」

 親父の言葉が、俺の心をさらに突き放す。

 俺の心をわかってくれると断じるのなら、何で、なんで……っ。

「どうして、そっとしておいてくれねえんだよ。なんで、よりにもよってこの人なんだよ!」

 もっと小百合さんがひどい人であってくれたのなら、俺は声を大にして言うことができる。たとえこの場で俺だけが異端であったとしても、声を大にして「こんなの間違っている」ということができたのに。

「俺だけじゃ意味がないんだ。お前を連れてじゃないと」

 親父は何かを必死になって呼び掛けてくる。でもだめだ。いったい何を訴えているのか、俺には理解できない。やはり、俺にはわからない。家族を失ってまだ一年しかたっていないのに、また四人でやり直さないかなどと誰かもわからない二人を家族だと言い、母さんと佐奈というれっきとした家族のことを家族と言わない親父のことが、俺にはわからない。

「無理だ、俺は認められない。俺にとって母さんはたった一人だ。俺にとって、妹はあいつだけだ。佐奈だけだ」

 せめて、反発してくれれば、まだ訴えようもあった気がする。

「ああ、それで構わない」

 なのに、親父は真摯な瞳で俺に語り掛けてくるだけだった。

「頼む翔。再婚を認めろとまでは言わない。お前の中の母さんと佐奈を貶めるつもりもないんだ。俺を助けると思って、同居に関してだけは、認めてくれないか」

 そう言って親父は、頭を下げた。

 俺と佐奈は、親父の背中を見て過ごしてきた。母さんと親父の背中を見て成長してきた。親父が母さんと俺たち以外のために頭を下げたところなんて見たことがなかった。それなのに、今の親父は小百合さんと唯という他人のために、俺に向かって頭を下げていた。

「どうして、よりにもよってそういう風に変わっちまったんだよ」

 時間というのは変化の流れと誰かが言っていたのを思い出した。

 時間が流れるということはその人の何かが変わっているということで、一年という月日が流れるのなら、人にはそれなりの変化はあるものなのだろう。

 それは親父も同じだった。親父も変わったのだ。一年をかけて変わった。

 でもよりによってどうしてそう変わってしまうんだよと、俺は天を仰いだ。

「小百合さんは、気持ちが変わったりはしていないんですか?」

 俺は天を仰いだまま聞いた。小百合さんの万座氏と面と向かう気力がなかったからだ。

「変わっていません」

 その言葉に、俺は今度は力なくうなだれた。

「俺、うるさいですよ。めんどくさいですよ。あと、親父変態ですよ」

「何を言われても、覚悟のうちです」

「俺は、その子のことを妹だなんて思いませんし、あなたのことを母さんとも思いませんよ」

「はい」

 そして、あらかたつまらないことを言っても、やはり小百合さんの気持ちは変えることはできないのだろうと思い知らされて、俺はまたしばらく黙りこくった。

 次に視線を持ち上げた時、内心少しは抵抗してくれるんじゃないかと期待した。

「二つ、条件があります」

 俺は指を二つ掲げ、その内容を伝えた。

「こんな条件を付けます。それでも、いいんですか?」

 それでもやはり、小百合さんはおれなかった。

「それでも、構いません」



*************



 結局その日、小百合さんと唯の同居が決まった。

 同居は二週間後のゴールデンウィークから。

 親父も小百合さんも仕事は継続するらしい。

唯は転校になる。俺と佐奈の通っていた学校に転校が決まった。


小百合さんらが帰った後、俺は親父を土下座させて、今度こそ洗いざらいぶちまけさせた。

二人がどこでどうであったのか。小百合さんはどういう人なのか。新藤唯とはどういう人間なのか。

明日仕事に行かなくていいから全部吐けと、畳の上で土下座させて吐かせた。

小百合さんと再婚するという話を持ち出されてから数日、俺は何度も親父に小百合さんのことを訊いてきたが、本当に一部しか話してはいなかったようで、新たな真実が湯水のように湧き出てきた。

小百合さんとは仕事関係で出会ったのではなく、共通の友人からの紹介だったらしい。

親父もちょうど傷心していた時期でもあり、小百合さんも一人で子供を育てていくのは難しいと思っていたらしく、打ち解けること自体は早かったようだ。妙にリアルで、生々しい話だ。

そして俺が最も驚いたのは、小百合さんが唯の実の母ではないと聞かされたことだ。

唯にはもともと両親がいて、唯が小学校に上がる前に、母親を病気で失ったらしい。その一年後、父親が小百合さんと結婚したようだが、その父親も唯が三年生に上がってすぐ交通事故で亡くなったそうだ。

以来、唯は引きこもりらしい。

意外にも壮絶な過去を背負っていることを知って、驚いた。

 ただその話を聞かされて、対面したときあまりにも小百合さんらしくないと感じたのは、そういうことなのかと納得した部分もある。

 親父は言った。「唯ちゃんはこれまで、本当に辛いことがあった。だから、あの子の思いも汲んであげてほしい」

「だったら」再婚なんてするなよと、一瞬そう返したくもなった。



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