第13話 間宮と初詣 act1
1月1日 元旦 朝
「これでよしっと!」
瑞樹の着物の着付けの最終確認を終えた母親が、満足げに腕を組みながらそう言った。
「可愛い!ヘアメイクもこの着物に凄く合ってるね。」
瑞樹は全身鏡の前で、ゆっくりと全身を回しながら綺麗な着物の生地にウットリした。
「でしょ!下手な美容師よりまだまだ腕は落ちてないつもりよ!」
そう自慢する母は、昔、着付け教室へ通っていた経験があり、確かにこれが無料でやって貰えるレベルではない仕上がりだと分かる。
「うん!お母さんに似て、凄く美人だしね!これでときめかない男がいたら、それはもう病気なんじゃない?」
「自分でよくそんな事言えるよね。その自信を一割でいいから分けて欲しいよ。」
「何言ってんの!ほら!そろそろ時間でしょ?自信もって行ってきなさい。」
「う、うん。ありがとう!お母さん!行ってきます。」
そう言って瑞樹は元気よく玄関を出た。
天気は超が付く程快晴で、まるで間宮との初詣デートを祝福しているように感じた。
風は冷たいが、防寒対策に羽織とショールを巻いているおかげで、あまり気にならない。
寧ろ、もうすぐ間宮に会えると思うと、ドキドキして体が熱く感じる程だった。
着物を着ている為、当然自転車は使えない。
着なれない着物に、履きなれない下駄で、歩くのもいつものようにはいかないから、早めに家を出る事にした。
昨日眠る前に決めた事がある。
それは家族以外で、今日、2019年最初に話す相手を彼にする事。
その為に、近所の人に声をかけられないように、普段あまり歩かないコースを使ってA駅へ向かった。
待ち合わせ場所の駅前に到着して、腕に巻いている時計に視線を落とす。
振袖から白い綺麗な腕が伸びる。その腕の手首には間宮からプレゼントされたあの時計が巻かれていた。
着物に腕時計はどうなんだとは思ったが、折角の間宮との初詣デートなのだから、これを使わない理由がない。
時計の針は10時20分前を指していた。
着物だからだと余裕をもった時間に家を出たが、どうやら余裕があり過ぎたらしい。
当然まだ間宮も来ていないようだった。
でも、間宮を待つ時間は嫌いではない。
それに勢いで誘った初詣だ。
自分が遅刻なんてしてまっては笑えない。
着物なんて笑われないだろうか・・・・
気合い入り過ぎだと引かれないだろうか・・・
強引に誘って迷惑だったんじゃないだろうか・・・
色々と不安な気持ちにさせる材料が多い。
待っている時間に、そんな気持ちの整理をしておこう。
瑞樹は目を閉じて、軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせる事に集中した。
目を閉じていると、不思議と周りの音がよく聞こえてくる。
電車が走る音、駅に流れるアナウンス。
駅を行き交う人々の話声に沢山の靴の音。
時折流れてくる冷たい風の音。
そんな沢山の音が耳に流れてくるのに、瑞樹には静かだと感じた。
それは待っている音がまだ聞こえてこないから。
こちらに向かって聞こえてくる足音を待っているからだ。
目を閉じて5分程した頃だろうか。一定の方向に流れていた沢山の足音の中から、こちらに向きを変えた音が聞こえてきた。
待ち合わせ場所の周りには特になにもなくて、こちらに向かってくる必要性がない場所だった。
だから、こっちに向かってくる足音は、この場に立っている自分に会う為としか考えられない。
その場合、当然歩いてくるのは待ち合わせている彼だけだ。
こちらに向かっている足音がどんどん大きく聞こえてきて、瑞樹の前で止まった。
止まった事を確認した瑞樹は、もう一度小さく深呼吸をしてから閉じていた目を開く。
目の前に間宮が立っていると思い込み、満面の笑みで目を開いたが、すぐに瑞樹の表情は曇った。
・・・・・・・・・あ
「よう!あけましておめっとさん!こんなとこで何してんの?」
開いた視界に映し出されたのは、待っていた間宮の姿ではなく、だらしない恰好をしたガラの悪そうな3人の男達だった。
咄嗟にこの場を離れようとしたが、3人の男達は瑞樹を取り囲んで、退路を阻むよう立っていた。
逃げられないと判断した瑞樹は、男達を無言で睨みつける。
「可愛い着物だな!初詣に行くの?」
「俺達もさ!新年だし神さんに参ろうと思ってたんだよな。」
「そうそう!だからさ!俺達と一緒にいかね?」
瑞樹が何も話さないでいると、男達は一方的にアプローチを仕掛けてくる。
いつもの瑞樹ならば、罵倒して追い払おうとするのだが、今日だけは最初に話すのは間宮だけだと決めていた為、口をギュッと閉じて我慢して黙ったままだった。
「なぁ!何とか言ってくんないかなぁ。」
「聞こえてるよな?」
「おいおい!無視ですか!?」
段々男達の台詞の語尾が荒くなってきている。
だが、そんな事に瑞樹は動じない。
そんな事いつもの事だからだ。
瑞樹は両手に作った握り拳をギュッと力を入れ、無言のまま男達を変わらず睨みつけている。
折角のお正月なのに、何でこんな事するのよ!
もうすぐ間宮さんが来ちゃう。
その前に諦めさせないと・・・・
そんな事を思案していると、男達の一人の声が大きく響く。
「おい!!いつまでシカトしてんだよ!コラ!!」
意識を違う方向に向けていた瑞樹は、その大声で体がビクッと跳ねた。
流石にこの声で周りの通行人の足も止まり、周辺が騒がしくなってきた。
他の男達が周囲の様子を気にしだす。
「おい!あんまり大声だすなよ!通報されたらヤバいだろうが!」
大声を出した男にそう警告すると、その男も少し冷静になり周囲に視線を移した。
それを見逃さなかった瑞樹は、鞄の中に手を入れる。
鞄の中には暴漢対策で用意していた催涙スプレーを忍ばせていた。
正面に立っている男の目を潰して、その隙に逃げる作戦を考えて、スプレー缶をしっかりと握った。
正面の男の顔が再びこちらを向きだした。
その動きと同時に、鞄に忍ばせて握っているスプレーを勢いよく取り出そうとした時、男達の後方から声が聞こえた気がした。
「悪い!待たせたか?」
その声は一瞬で瑞樹の耳に溶け込み、握りしめていたスプレー缶から手を離す。
男達も声がする方へ振り向いた。
「何だてめえ!」
「邪魔すんじゃねえ!」
声の主に汚い罵声を浴びせる男達の隙間から、罵声を浴びさせられている相手を見ようと、瑞樹は色々と体制を変えてみるが中々向こう側が見えない。
すると、男達の壁の一人をまるで扉をこじ開けるように、立っていた場所から移動させた。
そのスペースから晴天の光が差し込む。
それから間髪入れずに、その光を背に受けながら新たな男が割り込んできた。
声を聞いた時からすぐに誰が来たのかは分かっていた。
でも、分かっていても姿を見るまでは安心は出来なかった瑞樹は、割り込んできたのが間宮だと確認すると、固く閉ざしていた口が軽やかに開く。
「間宮さん!」
こうして助けられるのは何度目だろう。
いい加減、申し訳ない気持ちと、助けてくれた喜びが複雑に交じり合う。
だが、やはりいつの時代でも、好きな相手に守って貰えるのは女冥利に尽きるなんて考えるのは、我儘なのだろうか・・・
間宮に駆け寄ろうとした瑞樹だが、間宮がこちらを見て目を見開き固まっているのに気が付いた。
え?なに?この恰好似合ってなかったのかな・・・
それともやっぱり引かれた?
間宮の考えが読み取れず、近寄ろうとした足が進むのを拒否する。
それからすぐに間宮は意識が戻ったかのように、固まっていた体が動き出して、男達の方に向きを変えた。
男達の乱暴な声のせいで、間宮が何て言っているのか聞き取れなかったが、どうやら話し合いでこの場を収めようとしているようだ。
だが、当然の様に諦める気などない男達は、怒りに満ちた形相で間宮に詰め寄ろうとする。
しかし、数歩進んだ所で男の足が止まった。
止まった原因は、男の蟀谷辺りを間宮に鷲掴みされたからだ。
そういえば、松崎さんに助けてもらった時も、こうやって掴んでたよね・・・流行ってるのかな。
間宮が来てくれた安心感からか、そんなくだらない事を考えていると、やがて間宮に掴まれた男は苦しそうな声で、降参を告げたようだ。
あ!
男を掴みかかっている時に、一瞬間宮の表情が歪んだのを瑞樹は見逃がさなかった。
きっと、手術の傷が痛むんだ。
瑞樹はそう考えると同時に間宮の懐に潜り込むように近づいた。
盲腸の手術を行った傷痕の位置なんて知らない。
でも、間宮が手を当てている辺りがそうなのだろう。
こんな事をしても痛みが和らぐわけではない。
だが、無意識に間宮が患部に触れている手の上にそっと手を当てて口を開く。
「ごめんなさい!盲腸の傷が痛むんだよね!?」
そう言って瑞樹はまるで念力を送るように、当てた手にグッと力を込める。
「あ、いや!大丈夫だから気にするな。」
「大丈夫には見えないよ!それに・・・」
そうだ!思わず初詣に連れていけなんて言ってしまったけど、間宮さんは盲腸の手術を受けたばかりだった。
内部の治療を行う為に、体の一部を切って、それをまた縫い合わせているんだ・・・痛まないわけがない・・・
また、間宮さんに迷惑をかけてしまった・・・・
「盲腸の傷が痛むかもしれない事は分かってたのに、私の我儘で初詣に誘ったりしてごめんなさい。」
間宮はリハビリに丁度良かったと言ってくれたが、その言葉を鵜呑みにする程、馬鹿ではないつもりだ。
「それに?」
まだ続きがある。でも、きっとこの人は私を落ち込ませない様に、優しい嘘を言うのだろう・・・
私は何てことしてしまったんだ・・・・
激しい自己嫌悪に陥っていると、頭の上から予想もしていなかったとんでもない爆弾が落ちてきた。
「瑞樹の可愛い着物姿が見れるんだ。一石二鳥どころか三鳥くらいあるじゃん!」
「ふ、ふぇ!?か、かわ・・・いい・・・・」
優しい嘘がくるのは分かっていた。
だから、真に受けるつもりなど毛頭ない・・・なかったハズだった・・・
でも、・・・・かわいい?可愛いの?私、間宮さんから見て可愛いって思ってくれてるの?
い、いや!これこそ優しい嘘なのだ。
ズル過ぎる嘘なんだ・・・
分かってる!分かってるんだけど・・・・
顔全体の血の巡りが急激に早くなっていく。
冷却が間に合わなくて、煙が出そうだ。
嘘だと分かっているのに、飛び跳ねて喜びたい情動に駆られる。
顔面の筋肉が垂れ落ちそうだ。
この言葉の出所が天然だから質が悪い・・・
視線を感じて、俯いていた顔を少し上げてみると、目の前でこちらを見つめている間宮がいた。
間宮は何も言わないが、表情から察すると気合い入り過ぎだと引かれてはいないようだ。
とりあえず引かれていないって事だけは、信じる事にしよう。うん!そうしよう。
その後、怪我はないかと聞かれて、何もされたわけではなかったから、大丈夫だと伝えると、その直後、心臓が止まるかと思う事が起きた。
痛みがあるだろう患部に間宮の手の上から触れていた自分の手を、間宮の手が向きを変えて握られていたのだ。
え?え?手を繋がれた?
「よかった!んじゃ、そろそろ神社に行こうか!」
突然の出来事で、瑞樹の思考が追い付かなくなる。
オロオロとしていると、繋がれた手が自分の手をグイっと引き上げられて、屈んだ体を起こされた。
手を繋いだまま改札まで向かう。
瑞樹は顔を真っ赤にして俯きながら間宮に引っ張られて歩く。
勿論、決して嫌なわけがない。
寧ろ、嬉しくて仕方がない。
もう神社でおみくじ引かなくても、結果が分かっちゃったな。
あれ?でも、何か大事な事忘れているような・・・
あ!!
瑞樹は大事な事を思い出して、引っ張られて歩いていた足を止める。
そんな力の抵抗を感じて間宮も足を止めて、こちらを振り居向いた。
大事な事・・・・家族以外で、今年初めて言葉を交わす人は間宮さんが良かった事。それと・・・・
「あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。」
瑞樹は両手を前で揃えて、深めにお辞儀をした。
間宮からは自分の顔が見えなくなったところで、よし!一番初めてに挨拶が出来た!と心の中で喜んで、顔の筋肉を緩ませた。
「あけましておめでとう。こちらこそよろしくな。」
間宮からそう挨拶をされて、お辞儀を終えた時に、大好きなあの笑顔を向けてくれた。
それだけで、最高の新年を迎える事が出来たと、一人で満足感を噛み締めた。
電車に乗り込むと、午前中だとゆうのに、わりと車内が混んでいた。
2人はシートに座るのを諦めて、ドア付近に立っている事にした。
改札を通る時に繋いでいた手を離して、それ以降、間宮は手を繋ごうとしない。
う~ん・・・また繋いで欲しいんだけどな・・・
私から繋いだりしたら、変かな・・・やっぱり・・・
壁際に立っていた瑞樹は、向かい合う位置に立っている間宮の手をジッと見つめる。
少し手を伸ばせば届く距離なのに、その距離を詰める勇気がない。
こんな事でいちいち恥ずかしがっている場合ではない。
何故なら、間宮に他の女の影が見え始めているからだ。
神楽優希
間宮と彼女の関係が、未だに分からない。
間宮本人に聞ける機会は何度かあったが、知りたいけど、知るのが怖くて結局聞けず終いだった。
そんな事を悶々と考え込んでいると、いつの間にかドンドンと電車がホームに停車する度に乗客が増えていく。
間宮はすかさず瑞樹を壁際に移動させて、正面に立っている間宮は、瑞樹の後方にある壁に手を付いて、次々と乗り込んでくる乗客の圧を瑞樹にかからない体制を作った。
その恰好は完ぺきに壁ドンだ。
いや、ドン!と音はしていないのだが・・・
至近距離で触れられてはいないが、間宮の腕の中にいる。
周りの客達を見ると、皆、押し合っている状態でバランスを崩さない様に耐えているのが分かる。
そんな車内で、多分座っている客達以外で、こんなに快適に立っていられるのは私だけだろう。
本当は間宮のその優しさを噛み締めたいところだが、今はいつもと状況が違う。
自分にスペースを作る為に、そんなに力を込めていたら、きっとまた患部が痛みだすはずだ。
「私も満員電車は慣れてるから、無理なんてしないで。」
すぐ目の前にある間宮の顔に向かって、そう呟くように話す。
勿論、形だけでそう言ったわけではなくて、間宮の患部を心配しての事だった。
だが、間宮は瑞樹にそう言われると、余計にやる気を起こしたように、壁に向かってかけていた力を更に込めて瑞樹のスぺースを広げた。
特に苦しいとか催促をしたわけではないのに、何故か間宮は張り切りだした。
意味が分からない瑞樹は、心配そうに間宮の患部付近に目を落とすと、頭にコツンと小さい衝撃を感じた。
見上げると、間宮が優しく頭を小突いたようだ。
全く痛みなどなかったのだが、何故か小突かれた箇所に手を当てる。
「バッカ!別にこの位どうってことないっての!余計な心配してないで、瑞樹は着物が汚れない様に、俺の腕の中からはみ出ない事だけ気を付けてればいいんだよ。」
どうやら、間宮の事を心配した事が気に入らなかったようだ。
男の人のプライドってよく分からないな・・・
意地っ張りとゆうかなんとゆうか・・・
意地っ張りは私も一緒か・・・
間宮に守られながら目的の駅に到着して、大半の乗客と共に流されるように電車を降りる。
相変わらず手を繋ぎたい瑞樹だったが、やはり勇気がもてずにいた。
だが、この混雑を利用しないとずっと並んで歩くだけになってしまうと考えた瑞樹は、履きなれない下駄で歩きずらかった事を理由にして、間宮のコートの袖をちょこんと握った。
裾を引っ張られた間宮は、その原因が瑞樹だと気付いた時、僅かに嬉しそうに微笑んだように見えた。
そう見えたのは私の願望なのかな・・・・
兎に角、掴んだ袖を振り払われる事がなかったから、このまま掴んで歩く事にした。
それにしても、予想はしていたが、凄い人が参拝に来ている。
間宮は歩きずらそうにしている瑞樹のペースに合わせるように、スピードを落として先頭に立ち人混みをかき分けるように歩く。
おかげで他の参拝客に接触する事なく歩けているが、何か違和感を覚えて一歩先を歩いている間宮の様子を観察する事にした。
確かに時々、こちらを心配して声をかけてくれているが、間宮の意識がこちらに向いていない気がする。
更にじっくりと観察していると、どうやら間宮歩きながらこちらを見ている人達を気にしているようだ。
珍しいとゆうより初めてだと思う。
間宮が周囲の視線を気にする事なんて、今までなかったはずだ。
それに、僅かに驚いた顔をしたり、時折、嬉しそうな顔をしている。
どうしたんだろ・・・何かいいことあったのかな・・・
瑞樹は気が付かない。
間宮が瑞樹を連れて歩いている事で、周りの男達に羨ましがられているのを、自慢げに歩いている事を。
瑞樹は気が付かない。
間宮がどれだけ今日の瑞樹の姿にドキドキしている事を。
瑞樹は気が付かない。
掴んでいる袖に、間宮の意識がどれだけ集中しているかを。
瑞樹は気が付かない。
掴んでいる袖を離したら、また手を繋ごうと間宮が瑞樹の白い手を狙っていた事を。