第12話 父の気持ち
間宮と初詣の約束をとりつけた夜。
病院を後にした瑞樹は、駆け足で自宅に帰宅してリビングへ突入する。
「お母さん!着物ってまだあったよね!?」
リビングのドアを勢いよく開け、間髪入れずにそう言われて、夕食の用意をしていた瑞樹の母親は驚いて肩がビクッと反応した。
「ビックリした!こら!志乃!帰ったらまず、ただいまって言うのが当たり前でしょ!そんな事を未だに叱らないといけないの!?」
母親は思わず持っていた包丁を瑞樹に向けて、呆れたように説教を始めた。
「ご、ごめん!ちょっと焦ってたから。だからその包丁仕舞ってよ!危ないから!」
娘に言われて、慌てて向けていた包丁をまな板の上に置いた。
「それで?急にどうしたの?着物なんてずっと着たがらなかったじゃない。」
確かにそうなのだ。
中学のあの事件から、男共を近づけるのを拒否していた私は、目を引いてしまう恰好を嫌っていた。
ましてや、着物なんてとんでもない話だ。
だが、今回は全く状況が変わった。
彼にどうしても着物姿を見てもらいたい一心だった。
「え、えっと・・・折角有る物なんだし着ないと勿体ないかなぁって・・・」
自分で言ってて白々しいとは思う。
実際、母親の顔はニヤニヤしているところを見ると、やはりバレていると考えた方が妥当だろう。
「ふ~ん・・・まぁ、そうゆう事にしといてあげるよ。」
母親はそう言って、和室に向かいながら瑞樹に手招きする。
瑞樹は呼ばれるがまま、母親についていくとタンスの下段の引き出しから、着物を取り出している母親の姿が目に飛び込んできた。
保管状態も良好で、色鮮やかな生地が瑞樹の目を楽しませてくれた。
「これでいい?」
「これだよ!よかった!まだあって。」
母親が手に持っている着物に、そっと触れながら嬉しそうな表情を浮かべる娘を、母親は愛おしく見つめていた。
「初詣に着るんだよね?」
「うん、友達と元旦に行く事になって。」
「友達って男の子・・・よね?もしかして2人で行くの?」
もう、すでにバレているのだから、誤魔化しても意味がないと諦めた瑞樹は、母親の質問に無言で顔を赤らめながら頷いた。
「そっか!志乃にもとうとう、そんな人が現れたか。」
そう言う母親の顔はとても嬉しそうだった。
「よし!じゃあ、当日は早起きしなくちゃね!着付け諸々は全部お母さんに任せなさい!」
「え?いいの?折角のお休みなのに・・・」
「勿論よ!志乃には普段から色々と迷惑かけてばっかりだったからね。その位お安い御用よ!寧ろ、是非お母さんにさせてほしい!」
本音を言うとそこが一番の問題だった。
着物は恐らくあると予想していたが、問題は正月に着付けをしてくれる美容院の確保だった。
勿論、片っ端から電話するつもりだったが、もし見つかったとしても高校生には厳しい料金だっただろう。
その事が解消されて嬉しいのも当然あったが、何より、普段から家族の為にやってきた事に感謝された事がなにより嬉しかった。
「ありがとう・・・ありがとう!お母さん!」
「ちょっと、志乃!着物に皺がついちゃうでしょ!」
色々な嬉しさが爆発して、私は思わず母親に抱き着いた。
こんな事するのっていつ以来だろう・・・・
恐らくだが、小学3年生ぶりくらいだろうか・・・
「大きくなったと思ってたけど、まだまだ子供ね。」
クスっと笑いながら、娘の頭を撫でて慈悲に満ちた目を向ける。
「ありがとう、お母さん。本当に嬉しいよ。」
「御礼を言うのはお母さんの方よ。いつも志乃に甘えてばかりでごめんね。」
そう話す母親に瑞樹は首を横に振る。
「ん?おっ!着物じゃないか。初詣で久しぶりに着物を着てくれるのか?」
瑞樹達のやり取りに、リビングで夕食が出来るのを待っていた父親が和室にそう話しながら入ってきた。
久しぶりに娘の着物を見た父親は、瑞樹の着物姿を想像して胸を躍らせている。
「そうだけど、今年は友達と行く事になったからね。」
「え?」
父親の表情が固まる。毎年家族で初詣に行っていたから、当然その着物姿を楽しみにしていた父にとってはショック以外に感情を表す言葉が見つからない。
「じゃ、じゃあ、お父さん達とは・・・」
「勿論行くよ!二度詣でになるけど・・・」
大切にしてきた家族のイベントをあっさりとキャンセルを食らった。
今までこんな事は一度もなかった事だ。
「誰なんだ?」
「え?」
「誰と初詣に行くんだ?まさか男じゃないよな?」
父はもう魂が抜け落ちた様子で、今にも崩れ落ちそうな状態だった。
「え?えっと・・・それは・・・」
瑞樹は流石にここまで落ち込んだ父を見ると、正直に話すのを躊躇った。
「わざわざ着物まで引っ張り出して行くのよ?男の子に決まってるでしょ!分かっててそんな事聞くのは、意地が悪いんじゃないの?」
瑞樹が言いにくそうにしていた事を、見兼ねた母親があっさりと話してしまった。
「お前に聞いてない!志乃に聞いてるんだ!で?本当のところはどうなんだ?」
まるで神様に祈るような顔で、瑞樹を見つめてそう聞いてきた父に、隠すのを諦めて一言だけ呟く。
「・・・・ごめん。」
その一言を聞いた父は、ふらりとリビングの方へ振り返り、力なく「そうか・・・」とだけ掠れるような声でそう呟きトボトボと和室から立ち去った。
そんな父を見ていた母は、苦笑いを浮かべて着物を仕舞って立ち上がる。
「今晩はお酒の量が増えそうね。沢山おつまみがいるから、志乃も手を洗って手伝ってくれる?」
瑞樹にそう頼むと、母は袖を捲りながら再びキッチンに向かいだした。
「うん!わかった!すぐに準備するね。」
瑞樹は手伝う事を了承すると、洗面台に向かう為にリビングを通過して廊下に出た。
リビングに入った時、ソファーに座っている父の背中が小さく感じた。
テレビをつけていたが、俯いてしまって見ていなかった。
そんな父に申し訳ない気持ちはあったが、こればかりはどうしようもないと心を鬼にして、父に何も声をかける事なくリビングを出て行った。
大きくなったらお父さんと結婚する。
この台詞は、娘を持った大概の父親なら言われた事があるのではないだろうか。
そんな事を言ってくれている時が、父親として一番幸せな時期だったのではないかと思う。
勿論、その言葉を鵜呑みにした訳ではないが、
そのくらい好きなんだと、表現してくれている事は事実だったはずだ。
娘の父親なんて、大変な事しかない。
子供の頃は可愛らしくて、まるで宝石に触れるような感覚さえあって、幸せな気持ちでいっぱいだった。
だが、大きくなっていき、女の子から女性へ成長していくにつれ、心配事だけが増えていく。
もう、自分の視界に入っていない時は、ずっと心配している自分がここにいる。
いつかは誰かに盗られていく存在。
本当は、本当の本当は、心の片隅で期待していたのかもしれない。
大きくなったお父さんと結婚するとゆう言葉を・・・
認めるしかなくなってきた。
娘がそうゆう対象に見られ始めている事を・・・
「お待たせ!お父さん。ご飯出来たよ。」
「あ、あぁ。今行くよ。」
自分を呼びに来た娘の顔が遠く感じた。
きっと、娘は今、凄く充実しているのだろう。
少し前までは、確かにいい子ではあったが、どこか影を感じる事が多々あった。
心配で遠回しに何度か話を聞こうとしたのだが、何でもないの一点張りで自分には娘にしてやれる事はなかった。
そのうえ、我が家は共働きをしている。
娘達に不自由させたくない一心で、共働きを選択した。
幸い、妻も手に職を持った女性だったから、出産や育児休暇をとってもすぐに復帰出来る仕事に就いている。
勿論、自分だけの収入で今の生活が出来るのが一番の理想だが、現実はそんなに甘くはない。
元々、妻も専業主婦なんて出来る性格ではなく、家に閉じこもる事を拒否して働く事を希望していたから、今の生活に不満はないようだ。
只、そんな家庭事情だと当然だが、娘達の心配事が増える一方だ。
親バカかもしれないが、うちの娘達はかなりの美人だと思っている。
2人共、妻によく似ているのだ。
自分に似なくて本当に良かったと思う。
夫婦共に帰宅時間が遅くなる事が多々あり、その分姉妹だけで過ごす時間が長くなってしまう。
娘達の為だとはいえ、心配しない理由にはならない。
だが、しっかり者に育ってくれた志乃のおかげで、大した事が出来ない希の面倒を率先して見てくれたばかりか、家事もそつなくこなしてくれた。
大変だったと思う。
遊び盛りなのに、家の事を押し付けてしまったのだから・・・
「お父さん・・・・ごめんね。」
そんな事を考えながら食卓に着いていると、志乃が申し訳なさそうな顔でそう話しかけてきた。
「ん?何を謝っているんだ?」
「初詣一緒に行けなくなったから・・・」
そうだった。その事で気落ちしてしまって、こんな事を悶々と考え込んでしまっていたんだった。
そもそも、ショックを受けたり、拗ねたりする資格が自分にあるのだろうか。
娘達の幸せの為だとはいえ、家の事を任せっきりにしていた自分に、家族との時間を放棄された事に落ち込む資格なんて・・・・
「いや、その事はもう気にしなくていい。その代わり2日は空けておいてくれよ。」
「うん。それは約束するよ。」
小さい頃は、どこへ行くにも自分の後をついて回っていたのに、今は自分が娘を追いかけている事に気が付いて、何だか可笑しくなってきた。
そんな事を話していると、今晩の夕食のメインディッシュを母親が食卓に運んできた。
それを見て、瑞樹がキッチンにある冷蔵庫へ向かい、両親が飲む缶ビールを取り出して2人の前に置く。
その時、三人のスマホから同時に着信の通知音が鳴った。
どうやら家族用に作ったグループlineにメッセが届いたようだ。
手元にスマホを置いてあった瑞樹が、画面を立ち上げてlineの内容を確認して席に座った。
「希がバイト終わって、今A駅からこっちに向かってるって。」
送られてきた内容を両親に話すと、それならもうすぐ帰宅するだろうから、折角だし帰ってくるまで食べ始めるのを待つ事にした。
その時、父親は希を待っているこの時間を利用してどうしても気になっている事を瑞樹に聞く事を決心した。
「あのな・・・志乃」
「うん?なに?」
「その・・・初詣に一緒に行く奴の事なんだけどな・・・」
「う、うん・・・・」
一緒に行く男の話題になると、瑞樹は膝の上で両手の指を絡ませ始めて、俯いて視線を落とした。
「その男と・・・・なんだ・・・その・・・・付き合っているのか?」
最後の最後まで聞くのを躊躇っていた父だったが、どうしてもハッキリさせたい気持ちが勝り、核心部分についてそう瑞樹に聞いた。
「へ?つ、付き合ってな、なんていないよ!彼氏とかじゃないって!」
顔を真っ赤にして、そう否定する娘の姿を見て娘がその相手に対してどんな感情を抱いているのか、親じゃなくても誰にだって分かる娘の反応に苦笑いした。
そんな娘を見て、これまで恋愛なんて無縁の状態だったのは証明された。
初々しいその反応に、愛おしさと相手に対して憎たらしさが複雑に入り交じる。
実際、娘は嘘はついていないのだろう。
だが、あくまで『まだ』なのだ。
相手がある事だから、ハッキリとは言い切れないが恋仲になるのも時間の問題なのではないかと思う。
こんな時、父親とゆうのは無力だと痛感する。
アドバイスや手助けをしてあげるどころか、相手に憎悪の感情を抱くしか出来ないのだから。
ふと、瑞樹の隣に座っている妻を見ると、自分のリアクションが余程面白かったのか、口元を押さえ声を殺して笑っている。
いい気なもんだ・・・志乃と希、どちらかが息子だった場合、恐らく今自分がとった行動や、複雑な感情を抱いて困惑しているのは、間違いなく妻の方なんだ。
息子を持つ親と、娘をもつ親では心境的に異なるが、妻も自分と同じくらい親バカなのだから・・・・
「そうか・・・まぁ、なんだ・・・受験勉強も頑張っているみたいだし、この正月は息抜きだと思って、楽しんで来なさい。」
「うん・・・ありがと。」
あくまで冷静にそんな言葉を娘にかけたが、心の奥底では激しく落ち込んでいた。その事を悟らせてしまっては娘の性格からすれば、楽しむ事が出来ないだろうと、努めて平静な対応を心掛けた。
すると玄関の方からガチャリと鍵を開錠する音が聞こえた。
どうやら希が帰ってきたようだ。
「ただいま~!」
少し疲れたような声が聞こえて、廊下をこちらに向かって歩いてくる。
その足音が食卓がある部屋の手前で止まり、隣のリビングのドアが開く音がした。
希はリビングのソファーの上に、鞄を放り投げてから上着を脱いで、それを無造作にソファーの背もたれに掛ける。
「寒かった!ほんと、寒かった!」
希はそのままガスファンヒーターの前に手を当てて、外の寒さで冷え切った体を温めだした。
「希!最近バイト終わるの遅くない?」
「うーん!最近お店が忙しくてさ!でも!今年のバイトは今日でおしまいだし、明日からやっと冬休みを満喫できるよ。」
ドヤ顔で冬休み満喫宣言した希に溜息をついて、そんな希に瑞樹が死の宣告を告げる。
「遊ぶのもいいけど、宿題殆ど手を付けてないの覚えてる?」
「ウッ!?今、それ言う!?お姉ちゃんってドSなの?」
「馬鹿な事言ってないで、皆待ってたんだから早く手を洗って来なさい。」
瑞樹にそうあしらわれて、ブツブツと言いながら食卓を出よとする。
はは、流石の希も志乃には逆らえないんだな。
まぁ、言ってる事は正しいのだし、当然と言えば当然なのだが。
志乃と希のやり取りを聞いていると、希はまだまだ無邪気な子供だなと少し安心した。
そうだ!俺にはまだ希がいるじゃないか!
そうだよ!希はあんな性格だから、志乃より親離れが遅そうだし、なら、まだ子離れなんてしなくてもいいんじゃないか!
よし!とりあえず、我が家の恒例行事である元旦の初詣は一日延期になった事を話しておこう。
フフ・・・希のやつ毎年楽しみにしていたから、少し愚図るかもな・・・
志乃の都合でそうなったわけだが、姉妹でケンカにでもなったら大変だから、ここは俺の都合とゆう事にして説明してやろう。
志乃の父、瑞樹 俊彦はさり気なく初詣の事を、希に話そうとした、その時だった・・・・
「あ!そうだ!私大晦日から友達とカウントダウンイベント行って、そのまま泊めてもらって、初詣してくる事になったから、今回の家族の初詣はパスさせてもらうね。」
・・・・・・・・こいつら。