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29  作者: 葵 しずく
第5章 それぞれの想い
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第9話 優希の気持ち

 ガチャ!


 自宅の玄関を開け、肩に担いだ荷物を軽く担ぎ直す。

「つっ!!」

 途端に腹部に痛みが走る。

 顔を歪ませた間宮は、思わず一連の動作を中断して固まる。

 間宮は盲腸の手術を受けた。確かに盲腸は手術のうちに入らないとよく耳にする。

 その事、事態は否定しない。

 だが、どんなに難易度が低い手術であっても体に傷を付け、内部を切るのには違いない。

 体に穴を開けて、それを塞いだのだ。

 完全に馴染むまで痛みがないわけがない。


 盲腸なら4日で退院と入院中に、ネットで盲腸について調べていたら、よくこの謳い文句を目にした。

 間宮も例に漏れず4日で退院した。

 だが、完治するのが4日ではない。

 抜糸までが4日って意味だ。4日経っても幹部はまだかなり痛む。

 体の体勢にもよるが、最悪、一瞬息が出来ない程の痛みを感じる時もある。

「いててて・・・」

 痛みが収まったところで、一気にリビングへ進み荷物を下ろしてソファーに体を預けた。


「ふう・・・年内に退院出来てよかった・・・ギリギリだったけど。」


 間宮が退院したのは12月30日

 世間は新年を迎える為に買い物や大掃除に奮闘したり、裕福な階層の人間達は、年越しを旅先で迎えようとしている者達で賑わっている中、間宮は今年の年越し準備は諦める事にした。

 とりあえず落ち着こうと珈琲を淹れようと準備する。

 暫くして、久しぶりに間宮の部屋に珈琲の香りが立ち込めた。

 淹れたての珈琲をマグカップへ移して、痛みを堪えつつカップに軽く口を付けながらテラスへ出た。

 間宮の部屋は8階にあり、マンションの周辺は一戸建てが多くテラスからわりと遠くまで見渡せる部屋だった。

 間宮はここからの景色を眺めながら珈琲を飲む時間を大切にしている。

 特に大事な事を考えたい時は必ずここで考える事にしていた。


 冷たい風が間宮の顔を吹き抜ける。

 この冷たい風が暖かくなる頃、ここを離れているのだろう。

 その前に答えを出さないといけない事ができた。

 しっかりと向き合わなければいけない。

 そしてその先に、優香との本当の別れが待っていたとしても・・・


 珈琲を飲んだ口から白い息が溢れる。

 珈琲の湯気と、白い吐息が流れていく方向を、間宮はジッと見つめていた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 12月31日 大晦日


 間宮は昨日までの疲れを少しでもとる為に、昼前まで睡眠をとり朝昼兼用の食事を摂っていた。

 普段はあまりテレビを見ない間宮だったが、大晦日とゆう事で何となくテレビの電源を入れると、今晩行われる毎年恒例の紅白歌合戦に対するドキュメント番組が放送されていた。


 番組の内容を特に気にせずに食事を進めながら、テレビ画面を眺めていると、その番組で取り上げられた神楽優希とゆう名前に間宮の動きが止まった。

 内容的にはデビュー当時から、毎年出演のオファーを出していたが、一度も出演した事がない。勿論今年も辞退しているのは何故か・・・とゆうものだった。

 理由に関しても本人は勿論、事務所側からもコメントされていないらしい。

 素人目の感想だが、やはりプロミュージシャンなら一度はって舞台なのではと、確かに疑問に感じるところはある。

 あくまで素人目線での考えだし、これ以上考えたところで意味はないと食事を終えて考えるの止めた。


 リンゴ~ン!


 食事の後片付けが終わる間際にインターホンが鳴った。

 こんな暮れに誰だと、不審に思いながらインターホンに対応しようとモニターを覗き込むと、そこには今、メディアの意中の人物神楽優希が変装グッズフル装備で立っていた。


「ちょっと!良ちゃん!退院するならするで、何で連絡くれないのよ!」

 玄関を開けて優希の顔が見えた瞬間、開口一番に苦情が飛んできた。

 確かに退院の日を教えていなかったが、教える必要性を感じていなかった間宮は、首を傾げる事しか出来ない。


「言ってくれれば車で迎えに行くじゃん!私、今オフなの知ってたでしょ!」

「いや、だって、そんな事してもらう理由なんてないしさ。」

 優希の迫力に圧倒されつつも、なんとか理由だけは説明した。

「良ちゃんになくても、私にはあるの!とゆうわけであがるからね!」

 優希は一方的に自分の気持ちを話して、その勢いで間宮の了承なく部屋へ上がり込んだ。

 リビングへ入ると、部屋を見渡しながら鞄を置いて上着を脱ぐ。


「もう昼食は済ませたの?」

「あぁ、今洗い物を終えたところだけど?」

 それを聞いた優希は軽く溜息をついた。

「じゃ、良ちゃんは一旦寝室で休んでて。」

「え?何でだよ。」

「分からない?今からここを掃除するからよ。」

「は、はぁ!?いや、いいって!何でそんな事してもらわないといけないんだよ。」

「だって切った患部が痛むでしょ?」

 そう言われて、間宮は手術での傷がある箇所をそっと手で押さえた。

 優希が指摘する通り確かに、傷の痛みはまだ残っている。

 痛み止めが効いている時は、我慢出来る痛みだが、効いていない時はまだかなりの痛みがある。

 だが、彼女にそんな事をしてもらう理由にはならないと、断わろうとしたのだが、優希も頑として譲る気がないらしく、強引に寝室のベッドに座らされた。


「いい?私が呼ぶまでそこで休んでてね!」

 そう言って、優希は勢いよく寝室のドアを閉めて、早速掃除を始めた。

 物を退かせる音や、掃除機の音が聞こえてくる。

 結局、優希の迫力に押された形になってしまったが、これ以上断るのは逆に悪いと観念して、痛みが一番感じない体勢にする為に、ベッドに横になった。

 何だか、今でも信じられない。

 超人気シンガーの神楽優希が、自分の部屋を掃除してくれている現実に、何故だか笑いが込み上げてきた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーーーー


「・・・・良ちゃん!良ちゃんってば!」


 遠くから段々と大きな声で自分を呼ぶ声が聞こえる。

 休んでいるだけのつもりが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「あぁ・・・わる・・・・」

 平謝りするつもりが、最後まで言い切る前に口が動かなくなった。

 目の前には瞳を閉じた優希がいる。

 不意打ちで彼女と三度目の口づけを交わしていた。

 お互いの唇を離すと、優希からフッと息が漏れる音が聞こえて,顔を赤らめ瞳が潤んでいる。

 しかも2人共ベッドの上だ。こんな美人にここまでさせてこの状況、普通ならこのまま押し倒してしまうところなのだろう。

 恐らく、押し倒してしまっても彼女は拒んだりしないのも分かっている。

 だけど・・・間宮が動かしたのは押し倒すための体ではなく、さっきまで塞がれていた口だった。


「なにすんだよ・・・」

 そう言うと優希の肩がピクリと反応して、一瞬だったが寂しそうな顔をした。

「何ってキスじゃん!私が良ちゃんの事好きなのは知ってるでしょ?その私の前でそんな隙だらけだった良ちゃんが悪い!以後、気を付けるように!」

「お、おぉ・・・」

 何だか屁理屈を強引に納得させられた気分だった。

 強気な事を言っておきながら、顔は真っ赤になっている。

 そんなギャップが可愛いとは思うが、ドキドキはしない・・・それどころか罪悪感まで感じてしまっている。


 その原因は分かっている・・・・


「一通り掃除も終わったから珈琲淹れたんだけど、飲むでしょ?」

「あぁ、ありがとう。」


 優希に勧められて、寝室からリビングへ向かい、患部を庇うような動きでソファーに座る。

「かなり痛そうだね。」

「ん、でも切った当初にl比べたら随分と楽になったよ。」

「そっか!よかった。」

 安心した表情で、淹れた珈琲を間宮の前に置いた。


「夕食って何か準備してた?」

「いや、特になにも・・・」

 間宮がそう答えると、珈琲飲んだら作るから一緒に食べようとキッチンへ向かった。

 断わる理由もなく頷いたが、優希一人に作らせるのは悪いと手伝おうとすると、病人は大人しく待っているようにとリビングへ引き戻されてしまった。


 暫くすると、キッチンから出汁のいい香りが漂ってくる。

 今夜は蕎麦だなと、今日が大晦日なんだとこの時初めて実感した。

 久しぶりの蕎麦を楽しみに待っていると、温かそうな湯気が立ち込める器が運ばれてきた。

 改めてその香りを楽しむと、入院騒ぎで諦めていた年明け気分が味わえて,間宮は嬉しそうな顔で蕎麦を見つめる。


「いただきます!」


 2人は同時に合掌して箸を蕎麦につけた。


 蕎麦粉のいい香りが鼻から抜ける。出汁の香りと味も日本人で良かったと思える程に美味かった。

 随分と良い蕎麦を用意してくれたんだなと、年越しそばを堪能した。


 蕎麦を食べながら。今年一年はどんな年だったか等、色々な話をした。といっても優希が話題を振ってそれに対して、返答を返すだけだったが。


 すると、急に優希が話すのを止めて静かになった。

 カチャリと箸を置く音だけが聞こえて、不自然な静けさに違和感を覚えて、正面に座っている優希を見る。

 すると、さっきまで元気にはしゃいでいるように見えた優希の様子がおかしい。

 俯いて肩を震わせている。どうしたのかと声をかけようとした時、


「ごめんなさい・・・・」


 掠れるような声で優希が謝ってくる。

 その謝罪の意味が分からずに、呆気にとられていると優希が話始めた。


「一方的にキスなんてしてしまってごめんなさい・・・約束したのに・・・ごめんなさい・・・嫌わないで下さい・・・」


 涙をポロポロと流してそう話した。

 キスをしてきた時のように、いつもの強気な姿ではなく、凄く不安げな姿の彼女はもはや同一人物とは思えない程、弱々しい姿を露呈していた。


 やはり、この姿が彼女の本当の姿なんだと理解した。

 本当の優希は、自分に自信がなくて、でも大きな夢を持った為、去勢を張り続けてきたのだ。弱気なままだと厳しい音楽業界で生き抜くなんて到底出来ないから・・・・

 恐らく、ずっと頑張ってきたマネージャーである茜も知らないだろう。

 そういえば昔、優香が妹をやたらと心配していた事を思い出した。

 当初はどれだけ妹大好きなんだと笑ったが、なるほど・・・これじゃ心配するのも無理はないと考えを改めた。


 それに今、優希にこんな事を言わせたのは、どう考えても自分のせいだ。

 優希の話に対して、相槌に近い反応だったから、怒っているのだと勘違いさせてしまった。


 軽く溜息を付いて、そっと優希の頭に触れた。


「驚いたけど、怒ってないし勿論、嫌ってもいないよ。俺の方こそごめんな。」

 優希は何も言わずに鼻を啜りながら、コクンと頷く。

 それから少し冷めた蕎麦の出汁を一口啜って、ふうっと息をついて自分を落ち着かせた。


 そんな優希を見て、安心したところで気になっている事を思い出した。

 今聞くべきか迷ったが、何とか空気を変えたい一心で、間宮の方から初めて話題を振ることにした。


「さっき、テレビで見たんだけど、何で優希はずっと紅白の出演を辞退してるんだ?」


 振った話題が香坂優希にではなく、神楽優希に対してのものだったが、今はこれでいいと判断した。

 思った通り、その話題に対して、沈んだ香坂優希ではなく、自信に満ちた神楽優希の目つきに変わったが、今度は違う種類の沈黙に変わっただけだった。


 何だか考え込む仕草を見せるから、益々理由が知りたくなった間宮は優希が口を開くのをソワソワして待った。


「ん~・・・良ちゃんに話すのはいいんだけど、誰にも言わない?」

 やけに慎重だなと思った。

 優希にそう念を押されなくても、元々神楽優希と個人的な付き合いがあるなんて事が世間にバレたら騒ぎになってしまうから、話す気なんて更々ない。


「あぁ、勿論最初からそんな気はないけど?」


「そっか!それならいいんだけどね。でも、特に茜さんには内緒だからね!」


 茜?何故、仕事と直結する話をマネージャーである茜に秘密にする必要があるのか気になったが、とりあえず深く考える事なく了承した。


「紅白に出演しちゃうと、大晦日まで働かせてしまう事になるからなんだ。」

「働くじゃなくて、働かせる?誰を?」

「茜さんに決まってるじゃん!」

 意味が分からない。

 何故、茜を大晦日まで働かせるのを避けてきたんだろう・・・

 あいつの夢は神楽優希を大きくする事だ。

 だから、紅白出演はビッグチャンスにしかならないはずだ。

 茜が嫌がる理由なんて、一つもあるわけがない。


「大晦日まで仕事させてたら、実家に帰りたくても帰れないかなって思って。」

 優希の言葉を聞いて、直ぐに間宮の頭の中で仮説がたった。

 もしかして・・・この子は・・・


「それってまさか・・・ウチの抱えていた問題の為か?」

 恐る恐る聞いてみると、優希は照れ臭そうに頬を掻きながら頷いた。

「お前・・・そんな事で・・・大きなチャンスを・・・」

「そんな事?何言ってんの?凄く大切な事じゃん!」


 間宮の言い方が気にくわなかったのか、鼻息荒く抗議する優希は真剣そのものだった。

 良く話を聞くと、茜は普段から自分の事を話す事がなかったらしい。

 だが、酒の席で一度だけ身の上話をした事があったそうだ。

 上京して芸能関係の仕事をしたい茜と、地元、大阪で普通の仕事をしろと言う父親の雅紀との対立の末、家を飛び出して今の事務所に入った事。

 その後、両親とは絶縁関係が続いている事を聞いたそうだ。


「私にとって茜さんはもう1人のお姉ちゃんだって思ってる。家族みたいな存在なんだよ。だから、放っておく事なんて出来ないよ・・・」


 いつか両親と話し合う気になった時、帰りたくてもこの業界は中々、大きな連休は見込めない。だから、年に一度大きな連休がとれる年末年始だけが、唯一の期間だったから、その期間に働かせるのはどうしても嫌だったと話してくれた。

 だから今年、実家へ帰省すると聞いた時、思わず茜に抱き着いたと話している優希は、本当に嬉しそうな顔をしていた。


 この子は・・・本当に・・・・なんて子なんだ・・・・


「まぁ!実際、紅白なんて出なくても私と茜さんならもっと上に行けると思ってるしね!」


 そう言う優希の目には去勢を張っているわけでもなく、自信が満ち溢れていて、間宮にはそんな彼女が眩しく見えた。


 だから優希がしてくれた事を否定する気が無くなり、気が付いたら立ち上がって彼女に頭を下げていた。


「ありがとう・・・」


 心の底から湧き出てくる感謝の気持ちを込めた。

 この先、彼女とどんな関係になるかはまだ分からない。

 でも、どんな関係になっても、この気持ちはずっと忘れない。

 どんな事があっても、絶対に忘れない!そう心に誓った。


「や、やめてよ!別に良ちゃんの為にしたわけじゃないし、自分の為にやったんだから!」


 慌てて頭を上げるように促す優希の声は少し上ずっていた。


 ゆっくりと頭を上げた間宮は、慌てている優希の姿にクスっと笑った。


「この際だから言うけど、私の希望は私の夢・・・じゃなくて目標に向かっていくのに、隣に茜さんともう1人の間宮さんが必要なんだ・・・良ちゃんに傍に居て欲しい!」


「優希・・・」


「大好きな良ちゃんが傍にいてくれたら、私、どこまでもいけそうな気がするから・・・」


 もうそこには自信がない弱気な香坂優希ではなく、トップアーティストの神楽優希がいた。


 その姿に間宮は思わず息をのんだ。

 嬉しいのに、何故か言葉が出てこなかった。

 何も言わない間宮に優希は、年明けに出すNEWアルバムを引っ提げて、春から全国ツアーに出ると話した。


「だから、良ちゃんも東京を離れる春までに答えが欲しい。」

 間宮にそう告げると、持参していた変装グッズに身を包んだ優希は、足早に間宮の部屋の玄関を出て行った。


 その間、何も言えなかった。

 あんなに強く気持ちを伝えてくれたのに、何も言えなかった。

 その事に何も言わなかった彼女の気持ちは分からない。


 たが、情けなく立ち尽くしていた自分に患部の痛みを忘れる程に、腹がたって仕方がない2018年最後の日になった。


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