第15話 間宮 良介 act8~Words of oath~
プロポーズから数日が過ぎた日曜日
仕事は休みだったが、間宮は緊張した面持ちでネクタイを締めて、スーツの袖を通す。
髪型も品よくまとめ上げて、どうみても休日の恰好には見えなかった。
「い、胃が痛い・・・」
実は今日、優香の両親に婚約の挨拶と結婚の許しを得る為に、香坂の家に行くことになっている。
香坂からあまり親の話しを聞いた事がなかったが、どんな両親なのかは何となく想像出来ていた。
きっと躾とかすごく厳しくしてきた親なんだと思う。
それが分かる位、普段から香坂の行動には品があり、どこへ連れて行っても恥ずかしい思いなんてした事がないからだ。
歩く姿ひとつとっても、見とれてしまう程だった。
厳しさだけでなく愛情もたっぷりと注がれて成長してきたのも感じていた。
根拠は、両親の文句や愚痴を今まで一度も聞いた事がないからだ。
隠しているわけではないと、普段の優香を見ていれば想像に難しくなかった。
部屋を出て自転車で駅まで向かうつもりだったが、今日に限って生憎の天気で朝からずっと雨が降り続いていた。
服が汚れてしまっては失礼だと、自転車は諦めて徒歩で駅へ向かう。
「・・・はぁ・・・・何か用か?暇人・・・」
駅前の広場に差し掛かった時、自分をずっと見ている人影に気が付いた間宮は、深い溜息を吐いて話しかけた。
「その恰好・・・やっぱりマジだったんだな・・・」
雨が降り続ける中、駅前で間宮を待ち伏せていたのは、香坂の同僚で恋敵だった東だ。
東は傘越しからでもすぐに分かる程、真剣な顔つきだった。
「なにが?」
それどころではないと言わんばかりに、後頭部を掻いて東から目線を反らしながらそう言うと、東の表情は悔しそうに思いつめた顔つきになった。
「二日前に優香から聞かされたんだよ・・・プロポーズされたって・・・」
「そうか・・・」
「それで、今日両親に挨拶に来てくれるって事を聞いてな・・・」
「ああ!」
付き合いだしてからも、気になっていた存在だった。
東は諦めようとせずに、他の女性社員に人気があるのに、優香だけを追いかけているのを知っていたからだ。
初めの頃は正直気分の良いものではなかった。
だが、俺の知らない所で横取りするのではなく、事あるごとに俺に宣言してから行動する東を見て、正直そのエネルギーに圧倒されていた。
勿論、優香を他の男に渡すつもりなど微塵もなかったが、力ずくで東の行動を阻止する気も何故かおこらなかった。
「今日で最後だ。といっても悪あがき宣言しに来たわけじゃない・・・」
東はそう告げると、間宮に手を差し伸べた。
「負けたよ・・・まぁ、初めから負けていたんだが、やっと納得出来た気がする。」
「そうか・・・ついでだから言うけど、俺はあんたの事嫌いじゃなかったよ。」
本人には決して言わなかった事を、最後だからと本音を東に伝えながら、差し出された手を握って握手を交わした。
「優香は結婚しても仕事は続けたいって言ってる。俺も無理に家に閉じ込める気はないから、今後も良き先輩としてあいつを頼むよ。」
「あぁ!最高の女なのは周知の通りだが、エンジニアとしても優秀なんでな!会社としても辞められると困るからまかせろ!」
お互い握った手に力を込めて、間宮は駅へ向かい電車に乗り込んだ。
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V駅へ到着した間宮は、改札を出たところで迎えに来る優香を待った。
二年近く付き合っていたが、一度も優香の自宅へ行った事がなく優香に迎えを頼んでいた。
「良ちゃん!」
降りしきる雨の中、少し息を弾ませながら傘をさした優香が声をかける。
「おぉ!雨降ってるのに迎えを頼んで悪かったな。」
「ん?全然、気にしないで。今日はずっと私の家だし、2人でいられる時間がないから嬉しいんだよ。」
そう言って、本当に幸せそうに微笑みかける。
本当に、なんなんだ・・・この可愛い生き物は!!
「そ、そっか。それもそうだな・・・・」
優香のそんな気持ちは勿論嬉しいのだが、間宮は香坂の家が近づく度に腹部を擦りながら、顔色がどんどん悪くなっていく。
「どうしたの?ってやっぱり緊張してる・・・よね?」
「うん・・・今日の事考えていて昨日も殆ど眠れなかったしな・・・」
逃げるつもりは毛頭ない。
ないのだが、頭と体の動きが合ってない。この期に及んで情けないと思う。
手塩にかけて育てた娘を、早々に嫁にもらうのは両親を裏切らせる事になるんじゃないか?こんな奴と結婚させる為に育てたわけじゃないのではないか?本当に俺なんかでいいのだろうか・・・
頭の中で醜い言い訳を始めだした。
「良ちゃん!?」
「え?あ、ごめん・・・」
険しい表情で考え込んでいる間宮を呼び止めて、隣を歩いていた香坂が間宮の前に立った。
「あのさ・・・嫌なら日を改めていいんだよ?気が進まないなら、婚約を一旦破棄して延期してもいいし・・・」
「え?何でそんな事言うんだよ・・・」
「だって、今の良ちゃん・・・凄く辛そうなんだもん・・・婚約が無くなるのは残念だけど、良ちゃんが私との結婚で苦しむのはもっと辛いから・・・」
そう言う香坂の目に涙が溜まっている。
何やってんだ・・・俺は・・・
馬鹿な事を考えていた自分に腹がたつ。
大切な人をこんな事で泣かせた自分を殴りたい気持ちだった。
俯いて立っている香坂を、そっと抱き寄せる。
「ごめん・・・優香との結婚が辛いんじゃないんだ。ただ、優香のご両親に申し訳ないって考えちゃって・・・」
「ばか・・・そんな事思う必要ないって・・・私が選んだ人なら信じるって言ってくれたって言ったでしょ?・・・」
抱き寄せられた香坂は、間宮の胸に顔を沈めて両手を腰に回した。
「そうだったな・・・弱気になって悪かった。」
香坂の温もりを感じて、決意を改めて再び歩き出した。
間宮の実家へ行く話や、結婚式の会場選びの事を話しながら歩いた。
香坂はさっきまでの涙が嘘だったように、はしゃいでいる。
本当に間宮との結婚を喜んでくれているのが、一目でわかるほどだった。
「優香!危ない!!」
話に夢中になっていた香坂の腕が引っ張られて、足が止まると目の前を大型トラックが勢い良く走り去った。
「たく!いくら横断歩道でも、しっかり確認しないと危ないだろ。」
「ビックリした!ごめん、ありがとう。」
目を大きくして走り去ったトラックを見ながら、手を引いてくれた間宮に謝った。
「それにしてもこの通りは交通量が多いな。それに結構スピードだしてる車が多いみたいだし。」
住宅地の真ん中に割と大きな国道が横切っており、その道路は抜け道と知られていて交通量が多く、年々事故が増えているらしい。
特に数年前から事故が多発するようになった為、ようやくこの交差点に信号が設置される事が決まったそうだ。
「そうなんだよね!今はいいけど数年後に・・・その・・・ね・・」
「ん?数年後になにかあるのか?」
急に歯切れが悪くなった香坂を不思議そうな顔で尋ねた。
「だ、だから!結婚して数年後に子供を連れて実家に帰ってきた時に危ないじゃん!」
顔を真っ赤にしてそう言い切った。
「そ、そうだな・・・うん!」
2人の子供・・・そうだ、これから結婚の許しを得に行くのだ。
決して遠い未来の話ではない。そう考えると間宮も何だか照れ臭くなってきた。
香坂の自宅に到着して、先に優香が玄関を開けて中へ入る。
「ただいま!」
優香の声を聞いてキッチンの方から母親が出てきて間宮を迎えた。
「いらっしゃい、間宮さん。」
「はじめまして、間宮です。本日は宜しくお願いします。」
緊張気味に母親と挨拶を交わす。
「さ!こんな所じゃなんだし、上がってください。」
「はい!失礼します。」
母親と優香にリビングへ通されて、中へ入るとソファーに座っていた父親が立ち上がった。
「は、はじめまして!優香さんとお付き合いをさせて頂いています、間宮 良介と申します。突然お邪魔してすみません。」
想像以上だった。
言葉の端々が震えている。
膝なんて完全に笑っているのが分かる。
そんな緊張状態の中、そっと背中を誰かに触れられた感覚があった。
その部分に意識を集中すると不思議と緊張が和らいでいく。
付き合いだしてから、何度もこんな経験をしてきた。
勝負時にこうやって優香に触れられると、余計な緊張や不安が取り除かれて良い結果が得られる事があったのだ。
そして今も隣に立っている優香が、両親に見えない様に手を伸ばして背中をそっと触ってくれている。
膝も笑ってない、体の余計な力も抜けた。
よし!!
「いらっしゃい、優香の父です。まぁ、座りなさい。」
「はい!失礼します。」
父親に勧められたソファーに2人並んで座ると、良い香りが鼻に届いてきた。
この香りって・・・・
「あの、失礼ですけど・・・ブルーマウンテンですか?」
あまりの良い香りに、思わずそう聞いてしまった。
そう聞かれた父親は少し驚いた様子だったが、すぐに表情が僅かだが柔らかくなった気がした。
「ほう!分かるかね。」
コポコポといい音と共に届けられた香りに、リラックスしていく自分がいる。
「はい!これってストレートですよね?僕も珈琲が大好きで、大きな仕事をやり遂げた時とかに、自分へのご褒美でこの豆を買ったりするんです。凄く高価なのでたまにしか飲めませんけど・・・ハハハ」
「ハハハ、ウチだって似たようなものだよ。普段はブレンドだからね。でも今日は間宮君がウチに来るって事だったから奮発したんだ。」
「あ、ありがとうございます!」
そんな気を使ってくれている事が嬉しかった。
とりあえず、歓迎されていないわけではないと分かったからだ。
「そんなに珈琲っていいの?私は断然紅茶なんだけどな。」
「そうなんだよ、間宮君。ウチは何故か優香だけ紅茶を好む娘なんだよ。」
「だって、良い豆を使ってもミルクと砂糖を沢山入れないと飲めないんだもん。あれをブラックで飲む意味とか理解出来ないし・・・」
そう言いながら恨めしそうにドリップされている珈琲を見つめた。
「何を言ってるんだ!珈琲は香りが大事なんだぞ!ミルクなんて入れたら台無しじゃないか。」
「そうだよ!良い豆であればあるほど、ブラックで飲むべきなんだって!」
優香の珈琲に対する価値観に対して、父親と間宮は珈琲について語りだした。
カチャ。
母親が淹れたての珈琲をリビングのテーブルに運んできた。
「あらあら!楽しそうねぇ。でも今日は何の話をしに来たのか覚えているかしら?お二人さん!」
あっ・・・
父親と間宮は珈琲談義に盛り上がりだした所で、本来の用件を忘れそうになっていた2人は咳払いをして誤魔化した。
2人は脱線しかけた話を戻そうと、再び沈黙を作る。
「間宮君だったね。」
「はい!」
「娘から会って欲しい人がいると聞いた時に、私は優香が選んだ男なら大丈夫だと思っている。だから2人に一つだけ聞かせて欲しいのだが・・・」
「はい!」
「間宮君は・・・優香の事をどう思ってる?」
意外な質問だった。結婚したいと言っている相手に、その質問は愚問としか思えない。でも自分を見つめる父親の目は真剣そのものだった。
だから・・・
「今まで生きてきて、これほど大切で愛おしくて・・・愛した女性はいません。僕は優香さんを愛しています。」
普段なら絶対言えない。恥ずかし過ぎて2人きりでも言えない事を、優香の両親の前でそう言った。
不思議と恥ずかしさがない・・・それどころか清々しい気分だった。
「そうか・・・・優香はどうだ?間宮君の事をどう思っている?」
僅かに笑みを見せて間宮の気持ちを聞き取った父親は、今度は隣に座っている優香に同じ質問をした。
「私が初めて良ちゃ・・・良介さんと出会ったのは通勤ラッシュの満員電車の中だったの。勿論、初対面で名前も知らない人だったんだけど、壁際で潰されない様に頑張っている彼の腕の中に潜り込んだの。」
優香は初めて間宮を見かけた電車の中での出来事を話し出した。
話しているうちに思った事がある。
何故あの空間が自分のスペースだと思ったのかを・・・
「・・・って事があってそれから、電車で時々会うようになって付き合う事になったんだけど、それからは毎日が信じられないくらい楽しくって・・・」
分かってる。良介君の事をどう思っているか聞かれただけなんだから、今の自分の気持ちを話せばいいって事は・・・
でも、何故か良介君との馴れ初めを話し出してしまっている。
もうこうなったら自分の意志では止められそうにないから、お父さん達に止めて欲しかったのに、2人共、興味深く耳を傾けちゃってるし・・・
きっと良介君も呆れてるだろうな・・・
優香は恐る恐る隣に座っている間宮の方を見ると、優しい表情で自分を見ていた。
・・・そっか!そうなんだ!これだったんだね。
結局、優香はプロポーズされた日の出来事まで、簡略的に両親に話して聞かせた。
話し終えてから、軽く息をついて先ほどまでは違い、真剣な顔で目の前に座っている両親の目を見て話し出した。
「今、話した通り幸せな日々だったけど、どうして初めて見かけた時に何の躊躇もなく、良介さんの腕の中に潜り込んだりしたのか、さっきようやく分かった気がする。」
「聞かせてくれ。」
「うん、温かったんだよ。あのスペースに温かさを感じたの。背中越しだったから、良介さんの顔も見れなかったんだけど、私にはあそこが、良介さんの前が私の居場所だって直観でそう感じたから、体が自然に動いて気が付いたら良介さんの腕の中にいたの。」
「・・・・・・・・・・・」
そういえばあの時の事を優香に何度か聞いた事があったけど、いつも首を傾げて分からないと返されていた事を思い出した。
そうか・・・そんな事を俺に対して感じてくれていたのか。
だからって面識のない男の腕の中に潜り込んでくるのはどうかとは思うが、いつもは理論派の彼女が、俺に対してだけ感覚で行動してくれていた事が素直に嬉しかった。
そして、彼女のその感覚が正しかった事を証明する為にも、精いっぱい優香を幸せにしようと改めて心の中で誓った。
「私にとって良介さんは体の一部のような存在です。だから絶対に離れたくない、ううん!離れる事が考えられない、大切で心の底から信じてる男性です。」
驚いた。俺の事をそんな風に想ってくれていた事に・・・・
それと同時に、その言葉がストンと落ちていくのを感じた。
心が熱をもつのが分かる。
幸せだ。こんなに幸せでいいのかと、少し怖さを感じてしまう程に・・・
改めて間宮は、背筋を伸ばして優香の両親を真っ直ぐ見つめる。
「お義父さん!お義母さん!お嬢さんを、優香さんを僕に下さい!お願いします!」
力強く、真っ直ぐに間宮はそう告げて頭を下げると、香坂は何も言わず間宮の隣で頭を深く下げた。
「そうか・・・わかった・・・間宮君、いや、良介君!」
「はい!」
父親にそう声をかけられ下げていた頭を上げると、両親は立ち上がった。
「不束な娘ですが、優香を幸せにしてやって下さい。宜しくお願いします。」
そう間宮に告げると、今度は優香の両親が頭を下げた。
「ありがとうございます!必ず幸せにしてみせます!!」
間宮も立ち上がり、家族になる2人に頭を下げて、少し震えた声だったが、力強くそう宣言してみせた。
「ありがとう!お父さん!お母さん!私、絶対に幸せになるから!」
優香は感情が決壊を起こして、涙を流しながら結婚を認めてくれた両親の腕の中に飛び込んだ。
優香と両親のそんな姿を見て、今、最高に幸せな時だと感じながら、もう一度頭を下げてこの幸せを噛み締めた。
これからもっと、もっと、幸せを感じる日々を送る事になる。
そんな日がいつまでも続くように、頑張ろうと気持ちを高ぶらせる間宮だった。
それなのに・・・・・・何故・・・・あんな事になってしまったんだ・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・何故!?・・・・・・・・・・・