第13話 間宮 良介 act 6~Confession~
初デートから数日が過ぎたある日
間宮はいつもの出勤時間より1時間程、早く電車に揺られていた。
以前、香坂が言っていた事を思い出す。
確かに一時間早めるだけで、電車の中が別世界だな。
いつも満員電車で格闘している車内とは別物で、乗客と体が当たるどころか、空いているシートまである程、電車内は快適だった。
だが、別にその事を試す為にわざわざ早くに電車に乗ったわけではない。
今日は、新卒者対象の研修会が行われる為に、間宮はいつもの駅では降りずにその会場を目指していた。
この研修会はIT関連の企業が協賛して行っているセミナーで関東地方全般の新入社員を対象に実施されていて、各方面から大勢の新卒社会人が集まる事になっている。
デートの翌日から、間宮自身がやる気を起こしたのを感じて、諦めかけていた先輩達の指導に熱が入り朝から夜遅くまで、熱心に指導してくれた。
もちろん、その気持ちは嬉しかったし有難いのだが、香坂と一緒に帰る事が出来ないうえに、時間が遅くなってしまって迷惑じゃないかと不安になりlineもまともに送れない日が続いていたのだ。
優香ちゃんどうしてるかな・・・・
今日は、仕事といえばそうなのだが、研修会とゆう事でここ数日のように気を張り詰める必要がなくて、その分、香坂の事ばかり考えていた。
会場がある施設に到着した間宮は、先に受付だけを済ませて、まだ時間があった為、自販機でコーヒーを買い、中庭に設置されているベンチに座った。
受付で受け取ったセミナーに関する書類に視線を落としていると、ふと自分の前に人の気配を感じた。
目線だけ前方の地面を見ると、黒のパンプスが目に入った。
それからゆっくりと視線を上のほうへ移動させると、パンプスから黒いストッキングが伸びて、膝元からタイトスカートが更に伸びている。
ここまでくると、自分の前に立っているのが女性だと分かる。
そこから一気に見上げようとした時、目の前に立っている女性が声をかけてきた。
「おはよう!間宮君!やっぱり君も参加してたんだね。」
朝の爽やかな風に靡く、艶やかな黒い髪から良い香りが運ばれてくる。
「優香ちゃん!!」
慌てて立ち上がり、目の前に立っている香坂に驚いた。
「ふふん!お互い一年生だもんね!会えると思ってた。」
嬉しそうに笑顔でそう話す香坂の後ろから、彼女の同僚達が集まってきた。
「なになに?香坂さんの知り合い?」
女性の同僚の一人が、話しかけてきた。
「えと、うん!良す・・け・・・じゃなくて、うちの会社の隣駅にあるREGZAの間宮君だよ。」
香坂がいつもの癖で、名前呼びで同僚達に紹介しそうになったのを見て、何だか照れ臭くなったが、それと同じくらい嬉しかった。
「はじめまして!株式会社 REGZAの間宮といいます。香坂さんにはいつもお世話になってます。」
間宮はベンチから立ち上がり、背筋を伸ばし香坂の同僚達にそう挨拶をした。
「あ!同じく同期の古賀です!」
「俺、須藤って言います!」
「俺は、その間宮の無二の親友で、松崎って言います!よろしくね!」
「うおっ!?お前らいつの間に!?」
自己紹介を終えた間宮の後方から、同期達がいきなり割り込んできた。
「あははは!宜しくお願いします。」
そんな同期達の乱入をきっかけに、お互いの名刺交換が始まった。
「初めまして、香坂と申します。」
「松崎です。初めまして!」
二人はお互い名前を名乗り、名刺を受け取った。
その直後、香坂の名刺をじっと見つめる松崎がある事に気が付いた。
「ん?香坂・・・・優香・・・さん?」
「え?あ、はい、そうですけど・・・何か?」
少し不安そうな表情で、松崎にそう返すと・・・
「そっか!君が優香ちゃんか!」
「え?は、はい・・・」
二人の会話が間宮の耳に入った。
「ヤバい!あの馬鹿!!」
名刺交換の最中だったが、咄嗟に二人の元へ駆け出した。
「間宮から色々聞いてるよ。もうあいつ君にぞっこ・・・・ムグッ!?」
最後まで話しきる前に、間宮が後ろから羽交い絞めするような恰好で、松崎の口を塞いだ。
「何考えてんだよ・・・お前は・・・」
松崎の耳元に顔を近づけて、香坂に聞こえないように、小声で松崎に抗議した。
「いやいや!早速他社との交流とは感心だね。」
間宮と松崎が戯れている後方から、そう言いながら東が登場した。
東の姿が視界に入ると、松崎を開放して正面に立った。
「おはようございます。東さん。」
「おはよ、間宮君。この前はコーヒー御馳走様。」
「・・・・・・・・・」
「あれ?お二人って以前からそんな感じでした?」
あの電車での睨み合いのイメージしかない香坂は、今の二人の関係が不思議に思えた。
「ん?前にちょっとね。なっ!間宮君!」
目線で合図を送りながら、含みを持たせた言い方で話す東の変貌ぶりに、違和感を感じながら話を続けた。
「それはそうと、今日は新卒社会人のセミナーのはずですよね?せ・ん・ぱ・い!」
何でお前がここに居るんだと言う事を、棘のある言い方で尋ねた。
「フッ!ウチの大切な新戦力を勝手に行ってこいなんて可哀そうだろ?だから毎年引率者をつける事になっていて、今年は俺の番ってわけだ。」
勝ち誇るような顔でここにいる理由を説明した。
「どうでもいいけど、キャラブレ過ぎじゃないですか?」
「ほぅ!ライバルにアドバイスとか・・・余裕かな?」
「ん?ライバルって何か勝負でもしてるんですか?」
間宮と東の会話が理解出来なかった香坂は、二人に疑問をぶつけてきた。
「あぁ!間宮君とゆう・・・」
「あ!!そろそろゼミが始まる時間なので、失礼しますね!東さん!」
今度は東が爆弾を投下するように、口を滑らそうとした時、それを阻止しようと間宮がわざと声を張り上げて、周りの同僚達に会場へ向かうように促した。
「ん?まだ少し早いだろ。ウグッ!?」
「いいから行くぞ!」
腕時計を見て、会場入りするにはまだ早いと言おうとした松崎の首に腕を巻き付けて、有無を言わさず会場の方へ引きずり出した。
「あ!またね!間宮君!」
その様子を黙って見ていた香坂が、いきなり離れていく間宮に、そう言って手を振るのを見て、間宮も照れ臭そうに背を向けたまま手を振って応えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
PM16時
朝からみっちりとセミナーを受けた受講者が、一斉にセミナー会場から出てきた。
間宮達も仕事している方がマシだったなと、愚痴をこぼしながら中庭へ出てきて、各々に自販機で飲み物を買って休んでいた。
「なぁ!折角だしこのまま皆で飲みにいかね?」
「おっ!いいじゃん!」
疲れたテンションが一気に上がり、同僚達が盛り上がりだした。
「間宮も行くだろ?」
松崎がそう言いながら近づいてきた。
「ん?悪いけど、今日はここで帰るよ。」
「なんで?」
「帰ってレポート纏めたいんだ。他にもやる事あるから溜め込みたくなくてさ。」
飲み会の誘いを断る理由を聞いて、松崎が少し不思議そうな顔をして話を続ける。
「なぁ!前から気になってたんだが、急に仕事に打ち込むようになったよな?何かあったのか?」
あれだけモチベーションが低くて、心配になって飲みに誘ったりした松崎からすれば、不思議に思うのは当然だった。
「ん~まぁな!詳細は話せないけど、今やってる事だっていつかは必ず自分の財産になるって考えるようになったんだよ。」
松崎に話した理由は決して嘘ではない。
ただ、他にも理由があるのだが、それは誰にも話す気がないだけだ。
「ほ~~ん!そっか!ま、いいんじゃね?」
素っ気ない反応だったが、松崎が本当に心配していてくれたいた事は、間宮が一番分かっているから、その返答で十分だった。
「おう!だから悪いんだけど、今日は帰るな。」
「ん!分かった!あいつらには俺から説明しておくよ。じゃな!おつかれ!」
「お疲れさん!また明日な。」
松崎は間宮の元を離れて、同期達が集まっている場所へ戻り、飲み屋へ移動を始めた。
間宮は歩き出した同期達に手を振って見送ると、飲みかけだった缶コーヒーを一気に飲み干して軽く息をついた。
「うし!んじゃ、帰るか。」
そう呟いた間宮は、施設の出口に向かって歩き出す。
「良介君!お疲れ様!」
歩き出した後方から、元気な声が届いた。
振り返る前から、声の主は誰なのか分かっていて心が躍る思いだったが、努めて冷静に呼ばれた方を向いた。
予想通り、香坂が小走りで手を振りながらこちらへ向かってきた。
「お疲れ!優香ちゃん。」
「うん!てか思ったよりガッツリセミナーだったね。少しはサボれるって思ってたんだけど。」
「ははは!俺もそう思ってここに来たんだけど、当てが外れたよな。」
「あれ?良介君の同僚さん達は?」
ふと間宮の周囲に誰もいない事に気が付いた。
「あぁ、憂さ晴らしに飲みに行ったよ。俺は何となく気が乗らなかったから断ったんだ。」
苦笑いしながらそう言った間宮だったが、断った理由を偽ったのは、ある期待をしていたから・・・
「そうなんだ。あ!じゃあさ!・・・」
「・・・それは無理だよ、優香ちゃん。」
間宮が期待していた事を、香坂が言おうとした時、被せるように話しかけてきた人物がいた。
他の同期達の輪の方から、こちらに向かってきた東だ。
「え?」
当然東に会話を遮られて、少し声のトーンを落として東を見た。
「これから皆で親睦会だろ?もう店に人数分の予約してるんだからさ!」
「あ・・・・・」
そういえばそんな予定になっている事を思い出した。
でも・・・・
「それじゃ、優香ちゃん。またね!」
間宮は思惑が外れて内心はガッカリしたが、表面に出すと香坂が気にする恐れがあると考えて、努めて冷静な態度で香坂にそう挨拶をした。
「う、うん・・・・またね、良介君・・・」
良介!?香坂の事を間宮が名前で呼んでいるのは知っていたが、彼女が間宮の事を名前で呼んでいる事を知り、東の頭の中で最警戒警報が鳴り響いていた。
施設の出口に向かって去っていく間宮を、ションボリした表情で見送る香坂に東は一刻も早く2人を引き離そうと、肩に軽く手を当てて、皆の所へ誘導しようとする。
「さ!皆待ってるし、行こうか!」
「・・・・・・セクハラです・・・」
「へ?」
香坂は肩に触れている東の手を睨むように見ながら、そう告げた。
「い、いや!これは、そんなつもりじゃなくて!!」
慌てて肩に触れている手を引っ込めて、東は香坂に弁解しようとした。
「そんな言い訳が通ったら、泣き寝入りする女性が後を絶たなくなりますよ。」
もちろん、誤解なのは最初から分かっていたが、この状況を利用しようと、咄嗟に香坂が作戦をたてた。
「ほ、本当に誤解なんだ・・・でも不快な思いをさせてしまったのなら謝るよ・・・」
反論に出る事も想定していたのだが、あっさりと謝罪を始めた東に、少し申し訳なく思ったが、心を鬼にして作戦を続行した。
「ほんとですよ!でも、そうやってすぐに謝ってくれたので、私からのお願いを聞いてくれたら、騒いだりしないので聞いてくれますか?」
「え?う、うん!もちろんだ!何でも言ってくれ!二次会、いや!三次会だって俺が奢るし、何なら欲しい物とかあるんならプレゼントだってするぞ!」
東は無条件降伏を飲み、香坂のお願いを色々提案しながら、話し出すのを待った。
「・・・・せてください・・・」
「・・・え?なに?」
「親睦会を欠席して帰らせてください。」
「え?・・・・いや、だって・・・それは・・・」
東は香坂の後方にある施設の出口に目を向けた。
間宮の姿はもうなかったが、この条件を了承すると間違いなく彼女は、間宮を追いかけるだろう。そんな敵に塩を送るようなまね出来る余裕など全くない・・・
だが、断ったら最悪の場合、社会的地位を失う事になる恐れがある・・・・
東は暫く黙り込んで葛藤していた。
「・・・・・かった・・・よ。」
「はい?」
「だから!分かったって言ってんの!親睦会は参加しなくていいから、さっさと帰ればいいよ!」
悩んだ結果、最終的に後者を選択した東は、香坂の帰宅を許可した。
その言葉を聞いて、睨むように見ていた香坂の表情が一気に明るくなった。
「ありがとうございます!それじゃ、お先に失礼します!」
香坂は感謝の気持ちを込めて、頭を下げてすぐに出口の方に振り向いた。
「それじゃ、また明日から宜しくお願いします!先輩!」
香坂は笑顔を東に向けて、そう告げると急いで出口に向かって小走りで駆けていった。
「たく!そんな笑顔見せられたら引き留めるなんて無理じゃん・・・可愛いなぁ・・・ちくしょう・・・」
東は諦めて溜息を吐きながら、他の後輩達が待っている所へ歩き出した。
何だか気持ちが盛り上がった分、今は体が重い・・・
もしかしたらと期待した。
とにかく一緒にいる時間が少しでも欲しい。
でも、それは彼女の生活を邪魔してまで欲しているわけではない。
ふぅ・・・
軽く息を吐きだして、気持ちを切り替える。
帰ってレポート書くか!
トボトボ歩いていた足に力を込めて、歩幅を広げ始めた。
「良介君!!」
勢いをつけた足が地面に吸い付いたように止まった。
「はぁ、はぁ・・・もう歩くの早いよ・・・」
目を見開きながら、後ろへ視線を向けると香坂が軽く息を切らし両手を両膝に当てて立っていた。
「優香ちゃん、え?どうして?親睦会は?」
「えへへ!ブチっちゃった!」
後頭部に手を当てながら、親睦会を欠席したと話す香坂は、まだ少し呼吸が荒かった。
さっき頭の中で彼女の生活を邪魔したくいないと格好つけていたくせに、走ってまで追いかけてきてくれた事を喜んでいる自分がいる。
「え?そんな事して大丈夫なのか?あの人が黙って無くない?」
そう!手放しに喜んでいる場合ではない。
こんな事をして東が大人しくしているはずがないからだ。
彼女のこれからの立場だってある。
気持ちはガッツポーズをしたい程、嬉しかったが、やはり東の元に戻らせるべきだろうと、彼女にそう話そうと口を開きかけた時、
「私は戻らないよ!」
まるで、自分の心が読めるのかと疑ってしまいそうなタイミングで、間宮が言わんとしている事を、真っ直ぐに強い目で間宮を見つめてそれを先に否定した。
知り合ってまだ日が浅く、彼女の事をよく知っているわけではない。
だが、短い時間でも分かっている事がいくつかある。
その一つが、彼女は芯が強い女性だと言う事だ。
要するに、一度言い出した事を簡単には覆さない人なのだ。
「わかったよ・・・・」
はぁと溜息交じりでそう言ったが、本音は強引な事をしてでも追いかけてきてくれた事が、本当に嬉しかった。
「わかればよろしい!てことで寄り道しながら一緒にかえろ!」
「うん!」
屈託のない笑顔でそんな事言われたら、もう連れ戻すなんて考えは一瞬で消滅して、思わぬ帰宅デートを素直に喜んだ。
レポートは明日からにしよう!
駅前のスタバで少し休む事にした二人は、注文の順番待ちをしていた。
順番が回ってくると、何故か間宮が妙に気合を入れているのが気になったが、先に香坂がオーダーを始めた。
「グランデバニラノンファットアドリストレットショットノンソースアドチョコレートチップエクストラパウダーエクストラホイップ抹茶クリームフラペチーノをお願いします。」
オーダーを通して後ろにいる間宮の方を見ると、何故かライバルでも見るかのような熱い眼差しで見つめられていた。
香坂が注文した飲み物の清算をしている時に、間宮がオーダーを通そうと店員の前に立った。
「じゃあ、俺は・・・トールバニラノンファットアドリストレットショットチョコレートソースエクストラホイップコーヒージェリーアンドクリーミーバニラフラペチーノをください。」
オーダーを告げ終わった間宮は、何故か小さく握りこぶしを作っていた。
お互い注文した飲み物を受け取ると、空いている席へ座りとりあえず一口飲んで喉を潤すと、香坂がどうしても気になっていた事を間宮に質問した。
「ねえ!どうして注文した後、ガッツポーズなんてしてたの?」
「ん?気付いてたのか。それはな・・・」
少し真剣な表情になった間宮の返答を思わず身構えて待っていると・・・
「初めて、スタバの呪文を噛まずに最後まで言えたからなんだよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
「いっつも噛んじゃって悔しい思いしてからさ!やっとクリア出来てテンション上がってさ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・プッ!
フ、フフフフフフ・・・・
ククッ・・・・あはははははははははは!!!!!
「な、なにそれ!?そんな事にあんなに気合入れてたの!?」
「ちょ、笑い過ぎだって!周りの客めっちゃ見てんじゃんか!」
「だって・・・・ククク・・・む、無理・・・我慢出来ないよ・・・お腹痛い・・・」
間宮のガッツポーズの理由を聞いて、大笑いした香坂に周りの視線が集まったが、収める事が出来ずにテーブルに顔を押し付けて笑い転げる香坂に、間宮は照れ臭そうに口を尖らせた。
「悪かったな!好きなだけ馬鹿にしてろよ・・・」
「ご、ごめん、ごめん!別に馬鹿にしたわけじゃないよ!ただ・・・何か可愛くてさ・・・ククク・・・」
中々笑いが収まらずに悪銭苦闘する様子を見ていた間宮が、フンッ!と拗ねるように窓越しの行きかう通行人に目をやった。
そんな間宮を初めて見た香坂は、何だか温かい気持ちになる。
どうにか笑いを抑え込んで、拗ねた間宮をフォローしながら、さりげなく話題を、今日のセミナーの事に変えた。
やはり香坂も会社から今日のセミナーの内容をレポート提出する事になっていたらしく、それからお互いの意見を出し合って、レポートする要点を纏めていると、いつの間にか時計が19時を回っていた。
「ね!今日親睦会があるから、晩御飯はいらないって親に言ってきちゃったから、帰っても自分で作るしかないんだよね。だからよかったらご飯付き合ってくれないかな?」
店を出てすぐに香坂はそう言って、間宮を夕食に誘った。
「そうなんだ、俺でよければ喜んで!」
「フフ!よかった。じゃ、いこう!」
2人は駅前にあるレストランに入った。
「そういえば、本当に親睦会ドタキャンなんかして大丈夫なのか?」
席についてオーダーを通した後に、香坂の口から親睦会の話が出て気になっていた事を聞いた。
「大丈夫!心配しないで。それに元々、参加したくなかったしね。」
「どうしてか聞いていい?」
「うん、親睦会自体は、別に嫌じゃないんだけどさ・・・」
香坂が親睦会を嫌がっていたのは、事前に同期から聞かされていた事が原因だったらしい。
それは親睦会の一次会は、同期達の食事会だから問題はなかったのだが、二次会以降は、会社の先輩達と合流する事になっていたからだと説明した。
「なるほど!そんな席に優香ちゃんがいたら、野郎共の餌食になってただろうな・・・」
「ん~良く分からないんだけど、個人的にも色々と誘われてて、ずっと断ってきたのに、またしつこく誘われるんじゃないかって憂鬱だったんだ・・・」
「そっか、確かに優香ちゃん狙いの社員も少なくないって東さんが言ってたもんな。」
そう言って溜息をつきながら、食後に運ばれてきたコーヒーを飲んで、カップを戻すと、香坂の視線に気が付いた。
「な、なに?」
「今朝も思ったんだけど、東さんとあれから何かあったの?」
「え?何かって?別に何もないけど?」
「ほんとに?じゃあ、東さんといつそんな話したの?」
「え?そ、それは・・・」
失言だったと後悔したが、もう時すでに遅しだったのだが、言葉に詰まる間宮を見て、香坂が溜息交じりに間宮の返事を待つのを止めて話を続けた。
「言いたくないのなら、無理には聞かないよ・・・」
「・・・ごめん。」
「いこっか・・・」
間宮が謝った事に対して、なにも言わずに店を出ようと席を立った。
支払を済ませて、駅へ向かう2人に沈黙が流れる。
いつも話をしていないと嫌なわけではないが、この沈黙は正直苦手だった間宮は、色々と話題を振って盛り上げようとするが、香坂はそれに対しても相槌を打つだけだった。
そんな状態で改札前まで来た時、間宮の我慢が限界に近づいた。
「なぁ!何怒ってんだよ!」
「別に怒ってなんかないよ。」
「怒ってんだろ!急に態度変わりすぎだっての!」
「だって、良介君が話し出した事なのに、途中で隠そうとするからじゃん!」
お互い語尾が強くなり、周りの通行人が通り過ぎさまに口論している2人を見ている。
そんな周りの視線など一切無視して、2人の口喧嘩は続く。
「そ、それは・・・だから言えないんだって・・・」
「どうせ男同士の秘密とか言うんでしょ?くだらない!」
カチン!!
「は?くだらないってなんだよ!お前に何が分かるってんだよ!」
「くだらないものはくだら・・・!!」
そう言い切る前に間宮の表情に驚いて途中で話すのを止めた。
今まで見てきた柔らかい表情が消えて、眉間に皺を寄せた眉毛の下には、鋭い眼光が香坂に向けられていたのだ。
「もういい!帰るわ・・・優香ちゃんも気を付けて帰れよ・・・」
間宮の表情に立ち尽くすしか出来ない香坂を、そう言いながら横切って改札を通過した時、後ろからピーピーと警告音が聞こえてきて、その音とほぼ同時にスーツの袖を捕まれる感覚があった。
振り向くと、改札のゲートに阻まれて上半身だけ前方に倒し、必死で間宮の袖を掴んでいる香坂がいた。
「お、お前!何やってんだよ!」
咄嗟の出来事で慌てた間宮は、無意識に香坂の事をお前呼ばわりしたのに気付く事なく、隣の改札口からすぐに出て掴まれた裾を引っ張るようにゲートに阻まれていた香坂を、改札の外へ連れ戻した。
「だ、だって!良介君がどっかいっちゃうんだもん!置いていかれると思ったんだもん!」
目に一杯の涙を溜めて、香坂は必至に訴えた。
「だからって、周りの迷惑も考えろよ・・・」
「う、うん・・・ごめん・・・ごめんね・・・ヒッ、ヒック・・」
香坂から謝りながら嗚咽を漏らした。
そんな彼女を見せられた間宮は、頭が冷やされて冷静になった。
「ご、ごめん!俺も言い過ぎた・・・わるい・・・」
「ううん!私が悪いんだから謝らないで・・・ごめんね・・」
咄嗟に掴んだ裾をまだ摘まんだまま、俯きながら嗚咽を漏らす香坂に、どうしようもない罪悪感と、愛おしい気持ちが同時に沸き起こり摘ままれている裾を優しく解き、香坂の手をそっと握った。
「もういいから・・・帰ろう・・・」
「・・・・うん。」
握った手を引いて、2人は改めて改札を潜りホームへ向かった。
電車を待っている間、2人には会話がなかった。
あんな事がある直前までは、ずっと話をしてて本当に楽しい時間だったのに・・・
そっと隣に立っている香坂の顔を見ると、もう涙は止まっていたがその目はかなり腫れているのが見て取れた。
だが、怒っているようには見えない。
その証拠に繋いだ手をずっと離す事をしなかった。
何か真剣な表情に間宮は見えた。
電車がホームに滑り込みドアが開く。2人は席が空いているのに、当然のようにドア隣の壁側に立った。
ドアが閉まり電車が走り出すと、間宮は壁に手をつくと香坂が立っているスペースを作った。電車が駅へ到着する度に、結構な乗客が乗り込んでくる。
今日は一日研修会で忘れていたが、今日は平日で丁度、帰宅する人間が増える時間帯だったのが原因だったようだ。
だが事前にスペースを確保した間宮達には、まだあまり影響がなくお互いの距離は快適な状態だった。それまで全く会話がなかった2人だったが、香坂が静かに口を開いた。
「えっと、さっきは本当にごめんなさい。」
「もういいって言ったじゃん。」
少し俯き加減で、改めて謝りだした香坂に苦笑いしながら謝罪を否定した。
「あ、あのね・・・自分でも初めて気が付いたんだけど、私って気になる人の事は何でも知りたがる女みたい・・・そんなのウザイよね・・・ごめんね。」
「気になる人って・・・」
間宮がそう呟くと、香坂はハッとして手で口を塞いだ。
そんなやり取りと同時に次の駅に到着して、どっと乗客が押し寄せてきた。
こうなると、いつものラッシュ時とあまり変わらない圧が間宮にかかり、壁についていた腕に力を込める。
その圧の影響で、2人の距離が半分ほど縮まる。
初めて出会った時は、この距離が恥ずかしくて顔を背けたが、今は2人の視線はお互いの目を離さなかった。
気になる人・・・間宮の頭の中でその言葉が何度も何度も巡る。
そして、まだ伝えるつもりじゃない言葉が、凄く自然に口から零れだした。
「お、俺・・・優香の事が・・・好きだ・・・・」
これだけ近づかないと、周りの色々な音が邪魔をして、聞き取れない声音で間宮は香坂に思いを告げた。
香坂の肩がピクッと震えた。
真剣な眼差しに香坂の顔が映っているのが見える。
映っている香坂の目は潤み、頬が上気して赤くなっている。
「わ、私も・・・良介が好き・・・大好き・・・」
間宮の告白に対して、香坂も好きだと思いを告げた。
その返事を聞いた間宮の表情は、香坂の言葉を聞く前と変わらない。
ただ、香坂を見つめる目に僅かに光るものがあった。
香坂は思いを告げた後は、より一層目が潤み少し唇が震えている。
そんな香坂を見つめている間宮は、何も言わずに香坂との距離をゆっくりと詰めだした。
その動きに対して香坂もゆっくりと間宮の顔に自分の顔を近づけた。
やがて香坂の顔が間宮の首元近くまで近づいた時、すっと両踵を上げて2人の唇の距離がどんどんと無くなり、電車の車内で周りに多数の乗客が犇めく中、やがてその距離は完全に失われた。
「ふ・・・」
「は・・・」
時間では僅か2~3秒の淡いキスだったが、短い口づけに気持ちを込め過ぎた2人の呼吸は僅かに乱れていた。
「俺と付き合ってくれるか?」
「はい、私を良介の彼女にして下さい。」
お互いの気持ちを伝えあい、そのまま電車内で口づけを交わして付き合う事になった2人だったが、その後はまた沈黙が流れた。
だが、この沈黙は全く嫌な感じはせずに、お互い優しい表情で見つめ合っていた。
やがて、香坂が下りるV駅に到着してドアが開いた。
この駅で間宮達が乗っている車両から4割の乗客が降り始める。
間宮も駅へ到着してドアが開いた時、何も言わずに壁についていた左手を壁から離して、香坂が降りる為の道を作った。
だが、香坂は降りる為に、体の向きを変えるどころか見つめ合っている視線すら間宮から離す事をしなかった。
乗客達が降りてドアが閉まる。
それから電車が再び走り出す直前、僅かな時間だけ車内の人の声や物音が消えて静寂が生まれた。
その時、香坂のバックから携帯のバイブ音が連続で鳴っているのが耳に入った。
だが香坂はスマホを確認しようとせずに、ずっと間宮と見つめ合っていた。
また電車が走り出して、やがて間宮が降りるA駅へ到着すると、見つめ合ったまま動かなかった2人は、一緒に電車を降りて寄り添うように歩き出して、駅から姿を消した。
V駅を出る時香坂のスマホが震えたのは、同期達で作ったグループ掲示板からで、その同期達の数名が香坂にその後の経過報告を求めるメッセージだった。
香坂がそのメッセージに返信したのは、翌日の早朝、出勤前に一旦自宅へ帰宅して着替えをする為に、A駅のホームで電車を待っている時だった。