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29  作者: 葵 しずく
4章 錯覚
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第8話 間宮 良介 act1 ~encounter~

あれは、6年前、俺は社会人1年生の時、いつもの出勤ラッシュで電車に揉まれている時だった。

車内はすし詰め状態で、蒸れてネクタイを締めている襟元から汗が吹き出る。

このラッシュはいつまでも慣れる事なんてないんだろうなと、溜息混じりに呟いた。


そんな毎朝のラッシュ対策が間宮にはあった。

電車の乗り込む順番をわざと後ろの方で並ぶようにして、電車へ乗り込むとドアの隣あたりを確保する。

それから壁に向かって手をついて、自分の前にスペースを作る事だ。

こうする事によって、背中は多数の乗客と密着する事には変わりがないが、前方は空間を作っている為、誰にも触れる事がなくて、密着時の暑苦しさから半分は解放されるのだ。


今日もいつもの作戦通り、出入り口付近を確保した間宮は、壁に肘を押し当てて満員電車の圧力に耐える為にバスケで鍛えた筋力を頼りに、必死で踏ん張ってスペースをキープしていた。


電車は快調に上り線を走り降りる駅まで、丁度真ん中の駅のホームに到着してドアが開いたが降りる客は殆どなく、その倍近い客が更に乗り込んできた。

益々圧力が酷くなり、苦悶の表情で何とか踏ん張っていると、自分の体と壁の間に出来たスペースに誰かが潜り込んできた。


あまりの出来事に呆気にとられたが、潜り込んできた人物を見ると、間宮の腕の中にスッポリと収まる華奢な女性が立っていた。

皆、ギュウギュウ詰めの中、必死に頑張っているのに、自分だけ楽をしようとしているその女性に文句の1つでも言ってやろうとして、女性の顔を見た時、丁度、目が合った瞬間、舌をペロっと出して小声で「お邪魔します。」とだけ話してきた。


彼女はそう言ってから、鞄を両手で胸の辺りで抱き抱えて、なるべく間宮が作ったスペースからはみ出さないような体勢を作り、再び俺と目が合って恥ずかしそうに俯いた。


何だかその佇まいが可愛く見えて、文句を言うつもりだったはずなのに、壁に押し当てていた肘に更に力を込めて、このスペースの確保に全力を出していた。


踏ん張りながら腕の中にいる彼女を見ると、向こうもこちらを見上げていて、上目遣いでまるで頑張ってと応援しているように見えた。


ーーー何やってんだ?俺は・・・ーーー


何とか圧に慣れてきて、一安心していた間宮だったが、次の駅に到着して更に数名の客が乗り込んで・・・いや!押し込まれてきた。


両腕だけで支えていたが、とうとう限界を迎えてしまい彼女の方に倒れ込みそうになる。

間宮は慌てて片膝を壁に押し当てて、スペースを支えている柱の補強を行い、何とかスペースの消滅は免れた。


だが、元々のスペースの半分程になってしまい、間宮と彼女の体が軽く触れてしまう状況になってしまっていた。

目を閉じて歯を食いしばって踏ん張っていた間宮は、体制が安定したのを確認してゆっくりと閉じていた目を開いた。

するとすぐ目の前に彼女の顔があり、お互いの息がかかりそうな距離まで詰め寄ってしまっていて、間宮は慌てて顔を右へ背けた。

彼女も怖くて目を閉じていたのだが、押される感覚がない事に安堵して閉じていた目を開いた。

その開いた瞬間が、間宮とほぼ同時だった為、あまりの近さに顔を真っ赤にしながら左へ顔を背けたのも、間宮とほぼ同時に行った行動だった。


腕の中にいる彼女からいい香りがしている。

その香りに気が遠くなりそうだったが、必死に冷静さを保ちながら、残されたスペースの確保に努めていると。間宮が降りる駅の1つ手前の駅へ到着した。


電車がホームで停車して扉が開くと、そこに約4割の乗客が降り出した為、間宮にかかっていた圧力が一気に軽くなり、元の位置まで体を戻す事が出来て、ホッと安心した反面、少し残念な感情を抱いた。


乗客が次々に降りていく中、彼女もここで降りるようで、出口の方へ向いた事に気が付いた間宮は、出口側を支えていた左腕を壁から離した。


出口への通路が出来た事を確認した彼女は、再び間宮の方に視線を向けた。

長時間、満員電車の圧力に耐えてスペースを確保していた為、額が少し汗ばんでいた事に気が付いた彼女は、手早く鞄からハンカチを取り出して優しく間宮の額に滲んだ汗を拭いだした。


間宮は驚きのあまり、何も発せずに、ただ、ただ、硬直して立ち尽くす事しか出来なかった。


簡単に汗を拭った彼女は、そのハンカチを間宮が着ているスーツの胸ポケットに仕舞いこんで、ポケットをポンポンと軽く叩いた。

その仕草が可愛らしくて、硬直していた意識が覚醒して自分の胸元辺りにいる彼女に「あ、ありがとう・・・」と掠れそうな声で、汗を拭ってくれた事とそのハンカチを貸してくれた事にお礼を言った。


それを聞いた彼女は、軽く首を左右に振って右手を自分の口に添えて、間宮の耳元で囁くように「お礼を言うのは私の方だよ。ありがとう。」


耳元で囁かれた彼女の声は、恐らく今まで生きてきた中で、どんな声より耳に馴染み心を躍らせる声色で、情けない程、赤面してしまい、それを隠そうとして俯いた。


彼女はその後、降りる人の流れに任せる様に電車を降りようとして、歩き出し際に間宮に小さく手を振って電車を降りた。


電車を降りた彼女は、そのまま電車の先頭を目指す方向に歩き出している。

間宮は窓から見える彼女を可能な限り目で追った。

姿が視界から消えそうになった時、電車が走り出して消えそうな彼女に追いついて、間宮は再び彼女の姿を目で追って、見えなくなるまで視線を通過した駅から離す事をしなかった。


完全に見えなくなってから、胸ポケットに入れていたハンカチの事を思い出して、そのハンカチをゆっくりと取り出した。


淵に刺繍が入っている上品なハンカチだ。

こんな綺麗なハンカチで自分の汗を拭ったなんて・・・何だか申し訳ない気持ちになった。

暫く、手の上に乗せたハンカチを眺めて、さっきまで自分の腕の中にいた彼女の事を思い出す。


恐らく自分と同い年で新人社会人か、1つ程、年上くらいの女性だと思う。

黒のリクルートスーツに膝上まであるスカートから、綺麗な足が伸びていた。

清楚な雰囲気を醸し出している顔つきに、背中まで伸ばしている綺麗な漆黒の黒髪が印象的だった。


ただ清楚な雰囲気がある女性だったのに、避難の為とはいえ、見ず知らずの男の腕の中に潜り込むとか・・・そのギャップが逆にミステリアスな雰囲気に拍車をかける。


彼女の事が気になって気になって仕方が無かった。

初対面でしかも通勤時の電車で居合わせただけなのに・・・

我ながら気持ち悪さまで感じるくらいだ。


でも、誰にどう思われようとそれが本心なのだ。

それが今の自分の願望であり、欲望なのだと認めるしかない。


また会えたりするのだろうか・・・

もし次に会えたなら、必ず聞きたい事がある。



彼女の名前が知りたい。


ハンカチをずっと見つめながら、そんな事を考えていると車内に停車駅の案内が流れた。

その駅名が聞こえた時、自分の耳を疑った。


「え?それってO駅過ぎてるじゃん!」

慌てて腕時計を見て、時間を確認すると、次の駅で降りて急いでも間に合わない現実が間宮の脳裏を襲った。


とにかく急いで戻らないと!


駅へ到着後、すぐに下り線のホームへ移動して、電車が到着するまで遅刻した言い訳をフル回転で考えていた。

やはりどんな言い訳をしても穏便に済みそうにないなと、半ば諦めた間宮だったが、その表情は落胆したものではなく、生き生きとした活気に満ちた目をしていた。


そんな表情で出社したものだから、反省の色がないとこっ酷く叱られたのは言うまでもない・・・・




これが、間宮と彼女の最初の出会いだった。


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