第22話 瑞樹 志乃 act3 ~プレゼント~
少しづつ近づけて、時間が経過する度に気持ちが大きくなる。
もう誰にも渡したくなんかない。瑞樹には悪いがこんな事でもない限り、俺なんかじゃ話すら出来ない存在なんだ。そんな彼女と今は、殆ど毎日一緒に並んで座ってランチしている。もう恋人と呼んでも問題ないのではないかと思う程、俺達は親密な雰囲気を漂わせている。日に日に笑顔が増えていく彼女を見ている事が、何より楽しいし幸せなんだ。
岸田はもう明日死んでもいいと思える程、幸せの絶頂だった。だが、よく「もう明日死んでもいい」と言う人がいるが、そんなの大袈裟な言葉の綾だと岸田は痛感する事になる。
瑞樹が中庭にほぼ毎日来るようになってから2週間程たったある日の事。
岸田のクラスの授業が長引き少し遅れて昼休みに入った。岸田は急いで昼食に買っておいたパンが入った紙袋を鞄から出していると、自分のクラスの前を瑞樹が歩いてきた。窓際の席だった岸田はすぐに瑞樹に気が付いて、思わす準備をしていた手を止めて見入っていると、彼女と目がバッチリ合った。
岸田と目があった瑞樹は少し恥ずかしそうに微笑んで、そのまま立ち去っていつもの中庭に向かった。
か、か、可愛い!もう超絶可愛い!無敵だ!反則だ!チートだ!そんな瑞樹の視線を俺だけに向けて微笑んでくれた。その事がもうどうしようもなく大声で叫びたい程、嬉しくて、幸せで、感動的な出来事だった。もう端っこで盗み見するだけの日々とおさらばだ!心の中でそう叫びながら、紙袋を持って急いで瑞樹の後を追った。
勢いよく4階から3階への階段を降りだした時、怖いくらい順調だった岸田のバラ色生活が狂い始める。
「よう!岸田!」
4階と3階の中間にある踊り場から、岸田を呼び止める声が聞こえた。
階段を下りながら、声の主を見て岸田は足を止めた。
「最近、瑞樹にちょっかい出してるらしいな・・・お前!」
ニヤリと笑みを浮べてはいるが、目つきは鋭く睨みつけて、そう言ってきたのは平田だった。
「・・・・・・」
無言でやり過ごそうとした岸田だったが、平田は岸田の肩に手を置いて話を続けた。
「瑞樹への俺からの指示は、お前にだけ伝わってなかったのか?」
学年中に瑞樹を孤独に追い込むように圧力をかけたのは平田だ。
だが、岸田だけその指示通りに行動していないのは、岸田だけに伝わっていないのかと極悪な表情で確認をとった。
「え、いや・・・・その話なら聞いてたけど・・・」
平田から視線を逸らし、俯いてそう答えた。
今まで地味な立場をフル活用して、なるべく目立たないように立ち回り、こうゆうトラブルを回避してきた岸田にとっては、まさに悪夢のような現実だった。手足が無意識に震えた。口の中が一瞬で乾いて無意識に涙が滲んでくる。
「そうか!じゃあ、お前は俺の指示に従えないって事でいいんだな?」
岸田の肩に置いていた手を学ランの襟元に移し、鷲掴みして睨みながらそう聞いてきた。
怖い、怖い、怖い・・・・・でも!
「そ、そうだ!大体何で瑞樹にこんな酷い事をするんだよ!」
裏返りそうな声を必死でまとめながら、平田にそうタンカを切った。
「わかんねえか!?徹底的に追い込んで許しを媚びさせて、俺の女にする為だ!」
フラレた平田は、手段を選ばずどんな手を使っても自分の女にする為だけに、学年中を巻き込んで、瑞樹を徹底的に追い込んでいると言い切った。
「そ、そんな事・・・瑞樹が何したってんだよ!フラレたのはお前に魅力がなかっただけの話だろ!」
「アァ!?」
鷲掴みしていた手を更に上へ岸田を釣り上げる様に突き上げた。
岸田は歯を食いしばり、襟元を締め上げられた苦しさに必死で耐えた。そんな岸田の表情を眺めてニヤリと笑みを浮べ、岸田から手を離し、顔を突きつけて口を開く。
「そうか!それじゃ男同士でじっくりと話し合う必要があるな。放課後にプールの旧更衣室へ来い。あそこなら誰も来ないからゆっくりと話し合えるだろ?逃げたら・・・・分かってるよな!?」
平田はそう言って岸田の肩をポンポンと叩き、その場から立ち去った。
「まぁ!身分相応って言葉があるだろ?お前には瑞樹は眺めてるだけで我慢するべきだったんだ!勘違いしたお前が悪いんだからな!クックックッ!」
後ろから続いて立ち去ろうとした平田の仲間が、立ち去り際に岸田にそう言って笑った。
あんなタンカを切った以上もう後には引けない。いつかこうなる事は、瑞樹に初めて声をかけた時に覚悟はしていた。俺にだって瑞樹を好きになった意地がある!絶対に逃げないで立ち向かってやる!殺されるわけじゃない!耐え抜ければ、後は瑞樹に気持ちを告白して今以上に幸せな時間を手に入れるんだ!そう意気込んだ岸田だった。
まずは中庭に向かわないと!少しでも遅れを減らす為に、全力で階段を駆け下りて瑞樹の元へ急いだ。
「はぁ!はぁ!遅れてごめん!」
両手を膝に当てて息を切らして、瑞樹が待つ中庭のベンチに到着した岸田は、遅れた事を謝っていつもの瑞樹の左側に座った。
「ううん、そんなに急がなくてもいいのに。授業が長引いたみたいだね。」
「そうなんだよ!あの先生、簡単な事を難しく説明するのが趣味なんじゃないかっていつも思うんだよな。」
「あははは!うん、わかる!わかる!ちょっとあの先生の授業内容を全部ノートに書く気になれないんだよね。」
「あ!瑞樹さんも!?実は俺もそうなんだよ。」
ここ最近になって瑞樹の笑い顔が自然な表情に戻ってきた。前から少しずつ笑うようにはなっていたのだが、ぎこちない・・・まるで笑い方を忘れてしまったような笑い方だった。
今みたいに自然に笑ってくれる様になるまでの時間が、瑞樹の心の痛みなんだと岸田はそう理解した。
その後も楽しく色々な話に夢中になり、相変わらず話下手は岸田は身振り手振りで会話していた為、ポケットに突っ込んであったスマホが地面に落ちてしまった。
「いけね!やっちまった!」
そう言って、慌てて落ちたスマホを拾って壊れてないか確認するスマホを見ていた瑞樹は、前々から疑問に思っていた事を岸田に質問した。
「ねえ!前々から思ってたんだけど、岸田君のスマホに付いてるそのストラップみたいなのって、自転車の鍵とかに付けるキーホルダーだよね?」
瑞樹が気になっていたのは、岸田のスマホにぶら下がっている青いビニール生地のバンドに青い綺麗な球状の飾りと、小さな可愛い鈴が付いているキーホルダーの事だった。どう見てもスマホに付けるストラップには見えなくて、何故スマホに付けているのか疑問だったのだ。
「あぁ!これか!そう、キーホルダーだよ。これは死んだ婆ちゃんがずっと肌身離さず持っていた物でさ、亡くなるちょっと前に俺にくれたんだ。何でもこのキーホルダーのおかげで凄くいい事が沢山あったみたいで、ずっとお守り代わりに大事にしてたんだって。でも俺の自転車の鍵は他のお気に入りのキーホルダーやグッズが沢山付いてて、もう付ける場所がなかったから、スマホに付けてたんだよ。」
チリンと小さいが凄く綺麗な音が瑞樹の耳に届く、その音を聞いていると不思議と心が安らぐから不思議だった。
「そうなんだ。お婆さんの大事な形見なんだね。可愛いキーホルダーだよね。」
「うん。どこにでもありそうなキーホルダーなんだけど、何か貰ってからずっと持ち歩いてるんだよ。」
「そっか!そうゆうのって何かいいよね。」
岸田が手に取って見せたキーホルダーをにこやかな表情で瑞樹がそう言った時、髪を指先で耳元にかけた仕草が、何故か岸田には儚い存在に感じた。
まるで、もうすぐ自分の前からいなくなるような・・・・
急に不安で押し潰されそうになり、何か行動を起こさないといけないと強迫観念に囚われた岸田は、手に取っていたキーホルダーを握って、その手を瑞樹に差し出した。
「え?なに?」
キョトンとした瑞樹の手を掴んで、握っていた手を掴んだ瑞樹の手の上に重ねて、キーホルダーを瑞樹の手に乗せた。
「これ、瑞樹さんにあげるよ。」
チリン・・・・
綺麗な鈴の音が鳴った。
「え?いい!貰えないよ!亡くなったお婆さんの形見なんでしょ?」
慌てて受け取るのを断ろうとキーホルダーを岸田に返そうとした。
「うん。でも、俺はこれのおかげで、本当にいい事あったしね。これ以上の事を望んだら、欲張るな!って婆ちゃんに怒られるよ。」
「本当にいい事って?」
「こうして瑞樹さんと仲良くなれた事だよ。きっと婆ちゃんが情けない俺の背中を押してくれたんだと思う。」
「そ、そんな・・・・私なんて・・・」
恥ずかしそうに俯いた瑞樹の手にあるキーホルダーをギュッと握り締めさせる様に自分の手で、瑞樹の手を包むように優しく握った。
少し瑞樹の手が震えているのが伝わる。弱々しくて壊れてしまいそうな手の温もりを感じながら、赤い顔をした瑞樹を見た。
「このキーホルダーが瑞樹さんにも、きっといい事を運んで来てくれるよ。今は辛いだろうけど、このお守りを信じて頑張って欲しいから受け取ってよ。」
そう言われた瑞樹の瞳に涙が溜まった。
本当に辛くて寂しかった・・・こんな自分にもいい事が起きるかもしれない。岸田の笑顔を見ていると信じてみたくなった。
「うん・・・・ありがとう・・・」
頷いた拍子に溜まった涙が流れ落ちた。悲しくて辛い涙は今日まで散々流してきたが、嬉し涙を流したのはいつ以来だろう。すっかり自分自身を見失っていた瑞樹に明るい光が差した気がした。受け取ったキーホルダーを大事に、大事に両手で包んで、胸元へ引き寄せて願った。
ーーーまた皆と笑い合える場所へ帰れますようにーーー
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その日の放課後
「岸田君。」
岸田は意を決して、平田に呼び出された場所へ向かう為に下駄箱で靴を履き替えて、校舎を出た所で後ろから呼び止められる声が聞こえた。
振り返ると、そこには優しく微笑む瑞樹が立っていた。
「瑞樹さん!」
「岸田君も今帰りなの?」
「あぁ・・・まぁそんな感じかな・・・」
今から平田と話をつけてくる事は、もちろん瑞樹には隠して、曖昧な返事で誤魔化した。
「あ、あのね・・・」
「ん?どうしたの?」
モジモジと頬を赤らめ、少し俯き上目遣いでこちらを見ている瑞樹が、用件を話し出すのを待った。
「あ、あのね、よかったら、その・・・一緒に帰らない?」
梅雨が明けて、いよいよ夏本番の夕暮れ。
昼間と比べて若干気持ちの良い夏の風が、瑞樹の綺麗な髪を揺らす。
サラサラの黒髪が夕日の光を浴びて、透き通るような赤みを帯びた色に変わった。そんな夕日の色に負けない位に、顔が赤く染まった瑞樹が、一緒に帰ろうと誘っている。
何十回・・・いや、何百回・・・
自分の都合のいい妄想や、夢で見た光景が現実に目の前で広がっている。
何度も、何度も、自分には夢物語だと諦めてきた瑞樹への気持ちが、瑞樹の言葉で体中に溢れてきた。
嬉しすぎて、幸せすぎて場所を弁えずに泣いてしまいそうになるのを、必死で堪えた。
「ごめん!今日は水泳部の後輩に練習を見てくれって頼まれてて、今から向かう所だったんだ。誘ってくれたのは凄く嬉しいんだけど・・・ごめんな」
後ろ髪を引かれるどころか、体は向かう方向を向いているのに、心は微動だにしない感じだったが、絶対超えないといけない壁と戦う事が先決なんだと、心の中で、そう自分に言い聞かせて嘘の用事をでっち上げて瑞樹からの誘いを断腸の思いで断った。
「そ、そっか!それじゃ仕方が無いね。じゃあ、先に帰るね。バイバイ。」
一瞬寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻って可愛く手を振って、1人で校門を出ていく瑞樹の姿が見えなくなるまで、見送ってから気を引き締め直して、呼び出されている旧更衣室へ歩き出した。
絶対、誰にもこの幸せを邪魔させない!!