第19話 2人きりの部屋で・・・・
「おかえりなさい!間宮さん。」
そう言った少女は、文字通り全身ズブ濡れだった。マンションのエントランスとロビーから漏れる明かりが少女を照らす。前髪から滴り落ちる雨雫が煌めいていた。その雨雫を人差し指で掬うように払いながら、少女は間宮を迎えた。
「み、瑞樹か?・・・・」
状況が理解出来ない。この時間なら、まだ打ち上げの真っ最中のはずだ。それにその後は加藤の自宅で泊まるとも聞いていただけに、ここに瑞樹がいる事が不自然に思えた。瑞樹は間宮の言葉に返答しないで俯いている。
「何でズブ濡れのお前がここにいるんだよ・・・」
「駅から間宮さんのマンションの真ん中位にいる時に激しい雨が降ってきちゃって、雨宿りする場所もなかったから、鞄を頭に乗せて走ったんだけど、あの雨だと意味なかったね・・・えへへ」
「用があるなら、駅で待っていれば良かったのに・・・」
「だって!前に駅前で待ってたら、叱られたんだもん!」
口を尖らせて不貞腐れた顔でそう間宮に訴えた。
それは合宿最終日の事を言ってるんだと、すぐに気が付いた間宮は苦笑いで誤魔化した。
駅から半分程進んだ場所で、ゲリラ豪雨に降られて駅へ戻るよりも、このまま目的地まで走った方が、合理的だと考えて走ったらしい。丁度、今晩は加藤の家でお泊まり会の予定だった為、着替え等を入れた大きめのバッグを持っていたから、それを傘替わりにしたのだが、あまり意味がない程、強烈な雨だった事を瑞樹の姿を見れば容易に想像がついた。
「てか、クラスの皆と打ち上げ行ってたんだろ?」
「うん!行ってたよ。行ってたけど、30分位で抜けてきたんだよ。」
「何で!?皆で頑張った文化祭の打ち上げなのに・・・」
「うん・・・・まぁ・・・そうなんだけどね・・・」
苦笑いを浮べて曖昧な返事をした瑞樹が、続けて話し出そうとした時
「家まで送るよ。早く冷えた体を温めないと風邪ひいたら大変だから急ぐぞ!」
そう瑞樹に言って、駅方面へ戻ろうと歩き出した間宮だったが、着ていたパーカーの裾を引っ張られる。
「・・・・・嫌!」
裾を引っ張る瑞樹は、少し眉間に皺を寄せて一言だけ呟いた。
「いや!でもそんなに濡れて、早く体を温めないと夏場といっても風邪ひくって!」
「だって!間宮さんに聞いて貰いたい事があるんだもん。」
「話なら日を改めていつでも聞くから、今日はもう帰った方がいい!」
「駄目!きっと決心が鈍るから、今日話さないと駄目なの!」
瑞樹は間宮の提案を断固として拒否した。その目は切実な想いが溢れているように見えて、間宮は言葉を続けられなかった。暫く考え込んで、軽くため息をついてから、間宮は違う提案を真剣な眼差しを向ける瑞樹に投げかけた。
「わかった!でもどうしても今日、話をしたいなら条件がある。」
「条件?どんな条件なの?」
「その前に確認したいんだけど、このままここで話すつもりだったのか?」
「え?う、うん・・・そうだけど?」
「やっぱりな・・・話を聞く条件ってのは、話をする前に俺の部屋へ来る事!」
「え?えぇ!?ま、間宮さんの部屋に行くの!?」
「そうだ!俺んちに来て、まずシャワーを浴びるんだ!体を温めないと受験の大事な時期っだってのに、風邪なんてひいたら大変だからな!」
この条件なら絶対に断ると思っていた。一人暮らしの男の部屋に入るだけでも、要警戒なのにさらにシャワーを浴びろなんて言われたら、絶対断るはずだと確信していた。その条件を拒否した時点で何とか言いくるめて自宅へ送るつもりだった。
なのに・・・
「ん~・・・今晩、愛菜の家に泊まりに行く予定だから、着替えとか持ってきてるし、確かに風邪はひきたくないし・・・・うん!わかった!それじゃ、お邪魔して、シャワーお借りします!」
「・・・・・・は?」
「・・・・・・ん?」
「いやいや!俺一人暮らしなんだぞ!?」
「知ってるよ?」
「男なんだぞ!?」
「当たり前じゃん!何言ってんの?」
「しかもシャワー浴びろって言ってんだぞ!?警戒するだろう!普通!」
「あぁ!それは怖いし、絶対警戒して拒否るよね!でも・・・」
「・・・でも?」
「間宮さんだしね!純粋に私の体を心配してくれて、そう言ってくれたんでしょ?私、信じてるもん!」
「あ・・・・・・そ、そう・・」
完全に狙いが外れた。最初から部屋へ入れるつもりなんて無かったから、間宮の方が急に緊張してきてしまった。瑞樹の方が落ち着いていて、どっちが年上なのか分からなくなる。瑞樹はもう間宮の部屋でシャワーを浴びるつもりらしく、バッグを少し開けてお泊まりグッズのチェックを始めている。自分から言い出した事なんだし、こうなったら腹を括るしかない。
「じゃ、じゃあ、案内するから行こうか。」
「ん?うん!」
即答で返事してチェックしていたバッグを閉め、後ろからトコトコとついてくる。オートロックを解除して自動ドアを開けロビーに入る。瑞樹はロビーをキョロキョロと眺めながらついてくる。奥の突き当たりにあるエレベーターから、5階まで上り自宅がある503号室前まで到着した。部屋のカードキーを取り出して、スキャンしようとカードを通そうとした時、チラリと後ろに立っている瑞樹を見る。瑞樹は警戒しているでもなく、不安がっているわけでもない。寧ろワクワクしているように見える。そんな瑞樹を見て覚悟を決めて部屋の鍵を開錠してドアを開けた。
「どうぞ。」
玄関へ入って瑞樹にそう声をかけた。
「お邪魔します。」
やはり警戒心ゼロで躊躇いもなく部屋の玄関へ入ってきた。
間宮が先に靴を脱いで廊下へ立った時、「あっ!!」っと瑞樹が声をあげた。
土壇場でやはり怖くなったんだと、ホッとした表情で瑞樹の方を振り返る。
「どうした?」
「靴やソックスまでビショビショだから、このまま上がったら床が濡れちゃうよ!」
ガクッ!!!
自分の身の心配より床の心配かよ!と思わずズッコケかけた。
洗面台がある部屋へ行きタオルを持ってきた間宮は、ソックスをここで脱いでこれで足を拭くようにとタオルを渡した。言われたとおり足をタオルで拭いて、完全に間宮の部屋へあがった。もうここまで来たら風邪をひかないように体を温めさせる為なんだと、心の中で自分にそう言い聞かせながら、瑞樹を浴室へ案内する。手早くバスタオル等を用意して、脱衣所に設置してある乾燥機の出力をMAXに設定し、ハンガーを何本か用意して洗濯物を吊るしている棒に引っ掛けた。
「バスタオルはそれを使って、とりあえず今着ている制服を乾かすから、脱いだらハンガーで吊るしておいてくれ。完全には間に合わないかもだけど、何とか着れる位には乾くと思うから。」
「うん!わかった!ありがとう。それじゃ、シャワー借りるね。」
「あ、ああ。ごゆっくり。」
間宮はそう言って浴室のドアを閉めた。
リビングへ戻りPC用のチェアに座った。
ジャシャーーーー・・・
シャワーのお湯が流れる音が聞こえだした。まさか高校生の女の子に自宅のシャワーを使わせるなんて考えた事もなかった。
何か・・・駄目な事をしている気がしてならない・・・
ソワソワして落ち着かない・・・いい年して高校生相手にみっともない・・・
恐らく瑞樹は、俺の事を兄の様な感じで慕っているのだろう。でなければ一人暮らしの男の部屋でシャワーを浴びるなんて普通に考えれば有り得ない。信用しているからこその行動なのだから、その信用を裏切るわけにはいかない。よし!心を落ち着ける為に、じっくりコーヒーでも淹れて瑞樹にご馳走しよう。
シャワーのお湯を出しっぱなしで、頭からシャワーを浴び続ける瑞樹。温かいシャワーを浴び続けているのに、体が小刻みに震えている。寒いからではない、本当は怖いのだ。子供扱いされるのが嫌で、意地を張って冷静な態度でいたのだが、本音は不安で不安で仕方が無かった。
「大丈夫!心配ない、だって間宮さんだもん・・・」
自分に言い聞かせる様に呟いた瑞樹は、震える体を両腕でギュッと抱きしめた。
何故こうなったのだろう。自分は大切な話があって、このマンションまで来ただけなのに、突然のゲリラ豪雨に降られズブ濡れになったのが想定外だった。
「まさか間宮さんの家でシャワー浴びる事になるなんて・・・」
頭の先からつま先まで濡れたので、使い慣れない間宮のシャンプーとボディーソープを使って体を洗い出す。何だかいつも間宮が使っている物を自分の髪や体に使っているのが照れ臭さに拍車をかけて、1人浴室で真っ赤になりながら泡と戯れた。
でも何故だろう・・・・さっきまで不安しかなかったのに、段々落ち着いてきて、気が付けばリラックスしている自分がいた。それはこのシャンプーやボディーソープから間宮の匂いが想像出来たからだろう。
脱衣所に戻り、用意されていたバスタオルで髪や体を拭きながら、お泊まりセットが入ったバッグから、着替えを取り出そうとした時・・・
「あっ!」
コポコポと耳障りの良い音と共に、拘わりの豆の良い香りが立ち込めてる。
間宮ご自慢の珈琲の完成が間近に迫った時、浴室から戻ってきた瑞樹がリビングのドアをノックしてきた。わざわざノックなんてする必要がないのに、妙な事をするなと思いながら「どうぞ。」と一応返事した。
すると瑞樹はドアを半分だけ開けて顔だけヒョコッと出して、恥ずかしそうな表情で間宮に声をかけた。
「あ、あの・・・間宮さん・・・」
「ん?どうした?」
コーヒーをドリップするのに、大事な工程に入っていた為、顔と体はそのままで目線だけ瑞樹を見て、様子が変な瑞樹に何があったのかと聞いた。
「あのね・・・着替えなんだけど、バッグの中まで雨が染み込んじゃって、中の着替えも濡れてしまってて・・・」
あの雨で傘替わりに頭に乗せるように使った為、モロに豪雨を被ってしまい中身の大半が雨でビシャビシャになってしまったと言う。幸い下着はビニール製のポーチに入れていた為、事なきを得たが他は全滅だったらしい。
だから顔だけリビングに出してきたのか・・・ん?て事は・・・瑞樹は今、下着姿でリビングの前にいるのか!?そう考えてしまった間宮は、慌てふためいた。
「そ、そうか・・・なら俺の部屋着に使っているジャージを用意するから、浴室で待っててくれ。」
そう言って慌ててリビングの奥にあるクローゼットへ向かおうとしたのだが、あろうことか瑞樹は浴室へ戻らずにそのままリビングのドアを完全に開けて、恐る恐る中へ入ってきた。
完全に想定外な行動に間宮は体を硬直させてしまったが、視線だけは瑞樹からどうしても逸らす事が出来ずに入ってきた瑞樹を見た。
「えっ!?」
瑞樹の姿を見た時、体に電気みたいな物が走った。結論から言うと瑞樹は下着姿ではなかった。
なかったのだが・・・・
「あの、このワイシャツがハンガーにかかってたから、借りたんだけど・・・・駄目だった?」
瑞樹は脱衣所で、干してあった仕事着のワイシャツを来て現れたのだ。
180cm近い間宮のサイズに合わせたワイシャツを160cm切っている瑞樹が着ると、シャツの裾が膝下まできていたから、肌を隠すのには十分だったが、間宮の思考は以前、昔、仲間内で飲んでいた時に仲間の1人が、裸にエプロンと男物のワイシャツだけ羽織っている格好をさせるのは、男のロマンだよなって話していたのを思い出していた。あの時はそれのどこがロマンなんだか理解出来なかったが、こうして瑞樹のワイシャツ姿を見て始めて仲間の言っている意味が解った気がした。
襟元のボタンは2箇所外していたが、その他は下までキッチリ止めている。だから露出的にはワンピースを着ているのと変わらない。袖は長過ぎるので少し袖を折って捲りあげて、捲った袖の尖端から細くて白い手首と小さな手だけが出ている。
体型が分からなくなるサイズのワイシャツなのに、照明が当たると薄らと瑞樹のしなやかな体のラインが浮かび上がって、なんとゆうか・・・・色気が滲みでていた。
「あ、あぁ・・・そ、それは別に構わないけど寒くないか?」
目のやり場に困りながらも、なるべく動揺を悟られないように努めた。
「ん、大丈夫だよ。シャワー頂きました。ありがとう。」
薄らとピンク色に上気させた顔で、ニッコリと微笑んで心配ないと答えた。
濡れ髪をバスタオルで拭きながら、何気なくソファー替わりにベッドへ座った瑞樹を見て、警戒心のない無知とは何とも残酷なものだろうと、間宮は心で涙しながらそう叫んだ。
ベッドに座った瑞樹はリビングを見渡した。
「ここが間宮さんの部屋かぁ。男の人の独り暮らしなのに意外と片付いてるね。」
綺麗に片付いているリビングを見て、想像していた男の独り暮らしの部屋とはかけ離れていて驚いていた。
「物が少ないからそう見えるだけじゃないか?ゴチャゴチャと物を置くのが嫌いなんだよ。」
「ふ~ん・・・何か大人の部屋って感じでかっこいいじゃん!」
そう言う瑞樹に自分がかっこいいと褒められたわけではないのに、何故か照れてしまった。
「それにいい香りがする。」
瞳を閉じて深呼吸する様に香りを楽しんでいるのを見て、ドリップしていた珈琲の存在を思い出した間宮は、慌ててポットからコーヒーカップに珈琲を移したカップを1つ瑞樹に手渡した。
「ありがとう。凄くいい香りね。いい豆使ってるんじゃない?」
香りで豆の違いを嗅ぎ分けた事で、瑞樹も相当な珈琲好きな事を知って嬉しくなった。
「お!わかるか!これは拘わりで配分したオリジナルのブレンドなんだよ。」
「そうなんだ。間宮さんも珈琲好きなんだね。私の家は皆、珈琲好きだから、粉のインスタントって置いてないんだよね。」
そう言って猫舌の瑞樹は、すぐには飲まずに立ち込める湯気を、深く吸い込みながら間宮ブレンドの香りを楽しんだ。
それから暫く珈琲談義に花が咲き談笑が続いた。さっきまであった変な緊張感が嘘のように消えて、2人共自然に笑顔で楽しく話をした。ある程度話を終えて、間宮がPC用のチェアに移動して本題に対して口を開いた。
「それで?今日どうしても俺に話したい事って?」
そう間宮が瑞樹に告げると、部屋の空気が一変して静かな静寂が生まれた。
「うん。あのね・・・ずっと誰にも話せずにいた事があるんだけど、私の昔にあった事を間宮さんに聞いて欲しくて、今日突然お邪魔したんだ。」
「そっか。あ!もしかしてその話って加藤に話した事ないか?」
「え?うん。合宿の時にね。でも何でその事知ってるの?」
「瑞樹のその過去の事をなるべく隠して、無茶ぶりみたいな頼み事をされた事があったからさ・・・」
「あぁ!浴衣デートの事とか?」
「そうそう!理由を聞いてもそれは話せないの一点張りでさ!参ったよ。」
「あははは!ごめんね。私が愛菜に話したせいで、間宮さんにも迷惑かけちゃったよね。だからってわけじゃないんだけど、私の過去に何があったか聞いてくれますか?」
「あぁ!俺で良かったら聞かせてくれ。」