第2話 オムライスとナポリタン
8月6日 午後1時過ぎ
間宮は合宿から帰った翌日から、離れていた間に、溜まりに溜まった残務処理に追われ、土日も潰して奮闘していた。
オフィスチェアの背もたれに体重を預けて上半身を伸ばす。
「う~~ん!!やっと終わった!後は天谷社長のプレゼン資料を煮詰めていけば完了か。」
付けていた腕時計を見る。
「もう1時過ぎか。腹減ったしプレゼンは明日から本格的にやるとして、どっかで昼飯食って帰ろうかな。」
警備員に挨拶を済ませて会社を出てから、何を食べようか考えた。
「う~ん・・・よし!久しぶりに杏さんの店でオムライス食べていこ!」
目的地が決定して、人通りが少ない日曜のオフィス街をのんびり歩いて、目的地へ向かった。
杏の店とは間宮の会社から徒歩3分程の近場にあるsceneとゆう名のカフェバーの店だ。
昼間はオーナーの奥さんの杏が営んでおり、夜のバータイムは杏の主人でオーナーの関 和正がマスターをしていて、常連からは関さんやせっちゃんと呼ばれて親しまれている。
間宮もこの会社に勤め出して、暫くしてからここに同僚達と通うようになり、今では1人でも足を運ぶ事が多くなった常連だった。
のんびり歩いても4分程で到着して、慣れ親しんだ店のドアを開けて店内へ入った。
店内に入るとママの杏がすぐに間宮に気付いて、いつもの明るい笑顔を向けてくれた。
「あら!間宮君!久しぶりじゃない。元気にしてた?」
杏は嬉しそうに話しかけてくれた。
「杏さん、久しぶり!元気にやってたよ。杏さんこそ元気だった?」
間宮は杏にそう話しながら、いつものカウンター席が空いていたから、そこに座った。
「私は相変わらずよ。それにしても本当に久しぶりね!何かあったの?」
杏は間宮におしぼりを渡しながら、そう質問してきた。
「うん。静岡の方に一週間程出張だったんだよ。」
「間宮君が出張って珍しいわね。」
「まぁね!ちょっと特殊な出張だったけど、何とか乗り切った感じ!」
「そっか!無事にこなせて良かったじゃない!お疲れ様!
あ!今日は何にする?」
杏は注文を聞いてきた。
「そうだな~!じゃあ!いつもの貰おうかな!」
「了解!久しぶりなんだし、いつもより気合入れて作るわね!」
「ははは!それは楽しみ!。」
杏はそのまま厨房がある奥へ入っていった。
外が暑くて喉が乾いたから、出されたお冷を飲み干そうと口にグラスを運んだ時に、左側の隣の席から声が聞こえた。
「間宮さん?」
グラスの水を口に含みながら、呼ばれた方に顔だけ向けた先に、キョトンとした表情をした女性がこちらを見ていた。
ブフォッ!!
その女性を見て思わず口に含んだ水を吹き出してしまう。
「ゲホッ!ゴホッ!・・・ふ、藤崎先生!?」
「は、はい。やっぱり間宮さんですよね?まさかと思って声をかけてしまったんですが・・・」
「どうしてここに?」
「どうしてって、ランチしていただけですけど・・・
間宮さんこそどうして?」
「僕も今日はさっきまで会社で仕事をしてて、昼時だったので、ランチをここで食べようと思って・・・」
水を吹き出した間宮を奥から見ていた杏が慌ててカウンターへ姿を見せた。
「もう!間宮君!何やってるのよ!子供みたいに!」
杏はそう言って隣にいる藤崎へおしぼりを差し出した。
「すみません!大丈夫でしたか?どこか濡れたりしませんでしたか?」
「え?あぁ!大丈夫です。どこも濡れてませんよ。それに私が急に声をかけてしまったのが、原因ですから気にしないで下さい。」
間宮も申し訳なさそうに後頭部に手を回しながら
「本当にすみません。まさかここに藤崎先生がいるなんて思いもしなかったもので・・・」
「いえ!ホントに気にしないで下さい。それよりさっきまで仕事していたって言ってましたが、勤めている会社ってこの辺りにあるんですか?」
「あれ?言ってませんでしたか?僕の勤めてる会社って天谷さんのゼミの並びにあるんですよ。」
「え?ええ!?そうなんですか!?合宿が終わっても、こんなに近くにいたなんて・・・」
「そうなんですよ。それでよく昔からこの店に足を運んでたってわけです。藤崎先生もよく来られるんですか?」
「いえ、ランチに来たのは今日が初めてなんです。いつもはお弁当を作ってたんですが、昨日は遅くまでテスト問題を作ってて寝坊してしまって・・・このお店で歓迎会を開いてもらったんですが、その時に昼間はカフェになってて、ランチが美味しいって教えて頂いてたので来てみたんです。」
「そうだったんですか。それでsceneのランチデビューはナポリタンってわけなんですね。」
「はい、私的にカフェのフードメニューの基本はナポリタンだと思ってるんです。ナポリタンが美味しかったら、他のメニューも絶対美味しいはずなんですよ!」
「あはは!何かそれ解ります。で!どうでしたか?ここのナポリタンは。」
「それがとっても美味しいんですよ!特にこのケチャップが・・・」
感想を話してる途中で杏が間宮の注文した物を運んできた。
「はい!間宮君!いつものオムライスね。」
「お!きたきた!ありがとう。杏さん。」
オムライスを間宮の前に置いてから、杏は藤崎に話しかけた。
「お客さん!そのケチャップの味が分かるのね。それ拘りの自家製なんですよ。」
「自家製なんですか!それでこんなにまろやかな酸味なんですね。凄く美味しいです。」
「ありがとう。」
藤崎と杏はにこやかに笑いあった。
その後にさっきから気になっていた事を、杏は2人に聞いた。
「それはそうと間宮君とお客さんは知り合いなの?」
そう聞かれた間宮と藤崎はお互いの顔を見合わせて、間宮が口を開いた。
「そう!藤崎先生は天谷さんのゼミで講師をしてるんだよ。」
「あら!そうなんだ。天谷さんの所の先生なのね。
天谷さんもたまに来てくれてるんですよ。」
そんな会話をしながら、間宮はオムライスに口をつけた。
そのオムライスを見て、藤崎はこの店にはオムライスなんて無かった事に気が付いた。
その疑問に杏は材料に限りがある事と、仕込みにかなりの手間がかかる為に、一部の常連客だけの裏メニューなのだと説明した。
その説明を受けて改めてオムライスを見ると、間宮が幸せそうな顔でオムライスを黙々と本当に美味しそうに食べていたから、とうとう我慢出来なくなって、
「あ、あの!間宮さん!一口でいいので食べていいですか?」
「ええ、いいですよ。杏さん!」
間宮は杏に新しいスプーンを頼もうとしたが、藤崎は軽く首を横に振って、
「少しいただくだけなので、わざわざ新しいスプーンなんていりませんよ。」
そう言って間宮の返答を待つ事なく、口をつけた間宮のスプーンを手に取って、オムライスをすくって一口食べた。
じっくり味わいながら、オムライスを飲み込むと、藤崎はカウンターを軽く何度も叩き、足をパタパタと上下に動かしながら、
「ん~~~~~!!!!美味しい!何これ!こんな美味しいオムライス食べたの初めて!」
間宮以上に幸せそうな表情で藤崎は感想を述べた。
そんな藤崎を眺めていると、女性っていくつになっても、美味い物を食べている時が、一番幸せそうな顔をするよな、と考えながら食事を再開しようと、視線を自分の前に置いてあるオムライスへ向けると・・・・・
食べかけのオムライスが皿ごと無い・・・・
「あ、あれ?」
目の前にあったはずの物がない・・・そして隣でまた美味しいって連呼する声が聞こえる・・・
まさか・・・・・
恐る恐る藤崎の方を見る間宮・・・
そこには満面の笑みで皿を手に持ち、最後の一口分のオムライスを口へ運ぼうとする藤崎がいた・・・
「あっ!」
そう声を出すのがやっとだった・・・
パクッ!
ガクッ!
最後の一口が藤崎の口へ入った瞬間、間宮は肩を落とした。
あははははは!
そんな2人を見ていた杏は大笑いしていた。
杏は満足そうな顔をしている藤崎に声をかけた
「アンタ!いいね!気に入った!藤崎先生だっけ?
そんなにウチのオムライスが気に入ったのなら、今日はもう材料が無いけど、これからは藤崎先生の分も用意しておくわね!」
杏はまだ初回しか来店していない藤崎を、常連だけの裏メニューの提供を約束した。
「ほんとですか!嬉しいです!ガンガン食べに行くので宜しくお願いします!」
藤崎はそう言って、杏の手を取って感謝した。
大喜びする藤崎に、間宮は恨めしそうな表情で
「あ・・あの・・藤崎先生?」
間宮は掠れる声を絞り出して藤崎に話しかける。
「あ!ごめんなさい!つい、手が止まらなくなってしまったんです。ごちそうさまでした!間宮さん!」
そう言って間宮にサラッっと礼を言った。
仕方がないから、オムライスをもう一人前追加しようも、今日の分は予約分以外はもう無くなったらしく、間宮は悄気ながら、ナポリタンを注文した。
ケラケラと杏は笑いながら、再び厨房へ入っていった。
間宮は頬杖をついて水が入ったグラスを弄りながら、ナポリタンを待っていると、藤崎が食後のコーヒーを飲んで、間宮の左腕につけている時計の事を話題にふった。
「間宮さんのその腕時計ってozoneの時計ですよね?」
ozoneとはここ数年で急激に伸びてきた時計ブランドで、独創的なデザインで特に若い世代から支持を受けているメーカーだ。
「ええ、そうですよ。これって有名なんですか?」
「あれ?知らなくて買ったんですか?凄く有名ですよ。雑誌にもよく取り上げられてますよ。私も気になってたんですけど、間宮さんが使っているんだったら、思い切ってゼミの初お給料で買っちゃおっかな!
あ!そしたらペアウォッチになっちゃいますね!」
藤崎は口元を両手で覆って、照れて視線を落としながらそう言った。
「はは!ペアウォッチって言っても、そんなに流行ってるのなら、大勢の人とペアになるから、気にする事ないじゃないですか。」
間宮がそう正論を話すと、藤崎はムッっとした顔になった。
「それはそうですけど、こうゆうのは雰囲気ってか気持ち次第なんです!間宮さんと私だけのペアだって思ったら、そうなるものなんですよ!」
頬を膨らませながら、ペアアイテムについて藤崎が語った。
「なるほど、そうゆうものなんですね・・・勉強になりました。」
間宮の反応を見て、藤崎はプイっとそっぽを向いて
「わかればよろしい!この授業料でさっきのオムライスはチャラですからね!」
「ええ!?高い授業料ですね!」
そんな間宮のリアクションを見て、藤崎は思わず吹き出したて、間宮もつられて吹き出してしまって、2人で顔を合わせながら笑った。
それから注文していたナポリタンとサラダがカウンターに並べられて、食事をしながら藤崎と杏の3人で談笑していると、藤崎のスマホのアラームが鳴りだした。
「おっと!いけない!午後の講義が始まるから、そろそろ戻らないといけないので、お会計お願いします。」
藤崎はカウンターの椅子から降りて、鞄から財布を取り出しながら、杏に伝票を渡そうとした。
差し出した伝票が杏の手に届く前に、間宮が横取りすると
「藤崎先生、ここは僕が払っておきますから、もう仕事に戻ってくれて大丈夫ですよ。」
「え?いえいえ!そんなわけにはいきませんよ。」
藤崎は間宮の申し出を断ろうしたが、
「合宿で散々ご馳走になった缶ビールのお返しなので、気にしないで下さい。」
「いや・・・でも・・あれは私が勝手に買ってきた物ですし・・・」
困った表情の藤崎を見て
「いいじゃない!間宮君はお返しがしたいだけなんだし、遠慮する事ないわよ。ここは払わせてあげなよ。」
杏は片目を閉じて、ニッコリと笑顔でそう促した。
「はい。では間宮さんご馳走になります。ありがとうございました。」
「いえ、どういたしまして。お仕事頑張って下さいね。」
「はい!それじゃ、また!」
間宮にお礼を言って、店のドアを開けた所で振り返り、
「杏さん!御馳走様でした。凄く美味しかったです。また必ず来ますね!」
「うん!いつでも来てね!待ってるから!」
「はい!」
そう言って藤崎は笑顔で仕事に戻っていった。
すっかり日常の生活に戻った8月の昼下がり、
優しい時間が流れていく。
合宿へ同行してから、自分にとって大切だと感じる人間が増えたように思う。
自分の年齢ではこの辺りが限界だと線引きしていた線がプツリと切れそうになっている。
そんな事を考えるようになった、最近の自分が好きになった。
優しい空気、優しい時間が疲れた体を癒してくれているようだ。
この時間とこの繋がりを改めて大切にしたいと、ナポリタンを食べながら間宮は思った。