第39話 あの人の元へ
5月27日 間宮の誕生日当日
瑞樹はいつもの時間に、日課であるジョギングをしていた。
いつものルートを走り、そしていつもの充電ポイントで足踏みをしながら、マンションを見上げる。
今日が自分にとって大切な日でも、このルーティンは変わらない。
あ!カーテンが掛かってる……。
とうとう間宮さんの部屋に違う人が住みだしたんだ。
でも、もういいんだ。
だって、今日は間宮さんが住んでいた所じゃなくて、間宮さんが住んでいる所へ行くのだから。
もしかしたら、神様が間宮さんの元へ行けって言ってくれているんじゃ……。
今朝起きてから、ずっと不安しかない。
勿論、怖気づいて間宮に会いに行く事を止めるなんて選択肢はないのだが、どうしても上手くいくイメージが持てない瑞樹は、何でもいいから験を担ごうとしていた。
よし!行こう!
瑞樹は再び走り出した。
その一歩一歩が、間宮の元へ続いていると信じて。
「はぁ、はぁ、はぁ、やっとここまで走れるようになった」
元間宮のマンションを後にした瑞樹は、A駅前に到着して完全に足を止めて両手を両膝について、呼吸を整えていた。
ジョギングを始めだした当初、目標のコースを決めていた。
最初はこのコースの3割程しか走れなかったのだが、ついに完走出来たのだ。
まだ早朝の為、駅前の人の流れも疎らで、比較的静かな時間帯だった。
大きく深呼吸をして呼吸を整えていると、瑞樹の視界に間宮が時々使っていたストリートバスケット用のコートが目に入った。
えっと、確かここに隠してあるって言ってたような……。
金網に囲まれたコートの脇を探索していると、以前間宮から聞いていた場所から、かなり使い込まれたバスケットボールが見つかった。
「やぁ、ボール君。君もご主人様に置いて行かれたんだね……。私と同じだ」
瑞樹はボールを持って、コートに入った。
ぎこちないドリブルをしていたボールを両手で掴んで、瑞樹は何かを考え込むように、体の動きを止める。
そして、フープに目をやりながら、スリーポイントラインに立った。
このシュートが入ったら、間宮さんが私を受け入れてくれるって事で!
今日の瑞樹は、徹底的に験を担ぐつもりらしい。
だが、スリーポイントラインからのシュートは、大阪で間宮達とバスケットをした時は、シュートが決まる決まらない以前に、ボールがフープまで届かなかった。
瑞樹にとってかなり分が悪いはずなのだが、難しい条件をクリアして少しでも、不安な気持ちを吹き飛ばしたという一心だった。
シュートを打つまでの体の使い方は、大阪で間宮に教えてもらっている。
シュートフォームのイメージは、祭りの時ぴよ助を取ってくれた、あの間宮のフォームを頭に思い浮かべる事にした。
利き手の指にボールの縫い目を合わせて、シュートの構えのまま目を閉じて、深く深呼吸意をする。
膝を曲げた足から真下に力を込める。
地面から上に向かって蹴りだした力が伝わってくる。
膝から腰へ、上半身へ力が伝わってきた時、構えていたボールをゆっくりと頭上に持ち上げる。
肩付近まで力が伝わってくると、自然と足が地面から離れていく。
肩から腕に伝わってきた時、ボールは最高到達点に達そうとしている。
腕からボールへ力が伝わり、手からボールが離れる瞬間に、ボールを切るイメージで手首のスナップを効かせた。
ボールに真っ直ぐ逆回転をかけてフープから目を離さずにボールを放った。
放たれたボールは、イメージ通りの放物線を描く。
大阪では届きもしなかったボールが、フープ目掛けて舞い上がる。
あの時は運動不足もあり、かなり力を伝える事が上手く出来ずに、ボールがフープに届かなかった。
だが、ジョギングを日課にしてきた成果で足腰が安定した為、しっかりとボールに力を伝える事が出来て、フープの手前でボールが地面に落ちることなく、しっかりとフープを捉えている。
ゴンッ!
手前のフープにボールが接触してしまう。
跳ねたボールはバックボードにバンッと音を立てて上に跳ねる。
勢いを失ったボールは再びフープで小さく跳ねてから、リングをクルッと半周回って、鎖で出来たゴールネットをガシャンと揺らして、地面でテンテンと跳ねて転がった。
「は、入った?」
転がっているボールを目で追って立ち尽くす。
「入った! 入った! 入ったぁ!!」
見事にスリーポイントを決めた事を実感した瑞樹は、両手を大きく広げて力いっぱいジャンプして、喜びを体全体で表した。
「一緒に間宮さんの所に行こう!」
転がっているボールを拾い上げて、置いて行かれたボールに話しかけた瑞樹は、ボールを抱えて再び自宅へ向けて走り出した。
帰宅した瑞樹は、シャワーで汗を流して朝食を作り家族4人でテーブルを囲んだ。
両親に昨日のオムライスは何だったんだと散々質問されたが、まさか父親に今日新潟にいる好きな男に食べて貰う為などと言えるはずもなく、当たり障りのない返答をして誤魔化した。
食事を終えた瑞樹は、予約していた美容院へ向かい、全体的に少し髪を短くカットしてカラーを綺麗に染め直してもらった。
わざわざ美容院にまで行った事で、瑞樹の決心の強さが伺えた。
美容院からの帰り道に、作りたい物の材料を買い込み、帰宅してすぐにキッチンを借りると母親に告げて、何やら作り出した。
その様子を見た両親は、またオムライスではと不安を隠せなかった。
希に至っては危険回避の為か、そそくさと出掛けて行く始末だ。
だが、暫くして甘い香りが漂ってきて、両親はホッと胸を撫で下ろした。
お菓子作りをしている瑞樹の真剣な顔を見た母親は、誰の為に作っているのか察したのか、娘がお菓子作りに集中出来るように、さりげなくサポートに着いた。
完成したのは、綺麗にデコレートされたロールケーキだった。
出来上がったロールケーキを用意していた箱に詰めて、箱の淵に仕切りを作りその隙間に買っておいたドライアイスを仕込む。
詰め終わった箱を綺麗にラッピングを施して、慎重に冷蔵庫に運んだ瑞樹に「誰かの誕生日なの?」と母親が問うと、瑞樹は黙ったまま頬を赤く染めてコクリと頷いた。
そんな娘を見て、母親は嬉しそうに「そっか」と微笑んだ。
一旦自室に戻った瑞樹は、身支度を整えてると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」と瑞樹が告げると、着替えを済ませた母親が部屋に入ってきた。
「あれ? お母さんも出掛けるの?」
久しぶりに父親と夏物の買い物に出かけると、嬉しそうに話す。
相変わらず仲がいいねと言うと、母は頬を赤らめた。
結婚して長い時間が過ぎたにも関わらず、ケンカする事も多いけど2人でいる時はまるで恋人同士のようになる2人が、瑞樹には羨ましく映った。
「そうなんだ。てかいつも思うんだけど、お母さん達って身支度済ませるの本当に早いよね」
「当たり前じゃない! 何年日本のビジネスマンやってると思ってんの?」
ドヤ顔で胸を張る母と、笑い合った。
「出掛ける前に、ちょっと志乃と話をしたくなってね。時間は大丈夫? 志乃も出掛けるんでしょ?」
「うん。まだ時間には余裕があるから大丈夫だけど、どうしたの?」
「志乃って好きな人っているの?」
瑞樹のベッドに腰を掛けた母は突然そんな事を聞いてきた。
その質問に着替えていた瑞樹の動きが止まる。
「い、いけない?」
「まさか! 駄目なわけないでしょ! もしそうなら嬉しいなって思っただけよ」
「……」
「去年の夏頃からだったかな。アンタってばあの頃から随分と雰囲気が変わったよね」
「……そうかな」
「うん! 笑い方が変わったよ。それまでは無理して笑顔を作ってたでしょ?」
「えっ!?」
「アンタ、隠せてると思ってたの? 母親なめんな!」
悪戯っぽく笑みを浮かべる母の目は、とても深い優しさを感じた。
瑞樹が中学3年生になって暫くしてから、様子がおかしいと気が付いた。
もしかしてと悪い想像ばかりが、頭を過ったという。
それから注意深く瑞樹を観察を始めてた。
だが、暫くすると嘘臭い笑顔が少し変わったように感じて、状況が良くなったのかもと期待していたらしい。
だが暫くすると、また笑顔に影が見え始めていた。
何度も何があったのか聞きたかったんだと、辛そうに話す母の目に光るものが見えた。
でも、問いたださなかったのは、志望校を変えたいと言い出した時の瑞樹の目に僅かにだが、光が見えた気がしたからだと聞かされた。
それから猛勉強の末、英城学園に進学して少しは元気を取り戻した様に見えたが、やはりまだ笑顔がぎこちなく見えていたという。
だが、高校3年生になって初めてゼミの合宿に参加して、帰って来た時の笑顔は忘れられないと嬉しそうに言う。
希望に満ちた瞳を見せてくれた時、今までの事が走馬灯のように頭の中を流れ、我慢する事が出来ずにシャワーを浴びるふりをして、泣き崩れたと告白された。
「合宿で得たのは学力だけじゃなかったのね」
「うん。心から大切だと思える出会いがあって、その人達のおかげで私は救われたんだ」
「そっか! もしかしてその時の出会いの中に間宮さんもいたの?」
「……うん。間宮さんは臨時講師として合宿に参加していたんだ」
「志乃の好きな人って、間宮さんなの?」
「……そうだよ」
「そう。それなら親としても、志乃と同じ女としても、何も言う事はないわね」
「……お母さん」
「当然でしよ! 志乃を助ける為に、あんな無茶してくれた男なんだよ?本当にいい出会いがあったんだね」
「うん」
「頑張ってきて、本当に良かったね。志乃」
「……う……ん。心配かけてごめんね。お母さん」
瑞樹は着替えを完全に中断して、静かに母の胸元に額を当てた。
「ふふふ。志乃が泣くところを見るなんて、いつ以来かしらね」
「……う、うう……うぅ……お、母さん」
「頑張って来なさい。志乃ならきっと出来るよ」
「……うん。ありがとう、お母さん」
最後は、親子で抱き合い今までの事を思い出しながら、これまでの辛かった記憶を洗い流す様に、2人は涙を流し合った。
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「それじゃ、行ってきます!お母さん!」
「うん! いってらっしゃい! 気を付けてね。私達もすぐに出かけるね」
瑞樹は玄関まで見送りに来た母親と別れて、自宅を飛び出した。
母達は車で出かけるから、送って行こうかと言ってくれたが、父の質問攻めが面倒くさそうだったから、やんわりと断った。
自転車で駅まで向かいたいところだが、ロールケーキが型崩れを起こす恐れがあるからと、迷わず徒歩でA駅を目指した。
駅へ到着しても常にロールケーキに気を配りながら、改札を潜りいつもなら運動不足解消の為に、階段を上ってホームへ向かうのだが、今日は階段の端に設置されているエレベーターに乗る。
エスカレーターがホームまでおよそ真ん中辺りに差し掛かった時、瑞樹の少し後方でドサッと何かが倒れる音が聞こえた。
瑞樹は顔だけ振り返り音がした方を見ると、老夫婦が荷物の重さに耐えきれず、階段の途中で転倒しているのを目撃した。
倒れた2人とエスカレーターですれ違った時、確かに重そうな荷物だなと気にはなっていたのだが、案の定倒れてしまったようだ。
瑞樹はすぐにでも手を貸したかったが、エレベータに乗っていてはすぐに駆け付ける事が出来なかった。
ゆっくりと登っていくエスカレーターに苛立ちを覚えながら、遠ざかっていく老夫婦の様子を伺っていた瑞樹だったが、他の通行人が邪魔で2人がどうしているかよく見えなかった。
だが、あと少しでエスカレーターが昇り切る所まで来た時、転倒している老夫婦に誰かが歩み寄るのが見えた。
相変わらず、無関心で階段を下りていく通行人達が邪魔で、しっかりと確認出来なかったが、どうやら男性が老夫婦に歩み寄り、倒れた荷物を持って老夫婦を下まで誘導しているように見えた。
どんな人物かまでは確認できなかったが、その男性の行動を見た瑞樹の心が温かくなった。
以前、間宮が東京の人間は冷たい奴ばかりだと話していた事を思い出した瑞樹は、心の中で呟く。
ほら! 東京の人だって思いやりのがある人だっているんだからね!
間宮さんに会えたら、自慢しようと口の端が上向かせて後ろを振り向くのを止めて、停車している電車に軽やかに乗り込んだ。
無事に東京駅に到着した瑞樹は、事前にネットで手配していた新幹線の乗車券を窓口で受け取り、間宮が住む新潟に向かう新幹線に乗車した。
ロールケーキ以外の荷物を頭上の棚に仕舞って席に着いた瑞樹は、買っておいた缶珈琲を口に含み、車窓から駅のホームを行き交いする通行人達を眺める。
そういえば、一人で新幹線に乗って遠出するのなんて初めてだ。
さっきまで不安とドキドキで一杯だったけど、何だか冒険に出発するみたいでワクワクしてきた。
ついに、不安と期待に胸を躍らせた瑞樹を乗せた新幹線が、間宮がいる新潟方面に向けて走りだした。
ここから、2人にとって長い長い一日が始まる。
「ここが新潟駅かぁ」
新潟駅に到着して、新幹線を降りた瑞樹は辺りをキョロキョロと見渡しながら、次の電車に乗るホームを目指して歩く。
東京と比べて、圧倒的に通行人が少なくて快適に進める。
生まれも育ちも東京っ子の瑞樹は、人混みをすり抜ける術は心得ているが、決して人混みが好きなわけではない。
移動する足取りが軽い。
颯爽と風を切って歩く。
それは人混みの中を窮屈に歩くのでなく、自由に歩けているからだろうか。
それとも、ずっと会いたかった人が住んでいる町の空気を、吸ったからだろうか。
電車を乗り継ぎ、ついに間宮のハイツがある最寄り駅に辿り着いた。
思っていたより、遥かにあっという間にここまで来ることが出来た。
新潟県と聞くと、遠距離というイメージがあったのだが、実際行ってみると意外に短く感じた。
文明の利器に感謝しつつ、とりあえず休憩がてら駅前にあるカフェに入った。
瑞樹が入った店はいかにも個人経営という感じの店だった。
昔ながらの店という感じで、カフェというよりどちらかと言えば喫茶店って感じの店内で、瑞樹にはこの雰囲気が物珍しかった。
注文した珈琲が出されるまでの間に、ここまで大事に運んできたロールケーキが入った箱の中をチェックすると、ケーキはデコレーションを施した部分を含めて、しっかりと原型を維持していてホッと胸を撫で下ろした。
窓から外を眺める。
ここが間宮が生活している町だと思うと、何故だか関心深い気持ちになる。
腕時計で時間を確認すると、午後5時過ぎを指していた。
ほぼ予定通りの時間だ。
勢いでここまで来たが、この突撃作戦には最大の不安要素がある。
それは、間宮本人にアポがとれていない事だ。
連絡先が分からなかったのだから、当然といえば当然だ。
昼過ぎに突撃する事も考えたが、留守の可能性が高い時間帯を避ける為にこの時間にしたのだが、留守の可能性が消えたわけではない。
ただの外出で留守だったのならまだいい。
瑞樹にとって一番最悪なパターンは、間宮の誕生日を誰かに祝ってもらっていて留守にしている場合だ。
間宮の過去を知っているから、流石にすでに恋人が出来ていて、その女性と誕生日を過ごしているというのは考えにくい。
だが、間宮に気持ちを寄せている誰かに誘われて、外出してる可能性は決して低いとは思えない。
もっと言えば、外出しているのでなく、他の女性と部屋にいた場合の事を想像しただけで胸が張り裂けそうになる。
でも、それでも……もう逃げないと誓ったんだ。
どんな結果になっても、このまま前に進めないことの方が駄目なんだ。
気持ちを奮い立たせた瑞樹は、もう一つの文明の利器であるスマホを取り出して、地図アプリを立ち上げ間宮の住所を入力する。
検索した結果、ここから徒歩だとそれなりの距離が表示された。
だが折角なのだからと、間宮が住む街並みを見て回りながら、歩いて行く事にした。
カフェを出た瑞樹は、スマホを片手にナビに従いながら、間宮が住むハイツに歩きだした。
道中は、観光気分で間宮が住んでいる町を興味深く探索しながら進んだ。
決して活気がある町ではなかったが、何というか落ち着く感じがする。
何故だろうと考えた時、すれ違う通行人の雰囲気が違う事に気付いた。
東京の人間は、目に見えない時間に常に追われている感じがする。
それは働いていない学生でも同じ事が言える。
友達と遊んでいる時でさえ、無意識に速足になってしまっている。
それに比べて、決して呑気にしている訳ではないが、どことなく余裕をもっているように見える。
間違っているかもしれないが、瑞樹にはそう感じた。
駅から少し歩いたところで、瑞樹の携帯が鳴りだして、地図アプリの画面が消えて希の名前と携帯番号が表示された。
「もしもし?」
「あ! お姉ちゃん?」
「うん。どうしたの?」
「あのね、今ね……」
そこで耳を当てていたスマホからブツっと音がして、そこから希の声が聞こえなくなった。
「希? あっ! 充電が切れてる」
そういえば昨日はソワソワして、中々寝付けずベッドでコロコロと転がっていて、うっかり携帯を充電するのを忘れていた事を思い出した。
それと同時に大変な事に気が付く。
充電が切れてスマホが使えなくなって、間宮のハイツまでの地図が見れなくなってしまった。
ど、どうしよう……。
誰かに道を聞こうにも、間宮の住所もスマホ内にあるメモに書き込んでいた為、住所名が分からない……。
全く土地勘がない瑞樹は、完全に迷子になってしまった。
元来た道を戻る事は出来るが、戻っても何も解決しない。
途方に暮れていると、瑞樹のすぐ横に軽自動車が停まり、ハザードランプがチカチカと光りだす。
「あの、すみません」
停まった軽自動車から降りてきた運転手に声をかけられた。
「人違いだったらごめんなさい。もしかして瑞樹さんじゃないですか?」
「え?」
ここは新潟県だ。
こんな所に、間宮以外の知り合いなんているわけがない。
だが声をかけてきた女性は、自分の事を知っているようだ。
「そ、そうですけど……」
「あぁ! やっぱり瑞樹さんだ!」
少し自信無さげに声をかけてきた女性は、声をかけた人物が瑞樹で間違いない事を確認した途端、テンションを一気に上げて明るい声を上げた。
声をかけてきた女性は、とても綺麗な人で如何にも仕事が出来ます的な雰囲気を漂わせていた。
美人というより所謂、カッコいい女性だった。
「えっと……」
「ふふふ! ごめんね。私は川島って言います。覚えてないかもだけど、天谷さんのゼミで一度見かけた事があるんだけどな」
天谷さんのゼミ?って私が通っていたゼミの事?東京のゼミの話だよね。
そういえば、初めて見た気がしない。
誰なのかは思い出せないけど……。
でも、この雰囲気って……。
「あっ! ゼミで間宮さんと一緒にいた人だ!」
「正解! やっぱり間宮さんとセットで覚えられてたか。ていうかビックリしたよ! まさかこんな所で瑞樹さんを見かけたんだもん!」
「はは、私も驚きました。ここで間宮さん以外に声をかけられるなんて、思ってもいなかったので」
「まぁ、そうだよね。ところで、こんな所で何してたの?って愚問だったかな。間宮さんに会いに来たんだよね?」
「そうなんですけど……あっ! 川島さんって間宮さんが住んでいる場所って御存じですか?」
川島は行った事はないけど、話には聞いていたから知っていると答えると、瑞樹は途中で携帯の充電が切れた事を説明して、間宮の自宅までの道を教えて貰えないかと頼んだ。
「なるほどね! そういう事なら乗って行かない? 送ってあげるよ」
「え? いえ、迷惑でしょうから、道だけ教えてもらえれば」
「別に帰る途中だっただけだし、少し話し相手になって貰えないかな?」
こういう言い回しが出来る川島に、大人の優しさに触れた気がした瑞樹は言葉に甘える事にした。
「えっと、それじゃお言葉に甘えさせていただきます」
「そうこなくっちゃね! じゃあ、乗って」
川島は助手席に瑞樹が乗り込み、シートベルトを繋いだことを確認すると、ハザードを消してアクセルを踏み込んだ。
「ところでどうして日曜日の今日なの? 距離があるんだし土曜日の方が良くない?」
「あ、えっと……今日が間宮さんの誕生日でお祝いがしたくて来たんです」
川島はそっか!と納得してから、間宮に何時に行く事になっているのか聞かれたが、アポなしで来たから時間は決まっていないと話した。
アポなしで、東京から新潟まで来た事を知った川島は心底驚いていたが、事前に連絡を取りたかったが、連絡方法がなかったと説明した。
「あ、そっか! 間宮さん携帯持ってないもんね! 何度か不便だから持てばって話したんだけど、その度に今は余り必要性を感じないからって未だに買わないんだよね」
何故だろう……。
『必要性を感じない』という言葉が『私と話す必要性を感じない』と言われた気がして、心がポッキリと折れそうになった。
その後、日曜日のこんな時間から会ったら、今日中に帰れないんじゃないかと、何かを言いたげにニヤニヤしながら川島が聞いてきた。
瑞樹は落ち込んだ事を悟られまいと気丈に振る舞い、駅前のネカフェで時間を潰して始発で帰るのだと、川島が想像している事を否定した。
そんなやり取りをしていると、やがて川島が運転する車が停まった。
「着いたよ。部屋番までは聞いてないけど、確か二階の角部屋って言ってた思う」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
瑞樹は川島に礼を言って、シートベルトを外してドアノブに手をかけた時「一ついい事教えてあげる」と川島に呼び止めらた。
「いい事って何ですか?」
瑞樹は手をかけていたドアノブから手を離して、川島の言葉に耳を傾ける。
川島は先週末に、間宮の歓迎会BBQを開いた時の事を瑞樹に話して聞かせた。
「……怒った? 間宮さんが私の事で……」
「うん! どう? いい援護射撃になったでしょ!」
「え?」
「だから、気を落とさないで頑張れ! 瑞樹さん!」
落ち込んだ事を悟らせない様に、上手く隠せていたと思っていたが、この人にはバレていたようだ。
何だろう。出来る女子には心を読む特殊能力が備わっているのだろうか、そんな馬鹿な事を考えてしまう程、川島の言葉に驚いた。
「川島さん……はい! ありがとうございます!」
単純女である瑞樹は、川島に聞かせて貰った話でさっきまでの凹んだ気持ちなんて、あっという間に吹き飛ばして作り物ではない、本当の笑顔を川島に向ける。
「それと携帯の充電が切れたって言ってたよね? 瑞樹さんのスマホってiPhone? android?」
「iPhoneですけど」
「なら丁度良かった! 出先用に車に積んでた充電器なんだけど、持って行って間宮さんの家で充電させてもらうといいよ」
「いえ! 送って貰った上に、そんな事して貰うわけにはいきませんよ」
「予備の予備のやつだから、気にする事ないよ。ほら!」
遠慮していた瑞樹に、川島は気にするなと充電器を手渡した。
「ホントに何から何まで……すみません」
「いいって! いいって! それじゃ私は行くね!」
「はい! お気をつけて! ありがとうございました!」
「どういたしまして! じゃね!」
川島はそう言い残して、車の運転を再開して走り去った。
ここが間宮さんの新居か。
建ててまだ数年って感じの新しい感じがする。
外装の色使いや、建物のデザインが少し変わっててお洒落な佇まいだけど、周囲の雰囲気を考えたら何だか浮いてる感じがして可笑しくて笑ってしまいそうになる。
確か二階の角部屋って言ってたな。
まだ探検気分の瑞樹は、ドキドキしながら階段を登って左右の角部屋を見渡した。
まずは左側の角部屋の表札をチェックしてみると、松井と書かれた表札が玄関横の張り付けられていた。
と言う事はと、反対側の角部屋の玄関前まで移動すると、表札に間宮と表示された真新しい表札があった。
あった! ここが間宮さんの新しい部屋だ。
まるで大冒険の末、最後の砦に辿り着いた心境だった。
自分の気持ちに疲れて逃げ出したくせに、まわりに散々迷惑をかけてしまったのに、再び冒険に出る資格を与えて貰ってここまで辿り着けた。
私がもう少し強かったら、岸田君を傷つけずに済んだはずだ。
私がもっとしっかりしていたら、加藤達に無用な心配をかけずに済んだはずなんだ。
でも、そんな経験をさせてもらったからこそ、今の私の中に存在している間宮への気持ちがここまで大きく育ったのだとも思う。
さぁ!ついにラスボスまでこの扉を開けるだけになった。
心の準備はいい?私。
瑞樹は大きく、そしてゆっくりと深呼吸をした。
そして、目の前にあるインターホンのボタンを押した。
以前の立派なマンションのインターホンの高級そうな音ではなく、聞き馴染みのある一般的な音が鳴った。
だが、部屋の中からは何も反応がない。
もう一度押してみたが、はやり結果は同じだった。
留守かもしれないという事は想定内だ。
だが、一大決心をしてインターホンを鳴らした瑞樹は、ただ項垂れるしかなかった。
時計を確認すると、18時前を指していた。
この時間に留守だという事は、夕食を外で済ませてくる可能性が高い。
つまりこの状況は、長期戦になる事を示していた。
この状況を想定していた瑞樹は、駅で買っておいた簡易に摂れるバランス栄養食とペットボトルに入った飲み物を鞄から取り出した。
諦めない。
間宮さんに会えるまで、絶対に帰らない!
……何だかストーカーになった気分だが、事前に連絡が取れなかったのだから仕方だないと、自分に言い聞かせて軽食を摂り決戦に備えた。
20時を過ぎた。
まだ、間宮は帰宅してこない。
立っているのに疲れた瑞樹は、玄関のドア付近の壁に背中を預けてしゃがみ込んだ。
遅いなぁ……間宮さん。
まるで親の帰りを待っている子供のように、寂しそうな表情で腕時計を恨めしそうに眺める。
……み……ずき?
……みず……き!
頭の中で、誰かが呼んでいる声が聞こえた気がした。
その声は懐かしくて、ずっと聞きたい声だった。
心に直接響いてくる声。
そこで私はいつの間にか、眠ってしまった事に気が付いた。
「瑞樹!」
意識がその声の主に覚醒させられた瑞樹は、目をパチリと開き呼ばれた方を慌てて見あげると、そこには目を見開いている間宮が立っていた。




