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29  作者: 葵 しずく
最終章 卒業
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第34話 仮面

 A駅へ戻ってきた2人は、いつものように駐輪所から自転車を押し出して、瑞樹の自宅へ向かう。


 会った時の帰り際に行ういつもの行動だった。

 いつもどおり、瑞樹は今日あった事を楽しそうに話してくれている。

 本当にいつもの光景だった。


 ……なのに、今日一日感じていたざわつきは治まってくれない。


 住宅街に差し掛かる手前にあるコンビニで、瑞樹が妹に頼まれた物があるからと、店内に入っていった。

 いつもなら瑞樹に付き添うように一緒に店内に入っていく岸田だったが、外で待っていると告げてついていかなかった。


 いつものどんよりとした、星が殆ど見えない夜空を見上げる。


 結局瑞樹の口から、津田の名前を聞く事はなかった。

 津田の話した事が本当なら、彼女の性格なら何も言ってこないのは変だ。

 だが、瑞樹はいつものように楽しそうに笑っていた。


 その笑顔が何故か岸田には、心を抉りとられるような気分にさせられた。


 大好きな彼女の笑顔が、こんなに辛く感じる事があるなんて考えた事もなかった。


「ごめんね、おまたせ」

「ううん。もういいの?」

「うん! はい、これ!」


 瑞樹はコンビニの袋から缶コーヒーを二本取り出して、一本を岸田に差し出した。


「え? いいの?」

「うん! 今日も沢山お金使わせちゃったから、そのお礼です」

「はは、別に気にしなくていいのに。んじゃ、ありがたく!」


 岸田は缶コーヒーを受け取り、2人はその場でプルトップを開けた。

 その缶を開けた音が、妙に岸田の耳に残る。


 岸田は珈琲を一口だけ口に含み、軽く息を吐いた。

 隣を見ると瑞樹もニコニコしながら、珈琲を飲んでいる。


 やはり最近の彼女は変だ。


 笑顔がどことなく不自然な感じがする。

 極端に言えば、無理をして笑っているようにさえ見えた。


 どこかで、彼女のそんな笑顔を見た事がある。


「ん? どうしたの?」


 瑞樹の横顔を見ていると、ニッコリと笑顔でそう話しかけてきた時、岸田はその笑顔をどこで見た事があるのかハッキリと思い出した。


 ――そうだ、中学時代に孤立していた彼女に話しかけて、初めて笑ってくれた時の笑顔にそっくりなんだ。


「瑞樹さんってさ……俺といて楽しい?」

「え? 突然どうしたの?」

「何か最近様子が変だなって思って……」

「……え? そ、そうかな。あ! そろそろ帰ろうか」


 空き缶をゴミ箱に捨てて、急ぐように歩き出そうとする瑞樹に、岸田はあの事に触れる決心をした。


「あ、あのさ! 聞きたい事があるんだけど、もう少しだけ時間貰えないかな」

「……う、うん」


 岸田の真剣な表情を見て、瑞樹は観念したように足を止めた。


「あのさ、ウチの部の津田先輩って人が来なかった?」

「……うん……来たよ」

「どうして、その事を話してくれなかったんだ?」

「ど、どうしてって……」


 言えない……ううん、言いたくない。

 他人事の様だったと言われたなんて言いたくない。

 もし話してしまったら、きっと私は駄目になる気がするから。


「だって、同じ部で先輩なんでしょ? 私が津田さんの事を話したら岸田君が気にして、練習に集中できないかと思って……」


 津田と話した詳しい詳細は避けて、当たり障りのない言葉を告げる事にした。

 ここだけ聞けば、私が岸田君の事を心配しているように見えるだろう。

 でも、本当は全然違うのに……。

 私は、本当に卑怯な女だ。


「本当にそれだけ?」

「な、何が言いたいの?」

「……ううん。いい、ごめんな。それじゃ送っていくよ」

「……うん」


 彼は何が言いたかったのかを、考えるのが怖くて仕方がなかった。

 だから、この空気を変えようと何か話そうとしたが、言葉が出てこない。


 あと一つ角を曲がると、自宅が見えてくる。

 もうこうなったら、このまま別れの挨拶だけ済ませて帰宅しよう。

 日付が変われば、空気も元に戻ってくれるだろう。


 瑞樹がそんな事を考えていると、瑞樹の自転車を押していた岸田が立ち止まりガシャンと自転車のスタンドを立てる音がした。

 スタンドを立てる音で瑞樹も立ち止まり、後ろに振り返るとすぐ目の前に岸田が立っていた。


「今日は不意を突くような事はしないから……」


 岸田はそう言って、瑞樹の両肩に手を添えた。


 ……あ、キス……か。

 う、うん! キスで空気が戻るのなら……。


 岸田の顔が近づいてきたのを確認して、瑞樹は少し緊張した面持ちで目をギュッと閉じる。

 ……だが、待てども唇に何の感触も感じられなかった。

 閉じた目をゆっくりと開いてみると、目の前にいる岸田が辛そうな表情でこちらを見ている。


「どうしたの?」


 キスするんじゃなかったの?もし、私の早とちりだったら恥ずかしくて、死にたくなるんだけど……。


「何で……泣いてるの?」

「え?」


 彼の言っている事が分からなかった。

 泣いてる?私が?

 そんなはずないじゃん。


 瑞樹は足元に視線を落とすと、靴のつま先の路面にポツポツと濡れたような跡を見つけた。


 そっと自分の目元に触れてみると、湿り気を帯びていて、目から零れ落ちる涙が触れた指を濡らした。


 ここで瑞樹は初めて今、自分が泣いている事に気が付いた。


「え? あれ? 変だな……ち、違うんだよ! ホントに……違う」

「何が違うの?」


 まったくだ。

 一体何が違うと言うのだろう。

 自分でも意味が分からない。

 それでも、「違う」とだけ繰り返す。

 それしか出来ないから……。


「あのさ」

「……うん」

「俺は瑞樹さんの中に間宮さんがいても構わないって言ったよね」

「……うん」

「まぁ、思うところはあるんだけど、今だってあの時に話した気持ちに嘘はないんだ」

「……うん」


 岸田は自分の気持ちを落ち着けるように、軽く息を吐き「でもね」と続ける。


「俺の気持ちは、どうやら君に我慢を強いているみたいだね」

「そ、そんな事ない。そんな事ないよ!」

「じゃあ……どうして、知り合った頃みたいな笑顔をしているの?」


 岸田君と知り合った頃の私?

 それって、中学生だったあの頃だよね……。


「どういう意味?」

「そっか……自覚はなかったのか。最近の瑞樹さんって自分を押し殺して、周りの目ばかりを気にしていた仮面を被っていた頃のように見えてたよ」


 仮面……嫌な表現だと思った。

 まるで、今の私は人形だと言われた気がしたからだ。

 確かに意識して笑っていた事は、思い当たるふしはある。

 でも、だからといってそんな言い方はないと思う。


「……そんな事」

「あるよ。仮面を被っていない瑞樹さんを見たのは、付き合いだして初めて買い物に出かけてケンカ別れをしてしまった時と、テーマパークで一日遊んだ時くらいだったかな」

「……」

「それにね、瑞樹さん」

「……」

「俺は、あの人の存在を無視するつもりもないし、ましてや瑞樹さんに我慢させるつもりなんてなかったんだよ?」


 じゃあ、どうすればよかったと言うのだろう。

 私は間宮さんを想う事に疲れて、岸田君の気持ちに逃げた自覚がある。

 その選択をした瞬間から、私にはもう岸田君しかいなくなったんだ。

 確かに、嫌われないようにと意識した事はあった。

 でも、そんな事は付き合っている人達なら、多かれ少なかれ意識しているはずだ。


「私は我慢なんてしてない」

「そう? それなら何故キスしようとした時、泣いていたの?」

「……それは」


 違う!違う!

 我慢なんてしてないよ!

 だって、言われるまで泣いてたの気付かなかったんだから!


「俺とキスしたくなかったとまでは思いたくないけど、少なくとも俺に合わせただけだったよね?」

「……駄目なの?」

「え?」

「岸田君は私とキスしたかったんだよね!? だから私はそれを受け入れようとした! それは駄目な事なの!?」

「駄目だよ……」

「どうして!?」


 岸田の方が震えている。

 いつもならその変化にもすぐに気が付いたはずだったが、今の瑞樹にはまともに岸田が見えていなかった。


「お姉ちゃん?」


 突然2人から少し離れた場所から、声をかけられた。

 瑞樹達は我に返り振り向くと、少し困惑した様子の希が立っていた。


 どこから聞かれていたのか分からないが、少なくとも仲良くしていたようには見えないだろう。


「そこの角まで二人の声が聞こえてたよ。近所迷惑になるから場所変えた方がいいんじゃない?」


 希は苦笑いを浮かべて、2人の元へ歩み寄る。

 暗闇で遠目からは分からなかったが、近づいてみると姉の瑞樹の目から涙が流れた跡が見える。


「希ちゃんだよね? こんばんわ。迷惑かけちゃってごめんね」

「いえいえ、私に謝れても困ります」


 表情を変えずに、謝る岸田を軽くさばく様にそう返すと、腕時計を覗き込んだ。

 希の出現で、緊迫していた周囲の空気が僅かに緩んだ。

 だが、この場の空気が気まずいものに変わっただけだった。


「そろそろ、ここお父さん達が通る時間だよ。お姉ちゃん」

「う、うん。分かった」

「んじゃ、先に帰ってるね」


 希はそう告げながら、2人の前から立ち去ろうと歩きだし、瑞樹とすれ違った瞬間に小声で「今日はもうやめといた方がいいんじゃない?」と瑞樹にしか聞こえない声量で呟いて、自宅に姿を消した。


「……ごめんな。こんな所でする話じゃなかったな」

「ううん、私の方こそ大きな声だしてごめんね」


 さっきまで言い合っていた事が嘘の様に、2人の間に重い沈黙が流れる。


 岸田は止めてあった瑞樹の自転車のスタンドを降ろし、ゆっくりと自転車を押して瑞樹に近づいた。


「そろそろ帰るよ。これ」

「あ、うん。あ、ありがとう」


 岸田は押していた自転車のハンドルを瑞樹に手渡して、少し俯く。

 俯いて黙っている岸田は、何かを言おうとしているのは瑞樹でも分かった。

 瑞樹は、岸田の口が開くのを待っていると、岸田は腹をくくったかの様に、顔を上げて目の前にいる瑞樹の目を真っ直ぐに見た。


「あのさ、暫く会うのやめないか?」

「え?、な、何でそんな事言うの?」

「そんな時間が瑞樹さんには必要だと思うんだ。だから、明日からは俺の事は放っておいて構わないから、君はさっき話していた事を考えてみて欲しいんだ」


 岸田はそう瑞樹に告げると、スッと背中を向けて駅の方へ歩き出す。


「ま、待って! 岸田君!」


 自分から離れていく岸田を呼び止めようとしたが、岸田は振り返る事なく手を軽く上げて立ち去っていく。


 追いかけようとしたが、足が彼の方に動いてくれない。

 頭では追おうとしているのだが、心がその行動を拒否しているみたいだ。

 頭と心がチグハグに働き、瑞樹は足枷を嵌められたかのように身動きがとれなかった。


 小さくなっていく岸田の背中に手を延ばしたが、無情にもその背中は動きを止める事なく視界から消えた。



「ただいま」


 トボトボと帰宅した瑞樹は、リビングへ向かわずそのまま自室がある階段に足をかけた時、希がリビングから駆け寄る。


「お姉ちゃん! 話があるんだけど」

「さっきはごめんね。疲れたから今度にしてくれない?」

「駄目だよ! 向こうで話そうよ」

 希は自室へ向かおうとする瑞樹の手をとったのだが、瑞樹はその手を振り払った。

「疲れたって言ってるでしょ?」

「本当にこのままでいいの!?お姉ちゃん!」

「アンタには関係ない事でしょ!ほっといて!」


 瑞樹は希にそう吐き捨てて、自室のドアを大きな音をたてて閉めた。


 鞄を投げ捨て、上着を脱ぎ散らかしてベッドに倒れ込む。

 大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせようと試みるが、沈んだ気持ちは浮上してくれなかった。


 何がいけなかった?

 彼氏の為に、彼氏が望む事をするのが、そんなに駄目な事なの?


 ……昔の私……仮面……仮面か。


 そのまま眠ってしまった瑞樹は、夢を見た。

 思い出したくもない夢。


 中学3年、平田に告白されて断ってからの夢。


 人を信じられなくなった。もうおかしくなりそうだった。

 毎晩泣いて、朝起きたら両親に心配かけない様に、無理矢理笑顔を作って家を出る毎日。


 何度この赤く光る信号を無視して、道路に飛び込もうとしたか分からない。


 そんな先が全く見えない夢の中、一筋の光が見える。

 その光は、弱々しく頼りなく光っていたが、光はとても温かく私を包み込んでくれた。


 日に日に死んだような目に光が戻っていく。

 真っ暗だった道に柔らかい光が足元を照らしてくれる。


 思えば、ずっと誰かに光を灯してもらってきた気がする。


 岸田君に、愛菜や結衣に佐竹君、松崎さんもだね。ついでに希も……。


 そして……間宮さんと優希さんに茜さん。


 いつも誰かが傍にいてくれた。

 嬉しくて安心出来る存在。

 心を閉ざしている時じゃ、考えた事もなかった幸せな時間を貰ってきた。


 でも、本当にこのままでいいのかな。


 知り合ってから、愛菜達は本当に変わったと思う。

 強くなって、自分で道を切り開いて、幸せを掴んだ。


 じゃあ、私は?


 岸田君は変わったって言ってくれたけど、本当にそうかな……。


 合宿の時、文化祭の時……そして、間宮さんの気持ちを追いかけている時だって、いつだって誰かに助けられてきた。


 その間宮さんの事だって、結局投げ出して岸田君の気持ちに甘えている。


 私は、何も変われてなんていない……。


 ――――――――――――――――

 ――――――――――――

 ――――――――

 ――――


 フッと意識が戻り眠りから覚醒する。

 見慣れた天井、いつもの部屋の匂い。

 それだけで、現実に戻ってきたと自覚できる。


 全体重を預けていた眠り慣れたベッドから、上半身を起こす。

 ギシッとスプリングがきしむ音がする。

 自分の体に視線を落とすと、いつものパジャマではなく昨日着ていた服が目に入る。

 どうやら、昨晩はあのまま寝落ちしてしまったらしい。


 少し頭が重い気がする。

 眠っていたのに、夢の中でずっと考え事をしていたせいだろうか。

 昨晩の夢の内容は珍しく覚えている。


 基本的に夢はみていたかもしれないが、大概覚えていない事が多い。


 楽しい夢なら覚えていれば、一日の活力になるのだろうが、あんな夢を覚えていても朝から気持ちが沈んでしまうだけだ。


 壁に掛けてある時計を見ると、針がもうすぐ午前10時を指そうとしている。


 今日は午後から講義だけだった為、まだ慌てる時間ではない。


 ……ジョギングサボっちゃったな。


 一階のリビングへ降りたが、誰もこの家にはいないようだ。


 それはそうだ。

 平日のこんな時間なのだから、両親は仕事に出て希は学校へ行っているはずだ。


 瑞樹は珈琲メーカーを起動させて、お気に入りの珈琲豆をメーカーに流し込み粗挽きに設定して、ドリップを開始させた。


 珈琲メーカーがコポコポと音を立てだす。

 その音をBGMにして、瑞樹は自分の朝食といつもの弁当を作る為に、材料を冷蔵庫から取り出す。


 手首に巻いていた髪ゴムを、一つにまとめた長い髪をゴムで束ねる。

 油とフライパンに熱をいれる。


 岸田に初めて弁当を作った日から、日課になった動作も日に日に無駄がなくなりスムーズに弁当作りを始める。


 メーカーから珈琲を淹れ終わったアラームが鳴り、用意していたカップに淹れたての珈琲を注ぎ、料理の合間に珈琲を楽しむ。


 いつもの朝の風景だ。

 ただ、いつもと違うのは料理をしている瑞樹の心情だった。


 弁当と遅くなった朝食の用意を終えた瑞樹は、1人テーブルに向かい手を合わす。


 外では良い天気だったからか、どこかで布団を干してパンパンと叩く音が聞こえる。


 私はこの音が結構好きなんだ。

 この音がするという事は、凄く良い天気で気持ちがいい日だし、それにこの音に何だか平和を感じるからだ。

 希はいつもうるさいって怒っているけれど……。


 食事を済ませシャワーを浴びて、着る服を選び身支度を整える。


「いってきます」


 誰もいない家の中に向かってそう呟いて、玄関を開ける。


 自転車に跨りペダルを漕ぎだす。


 近所の顔見知りと挨拶を交わしながら、A駅へ向かう。

 その間、何だか違和感があった。

 それは駐輪所に自転車を預けて、駅前の広場に出て周りを見渡した時に気が付いた。


 そうか。今朝はあの人のマンションで充電しなかったからだ。


 瑞樹は駅前から僅かに見えるマンションを眺めながら、そう心の中で呟く。


 いや、今は岸田君とちゃんと話をする事が先決だ。


 会ってちゃんと話がしたい。


 彼と別れてから考えていた事。

 夢の中で見つけた、今の自分の気持ちを聞いてもらいたい。


 瑞樹はフゥっと息を吐いて、駅へ歩き出した。




 K大へ昼食時に到着した瑞樹は、その足でそのままいつも岸田を待つテラスへ向かった。


 二人掛けのテーブルに、自分の分と岸田の弁当箱を向かい合うように置く。

 その行動は、今は1人だけど待っている相手がいるから、この席は空いてはいないと言う意思表示だ。

 以前、岸田をここで待っている時、見知らぬ男に相席を求められた事がある。勿論、すぐに人を待っていると断わったのだが、結局岸田が現れるまでしつこく諦めてくれなかった。


 だから、例えこの弁当箱の中身が空だったとしても、瑞樹には必須アイテムになっている。


 席について少し経ってから、瑞樹は腕時計に目をやると、いつも待ち合わせしている時間から、10分程オーバーしていた。


 だが、瑞樹は時計を巻いている左腕を膝の上に戻して、姿勢を正し静かに岸田を待った。


 どのくらいの時間が経っただろう。

 周りの席で食事をしたり、お茶をしながらお喋りを楽しんでいた他の学生達の姿が、いつの間にか殆ど姿を消していた。


 瑞樹が受講する講義が始まる時間まで、後10分程に迫っていた。

 瑞樹は少し俯いたまま席を立ち、用意していた二つの弁当箱を仕舞ってテラスから立ち去った。


 その日の夜、瑞樹は帰宅してからいつも練習が終わる時間に岸田の携帯に電話をかけたが、まだ練習中なのか分からいが電話にでない。

 後で通知を見ればかけ直してくると思っていたが、瑞樹はLineのアプリを立ち上げて岸田にメッセージを送った。


 その後、夕食や入浴を済ませたが、岸田から電話がかかってくるどころか、送ったLineのメッセにも既読すら付いていない。


 瑞樹は寝る直前まで数回Lineを送ったり、電話をかけてみたが反応がなく今夜はもう諦めて眠りについた。


 翌日の朝、瑞樹は目覚めてすぐに枕元に置いてあるスマホをチェックしたが、相変わらず岸田から電話があった形跡もなく、Lineも既読すら付けられておらず溜息をついた。


 カーテンを開けて窓の外を見ると、今日はいつから降りだしたかは分からないが、雨がシトシトと降っていた。


 今日はジョギング出来ないな。


 朝の日課を諦めた瑞樹は、リビングに降りて2人分の弁当を作る片手間に、家族分の朝食を作った。


 今朝は家族揃って朝食の席に着く。


 両親は相変わらず忙しそうだったが、元気に食事を摂る姿を見て少し安心した。

 希はあの夜から、話しかけてこない。

 私に怒っているのか、目も合わせてくれない。

 まぁ、心配してくれているのに、あんな言い方をしたんだから当然だと思う。


 食事を終えてた家族は、それぞれ身支度に取り掛かり、両親、希、私の順番で家を出た。


 大学に到着して、午前中に予定されていた講義を終えた瑞樹は、元気のない表情でまたいつものテラスへ足を向ける。


 テーブルに弁当箱を並べる。

 昨日と同様の光景だ。

 だが、昨日とは明らかに違う空気が流れている。

 それは、昨日は僅かだった周りの反応の変化が、今日はざわめきに変わっていた。

 それでも瑞樹はいつもと変わらない姿勢を崩す事をしない。

 相変わらず既読が付いていない岸田へのページから、『お弁当持って待ってるよ』と書き込んだ。


 しかし、結果は昨日のリプレイを見ているような光景だった。

 瑞樹は時間ギリギリまで岸田を待ち、気持ちを落ち着かせるように軽く深呼吸をして席を立った。


 翌日も同様の光景を周りに見せて、また一人で席を立ち去る。


 そして、岸田がテラスに姿を見せなくなって四日目の昼。

 いつものテーブルには岸田だけではなく、瑞樹の姿もそこにはなかった。


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