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29  作者: 葵 しずく
最終章 卒業
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第31話 白書

 私と岸田君が付き合い始めて、2週間が過ぎた。


 付き合って初めて2人で出掛けて時に、いきなりケンカをしてしまったけど、そのケンカをきっかけにスタートラインに立てた気がする。


 岸田君は、水泳の特待生で毎日厳しい練習を強いられている。

 でも、私と会う時は全然疲れたような素振りを見せない。

 無理しないでと言うのだけど、私と会えない方がキツいからそんな事言わないでと、少し寂しそうに笑う。


 彼とは中学時代に私を助けてくれた恩人でもある。

 でも、家庭の事情で彼が引っ越す事になり、お別れをする事になってしまった。

 彼がいなくなってから、届ける当てのない彼宛に書いた手紙がある。

 その手紙には、これまで私を助けてくれた事への感謝の気持ちを綴り、最後に彼への気持ちを書き込んだ。


 あの時、私は確かに彼に惹かれていたんだ。


 今でもその手紙は、私の部屋にある机の引き出しの一番奥に大事に仕舞っている。


 そんな彼と去年、中学時代のクラス会の席で再会する事が出来た。


 私は嬉しさのあまり、その場で泣いてしまった事を昨日の事の様に覚えている。


 でも、再会した時には私の中には岸田君ではない、違う男性が住んでいた。

 再会した彼は、私に好きだと気持ちを伝えてくれた。

 その時の私の気持ちは、嬉しさよりも罪悪感の方が強かったと思う。


 私にとってあの人は、岸田君とは違った意味での恩人だった。


 ずっと自分を守る為に、自分を偽ってきた私に、昔の様に……ううん、新しい自分を誕生させてくれたんだ。


 2人の私の恩人。


 どちらも大切で大好きな人だ。


 ……でも、2人への気持ちが異なる点がある。


 それは、LoveとLikeの違いだ。


 Loveの感情を岸田君ではない人に抱いている私に、彼はそれを承知でA駅のホームで気持ちを打ち明けてくれたのだ。


 嬉しい気持ちと、申し訳ない気持ちで頭の中がグチャグチャになった。

 でも、私はあの人への気持ちに嘘が付けなくて、彼の気持ちを受け入れる事が出来なかった。


 それでも、諦めないからと宣言した彼の顔が、今でも脳裏に焼き付いている。


 あの人が私を助ける為に、生死を彷徨う程の大怪我をして入院した。

 私はあの人が眠る傍で毎日泣いていた。


 意識が戻らない日が一週間続いた明け方。

 私は不思議な夢を見た。


 大きな海の中の沈んでいく夢。

 その海は不思議な海で、水の中という感覚はなく呼吸も出来る海中だった。

 その海の中で、私の耳に届いてきたのが、あの人と誰かが会話している声だった。


 会話の内容が断片的にしか聞こえなかったけど、あの人の声が今まで聞いた事がない程、優しいとても優しい声だった事は覚えている。

 少なくとも、私は聞いた事がない。


 でも、断片的にしか聞こえなかったが、私の意識が覚醒される直前に、この言葉だけは聞き取れたんだ。


 ――瑞樹の事が好きだって。


 あまりに都合のいい台詞過ぎて、その時は夢だとも思った。

 だけど目を覚ました時、ずっと意識が戻らなかったあの人が静かに目を覚ましたのを見て、私には夢だとは思えなくなった。


 ……違うね。夢だと思いたくなかったんだ。


 あの人の本当の気持ちが知りたい。


 単純な私は、意識が戻ったあの人を引き続き泊まり込んで看病したいと、申し出たんだ。


 確認をとったわけではないけど、きっと好きな女の子が傍にいたら喜んでくれるに違いないと思って言い出した事だったんだ。

 それに、泊まり込みで看病出来たら、2人きりになる時間も沢山とれるはずだから、入院中にあの人の気持ちを聞かせて貰えるチャンスがあると期待していた。


 なのに、あの人に迷惑だと言われた。


 その一言で、ついさっきまであった変な自信が根本から壊れていく音が聞こえた気がした。


 あの人がそう望むならと、私は言われた通り病院から帰宅する事にした。


 自分だけ舞い上がっていたようで、恥ずかしかったし、寂しかった。

 泣きそうな気持ちを必死で堪えながら、あの人に帰る事を告げると「迷惑をかけて悪かった」と言われて、我慢していた何かが切れた気がした。気が付いたら、あの人に大きな声を上げて逃げるように病院を出ていた。


 もう情けないとか、悔しいとか、色んな感情が混ざり合って混乱していた。


 そんな時だった。

 彼に二度目の告白をされたのは。


 自分に全く自信が持てなくなり、これからどうすれば良いのかすら分からなくなってしまった時に、彼からの告白は正直あのホームで聞いた時の様には聞けなかった。


 本音を言うと、彼は卑怯だと思った。

 でも、それを私に避難する資格がない事も自覚していた。


 だって、あの時の私は……あの人を好きでいる事に疲れを感じていたからだ。

 出口が見えないトンネルにずっといる感覚だった。

 そんな時に、目指している出口とは違う方向から、手を差し伸べられた気分だった。

 私は助けを求めるように、その手を思わず掴んだんだ。


 彼と付き合う事を決めた時、私の頭の中のイメージはそんな感じだった。


 いい加減だと思われるかもしれない。

 私自身がそう思っているんだから、その通りなんだろう。


 だからかもしれない。

 あのケンカの後から、私は彼の彼女でいようと強く意識し始めて、頼まれてもいないのに手作りのお弁当を作ってみたり、用事もないのに彼に電話をかけてみたり、少しの時間でも会うように心がけたりしたのは。


 してあげたいからしたのではなく、しなければいけないと思ったからした事だ。


 でも、不思議と嫌ではなかった。

 お弁当だって彼はアスリートなんだからと、カロリー計算して作ったり見た目でも楽しんでもらおうと、彩に拘ってみたりしたのは楽しかった。


 段々、彼と過ごした時間が増えていくにつれて、私の中では歪に感じたこの関係に、居場所を見つけ出せてきたのかもしれないと思った。


 そんな生活を暫く続けていると、私達は大学内で噂になっていた。


 なんでも、学内一のカップルだとかなんとか……


 いい加減な事言わないで欲しい。

 こんないい加減な気持ちで付き合いだした私を学内一とか……

 彼に失礼だと言えないけど、言いたかった。


 秋に開催される大学祭のイベントで、毎年ベストカップルを決めるコンテストがあるらしく、あちらこちらで優勝間違いなしとか言われていたらしい。


 誰もそんなコンテストに出るなんて言ってないのに。

 ていうか、絶対に出ないし!


 そんなある日、お互いの予定が合い2人でテーマパークに来た。


 このテーマパークは昔から好きで、子供の頃は家族で良く来たし、高校の頃は友達と来た事がある。


 でも、男の人と2人で来た事は初めてで、前日の夜は緊張して楽しめないかもと心配していたが、当日入場ゲート前に到着した時、そんな心配は杞憂だったと感じる程、思いっきり楽しめた。


 彼は、初めの頃は少し恥ずかしそうにしていたけど、私がはしゃぎながら何度も一緒に遊ぼうと誘い続けていると、次第に楽しそうな笑顔を見せてくれて、最後のパレードの時はすっかりこの世界の住人になってくれていた。


 私がここが好きな理由は二つある。


 一つは単純にこの世界観が好きで、ここへ来ると年齢関係なく童心に戻れるところだ。


 もう一つは、前者でも述べたように、ここへ来る人達は私と同じようにここの世界の住人になりに来ている事だ。

 つまり、邪な気持ちを持った人はいないと思っているから、くだらないナンパをされる心配をする必要がないと思えるから。

 だから、いつもみたいに周りを警戒する必要がない為、思いっきり楽しめるとこだ。


 それに今回は彼が私と同じように楽しんでくれたから、一層楽しめたと思う。


 ゲートを出た帰り道でも、ずっと今日の事を楽しくお喋り出来たのは嬉しかった。

 また2人で行きたいねって言うと、彼も嬉しそうに「うん、そうだね」と言ってくれて、益々充実した時間を過ごせたと心から満足出来た休日になった。


 そう思っていたんだ……あの時までは。


 それは突然に起こった。


 テーマパークから最寄りのA駅まで戻ってきて、彼は私の自宅まで送るといってくれた。

 でも、今日一日連れまわして疲れているだろうから、少しでも早く休んで欲しくて、駅前のコンビニまででいいからと彼の申し出を断った。

 そのまま別れようとした時、突然彼が私の名前を呼び捨てで呼んだんだ。

 付き合ってからもずっと、苗字にさん付けだったから彼の言葉に思わず振り返った。

 すると、少し離れていたはずの彼が目の前にいて、更に驚いて彼の顔を見上げた形で思考が一瞬停止した。

 だから、彼の次の行動が目には見えていたけど、殆ど動けないまま彼の行動を受け入れた。


 彼の顔がゆっくりと近づき……やがて彼の唇と私の唇が重なった。


 よく映画やドラマのシーンではこういう時、初めは驚いた顔をしている女性もやがて目を閉じてって展開になるのだろう。


 でも、私は彼が唇を離すまでずっと目を見開いたままだった。


 かなり格好悪いキスシーンだったと、自分でも思う。


 唇を離した彼は、そんな私を見て想定外だったのか慌てて取り繕うように謝ってきた。

 謝る位ならキスなんてしなきゃいいのにと思ったが、私は懸命に謝る彼に「私の方こそ、格好悪くてごめんなさい」と謝った。


 それでもオロオロとする彼に、気にしないでと言い残してその場を離れた。

 彼も罪悪感があったのか、立ち去ろうとする私を呼び止める事をしなかった。


 ――――――――――――――――――――――――

 ――――――――――――――――

 ――――――――

 ――――


 自宅へ到着して玄関を開けようと、鞄から家の鍵を取り出した時、チリンと小さくて綺麗な音がした。


 間宮とお揃いで買ったキーホルダーに付いている小さな鈴の音が、まるでおかえりと出迎えてくれた様に感じる。


「ただいま」

「おかえり~! 遅かったじゃん」


 帰宅してリビングへ向かうと、ソファーで珈琲を飲みながらファッション雑誌を読んでいた希がいた。


「うん。今日は一日遊ぼうって事だったからね。これ、お土産ね」

「おぉ! クランチチョコ! ありがとう、お姉ちゃん! 今日はキッシーとデートだったんだよね?」

「キッシーて……まぁそうだけど」

「上手くいってんだ」

「ん。お父さん達は?」

「明日早いからって、もう寝たよ」

「そうなんだ」


 瑞樹は希が読んでいた雑誌を手に取って、ソファーに腰掛けた。

 希もようやくファッションに興味を持ちだしたのか、最近この手の雑誌をよく読んでいるのを見かける。

 専属コーディネーターをしていた身として少し寂しい気もするが、それよりも女の子らしくなった事を嬉しく思った。


「ねぇ、お姉ちゃん」

「ん~?」

「何かあった?」

「別に何もないよ。どうして?」

「何となくね」

「へんなの。さて! 私もお風呂に入って寝ようかな」

「うん。私このまま部屋に戻るから、リビングの電気消しておいてね」


 そう話してお土産のチョコと、雑誌を纏めて片手で持ち、反対の手で飲みかけの珈琲が入ったマグカップを持ち上げて自室へ戻っていった。


 瑞樹は入浴の支度を済ませて、脱衣所で全裸になり浴室へ入った。


 ……なんて顔してるのよ。


 浴室の壁にある鏡に映った自分の顔を見て、そう呟きシャワーの蛇口を開く。

 勢いよく流れ落ちだしたシャワーの水が適温になった事を確認した瑞樹は、立ったまま前に進み頭からシャワーを浴びる。


 私はそのまま何もせず、ただ立ち尽くすだけ。

 いや、一言だけ「リセット」と呟く。


 この一連の流れは中学時代、あの事件以降中学を卒業するまでは、毎日行っていた。


 シャワーを頭から浴びて、その日にあった事を纏めてから自分の中にある負の感情を追いやって、明日も変わらない自分である為の儀式みたいなものだ。


 高校に進学してからは回数は随分減少したが、自分を偽る事に疲れが溜まった時などに、この儀式を行ってきた。


 あの人と知り合ってからは、色んな事があったはずなのに、不思議とこの儀式を行わずに辛い事があっても素直に涙を流して、気持ちをリセット出来ていた。

 それは自分は一人ではないと、あの人が強く思わせてくれたからだと思っている。


 そして、最近この儀式の回数が増加傾向にある。

 原因は明確だ。

 彼と付き合いだしたからに他ならない。


 誤解しないで欲しいのは、彼が悪いわけではないと言う事。

 悪いのは私だ。


 私の中であの人がまだ生きているのに、彼の優しさに甘えてしまったこの現状に強い嫌悪感を抱いているから。


 彼の優しさを利用している自覚があるからだ。


 ……だが、今日はこの儀式では気持ちを落ち着かせる事が出来そうにない。


 私はシャワーの蛇口を最大に開放させた。

 シャワーから出てくるお湯の勢いが一気に増して、私の体と床を激しく叩きつける。

 その音が浴槽に大きな音を響かせている。


 そんな激しい滝の様なお湯の中、私はついさっき彼の唇が触れた自分の唇の指を当てる。


 フゥ、ヒッ……アァッ……アァア! エッグッ! アァァ!


 お湯が激しく打ち付ける音に、私の情けない嗚咽が混じる。

 いつのも儀式なら終始立っているのだが、今日はとても立っていられずシャワーに打ち付けられながら、その場に崩れるようにしゃがみ込みその後は肩を震わせて泣き崩れた。


 恋人との初めてのキスだったんだ。

 嬉しい気持ちとか、幸せな気持ちとかを抱くべき時のはずだ。


 なのに……何泣いてんのよ。




 早く自分の中から消そうと努力している存在。

 でも、消そうと意識すればするほど、余計にその存在が大きくなり私の胸を締め付ける。


 私にとってそんな大きな存在である、あの人が自分の中にいるのに、彼と唇を重ねた。

 罪悪感や嫌悪感が私の全身を支配する。


 恋人にキスがしたいと思うのは、ごく自然の事だと思う。

 だから、彼は全然悪くない。

 でもこれから先、この先を求められる時が来るんだ。


 瑞樹は自分の手で、胸周りと腰回りにそっと触れる。


 いつか彼がこの体に触れる時が来る。

 多分そう遠くない未来に……。


 そんな想像をすると、胸にこれまで感じた事がない痛みを感じた。

 瑞樹は両腕を自分の体を抱きしめるように回し、ギュッと力いっぱい両腕に力を込めた。


 自分の全てを彼に捧げれば、あの人はいなくなるかもしれない。


 でも、もしいなくならなかったら、私はどうなってしまうんだろう。


 怖い……怖いよ……間宮さん……。


 再び瑞樹の目から大粒の涙が零れだして、滝の様に降り注いでいるお湯と共に床に落ちていく。


 リセット!リセット!


 泣きながら心の中で、何度もそう叫ぶ。

 だが、いつもの呪文が今夜は効果を発揮してくれない。


 今夜はこうして涙が枯れるまで、泣きつくすしかないと諦めた私は、浴室の床に蹲り……ただ、ただ、泣いた。



 バカだよ……お姉ちゃん。


 閉ざされた脱衣所のドアに凭れかかっている少女が、そう呟き空になったマグカップを流し台に置いて、再び瑞樹の隣にある部屋のドアを静かに閉めた。


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