第26話 間宮がいなくなった後
「ん! こんな感じかな」
瑞樹は自室の壁に掛けてある全身鏡を凝視して、組み合わせた今日の服装をチェックしていた。
K大の入学式を無事に終えて、これからの新しい生活に色々と物入りだからと、岸田から映画とショッピングに誘われていた。
岸田はスポーツ特待生で入学している為、一般の学生より一足早く大学生活をスタートさせている。
といっても講義が始まるのは瑞樹達と同じなのだが、アスリートとしてはすでに練習漬けの毎日だった。
それでも、中学からの想いが叶った岸田は必死にスケジュールを調整して、今日が2人にとって初デートになる。
「およ!? お姉ちゃん今日は随分と気合い入ってるじゃん! どうしたの? もしかしてデートとか!? なぁんてね!」
「うん! そうだよ! じゃ、いってくるね!」
「は? ちょ、ちょちょちょ! お姉ちゃんストップ!」
行ってくると告げて玄関のドアノブに手をかけた時、後ろから慌てた様子で希が呼び止める。
「ん? なに?」
「なに? じゃないよ! 間宮さんってまだ入院してるんでしょ? まさかこっそり抜け出してくるとか言わないよね?」
「まさか! デートの相手は岸田君だよ。私達付き合いだしたんだ! それじゃ、いってきます」
「は? はぁ!? ちょ、岸田って、あ! お姉ちゃん!」
困惑しながら、再び瑞樹を呼び止めようとしたが、今度は立ち止まって貰えずに、静かに玄関のドアが閉まった。
お姉ちゃんと岸田って人が付き合ってる?
岸田って確か前にウチまでお姉ちゃんと迎えに来た人だよね……
「た、大変だ! 兎に角、愛菜姉に電話しないと!」
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早めに家を出て、予定通り待ち合わせ時間の15分前に待ち合わせ場所に到着すると、もうすでに岸田がそこに立っていた。
「おはよう、岸田君。あれ? 待たせちゃった? 15分前に来たつもりだったんだけど」
「おはよ、瑞樹さん! ううん! 俺がわざと30分前に来ただけだから気にしないで」
そう言われて首を傾げる瑞樹に、やれやれと肩をすくめて説明を始めた。
「こんな目立つ場所で、瑞樹さんの足を止めて待たせたりしたら、秒で声をかける奴らが湧いてくるだろうからね」
「そんな事……」
「あるよ!」
「……かな?」
「残念ながら、そんなのが湧いてもあの人みたいに守ってあげられないかもだから、湧かないようにしたんだよ」
「気を遣わせてしまって、なんかごめんね」
両手をチョコンと合わせて、謝る瑞樹を見て岸田の顔が秒で茹で上がる。
「別に謝る事じゃないよ。それだけ瑞樹さんが可愛いって事なんだから」
「……可愛い……か」
「え? 何?」
「ううん、別に! さあ! そろそろ映画始まっちゃうからいこ!」
モール内にある映画館に着くと、まだ何を観るか決めていなかった2人は話題になっている作品を観る事にした。
チケットを購入して入場時間まで、待合スペースにあるソファに腰を掛けた。
「そういえば、2人で映画を観るなんて中学の時以来だね」
「……え? あぁ、そうだね」
瑞樹は思い出話をしようとしたが、岸田は辺りをキョロキョロと気にしていて上の空の返事を返してきた。
キョロキョロしている岸田の視線を追ってみたが、とりわけ気になる様な事はなかった。
「ねぇ、この映画のCM観た? 私あんまりテレビとか観ないんだけど、この……」
「……え? なに?」
「……ううん。別になんでもないよ」
その後は何も話す事なく、上映時間を迎えて会場に移動した。
人気作だった為、座席にあまり選択枠がなく移動しやすい通路側が埋まっていた為、かなり後方の中央席に並んで座った。
座った直後は、ようやく岸田も落ち着いたのか、これから観る映画の事を小声で談笑を始めだした。
さっきまでの岸田の行動が気になっていた瑞樹だったが、色々と話しかけ始めた岸田を見て気にしない様に務める事にした。
だが、2人の周りの席が埋まりだして、特に瑞樹の隣が男だと分かると、岸田がまたソワソワし始める。
会場の照明が落とされて暗くなってきた時、瑞樹は腕を軽く掴まれて隣の岸田の方に引き寄せられた。
何事かと岸田の顔を見上げると、引き寄せた岸田は瑞樹の反対側に座っていた男をジロジロと見ていた。
「え? なに? どうしたの?」
「いいから、このまま俺に凭れててくれ」
岸田は瑞樹にそう返すと、再び視線を周囲に向けた。
映画が始まってからも、何度か岸田の様子を伺ったのだが、相変わらず周りを気にしてキョロキョロと視線を辺りに向けて、殆どスクリーンに向けていないようだった。
映画が終わって丁度いい時間だと、2人は目に付いた店に入り昼食を摂る事にした。
席について注文を済ませてから、さっき観た映画の話題をふってみたが曖昧な返事が返ってくるだけだった。
やはり映画の内容が頭に入っていなかったようだ。
瑞樹は何も話さなくなり、運ばれてきた食事も無言で食べ終えた。
「でよっか」
食事を済ませて店を出ようと、瑞樹が席を立ちその後を岸田が黙ってついてくる形で店を出た。
その後は予定通りショッピングを始めたのだが、店を出てから辺りを気にする仕草が更に酷くなった。
何も買わずに店を二店舗程回った時、瑞樹の足が止まる。
「どうしたの? 瑞樹さん」
「……ねぇ、私といて楽しい?」
「勿論だよ! 瑞樹さんみたいな可愛い彼女と一緒にいるんだよ? 楽しいに決まってるじゃん!」
……また可愛いって言われた。でも、全然嬉しくない。
「じゃあ、何で私を見ないで周りばかり気にしていたの?」
「え? それは勿論、瑞樹さんを守る為だよ」
「……そんな事頼んでないよね?」
「こんな可愛い彼女をもった、彼氏の務めでしょ!」
また言われた。
でもドキドキするどころか、イライラしてきた。
「私って今まで自分の身は自分で守ってきたから、大丈夫なんだけど」
「そうかもしれなけど、これからは俺に守らせてよ! 彼氏なんだしさ!」
得意気にそう言う岸田の顔を見て、小さく溜息をついた。
「ごめん。私今日はこれで帰るね」
「え? ちょっと、まだ何も買ってないじゃん! 待ってよ!」
岸田は突然帰ると言い出した瑞樹の手を握って慌てて呼び止めたが、その手をもう片方の手でそっと押しのけられた。
「買い物はまた今度にしよ」
「じゃ、じゃあ! 家まで送るよ」
「一人で帰れるから、大丈夫だよ。じゃあね」
瑞樹は岸田に背を向けて歩き出した。
だが、納得がいかない岸田は歩き出した瑞樹の前に回り込む。
「なぁ! 何を怒ってるんだよ」
「……言わないと分からない?」
黙って首を縦に振る岸田に、瑞樹はまた溜息をつく。
「今日のデート私なりに楽しみにしてたんだよ。岸田君と一緒に映画観て買い物して、色んな話をしようと思ってた」
「……そんなん俺だって思ってたよ」
「それなら! 何で私を見てくれないの? 何で私の話を聞いてくれないの?」
「いや、それはだって……」
「私の事可愛いって言うけど、岸田君は私の外見だけで好きになってくれたの?」
「ち、ちがっ」
「違わないよ! 私は私の事を知ってもらいたかったし、岸田君の事を教えて欲しかったの! だから、映画とか買い物とかじゃなくて近所の公園のベンチでお話するだけでも、楽しかったと思う!」
「……」
「彼氏なんだったら、隣で私を見ててよ……私は岸田君にボディーガードをしてもらいたいわけじゃない!」
とうとう瑞樹を本気で怒らせてしまった。
なのに、岸田には好きな女の子を守ろうとするのが、何故怒らせる事になったのか納得がいかない顔をしている。
「ごめんね。折角の初めてのデートだったのに……やっぱり私帰るね」
最後にそう話して、瑞樹は再び岸田に背中を向けて歩き出した。
その背中を見つめていた岸田の口からは、何も言葉が出てこなくなり、只遠のく瑞樹の後ろ姿を見送る事しか出来なかった。
その日の夜、帰宅してから希に根掘り葉掘りと質問攻めにあった。
だが明確は返答をする気がなく、曖昧な返しで質問を回避した瑞樹は自室のベッドに倒れ込む様に横になっていた。
その間、岸田から何度か電話がかかってきていたが、今は話す気になれず携帯の電源を切り、そのまま早々に眠りについた。
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それから数日が経った月曜日、懸命なリハビリを経て間宮は予定通り退院する事になった。
退院してその日のうちに新幹線で大阪の実家へ移動する事になっていた為、退院する時間に合わせて松崎が駆けつけてくれた。
「よう! 退院おめっとさん!」
「おぉ、ありがとうな」
病院のロビーで待っていた松崎は、間宮から手荷物を預かりそのまま乗りつけた車に積み込んだ。
まだ痛みが完全に癒えたわけではない間宮は、慎重に車に乗り込む。
松崎から駅まで送ると言われた時は悪いからと断ったのだが、「完治もしてないのに、遠慮するな」と有無を言わせずこうして迎えにきてくれた事を、今は正直助かったと感謝している。
まだ痛みがある状態で重い荷物を抱えて、人が多い東京の電車を使って東京駅まで移動するのは無理があったからだ。
東京駅に着いてからは、実家への土産を物色したり新幹線の発車時刻まで駅内にあるカフェで時間を潰した。
恐らく、加藤から瑞樹が岸田と付き合いだした事は聞いているはずだ。
だが、俺に気を使っているのか、松崎はその話題には一切触れなかった。
あの日瑞樹と付き合う事になったと、岸田から聞かされた時、正直驚いたというよりショックを受けた事に自分で自分に驚いた。
俺が望んで岸田に瑞樹を頼むと言ったんだ。
だから、希望通りになって安心しないといけないのに……
……何を今更。
発車時刻が迫り2人はホームへ向かった。
「見送りありがとな。ホント助かったよ」
「気にすんな。外回りの営業特権ってやつだよ」
松崎に預けていた手荷物を受け取り、右手を差し出した。
「長い間世話になったな。元気で、ありがとう」
「だから、最後の別れみたいな言い方すんな! 今度こっちにきた時は朝まで飲むぞ!」
「はは、おぅ! 楽しみにしてるよ! じゃあな」
送別会の時は拒否された握手を今度はガッチリと交わして、近い将来の約束を交わし、間宮は新幹線に乗り込んだ。
指定席に座り窓の外を見ると、松崎は軽く手を上げてこちらを見つめている。
確かに最後の別れとは思ってはいない。
だが、お互い離れた場所で時間に追われる生活を送っていると、段々と疎遠になっていくなんて事は、決して珍しい事ではない。
松崎とは知り合ってから、本当に色々な事があった。
ずっと戦友であり続けたいと思っていた。
いや! これからだって戦友でいられるはずだ。
そこで間宮に新しい目標が出来た。
いつか自分が作ったシステムをあいつが売って、そのサポートも自分で引き受けて一緒に仕事をする事を、当面の目標に掲げた。
暫しの別れだな、相棒。
間宮は松崎と同じように、軽く手を上げて無言の別れを告げた時、新幹線が走り出してホームから姿を消した。
新幹線の最後部が見えなくなるまで見送った松崎は、比較的近くに設置されていた自販機に向かって移動して話しかけだした。
「結局最後まで隠れてたな」
松崎が自販機に向かってそう言うと、自販機の物陰からオズオズと瑞樹が姿を現した。
「あはは、気付いてたんだね」
「まぁな。で? ここまで来て何であいつに会わなかったんだ?」
「それは……その、前に色々あって微妙な感じだったし……それに」
「岸田って奴と付き合う事にしたからか?」
「知ってたんだね」
「小耳に挟んだ程度だけどな」
瑞樹は手に持っていた鞄のハンドルを、ギュッと握りしめた。
その表情は申し訳なさそうにも見え、辛そうにも見えた。
「ところで瑞樹ちゃんはこれからどうするの?」
「今日は特に予定はないから、帰るだけかな」
「そっか。んじゃ、腹減ってないか? 帰る途中でどっか寄って昼飯にしない?」
「私は別にいいけど」
松崎は瑞樹を昼食に誘って、久しぶりに神山の父親が営むVerdunに向かう事にした。
移動中、車の窓から流れる外の景色をぼんやりと眺めている瑞樹の姿は、どこか寂し気で恋人が出来て間の無い女の子の雰囲気を感じられなった。
「もしかして後悔してんの?」
「え? ……ううん。そんな事ないよ」
後悔という言葉しか投げかけていないはずなのに、それを岸田と付き合いだした事を聞かれたと思った時点で、その事で悩んでいるのは明白だった。
松崎はそれに気が付いてはいたが、敢えて何も話す事はなかった。
「あれ? 志乃……と松崎さん!?」
Verdunに到着して、重厚な扉を開けると中のホールから入って来た客を出迎えようと、近づいてきたのは店の制服に身を包んだ神山本人だった。
「結衣? どうしたの? その恰好」
「どうしたってここでバイトしてんの。つか、志乃と愛菜の友達としてこのツーショットは微妙なんですけど。まさかの浮気?」
「ええ!? そ、そんなわけないじゃん!」
結衣は瑞樹を揶揄って楽しそうに笑っていると、厨房から「仕事中だぞ」とこの店のオーナーでシェフでもある神山の父からお叱りの言葉が飛んできた。
「へいへい! どうもさーせんね! それではお客様お席へご案内致します」
父親のお叱りをサラリと流すと、パチッとスイッチを入れたのか丁寧な対応に変わり、2人を席に案内した。
昼食のピーク時間が過ぎたのか、店内は少し余裕があるように見える。
席へ2人を案内した神山は、チラリと厨房に視線を送ったあと手を口元に当てて小声で話しかける。
「で? このツーショットはどゆこと?」
「間宮が今日大阪の実家に帰ったから、2人で見送りに行ってた帰りなんだよ」
「ええ!? 間宮さん今日帰っちゃったの!? 私聞いてないよ!」
思わず大きな声を出してしまい、厨房からの鋭い視線に身震いする神山に2人は苦笑いを浮かべた。
「間宮本人がそういうのを嫌がったから、俺だけ行くつもりだったんだけど、瑞樹ちゃんはどこからか聞いていたらしくてね」
「そっかぁ、間宮さんらしいね。志乃! 私達の分もお別れ言ってくれた?」
「え? えっと……」
「勿論だよ。皆にも宜しくって言ってたよな?」
「……うん」
松崎は咄嗟にお別れを言うどころか、姿を見せる事すら出来なかった瑞樹を庇うように、神山に嘘をついた。
その配慮が瑞樹の心に痛みを残す。
「まぁ、二度と会えなくなるわけじゃないもんね。おっと! いい加減仕事しないと! それじゃご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」
神山は仕事モードに切り替えて、2人の席から離れていった。
「どうしてあんな嘘をついたんですか?」
「ん? 余計なお世話だったか?」
「……いえ、そういうわけじゃ」
松崎に余計な気を遣わせてしまい、瑞樹は自分の情けなさに溜息を漏らす。
一通り食事を終えた2人は、会計で御馳走しようとした松崎に瑞樹が割り勘でいいと言い出して少し揉めたが、最終的に瑞樹が折れて店を出た。
「それじゃ、俺は仕事に戻るから」
「はい。御馳走様でした」
挨拶を交わして、松崎はコインパーキングへ、瑞樹は駅に向かおうとした時、瑞樹には聞き覚えがある声で声をかけられた。
「瑞樹さん?」
「え? 岸田君?」
「どうしてこんな所にいるんだ? 今日は家で用事があるって言ってたよな? それに……」
岸田は瑞樹の隣にいる松崎を睨みつける。
「彼女に何か用ですか?」
「ち、ちょっと! 前に私が危ないとこで助けてくれた人じゃない! 覚えてるよね?」
「あぁ、それは覚えてるよ。でも、だからって俺に隠れてコソコソ会っていい事にはならないだろ」
「岸田君だよな? 間宮の見送りに行ってただけで、妙な誤解はするなよ」
松崎が岸田にそう説明すると、瑞樹の表情が曇った。
「間宮さんの? 今日退院するって聞いてないけど、黙ってたのか?」
「……」
瑞樹は押し黙った。
今日間宮が退院する事を黙っていたのは事実の様だ。
「何とか言ってよ……瑞樹さん。間宮さんの事は覚悟してるって言ったよな! でも、隠されたりしたら、疑いたくなんかないのに、疑っちゃうじゃん!」
「……」
瑞樹は岸田と目を合わせずに、何も話さず小さく肩を震わせていた。
「まぁ、まぁ! 兎に角、君が誤解するような事は全くないからな! 俺は仕事に戻らないとだから、君が彼女を送ってやってくれな!」
仕事の時間が押し迫ってきた松崎は、2人の動向が気にはなったが仕事に戻る事にした。
「松崎さん、迷惑かけてしまってごめんなさい」
「いや、気にしなくていいよ。そんな事より仲良くな」
瑞樹は頭を下げて謝り、駅へ向かって歩き出す。
岸田は何も言わずに会釈だけ済ませて、瑞樹を追うように松崎の前から立ち去る。
松崎は苦笑いを浮かべて、2人を見送った後、車に乗り込み仕事に戻って行った。