表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29  作者: 葵 しずく
最終章 卒業
134/155

第24話 悩む事は生きる事

 やっちまったかな。


 呆然と勢いよく閉められた病室のドアを眺めて、心の中でそう呟いた。

 ついさっきまでここにいた瑞樹の残り香が少しづつ消えていき、消毒液臭い病院の匂いが鼻を衝く。


 瑞樹がいる時は全く感じなかったのに、いなくなった途端に傷口がズキズキと痛みだした。

 頑丈にガーゼで被されている患部にそっと触れると、あの時の事を思い出す。



 怖い思いをしたうえに、心配をかけてしまった。


 あいつが責任を感じる事なんてないんだ。

 いつもならどうってことない状況だったはずだ。

 あんな震えた手に持ったナイフなんて、俺にとっては凶器にはならない。

 無傷で平田を潰す事なんて、容易い事だった。


 誤算だったのは送別会で飲んだ酒だ。


 その後優香の実家に行ったりして少しは冷めたはずだったが、駅からマンションまで自転車を全速力で漕いで、アルコールが全身に回ってしまったみたいだ。

 その影響で体が思うように動かなくて、刺されてみっともない姿を晒してしまった。


 怖かっただろうな……あいつに悪い事したな。


 それに怖かった事を無理に飲み込んで、つきっきりで看病してくれていたのに、あんな言い方はなかったとは思う。


 大人げなかったよな。

 あんな事、今までなら気にした事なんてなかったんだけどな……。

 でも、あいつの事が分からなくなったのも事実なんだ。


 何度か彼女を怒らせてしまった事はあったが、あんな風に怒ったのは初めてだ。

 多分だけど、あれが瑞樹の素の感情だったんだと思う。

 あいつと知り合ってそれなりに経つが、随分と素を見せるようになった。

 特に卒業旅行からドンドン変わってきている。

 いや、変わってきたんじゃなくて、構えを解いてきたと言う方が正解だろう。


 周囲に合わせて生きていたように思われがちだが、本当は芯が強くて頑固な性格だ。

 こうだと決めた事は、中々曲げたりしない。

 俺と知り合う前まで、合否判定がC判定だったK大も諦めずに現役合格を勝ち取ったのだから、大したものだと思う。


 あの子がもう大学生になるのか。

 男目線というより、父親目線で見てしまう時があるな……はは。



 瑞樹が出て行ったドアを見つめながら、間宮が少し寂しそうにそんな事を考えていると、ドタバタと騒がしく病室に瑞樹から連絡を受けた涼子が入ってきた。


「良介!! アンタもう大丈夫なんか!?」

「お袋にも心配かけてもうたな。ごめんな」


 上体を起こしていつも通りに話す息子の姿を見て、涼子はこの病院に来て初めて涙を流した。

 日を増すごとに、担当医からの話の内容が暗いものになっていく。

 最後にはもう殆ど先の光が見えなくなっていた涼子にとって、一発逆転したような光景に、どんな時でも凛とした姿を崩して笑顔で大粒の涙を流した。


 自分の膝元に手をそっと当てて、涙を流して嬉しそうに言葉を紡ぐ母親の姿に、間宮は心配をかけてしまった事を謝罪して優しく涼子の肩に触れた。


 それから二人で暫く今後の事を話し合っていると、一般の面会時間が過ぎてすぐに間宮の病室のドアがノックされた。


 間宮が「どうぞ」と告げると、松崎と加藤が病室に入ってきた。


 二人の姿を見た間宮は、デートのついでに寄ってくれたのかと茶化そうと口を開いたが、すぐにその口を再び閉じた。

 閉じた原因は2人の後ろに、年配の男性と女性の姿があったからだ。

 どうやら夫婦のようだったが、顔をしっかり見てもやはり間宮には見知らぬ人物だった。


 間宮は松崎に説明を求めようとした時、年配の夫婦は素早く膝をつきそのまま両手を床につけて、額を床に擦り付けるような勢いで頭を下げた。


「この度は、本当に申し訳ありませんでした!!」


 土下座をした夫婦の男性から、突然の謝罪の言葉が口を着いた。


「え? ち、ちょ……」


 突然の出来事に困惑した間宮は、自分の側に立っていた涼子に視線を送るが、涼子も突然の事に目を見開いて唖然として固まっていた。


 涼子も駄目なようなので、2人を連れてきた松崎に説明を求める事にした。


「この二人は、俺の両親なんだ」


 松崎の両親!?

 と言う事は、女性の方は再婚した松崎の義理の母という事だ。

 言い方を変えれば、平田の生みの親という事になる。

 そこに気が付いた間宮は、2人が何を謝罪しているのか理解出来た。


「息子がとんでもない事をしでかしてしまって、どうお詫びすればいいのか……本当に申し訳ありません!」


 次に母親が涙声で、間宮に謝罪した。


 状況を理解した間宮は、それでも土下座なんてされるのは本意ではないと、顔を上げるように促そうとした。

 その時、夫婦の隣に立っていた松崎と加藤も、床に手を付いて土下座を始めた。


「は、はぁ!? お、おい! 2人まで何してんだよ!}


 松崎達の行動に思わず上体を激しく動かそうとしてしまい、傷口からズキズキと痛みが走り、間宮の顔が歪んだ。


「皆さん、どうか顔を上げて下さい」

 その様子に気が付いた涼子は、松崎達にそう告げて顔を上げるように促した。


「いえ! 情けない話ですが、息子の荒れ具合に手を焼き放置してしまった私達の責任なんです! こんな事で許されるなんて思っていませんが、どうお詫びしていいのか分からないんです!」

「それは私も同じです! 兄として厳しく躾けないといけない時に、甘さを見せてしまったのが原因で、今回の事件を引き起こしてしまったんです。本当に申し訳ありません!!」


 父親がそう話すと、松崎も涼子に向かって謝罪の言葉を述べた。


「以前彼に関わった時に、怒りで我を忘れてしまって、彼らを追い込み過ぎてしまった事があるんです」


 間宮は以前、文化祭の時に瑞樹達が襲われた時、怒りで平田達を潰しにかかった事を話して聞かせた。

 その事が今回の事件の要因の一つになっているはずだから、自分にも責任があると付け加えた。


「それにもう一人の被害者である友人から伝え聞いたんですが、彼は自首して更生しようとしていると伺いましたし、今回の事はもうなかった事にしませんか?」


 こうして土下座までして謝罪をする四人を見て、平田はまだやり直せると確信した間宮は、この件は終わりにしようと提案を松崎の両親に投げかかる。


「いえ! そんなわけにはいきません! 私達に出来る事があれば何でもします! ですから……」


「でしたら息子さんが戻ってきたら、今度こそ正面から話を聞いてやって下さい。彼はまだ若い、やり直しは幾らでも効きます。だから彼に進む道を示してやってください」


 間宮は松崎の両親をまっすぐに見つめてそう話すと、いつもの柔らかい笑顔を見せた。


「……はい。それは必ずお約束します。」


 夫婦は大粒の涙を流しながら間宮にそう約束すると、それだけでは申し訳が立たないと、ここの治療費を全額払わせて欲しいと言い出した。

 間宮は遠慮したのだが、これだけは絶対に譲れないと押し問答を繰り返していると、松崎が受け取ってやってくれと再び頭を下げた為、間宮は渋々両親の厚意を受け入れる事にした。


 四人が病室を後にすると、間宮は大きな溜息をついた。


「よく言った! 流石は私の息子や!」

「親父みたいな事言ってんなよ」


 誇らしげにこちらを見つめる涼子に、二度目の溜息が漏れた。


 午後になり予定通り検査を行い、まだ正確な結果が出たわけではなかったが、担当者からは恐らく問題はないだろうと告げられて、一先ず間宮と涼子は安堵した。


「そういえば、瑞樹さんはどうしたん? 今朝連絡貰ってからまだ姿を見てへんねんけど」

 検査が終わり病室へ戻ってくると、朝から気になっていた事なんだけどと、涼子があまり触れて欲しくなかった話題に触れた。

「あ、あぁ……瑞樹なら意識が戻ったから帰ってもらったんや」

「は!? アンタ、あの子をもう帰したんか!? あんな! あの子泊まり込んでずっと看病しててくれたんやで!?」

「知ってる! だから、少しでも早く休んでもらいたかったんや」


 間宮がそう説明すると、涼子が少し怖い顔つきで口を開く。


「それはあの子が望んだ事なんか!?」

「いや、俺がそうさせたんやけど」

「瑞樹さん、嫌がってなかったか!?」


 間宮は引き続き泊まり込ませて欲しいと、瑞樹が言い出した時の様子を思い出した。


「嫌がってたな……でも、親御さんの事を考えたら、早く帰してやらんとあかんやろ」

「あんな! あの子はその親御さんに直談判してまで、泊まり込ませて欲しいって頼み込んだんやで!」

「知ってるわ! だからやろ! だから少しでも早く帰そうとしたんやんか!」

「親御さんの事だけを考えたらそうかもしれんけど、もっと瑞樹さんの事も考えたり! このバカ息子が!」


 涼子は語尾を荒げて、間宮の頭を叩きながらそう話した。


「褒めたり落としたり、忙し過ぎるやろ」

「誰のせいやねん! あほ!」


 そう言いながら涼子は鞄を手に持って、病室のドアに向かいだした。


「どこ行くねん」

「外でお昼食べにいってくる。あぁ、そうや! これ渡しとくわ」


 涼子はそう言って、自分のスマホを間宮に投げ渡した。


「ウチがおらん間に少し頭を冷やしてから、瑞樹さんに電話して謝っとき!」

「は!? そんなんいらんって」

「何言うてんねん! ええか! あの子の番号ならそれにも入ってるから、絶対に電話するんやで!」


 涼子は間宮の言葉を遮り、一方的にそう告げて勢いよくドアを閉めて出て行った。


「なんやねん……俺にだって言い分はあるねんぞ」

 間宮は投げ渡されたスマホを見つめながら、1人愚痴をこぼしているとノックする音が聞こえた。


 間宮は慌てて平静さを取り戻して「どうぞ」と訪問者に声をかける。

 静かにドアが開き、ゆっくりと病室に入ってくる人物の姿を見て、間宮は大きく眼を見開いた。


「あ、東さん!?」


 間宮の病室を訪れたのは、小さな子供を抱いた東だった。


「やぁ! 久しぶりだね」

「何で!? どうしてここに!?」


 間宮が驚くのも無理はなかった。


 東は昔、間宮が自ら命を絶って優香の後を追おうとした時、体を張って止めた人物で、定期的に間宮が個人的に東の元を訪れてはいたが、今回の事を知っている人物とは接点がなかったはずだ。


「松崎の奴、本当にお前に話してなかったんだな」

「松崎? 何で松崎の名前が出てくるんだ?」


 東はここへ訪れるまでの経緯を話し始めた。


 実は間宮だけではなく、松崎も東と面識があったのだという。

 知り合ったのは、優香を亡くして腐っていた間宮を東が救って、仕事に復帰を果たして少し経った頃だった。

 松崎が以前から売り込んでいた会社に偶然にも東の会社も売り込みをかけていた為、最終的に複数社でプレゼンをする事になった。

 そのプレゼン会場にエンジニアとして東も同席していたのだと聞かせれた。

 松崎は間宮から東の名前と、その人物が同業だと聞いていた為、東の存在に気付き仕事とは別に個人的に、その場で声をかけてきたのだと言う。



 お互いの連絡先を交換した2人は、定期的に連絡を取り合っていたと聞かされた。

 とは言え2人の接点は自分だった為、間宮の近況報告ばかりだったらしい。

 それを聞かされた間宮は、まるで2人に観察日記をつけられていた気分になった。

 今回のことも間宮の意識が戻ったと連絡が入ってから、松崎から伝え聞いたのだという。


 だが東は、意識が戻るまで知らされていなかった事が不満だったらしい。


 松崎がすぐに連絡しなかったのは、あくまで想像だがあの時は身内が犯人だと知らせると、松崎がとる行動を読まれてしまう事を恐れたからかもしれない。


「大変だったな」

「いや、俺が勝手にした結果だからな」


「まーちゃっ!」


 東が抱いていた子供を降ろすと、その子は嬉しそうにヨタヨタ歩きで間宮のベッドに歩み寄ってきた。


「おお! 優香! もう歩けるようになったのか!」


 以前、東の自宅を訪れた時は、立ち上がろうとして尻餅をついていたはずだ。

 それがいつの間にか歩けるようになっていた事に驚いた。


「こらこら! まーちゃんはお怪我してるから、抱っこは無理だぞ」


 東が抱っこを強請る娘を慌てて抱き抱えた。

 そんな微笑ましい2人を見て、少しだけ騒ついていた心が穏やかになった気がした。


「ごめんな、優香。まーちゃんのお怪我が治ったら、一緒に遊ぼうな」


 そう優香を宥めていると、東の声色が少し低くなった。


「そんな事言っていいのか? 松崎から聞いたけど、お前新潟に行くんだろ?」

「……ああ、そうだったな。悪い」


 その後、東には話していなかった新潟に行く事になった経緯を話して聞かせた。


「なるほどな! じゃあ、希望通りの仕事につける事になったんだから、喜んでいいんだよな」


「……そう……なんだと思う」

「随分と歯切れが悪いじゃないか」


 事情を知らない東にもハッキリと分かる程、間宮の表情に迷いが見える。

 そんな辛そうな表情を見た東は、何故か嬉しそうな笑みを浮かべた。


「迷ってるのか?」

「……」

「いいじゃん!」

「は?」

「いい顔してるって事だ」

「何を言って……」

 そう反論しようと東を睨んだ時、東はニッコリと笑いながら涙を流していた。

 その涙を優香がきゃっきゃっとはしゃぎながら、小さな手で東の頬に擦り付けるように拭き取る。

 東が何を言いたいのか、間宮には理解出来ない。


「嬉しいんだよ」

「え?」

「やっとだ! やっとお前が生きている顔が見れたからな」


 どういう意味だ?

 俺はこいつに助けられてからは、一生懸命生きてきたつもりだ。

 どこを見て、何を見て、こいつはそんな事を涙を流しながら言っているんだろう。


 首を傾げている間宮を見て、東はクスッとほくそ笑んだ。


「俺や優香と同じ仕事が出来る事になったのに、手放しで喜べないのは……好きな女がいるからじゃないのか?」

「……あ!」


 心臓が跳ねるのを感じた。

 優希や仲間達に別れる事を告げて、意識は確かに新天地に向かっていたはずだ。

 瑞樹にだって旅行の別れ際にその事を告げて、お互い元気でと言葉を交わしたんだ。

 少なくとも、刺されて入院することになるまでは迷いはなかった。


 ……でも、今は迷っている……苦しんでいる。


「ようやく出会えたんだな」


 東のその言葉で、俺が生きていると言われた意味をようやく理解出来た気がした。


 俺は死ぬのをやめてから、投げやりに生きてきたつもりはない。

 だが、それは目の前にある壁を黙々と乗り越えてきただけだ。

 無意識に悩んだり、苦しんだりする事を避けてきたんだ。

 つまり、東の言う生きているというのは、優香の事を忘れるのではなく、過去に出来る程の恋をしているかどうかって事を指しているのだろう。


「……あぁ、そうだな」


 東の言葉をそう肯定すると、病室のドアが開き「あれ、お客さん?」と涼子が戻ってきた。


「はじめまして、東と申します。良介君にはいつもお世話になっています」

「これはご丁寧に、母の涼子です。あらっ! 可愛いお子さんですね」


 涼子は東が抱いている優香に、目じりを下げた。


 涼子が嬉しそうに優香を抱かせて貰っていると、「私の孫はいつになるんやろうねぇ」とわざと聞こえるように呟き、東が思わず吹き出した。


「そう遠い話じゃないかもしれませんよ?」

「お、おい!」


 優香を涼子から引き受けながらそう話す東に、間宮はアタフタと慌てていた。


「あまり長居をするのもご迷惑でしょうから、この辺で失礼します」

「そうですか? 大したお構いもできませんで」

「いえ! 今日ここに来られて本当に良かったです」


 東は涼子に挨拶を済ませると、間宮の方に振り返りニヤリと笑みを浮かべる。


「じゃあ、またな! でいいんだよな?」

「あぁ、どっちにしても年一には必ず会いに行くよ」

「おぅ! そん時はいい報告を楽しみに待ってるぞ!」

「うっせ!」


 そう話した東は、笑顔で病室を出て行った。


 悩んだりする事が、生きているって事……か。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ