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29  作者: 葵 しずく
最終章 卒業
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第22話 間宮の本音

 間宮が刺されて一週間が過ぎた。

 その間、瑞樹は病室に住み込み、母親である涼子は面会時間が終わるまで間宮の側にいた。

 側にいても大した事は出来ない。

 文字通り側にいるだけだ。

 医者や看護師にとっては邪魔なのかもしれない。

 でも、どうしても離れる気にはなれなかった。


 この一週間の間に、瑞樹や涼子の面識がない人達も多く見舞いに訪れた。

 始めの頃の瑞樹は、知らない人間がくる度に、どう接すればいいのか分からずオロオロとしていただけだった。

 でも、会社を営む雅紀の妻である涼子は、こういう事に慣れているのか、どんな関係の人間が訪れても、完璧な応対で気品すら感じる程だ。

 涼子にばかり頼っていては、何の為に住み込んでいるのか分からないと、必死に涼子の対応を学習して、ここ二日ほど前からは瑞樹もしっかりとした応対が出来るようになった。


 瑞樹が見舞客達の対応を覚えたのには、もう一つ理由がある。

 それは、初めは気にならない程だったのだが、三日前から一日数回担当医に涼子が呼び出され、席を外す事が多くなったからだ。

 呼び出された涼子がこの病室へ戻ってくる度に、顔色が悪くなっていく。

 ついには、さっき戻ってきた涼子から作り笑いすら消えてしまった。


 怖くてどんな話だったのか聞けなかったが、恐らく間宮の症状について話をしていたのだと思う。

 そして、聞かされた内容が悪い話ばかりだったに違いない。


 間宮の具合の他に、もう一つ気になる事があった。


 松崎さんの事だ。


 私を襲って、間宮さんを刺した犯人は平田だ。

 初めて間宮さんのお見舞いに来た時の、彼の表情が気になっていた。

 嫌な予感がしていたけど、やっぱり嫌な予感程当たるもので、松崎さんは平田を探し出して襲ったと、その事件があった当日に愛菜と2人でここへ来て私に話してくれた。


 愛菜が止めてくれて本当に良かったと思う。


 松崎さんの気持ちも分かるけど、やっぱりそんな事するのは間違っているし、何よりそんな事しても間宮さんは喜んだりしない。


 それからは毎日、間宮さんの様子を伺いに病室を訪れるようになった。

 松崎さんも忙しい立場なのだから、何かあれば連絡すると言ったんだけど、どんなに忙しくても例え数分であっても、必ず顔を見せにくる。


 今回の事件で責任を感じている人間が多いと思う。


 決してそんな事はないと言いたいけど、何だか私が言うのは違う気がして口を閉ざしてきた。


 眠る間宮の髪にそっと触れて、心の中で呟く。


 間宮さん、皆心配してるよ。

 目を覚まして、またいつもの笑顔を見せて。

 話したい事沢山あるの。

 ……お願い、間宮さん。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ずっと暗闇にいるのは分かっている。

 体が地面に着かずに、浮遊している感じだ。

 意識はあったが、目を開けても閉じていても真っ暗な闇しかない。

 何も見えないのだからと、ずっと瞼を閉じていた。

 眠っているのかさえ、よく分からない時間がどれだけ過ぎたのだろう。

 そんな事を考えていると、閉じていた瞼が僅かに光を感じる。

 真っ暗だった闇に、瞼の淵が薄く赤に染まっている。

 いつ以来か分からないぶりに、目を開けてみる事にした。



「……あれ? ここは」


 目を開けた間宮は、ぼんやりする意識の中辺りを見回す。


 ――ここって、前に住んでいたアパート?


「あ、起きた? 良ちゃん」

「……え?」


 そこは以前、大学から住んでいたアパートだった。

 懐かしい石油ストーブからチンチンと音が鳴り、小さなこたつテーブルに突っ伏して転寝していたようだ。

 そんな間宮に、懐かしくて耳に馴染む声が聞こえた。

 ずっと聞きたい声だった。

 もう聞けないと諦めていた声だ。


 間宮は恐る恐る自分が座っている場所から、斜め右の方向に視線を向けると、そこには、頬杖をついてこちらを見ている優香がいた。


「優香!?」

「久しぶりだね。良ちゃん」


 間宮は優香の姿が視界に入ると、ぼんやりしていた意識を完全に取り戻して上体を起こした。

 慌てている間宮の姿をクスクスと笑いながら眺めている女性は、間違いなく間宮が愛した優香だった。


 状況が全く呑み込めず、オロオロと挙動不審に陥った間宮を、優香は本当に可笑しそうに笑った。


 優香の笑い声を聞いた間宮は、少し冷静に状況を考える事が出来てきた。


「もしかして、俺って……死んだのか?」

「う~ん……少し違うかな。向こう側の一歩手前って感じ?」


 そう答えると、優香は再び笑い出した。


 何がそんなに可笑しいのだろう。

 仮にも元婚約者が死んでしまったのだ。

 普通ならそんな態度はとらないと思うのだが……。


「何が、そんなに可笑しいんだ?」

「だって、良ちゃん相変わらずなんだもん」

「何が?」

「正義の味方!」

「は?」

「自分の事を顧みず、誰かを助ける正義の味方やってるんだもん」


 優香にそう告げられて、あの時瑞樹を助ける為に平田に刺された事を鮮明に思い出した。


 正義の味方か……

 そんなつもりはない。

 ただ、あの人のようになりたいってずっと思ってて、あの人ならこうすると考えたら、体が勝手に動いてしまっただけだ。


「昔、一度だけ話してくれた人の影響なんだよね?」


 そうだ。昔、上機嫌に酔った俺は、一度だけ優香に話した事があったっけ。


 ――――――――――――

 ――――――――

 ――――


 昔、まだ俺が小学4年生の事だ。


 両親が営む会社が軌道に乗り、生活がドンドン良くなりだした頃だ。

 生活が良くなる度に、両親の帰宅時間が遅くなっていき、長男である俺が茜や康介に食事を用意する事が増えた。

 その事が不満だった俺は、親の帰宅が遅い事をいいことに夜遊びをするようになった。

 警察に補導されないようにだけ気を付ければ、絶好のストレスの捌け口になっていた。


 そんなある日、いつものようにゲームセンターをブラついて、親が帰ってくる時間が迫ってきたから、急いで帰宅しようとしている時の事だ。

 後ろから大人の男三人に声をかけられた。

 見るからに怪しそうな風貌をしていたから、相手にせず無視して立ち去ろうとした俺に男達は殴りかかってきたんだ。

 すぐに意識を失ってしまった俺は、気が付くと見知らぬ建物の中にいた。

 口は堅い素材の布の様な物で塞がれていて、手足もロープで縛られていた。

 そこで初めて自分は誘拐されたのだと、ようやく気が付いた。

 映画やドラマの中だけだと思っていた事が、現実に起きている。


 俺はこれからどうなってしまうのだろうと、心底恐怖に怯えていた事を覚えている。


 俺を拉致した男達は、誰かを待っているようだった。

 やがて別の男が建物現れて、男達が得意気に俺の事を話しているのが聞こえた。

 その次の瞬間、現れた男は大きな声を上げて、俺を拉致した男達を次々に殴ったり蹴り飛ばして瞬く間に倒してしまった。


 俺は何が起こっているのか理解出来なかったが、次は自分の番だと恐ろしさが増して、思わず漏らしてしまったのは、忘れたくても忘れられない俺の黒歴史だ。


 男達を瞬殺した男は、俺の方に歩み寄ってくる。


 ――もう駄目だ。


 子供ながらにそう覚悟した俺は、ギュッと目を閉じて歯を食いしばった。


「悪かったな、ボウズ。痛かっただろう」


 目を閉じて真っ暗な視界の中で、男のそんな言葉を聞いた俺は驚いて目を開くと、その男は俺の間で屈んで申し訳なさそうな表情を見せていた。


 男は倒れた俺を起こして、縛られていた手足を開放して口を塞いでいた布を取り除いた。

 俺は予想だにしなかった状況に、理解が追い付かずに唖然としていると、男は俺を抱きかかえた。

 漏らしてしまった物が自分の服に付着する事など、全く気にする素振りすら見せずにそのまま建物を出ていく。


 建物の前に戦車の様な大きな車が停めてあった。

 その車の助手席に座らされた俺は、どうにか漏らしてしまった汚物をシートに付かないようにしようとしたが、どうにも出来ずに結局シートに納まってしまった。

 車を走らせ始めた男は、そんな事にも気にする素振りを見せずに前だけを見ていた。


 走り出した車の車内で、俺がこんな目にあった経緯を子供の俺にも分かるように説明を始めた。


 凌ぎという収入源が減少して組の存続が危ぶまれていた為、俺を誘拐して身代金を手に入れるつもりだったらしい。

 だがそれは、あの男達が独断で行動を起こしたらしく、呼び出されるまで知らなかったと男は話してくれた。

 どんなに苦しい状況になっても、一般人にましてや子供に手を出すなんてやってはならない。

 男は俺にそう告げた時の、辛そうな顔をはっきりと覚えている。


 そんな話を聞いていると、車はアパレル関係の店に到着していた。

 店内に連れられて、男は店員に俺の服装を見繕うように依頼した。

 店員は早速何着か服を用意して、速やかに頭から足の先まで着る物を見繕い、汚れた服はそのまま処分してくれた。

 会計を済ませて、再び車を走らせる。

 その間、男は一言も発する事なく、拉致された場所で車を停めた。


「着いたぞ。ここでいいんだよな」

「う、うん」

 俺は恐る恐る車から降りて男の様子を伺っていると、男も車から降りて俺の前で屈みこんだ。


「今日は本当に悪かった。謝って済む事じゃない事は分かってるんだが……」


 俺は怖くて黙ったまま首を小さく縦に振った。


 男はもう二度と現れない事を、俺に約束して車に乗り込み走り去った。


 車を見送ってから、トボトボと自宅に向かって歩き出す。


 痛かったし、なにより怖かった。

 でも、あの男が格好いいなんて思ってしまっている自分がいた。


 世間的には胸を張って言える職業の人ではない。

 善か悪かで言えば、きっと後者なのだろう。


 でも俺は格好いいと思ってしまった。

 決してそんな職業の人になりたいと思ったわけではない。

 ただ、あの人の一本筋が通った行動に憧れたんだ。

 本当の意味で強い男になりたい。

 嫌がらせされたくらいで、いちいち凹んでなんていられない。


 だから、俺は正義の味方になんてなった覚えはないんだ。


 ――――――――

 ――――

 ――


「その話は聞いた事あるけど……」

「けど?」

「今回のはホントにそれだけなのかな?」


 優香は少し寂しそうな笑みを浮かべて、そう間宮に問う。

 それが何を指して言っているのかは、すぐに理解は出来た。

 だが、ここが向こう側へ向かっているのなら、今更な気がして答える気にはなれなかった。


「それで? 俺はこれからどうなるんだ?」

「あ! 話し逸らしたなぁ! フフ、まぁいいけどね」


 そう苦笑する優香はコタツから出て立ち上がり、部屋の天井を指さした。


「後はこの方角に少し進んだら、完全に向こう側へ入る事になるの」


 さっきから優香が言っている向こう側と言うのは、恐らくあの世ってやつなのだろう。

 本当にそんなのがあるのかと問いたかったが、ここまで来てそんな事を聞くのは野暮な気がして、黙って優香が指さした方角を見つめた。


「良ちゃんはどうしたい?」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。私と向こう側へ行くか、それとも戻るか」

「え? 戻れるのか!?」

「うん。私の時と違って、良ちゃんの体は無事だからね!」


 戻る事が出来るなんて考えてもいなかった。


「なぁ、一つ聞いていいか?」

「なに?」

「優香は俺の事どこまで知ってるんだ?」

「ちょっと前までは何も知らなかったよ。ずっとあの場所で良ちゃんが来るのを待ってただけだから」

「……そうか」

「でもね、最近になって見れる場所が増えたんだ」


 そう話すと、優香は間宮手に握っている物を指さした。

 指さされた手の中から、小さな鈴が付いたあのキーホルダーが出てきた。

 自分でも気が付かなかったが、ずっと眠っている間このキーホルダーを握っていたらしい。


「このキーホルダーがどうかしたのか?」

「良ちゃんが持っているそれと、瑞樹ちゃんでいいのかな? 彼女が持っているキーホルダーから様子を伺えるようになったの。何でかは分からないんだけどね」


 それを聞いて間宮の中で、刺される前までの不思議な出来事に合点がいった。


「やっぱりそうだったのか。俺達を助けてくれてたのは優香だったんだな」

「大した事してないよ。実際に行動したのは良ちゃん達なんだし」


 どっちが正義の味方なんだか……。


 間宮はクスっと笑みを浮かべる。


「わるい!もう一つだけ教えてくれ」

「ん?」

「瑞樹は……彼女は無事だったのか?」

「そうだね。助けに入ったのに刺されたりするから、どうなったか気になるよね」

「耳が痛いな」

「フフ! 大丈夫だよ!大した怪我もなくちゃんと無事だったよ」


 瑞樹が無事だと確認がとれた間宮は、心の底から安堵した表情で「そうか」と息を吐いた。


「そろそろ私も向こうに戻らないとなんだけど、どうするか結論はでた?」

「そうだな。優香のおかげで瑞樹も助けられたて無事だったわけだし、ずっと疎遠になっていた人間関係も修復出来た……それなら」

「それなら?」

「向こうで、優香とずっと一緒にいても構わないよな」

「……そうだね」


 間宮もコタツから出て立ち上がり、優香の正面に立ち目を閉じて「でも」と続ける。


 優香が死んでからずっと独りぼっちだった。

 俺の周りにいてくれた人達には本当に感謝しているが、心はずっとあの時から動いてはいなかった。

 そんな俺に手を差し伸べてくれた人がいる。

 どんな人に似たような台詞を言われても、なんとも思わなかったんだ。

 でも、その人が話してくれる言葉には力があった。

 多分、原因は全く違うけど、同じように心を閉ざしていた人が、日に日に心を取り戻していく様子を目の当たりにして、悔しかったのかもしれない。


 ――だから。


「少し前だったら、迷うことなく優香と一緒にいる事を望んだろうな。……でも……今は」

「……うん」

 手を胸元にそっと手を当てた優香は笑顔を間宮に向けたが、その瞳には覚悟が滲み出ていた。


「優香の事は今でも愛してる。この気持ちはずっと変わらない!」

「……うん」

「でも、今は一緒にはいけない。俺の事を必要としてくれている人達がいるから」

「ここまで話しておいて、変な気を使われても困るんですけど」


 優香のジト目が間宮に変な汗をかかせる。

 彼女が何を言いたいのかは、勿論分かっている。

 でも、その事を口に出さないのは、決して優香に気を使ったからではない。

 ただ、口に出す勇気がないだけだ。

 その事を自覚した時、自分はまだ完全にトラウマを解消出来たわけではない事に気付かされた。


 結局、何も告げずに東京を離れる行為だって、事故現場で優香に格好いい事を言ったが、やはり怖がっているだけだったのだ。


 人を本気で想う事の素晴らしさと怖さを味わった間宮には、そのトラウマを克服する為に乗り越えないといけない壁が、想像以上に高ったようだ。


 だが、今ならその壁を超える気がする。

 だから不思議と焦りはなかった。


 ――今度こそ、卒業しよう。


 間宮は軽く深呼吸して呼吸を整えて、再び優香を真っ直ぐに見つめる。


「わかった。俺の本音を話すから、聞いてくれるか?」

「うん。聞かせて、良ちゃん」


「俺は……」


 ――――――――――――

 ――――――――

 ――――

 ――


「瑞……樹の……事が……す……き……なん……だ」


 暗闇の中で間宮の声が聞こえる。

 その声に反応するように、瑞樹はゆっくりと瞼を開いた。

 目を覚ますと、自分が間宮のベッドに突っ伏して眠ってしまった事に気が付く。

 眠っている間、ずっと間宮の手を握りしめていた。

 眠る前に間宮の手を握って意識が戻る事を願うのが日課となっていたのだが、どうやらその最中に眠ってしまったようだ。


 とうとう間宮さんに告白される夢を、見るようになったか……

 間宮さんがこんな時に、私ってホントに馬鹿ね。


 自分に呆れて突っ伏したまま溜息をつくと、今までとは違う違和感に気付く。


 その違和感は二つある。


 一つは握っていた間宮の手の指が僅かにピクリと動いた気がした。

 ずっと動かなかった指が動いた時、驚いて思わず手を離してしまった事だ。


 そしてもう一つは、ずっと一定のリズムを刻んでいた間宮の呼吸が、ゆっくりとだが深呼吸をするような息遣いが、突っ伏している瑞樹の頭の上から聞こえてきた事だった。


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