第21話 後悔
支度を済ませて家を出た瑞樹は、再びタクシーで病院前に到着した。
間宮のマンションに停めっぱなしにしていた自転車を回収してそのまま病院へ向かうつもりだったのだが、両親がまだ犯人が捕まっていないのだから不用意に出歩くなと叱られて、またタクシーで戻ってきたのだ。
間宮が眠っている病室へ戻る前に、加藤達にこの事を知らせようとスマホを手に取った。
真っ先に間宮の親友である松崎に連絡をするところだが、加藤に連絡をとり事情を簡潔に話す事にした。
加藤に話せば自然に松崎の耳に入ると考えたからだ。
何故そんな回りくどい方法をとったのかといえば、間宮を刺した犯人に原因がある。
最初の事情聴取で警察には話しておいた事だが、フードを深く被りマスクを着用して顔がハッキリと認識出来ない恰好をしていて、誰に襲われたのか、その時は分からなかった。
だが、間宮が犯人を地面に叩きつけた時、フードが脱げて目から上が見えた。
暗闇でハッキリと見えたわけではないが、特徴のある髪型だったこともあり瑞樹には犯人が誰なのか分かっていた。
分かっていたから、直接松崎に知らせるのは気が進まなかったのだ。
加藤との電話を終えて、病室のドアをノックしたが中から反応がない。
瑞樹は静かに病室のドアを開けると、そこには変わらず眠っている間宮がいるだけだった。
間宮の母である涼子も一旦茜のマンションに向かい、準備を整えて戻ってくる事になっていた。
だが、どうやら思っていた以上に茜のマンションはここから距離があるようで、まだ涼子の姿はここにはなかった。
瑞樹は少し安堵した表情を見せて、病室に入り静かにドアを閉めた。
持ち込んだ荷物を病室に置いてあるドレッサーに仕舞って、間宮が眠るすぐ側に椅子を移動させて座る。
他の病室にいる患者達の検温や、食事介助に走り回るスタッフ達の声が遠くから聞こえてくる。
まるで、ここだけがこの病院から切り離されているように感じた。
そっと間宮の顔に近づいてみると、呼吸器を付けた間宮から小さな息遣いが聞こえてきた。
その音で間宮が生きている事を実感出来たが、一向に目を覚ます気配は見せない。
更に近づいてみると、あの時に付いた汚れは拭き取られていて綺麗な顔だったが、よく見ると倒れた時についた傷が顔の部分だけでも数か所ある事に気が付いた。
その傷にそっと優しく触れると、あの時刺されて痛みに耐えている間宮の顔が鮮明に脳裏に浮かんでくる。
シーツから間宮の手を取り出して、両手で包み込むように握り、頬にそっと当てた。
私が間宮さんのマンションにいたばかりに、こんな事に巻き込んでしまって……ごめんなさい。
私なんかと知り合わなければ、こんな事にならなかったのに……
でも、知り合わなければ良かったって思えない私を許して。
目を覚ましてくれるなら、私はどうなってもいい。
だから、お願い! 戻ってきて……。
瑞樹はもう泣かないと決めていた涙を、間宮の手に零す。
初めて間宮の気持ちを理解出来た気がした。
大切な人がこの世からいなくなり、残された者の気持ちが……
この喪失感は、当人にしか絶対に分からない。
結婚したいと思えるほど愛した人を失った気持ちを、間宮の今までの苦しみの片鱗に触れた気がして、涙が止まらなくなった。
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その日の午後から、加藤から連絡を受けた人達が次々と見舞いに訪れた。
加藤達ゼミ仲間が先陣を切り、藤崎経由で知った天谷達や、松崎や会社の同僚と様々な人間がここを出入りする。
その一部始終を見届けた瑞樹は、改めて間宮の人望の厚さを実感させられた。
それと同時に、自分のせいでこんなに大勢の人達を悲しませたのだと、己の愚かさを痛感させられた。
でも、訪れた人達は誰一人として自分を責めない。
それどころか、心配されてしまった事に苛立ちさえ覚えた。
何故、皆は私を責めないんだろう。
間宮さんの家族でさえ、私を責めようとしない。
優しさがこんなに辛く感じる事があるなんて、初めて知った。
何度も説明したんだ。
私のせいで刺されたんだと。
――誰か、私を責めてよ。
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面会時間が終わろうとした頃、手続きや荷物の運び出しを終えた雅紀と康介が病室に現れた。
家族三人が揃い、自分がいたら邪魔だろうと席を外すことにした。
「お疲れ。志乃」
暫く休憩スペースで時間を潰していると、仕事を終えた優希が現れた。
「優希さんこそ、お仕事お疲れ様です」
「ちゃんと睡眠はとれてる?」
「……いえ、全然眠くならなくて」
ちゃんと休まないと、患者が増えるだけだよと、冗談交じりで話す優希の姿が眩しく見えた。
昨日というか夜中に、あんなに取り乱した人物とは思えない程に。
「ホントに優希さんって凄いですよね。あんな事があったのに、ちゃんと仕事をこなして、私にまでそんな気を使ってくれて」
そう話した瑞樹は、益々落ち込んでいく。
そんな瑞樹を見て、溜息をつきながら側にあった自販機で缶コーヒーを買って、一本を瑞樹に差し出した。
「私がいつもどおり過ごせているのは、志乃のおかげじゃん」
「私? 何言ってるんですか……私なんてただの疫病神ですよ」
「ははは! 疫病神か。こんなに可愛い疫病神なら、憑りつかれてもいいかも」
「私は真面目に言ってるんですけど」
「私も真面目に言ってるよ。志乃が引っぱたいて喝をいれてくれたから、いつも通りに……ううん! いつも以上に頑張れたんだよ」
ほら……優希さんも私の事を責めない。
大切な人が私のせいで、生死を彷徨ってるんだよ?
普通、怒りとか通り越して、恨んだりするもんじゃないの!?
「何で優希さんは、私の事を責めないんですか?」
「ん? 責められたいの?」
「責められたいっていうか……」
「他の人はどうか知らないけど、私は怒ってるよ。だから責めないんだよ」
「怒ってるのに責めないってどういう……」
「志乃が責められたいのは、楽になりたいからでしょ?」
図星だった。
辛くあたられた方が、精神的に楽になれるから。
「どうして分かったんですか?」
「昔の良ちゃん。つまりお姉ちゃんが死んじゃった時の良ちゃんと同じだと思ったから」
以前、間宮から当時の心境を話して貰った事があると、次から次へと走り去って行く車の光を、窓から見下ろしてそう話し出した。
あの時の間宮は、起こった事全てが自分の責任だと思い込み、自分の殻に閉じこもった時期があったそうだ。
当時はこれが自分への罰なんだと思っていたが、今思えばあれはただの逃避だったと言う。
しっかり前を向いていれば自分に出来る事が見えていたはずで、それが出来なかった事を今でも悔いていると、間宮は辛そうに言っていたそうだ。
そう話した後、優希は「でもね」と続ける。
当時の間宮と今の瑞樹は似たような状況にいるかもしれないけど、決定的に違うところがあると告げる。
「違うところって?」
「良ちゃんは自分を責めてたけど、本当に責任なんて感じる必要はなかった。でも、今回の場合は多かれ少なかれ、志乃にも責任があるって事だよ」
「……はい」
「だからどんな結果になっても、志乃は周りの人達の反応に流されないで、真正面から受け入れなさい! でないと私は許さない!」
「……」
何も言えなかった。
返事すら出来なかった。
自分があまりにも愚か過ぎて……
「優希。そろそろ帰るよ」
茜が雅紀達を連れて瑞樹達がいる場所を通りかかり、面会時間が終わる為そう声をかけてきた。
面会時間に間に合わない時間だったから、優希を送る前にここへ一緒に来たらしい。
「あ、うん! 分かった」
優希は俯いている瑞樹に「じゃあね」と告げて、帰ろうと茜達の元へ向かおうと背を向ける。
「間宮さんに会っていかないんですか?」
「それは志乃の役目じゃん」
瑞樹の問いに、優希は背を向けたままそう答えると、茜達と病院から出て行った。
珈琲の缶を片付けて間宮の病室に戻ると、変わらず心電図の作動音だけが響いている。
静かに眠る間宮の顔をジッと見つめると、優希に言われた台詞を思い出す。
どんな結果になっても、逃げずに正面から受け止める。
その言葉は覚悟がないのなら、初めから関わるなと言われている気がした。
――間宮さん……私、全然駄目だね……ごめんね。
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「よう! まだこの辺りにいるとは思わなかったぜ」
松崎は間宮の見舞いに行った後、方々に手を回してある人物がいる場所を突き止めて、その人物の背後から不意に声をかけた。
男は松崎にいきなり声をかけられて、慌てて振り向き松崎の顔を見ると、表情から絶望の色が濃く表れていた。
「……あ、兄貴が、な、何でここに」
「お仲間じゃなくて悪かったな」
松崎が探していたのは、義理の弟である平田 浩二だった。
平田は、以前からたまり場に使っていた廃墟になっている雑居ビルの中で、身を隠して仲間が来るのを待っていた。
不敵な笑みを浮かべたまま、ジリジリと平田との距離を詰める。
「お待ちかねのお仲間からの伝言だ。殺人犯なんかを匿うわけないだろってさ」
「あいつ!!」
瑞樹をナイフで襲いかかったのは、間宮と松崎に潰されたはずの平田だった。
あの一件以来、仲間達に見放され家族にも見切られて、松崎には中学の同級生全員に謝罪に走りまわされて、終わり次第姿を消せと告げられていた。
だが、平田は仲間達に再び取り入ろうとしたのだが、あれ以来誰も寄り付かなくなり孤立した立場になり、その現実を受けいられずに瑞樹に恨みを抱き、一連の事件を起こしてしまった。
「で! 代わりに俺が来てやったわけだ」
「俺をどうするつもりだよ」
平田がそう問うと、松崎の笑みが消えて目つきが鋭くなった。
「決まってんだろ! 言わないと分かんねぇか?」
「ヒッ!!」
松崎はネクタイを緩めて、ドンドン平田に歩み寄る。
近づいてくる度に松崎の目には明らかに殺気が増していき、その恐ろしさに平田は思わず悲鳴を上げた瞬間、記憶が飛んだ。
気が付くと、声をまともに出す事が出来なくなる程、口が動かず眼も腫れあがり視界が悪い。
体中に激痛が走り、指を動かすのがやっとの状態だった。
意識が朦朧とする中、松崎は手を緩める事なく平田の首を鷲掴みにした。
「お前は絶対にやっちゃいけない事をやったんだ!」
松崎の怒りは全く治まる様子を見せる事なく、首を掴んだ手に力を込める。
急激に平田の顔から血の気が引いていき、次第に眼球が上ずり開いた口から泡が溢れてきた。
もう駄目だと平田が死を覚悟した時、目の前にいた松崎が横倒しになっていた。
首が解放された平田はゲホゲホと苦しそうに咳き込みながら、地面をのたうち回った。
真横から激しく押されて倒れ込んだ松崎は、自分の体の上に倒れ込んでいる者に視線を移すと、そこには加藤が倒れ込んでいた。
「愛菜?」
「……」
松崎は邪魔をしたのが加藤だと知ると、一瞬思考を巡らせたが、すぐさま加藤を力づくで退かせて、再び平田に襲い掛かろうとする。
だが加藤もすぐに次の行動に移り、倒れ込む平田と松崎の間に両手大きく広げて立ちはだかる。
「もうやめて!」
「邪魔するな!!」
平田は加藤を挟んだ向こう側にいる松崎に、心から恐怖を感じてガタガタと体を震わせている。
松崎は割って入った加藤を強引に押しのけて、鬼気迫る顔で再び平田に詰め寄る。
「俺のせいなんだ! 瑞樹ちゃんを危険に晒したのも、間宮が刺されたのも全部! 全て俺のせいなんだ!!」
松崎は心の底から怒っていた。
それは2人を襲った平田に対してだけではなく、平田を庇ってしまった自分自身にも腹を立てていた。
「それで? こいつ殺して自分も死ぬって!?」
震えあがっている平田を指さして、睨みつける加藤は今まで誰も見た事がない顔だった。
「そうだよ! どの面下げてあいつと会えってんだ!」
自分の甘さが、親友の生死を彷徨わせている。
どんな言い訳をしても、この事実は変わらない。
自分がそんな被害にあった時の事を考えると、到底許せる自信がない。
それならせめて、こいつを殺して、自分も死んで謝罪しようと考える事がおかしい事なのか!?
「逃げんな! ヘタレ!!」
「……!!」
加藤の怒鳴り声が、ビルのフロア全体に響き渡る。
言葉を失って目を見開く事しか出来ない松崎の胸に、加藤は小さな拳を押し当てた。
「私に……私に間宮さんと同じ思いをさせるつもり!?」
鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。
加藤から瑞樹や間宮の事を聞かされた時、すぐに平田の事が頭に浮かんだ。
病室へ向かい、ベッドで呼吸器やいろんな管が通された間宮の姿を見た時、頭に血が上った。
この時点で平田をどうやって見つけるか、その事だけが頭の中を支配して、加藤の事は全くと言っていい程、考えていなかった。
「大丈夫! 必ず間宮さんは目を覚ますよ! だから、精いっぱい謝ろう? 私も一緒に謝るから……」
「……うん」
加藤はさっきまでの形相が嘘だったように、涙を流して優しく松崎に微笑んだ。
そんな加藤を見て、松崎は全身の力が抜け落ちた様に、膝から崩れ落ちていく。
「アンタもだよ! 平田!」
崩れ落ちた松崎を優しく抱きしめた加藤は、ビルの壁に凭れかかるように崩れていた平田に、語尾を荒げてそう話す。
放心状態だった平田は、加藤にそう告げられて意識を松崎と加藤に向けた。
「自首して罪を償って! 償い終えたら間宮さんと志乃に謝りに行きなさい!」
「謝れって……俺なんかがそんな事しても……」
「大丈夫! その時はきっとお兄ちゃんも一緒に謝ってくれるから!」
加藤がそう堂々と言い切ると、崩れていた松崎が息を吹き返したように、しっかりと地面に足を付けて力強く立ち上がった。
「ほ、ほんとか!? 兄貴!」
「あぁ! 約束してやるよ。それまでずっと待ってるからな!」
松崎は倒れている平田にそっと手を差し伸べた。
その手を握りしめた平田は、震える両足に喝をいれて立ち上がり、松崎と向かい合った目からは涙が零れ落ちていた。
「ありがとう。ごめんなさい……兄ちゃん」
「謝る相手が違うだろ。まぁ、先にお前の分も俺が謝っておいてやるから、しっかり罪を清算してこい」
「うん!」
こうしてビルを出た三人は、最寄りの交番に向かい平田だけがそのまま交番に入り、潔く自首を宣告した。
「それじゃ、これから間宮さんと志乃に謝りに行こう!」
「あぁ! そうだな」
平田の自首を見届けた2人は、間宮が眠る病院に向かって歩き出す。
「そうだ! 何で俺がこんな事をするって知ってたんだ?」
「付き合いが浅いからってナメないでよね! そんなの貴彦さんを見てたら分かるよ!」
間宮を初めてゼミ仲間達と見舞いに来た時、みんな一斉に間宮のベッドを囲み泣きそうな表情で、瑞樹から詳しい経緯を聞いていたが、松崎だけは呆然と眠っている間宮から視線を外して立ち尽くしていた。
その様子に気が付いていた加藤は、それ以降、松崎の行動に目を光らせていたと話した。
平田を殺そうとしていた時の俺は、自分でも分かる程、恐ろしい形相だった。
いくら恋人といっても、あの時の俺と浩二の間に割って入るのは、怖かったはずなのに、愛菜は躊躇せずに飛び込んできてくれた。
こんな華奢な女の子に、俺は何て怖い思いをさせてしまったんだ。
それに不安にもさせてしまった。
まったく何やってんだ…俺は。
「え? 何か言った?」
「いいや! 何でもないよ! ありがとう。愛菜」
松崎は顔を赤らめながら、加藤の頭を優しく撫でて感謝の気持ちを伝える。
「どういたしまして!」
いつもの加藤の笑顔でそう応える姿を見た松崎は、もうこんな思いは絶対にさせないと、心に強く誓いを立てた。