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29  作者: 葵 しずく
最終章 卒業
128/155

第18話 似た者同士

 あの事故から何年経ったのだろう。

 ずっと意識しないで生きてきた。

 でも、墓を参る度に嫌でも月日の流れを認識してしまう。


 車が頻繁に走っているこの道路も、今は綺麗に整備されている。

 あの時、このアスファルトに優香の血が大量に滲んだ。

 アスファルトの冷たさと、優香の血の温かさが混じった感触を今も鮮明に覚えている。


「優香……俺、もうすぐ三十路になるんだぜ。時間の流れって早いもんだな」


 そんな事を話しかけていると、いつも優香が隣にいる時だけ感じる空気に変わっていく。

 心なしか優香の香りまで嗅覚に届いている気がした。


「俺だけ年を取って嫌になるよ。はは」


 優香の姿が見えているわけではないが、もし本当に今隣にいるのなら、優香はあの当時のままの姿なのだろう。


 一緒に年を取っていきたかった。

 だがそれはもう望めない事だ。

 1人だけ年を取ってきたが、ずっと気持ちはあの頃に置いてきたままだ。


 今日ここへ来たのは、ずっと優香に預けたままの自分の気持ちを受け取りにきた。


「優香……今日はお別れを言いに来たんだ」


 隣に座っているであろう場所を見つめながら、間宮はそう告げる。


「ずっとやりたかった仕事に着ける事になったんだ。でも、その施設は新潟にあってさ。明日引っ越す事になってる」


 間宮は遠くを見つめて、もう簡単に会いに行く事が出来ないと話す。

 でも、もう大丈夫だと誰もいない空間に力強く言い切った。


 いなくなってしまった後も、ずっと優香の存在だけが心の支えだった。

 だが、それでは前に進めない事も理解していた。


 体や経験だけが上乗せされても、心は一向に成長しないまま時間だけが過ぎていく。


 つい最近まで、本気でそれでも構わないと思っていた。


「そんな、俺の背中を押してくれた女の子と出会ったんだ」


 瑞樹と優希の姿を思い浮かべて、優香にこれまで二人がしてきてくれた事を話して聞かせた。

 不思議な気持ちだった。

 優香以外の存在を、優香に話して聞かせる事が、間宮には不思議で仕方がなかった。

 でも後ろめたさはなくて、寧ろ優香に聞いて欲しいとさえ思いながら話した。


「喜んでくれてるのかな。それとも拗ねたかな?」


 2人の事を話し終えた間宮は、その話を聞いて優香はどう思っているのか気になった。

 そんな事知る術なんてない事は、分かっている。

 だからこそ、彼女は喜んでくれていると信じたい。


 春の訪れを感じさせる、温かで爽やかな風が心地よく吹き抜ける。

 風の音が吹き抜けて、再び静けさが戻った時、一人の通行人の靴音が止まった事に気が付いた。

 その音が、優香の存在を感じながら、心の中で言葉を投げかけていた間宮の意識を現実に引き戻す。


 視線を立ち止まった通行人に向けると、間宮の顔が青ざめた。


「君は……」


 そう声をかけてきた相手の目から視線を逸らした間宮は、足元に供えてあった花を乱暴につかみ取り、「すみません!」とだけ言い残して、逃げる様に駅に繋がる信号を渡ろうとした。


「ま、待ってくれ!」


 逃げ出そうとした間宮を呼び止めたのは、かつてお前が娘を殺したと怒鳴り、二度と顔を見せるなと告げた香坂優香の父親だった。


 優香の父親の呼び止めを無視して走り去ろうとしたが、『チリン』と小さいけれど、耳に馴染む鈴の音が聞こえたかと思うと、肩にかけていた鞄が後ろに引っ張られた気がして思わず足を止めてしまった。


 立ち止まった時、再度鈴の音が聞こえて、音の出所が分かった。

 鞄のホルダーリングにぶら下げていた、京都で瑞樹とお揃いで買った鈴が付いたキーホルダーだった。


 立ち止まってしまった以上、背を向けたまま逃げ出せなくなった間宮は、意を決して恐る恐る振り返ると、そこは人気が少ないとはいえ、往来で土下座をする優香の父親の姿があった。


「え? ちょ……」

「本当に申し訳なかった!」


 状況が把握出来ていない間宮は、慌てて土下座をしている父親に歩み寄り、膝をついた。


「あの、頭を上げて下さい」

「いや! そういうわけにはいかない! 私は君に最低な事をしたんだ! 君は何も悪い事なんてないのに!」


 父親はそう言って、額をアスファルトに擦り付けて間宮の制止を聞かずに話を続けた。

 優香が死んで通夜を行い葬式が終わった夜、深い悲しみの中で眠りについた時、夢の中に優香が現れたという。

 現れた優香は、親より先に死んでしまった事を詫びるのかと思いきや、涙をながしながら「どうして良ちゃんにあんな酷い事したの!? 良ちゃんは何も悪くなんてないのに!! お父さんの馬鹿!!」とひどい剣幕で怒られたそうだ。


 勿論、優香にそんな事言われるまでもなく、葬儀中にもずっと自分がした事を後悔していた。


 その事を改めて愛娘に叱られて、言い返す事が出来ずに目が覚めるまでずっと説教を食らったらしい。


 その話を聞いて、死んでも変わらないんだなと、間宮は父親に見られない様に少し吹き出した。


 目が覚めてからは、酷い事をしてしまった事を時折、母親に懺悔する日々が続いていたそうだ。


 何度も俺に会って謝ろうとしたらしいのだが、優香が死んでから暫くして今のマンションに引っ越してしまった為、消息を掴む事が出来ずに今日に至ったのだと聞かされた。


「今更こんな事をしても只の自己満足だと思われるかもしれないが、今の私にはこれしか思いつかなくて、どうやって償えばいいのか分からないんだ!」


 経緯を聞かされて、最後にそう話す優香の父親に対して気にするなと言っても恐らく聞き入れてはくれないだろう。


 それなら、一つだけ諦めていた事を頼んでみよう……


「それじゃ、一つだけお願いを聞いて貰えますか?」

「な、なんだ!? 何でも言って欲しい! 私に出来る事なら何でもする!」

「優香さんのお仏壇に線香をあげて、手を合わさせて頂けませんか?」

「そ、そんな事こちらからお願いしたい事が、謝罪になるわけないだろ」

「そう言ってくれるって事は許可して貰えるんですね? 今の僕にはそれで充分ですよ」


 そう告げた間宮は地に両手をついている優香の父親の手を取り、自分が立ち上がるのと同時に、父親を力強く引き上げた。


「実は、ようやく優香さんの死を受け入れる事が出来て、今日ここにお別れを言いに来ていたんです。でも、仏壇に手を合わせられない事が心残りだったので、許して貰えるのなら凄く嬉しいんですよ」


 そう話して柔らかい笑顔を向けると、父親は少し呆れたような顔をして溜息をついた。


「まったく君って男は……殴られたって文句なんて言えない様な事をしたんだぞ?私は」


 父親は苦笑いを浮かべてそう話すと「でも」と続ける。


「さすがは、優香が惚れた男だって事なんだろうな」

「それって誉め言葉って事でいいんですよね?」


 間宮と優香の父親はそう話して、顔を合わせて笑い合った。


 その後、間宮の希望通り仏壇に手を合わせる為に、優香の実家へ向かうと間宮の姿を見た母親が泣き崩れてしまい、2人で宥めるのに苦労した。


 母親を宥め終わり、リビングの隣にある和室に祭られている仏壇の前に座り、ジッと飾られている優香の写真を見つめる。

 写真の優香は当時のまま、パッと花が咲いた様な笑顔を見せてくれていた。

 線香をあげて、静かに手を合わせて目を閉じる。

 今までの事を纏めて話しかけているのか、目を閉じて再び開かれるまで5分程かかった。

 間宮はその間、微動だにせず心の中で優香に話しかけている姿は、優香の両親には、ずっと我が家にかけていた大切なピースが埋まったように見えたと、後で話してくれた。


「間宮君、明日休みなんだろ? 軽く一緒に飲まないか?」


 父親はそう言って、いそいそと冷蔵庫へ向かって、缶ビールを二本取り出した。


「あ! 実は今日会社の同僚達が僕の為に送別会を開いてくれて、もう結構お酒はいってるんですよ」

「送別会? え? 君、仕事辞めるのか?」


 突然の事を聞かされて驚いている両親に、明日新潟に引っ越すまでの経緯を話して聞かせた。


「そうか……同じ仕事をする男としては祝福するべきなんだろうけど、折角こうして話が出来たんだから、これからもたまにでいいから一緒に酒を飲めるって思ってたから残念だよ」


 本当に寂しそうな顔を見せられた間宮は、少し考えてから2人に「それなら」と提案を持ち掛ける。


「もしお二人のお許しが頂けるのなら、優香さんの命日の日に一緒にお墓を参らせて頂けませんか?」

「おお! それはいい! 是非そうしよう! その時はウチに泊っていくといい! 一緒に飲もうじゃないか!」

「はい。楽しみにしています」


 間宮の提案に2人共喜んでいる姿を見てホッとしていると、酒を飲むのを今日は止めて、お茶を御馳走になることにした。


 暫くすると、コポコポといい音が聞こえてきて、やがて間宮の大好きな香りに包まれた。


「あの時と同じ豆で淹れてるからな」


 そうだ。あの時と同じブルーマウンテンの香りだ。

 この香りを嗅いだ時、それまでガチガチに緊張した気持ちを解してくれた、懐かしい香りだ。


 間宮は結婚の許しを得る為に、この家を訪れた時の事を思い出しながら、ブルーマウンテンにしか出ない独特の香りを楽しんでいた。


 そういえばあの時もそうだったけど、この家に優希がいるのを見た事がない。

 優希から昔の話を聞いた事はあったが、家を出て一人暮らしを始めた経緯を聞いた事がなかった事に気が付いた。


 ――もしかしたら、あるかもしれない。俺があいつにしてやれる事――


 丁寧に淹れられた珈琲を一口飲んで、間宮は気になっていた事を聞いてみる。


「あの、優香の妹さんって今、どうされてるんですか?」

「優希の事を言ってるのか? あの子は優香が死んでしまって、暫くして勝手に家をを出て行ってしまったよ」

 父親は溜息交じりにそう答える。

 その顔色はぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、寂しさを滲ませていた。

「そんな言い方ないじゃない。そんな事になったのは私達のせいなのよ?」

 母親が間宮への説明が気にくわないと、会話に割って入り抗議した。

「どういう事ですか?」

 間宮は2人に優希が家を飛び出した経緯を、詳しく聞かせて欲しいと頼んだ。


 当時、優香が亡くなってから、暫く夫婦間がかなり乱れたらしい。

 父親は間宮への後悔もあり、周りに当たり散らしてその度に夫婦ケンカが絶えなかったそうだ。

 その一番のとばっちりを食ったのが、妹の優希だった。

 その頃、日ごろの努力の成果が出始めて、各メジャーどころのライブハウスから連日出演オファーが届くようになった。

 その最大の流れに乗るように、以前からスカウトに足を運んでいた茜が、インディーズとして契約しないかと持ち掛けていた。

 その事を両親に相談したのだが、理不尽な理由で猛反対されたのだ。

 それでも熱心に説得を試みたそうなのだが、結果が変わるどころか言う事を聞かない優希に、父は暴力を振るうようになったと聞かされた。

 優希は夢を捨てる事が出来ずに、音楽の世界に飛び込む事を許してもらえないこの家を飛び出して、それっきり連絡がつかなくなったと言う。


「……そうでしたか。それで?」

「え?」

 間宮の質問の意図が分からない2人は、顔を見合って首を傾げる。

「今も優希さんのしている事に反対されてるんですか?」

「正直、ずっと心配しているの。だってテレビにも滅多に見かけないし、苦労しているんじゃないかって……」

 母親は少し涙ぐんで、間宮に今の心境を話す。

「勝手に出て行った手前、失敗したからって帰って来辛いんだろ! だから俺は反対したんだ!」

「違うでしょ! 私達はただあの子に八つ当たりしただけじゃない! あの子の話をちゃんと聞いてあげていれば!」

「うるさい!」


 2人は当時の優希の事、そして夫婦間の事を思い出して口論に発展し始めた。


「待って下さい。僕はそんな事を聞いているわけではありません」


 間宮はエキサイトし始めている2人に、極めて冷静なトーンでそう否定して2人の視線を請け負う。


「僕が知りたいのは、お二人が優希さんとの関係をどうしたいのかって事です」 

「……どうって」

 父親が苦虫を噛んだような表情を見せると、隣に座っていた母親が身を乗り出して、間宮の問いに答える。

「勿論、優希ときちんと話がしたいと思ってるわ。でも、あの子ここを出て行ってから携帯を番号ごと変えてしまったみたいで、連絡が全くつかなくて……」

「あぁ、だから事務所に問い合わせた事があるんだが、タレントの個人情報だから一切答えられないって言われたんだ。父親だと言ったんだが、信じてもらえなくてね」

 父親も母親に続く様に、これまでの経緯を話してくれた。


「なるほど、そうでしたか。では、僕からご両親が心配されている事を説明させていただきます」


 間宮は両親にそう告げて、香坂優希ではなく神楽優希の現状を話して聞かせた。


「あの子、そんなに凄いミュージシャンになっているの?」

「えぇ! 間違いなくカリスマと呼ばれるのに相応しい活躍をされています」

「テレビにも出てないみたいだったから、私はてっきりその……芸能人って売れなくなったら……その、あまり良くない事をするって聞くし……」


 母親が言い辛そうにしていたのは、恐らく売れなくなった女性タレントがAV流出される類の事を言いたいのだろう。

 一般人から見たら、不透明な事が多い芸能界なんて、心配のタネにしかならない。

 自分の娘がそんな世界に飛び込もうとすれば、心配で反対するのは親としては当然だと思う。

 ただ、今回は反対の仕方が最悪だったんだ。

 ちゃんと向き合って彼女の事だけを考えて、話し合いが出来ていればこんなに拗れる事はなかったはずだ。

 だって、2人共優香と同様に優希の事も、心から愛しているのだから。


「心配されるのは分かります。ですが、一方的に主張を押し付けたのは、不味かったかもしれませんね」

「……そうだな、君の言う通りだ。あの頃の私達はまともな状態ではなかったとはいえ、そんな事は優希には関係ない事なのに……もっとちゃんと話がしたかったよ」

「えぇ、本当に……元気にしている事が分かったのは嬉しいけど、やっぱり顔が見れないどころか、声すら聞かないなんて……」


 優希の両親は本当に辛そうな顔をして、両手をギュッと握って肩を震わせた。


 そんな2人を見て、以前、優希の夢の中に優香が現れて、ごめんねと謝っていた理由がようやく間宮には分かった。


 自分が突然死んでしまって、家庭内の雰囲気を壊してしまった。

 そんな状況だった為、優希の将来に関わる大事な話をまともに聞いてもらえる事なく、歪んだ口論の末、優希を家から飛び出させてしまった事を謝りたかったのだろう。


「お義父さんとお義母さんの行動次第で、声を聞くだけじゃなく、直接会って話が出来ますよ」


 間宮がそう進言すると、俯いていた2人は驚いた顔で間宮に顔を向けた。


「ほ、本当なのか!? 優希と会えるのか!?」

 父親が間宮の方に身を乗り出し、母親は涙を堪えきれずに両手を顔に当てた。

「えぇ! ただ、彼女は来月から全国ツアーに出る事になっていて、そのツアーが終わると、全米でデビューする事が決まっているんです」


「ぜ、全米デビュー!? それは優希がアメリカへ行ってしまうって事なのか!?」

「そうです。彼女は今後アメリカに住む事を決意しています」


 リビングにピンと張りつめた空気が漂う。


「ちょっと待って! さっきから思っていたのだけど、どうして貴方が優希の事をそんなに詳しく知っているの?」


 母親が優希の事を、間宮が話し出した時から抱いていた疑問を口にした。


「まぁ……そうなりますよね。実は……」


 間宮は両親に優希と出会った経緯を話す決心を固める。

 優希が自分に好意を持ってくれて、その気持ちに応えられなかった事も含めて、正直に両親に話して聞かせた。


「それじゃあの子は今、失恋したばかりって事なのか?」

「……はい。申し訳ありません」

「貴方が謝る事ではないわ。こればかりは仕方がない事だもの」


 まさか優希の話して、恋愛事が絡んでくるとは思っていなかった2人は、どう対処していいのか分からない様子だった。


「それで話を戻しますが、優希さんが渡米してしまったら、それこそ簡単には会えなくなります。もし、お会いになる事を望まれるのでしたら、急を要する状況なんです」


 間宮はリビングの空気を戻す様にそう話して、2人に自分の携帯を渡そうと、スーツの内ポケットに手を入れた瞬間、間宮の動きが固まった。


 ……そうだ。社用に配布された携帯だったから、今朝返還したんだった。


 間宮がずっと使っていたスマホは、営業部隊に配布される携帯で、他の連中は個人携帯と使い分けしてる者もいた。

 だが間宮はプライベートであまり携帯を必要とする生活ではなかった為、会社から渡された携帯だけで済ませていた。

 今回新潟行きが決まり、営業部から離れる事になったからと、会社から携帯を返還するように命じられていて、今朝返したばかりだったのを忘れていたのだ。


 アドレスのデータは預かってくれるアプリに転送しているのだが、まだ新しいスマホを用意していないから、データを引き出せない。


 優希の両親は期待に目を輝かせてこちらを見つめている。

 凍り付く間宮の思考を無理矢理巡らせて、対処法を考えていると、あることを思い出して、徐に自分の鞄を漁りだした。


「あった! これだ!」


 鞄のなかにある財布を開いて、取り出したのは以前、茜から受け取っていた名刺だった。

 普段からあまり財布を整理しない、大雑把な性格が功を奏した。


 名刺に茜の携帯番号が印刷されている事を確認した間宮は、自分の携帯を今持っていない理由を説明して、父親の携帯を貸してもらって、早速茜に連絡をとった。

「もしもし! 茜か? 俺だ!」


 ――もしもし?良兄?お別れの挨拶をして、少ししか経ってないのに、もう私の事が恋しくなった?てか番号変わったの?――


 電話の出方が、何だか雅紀に似てきた様な気がしたが、ここはツッコまずに話を進める。


「茜! 理由は端折るけど、今すぐ優希のプライベートの番号を教えて欲しいんだ」

 ――は? そんなの知ってるでしょ?――

「拠所無い事情があって、今自分の携帯持ってなくてさ! でも、今すぐに連絡を取りたいんだよ!」

 ――教えるのはいいけど、まだ話さない方がいいと思うけど?――

「そんな事は分かってる! でも、今しかない事情があるんだよ! 頼む!」


 茜は腑に落ちない声色だったが、間宮があまりに真剣だった為、優希の私用番号を間宮に教えて、電話を切った。


「すみませんでした。これが今の優希さんの番号です」


 そう話して、書き留めたメモを手渡すと、受け取った父親の指が僅かに

 震えていた。


「電話をかけても、優希はでてくれるだろうか……きっと番号も消しているだろうし」

 不安気に溜息をつく父親に、間宮は少し苛立ちを覚えた。

「確認したわけではありませんが、2人の番号は消去していないと思います」

「どうして分かるんだ?」

「以前、ご両親の話を聞いた事があったんですが、2人の文句を言っているわりには、表情が寂しそうだったので。きっと本音はあいつも仲直りしたいんですよ」


 間宮がそう話すと、小さく頷いた父親は、手渡されたメモに書いてある番号を慎重に打ち込み、スマホを耳に当てた。


「も、もしもし……俺だ。父さんだ。……うん、うん……そうか……」


 電話が繋がって、初めは緊張した面持ちだったが、次第に目に涙を溜めながら思いの丈を電話の向こうにいる優希に話し出した。

 その様子を見守っていた母親だったが、すぐに我慢が出来なくなったのか、携帯を取り上げて優希と話す姿が印象的だった。


 話しをした結果が知りたかったのだが、待っている間にいよいよ電車の時間が危うくなってきた事に気が付いた。

 でも優希と夢中で話をしている腰を折るのは気が引けて、テーブルに置いてあったメモに『電車がなくなるので帰ります。失ったこれまでの時間と、優香の分まで優希を可愛がってあげて下さい。 間宮』と書置きを残してそっとリビングを出て、静かに玄関のドアを閉めて優希の実家を出た。


 これであの家族は大丈夫だ。


 何だか自分事のように、胸が温かくなっているのに気が付く。

 優希が喜んでいる顔を想像すると、足取りが軽くなる。

 それになにより、優希の両親と和解出来た事が、間宮にとって一番の喜びだった。


 今思えば、優香はこの為に……


 そんな事を考えて歩いていると、優香の事故現場に再び戻っていた。

 信号を待っている間、花を供えた所を見つめる。


 あの時、鈴を鳴らして俺を引っ張ったのは、お前だったのか?優香。


 走っていた車が停止線で止まった事で、横断側の信号が青に変わった事を知らせる。


 ――またな、優香。


 心で優香にそう告げて、視線を前方に向けた時、僅かに横の視界に誰もいなかったはずの場所に、人が立っている姿が入った。

 すぐに視線を事故現場に向け直すと、一瞬、本当に一瞬だったが、そこには確かに香坂優香がこちらを向いて立っていた。


 彼女は嬉しそうに、間宮に微笑んで姿を消した。


 間宮はその場に立ち尽くし、信号が赤に変わり車が再び走り出した。

 車の走行風で、供えていた花びらが真っ暗な空に舞い上がっていく。

 その花びらが、まるで優香を天に送り出すように感じた。


 まったく……お節介なのは変わってないんだな。まぁ、それは俺も同じか。


 再び信号が青に変わり、間宮は力強く足を前に出す。


「ありがとう。いってきます!優香」


 誰もいない場所で、間宮は独り言のようにそう呟いて歩き出した。

 もう後ろは見ない。

 真っ直ぐに前だけを向いて歩く。


「いってらっしゃい」


 歩き出した間宮の耳に、そう聞こえたのは気のせいではないと信じたい。


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