第10話 卒業旅行 act 6 ~家族~
間宮の実家の前に三台のタクシーが止まる。
タクシーが到着した事を確認した雅紀が、リビングへ戻り集まっている間宮達に出発すると告げて、上機嫌でタクシーに乗り込んだ。
大阪の名物スポットの一つである新世界へ向かってタクシーが走り出した。
「ねぇ、間宮さん。辰さんのお店って何屋さんなの?」
「あぁ、串カツ屋だよ」
「そうそう! 雑誌とかネットでは名前が滅多に出ない店なんやけど、メッチャ美味いんやで!」
同じタクシーに乗り込んだ間宮と瑞樹と康介の三人は、今向かっている目的地の事で話が盛り上がっていた。
「へぇ! 串カツ屋さんなんだ。確かに大阪の串カツって有名だもんね」
「そうだな。親父にしてはいいチョイスだとは思うけど、辰さんの店がなぁ」
「何か問題があるの?」
「味は行列が出来る店より美味いと思うんやけど、店が古くてボロボロやねん」
雅紀が予約していた辰という人物が切り盛りしている店は、主人が二代通して営業しているにも関わらず、開店してから一度も改装をした事がない。
確かにそんな店に、若い高校生達を連れていくのは気が引けるのは間宮と同意見な康介だったが、そのボロさも味なんじゃないかと思う事にした。
タクシーを降りた雅紀達は、串カツ専門『なにわやん』の前まで到着した。
「た、確かに味があるな」
松崎が少し引きつった顔で、店構えをそう評した。
だがすぐに店の中から、油の焦げた香ばしい香りが店の前に立っている全員の食欲を刺激する。
「おう! 辰! 来たで!」
雅紀が先頭に立ち、のれんを潜って店主にそう告げた。
「毎度! 待ってたで!」
厨房からガタイの良い、雅紀と同年代位の男が威勢よく返す。
雅紀に続いて、間宮達が店内に入る。
店内は外から見た感じより、広いスペースが確保されていて、店の奥には座敷が見えた。
お客も8割程席を埋めており、知る人ぞ知る穴場的な店なのが伺える。
「辰さん、お久しぶりです」
「え? もしかして良介か? なんや、久しぶりやんけ! 前に来た時って確か高校生やなかったか?」
「はい、そうですね」
「おい! 雅やん! 良介が来るんなら前もって教えとけよ! スペシャルな串用意したのに!」
「ええねん! ええねん! いつも通りが懐かしいんやから!座敷使わせてもらうで」
雅紀はそう言ってそのまま奥の座敷へ向かう。
その後を軽く会釈した間宮が続き、松崎や瑞樹達が店内をキョロキョロとしながら続いた。
「いらっしゃい!雅やん!」
全員が座敷に座ると、アルバイトの店員がおしぼりを配りながら声をかけてきた。
「おう! 留美ちゃん!今日はぎょうさん連れてきたから、忙しいやろうけど頼むで!」
「まかしとって! で! 飲み物はどうする?」
雅紀達大人組は、とりあえず生ビールを頼み瑞樹達はウーロン茶を注文した。
「おいおい! 瑞樹ちゃん達、何ウーロンなんて頼んでんねん」
「あ、あほ! クソ親父なに言うてんねん!」
大人しくソフトドリンクを注文しようとした瑞樹達に、雅紀が不思議そうな顔でアルコールのメニュー表を瑞樹に差し出した。
「え? いえ、私達は未成年ですから」
瑞樹は口では遠慮するような口調で話していたが、目は間宮を訴えるような視線を送っている。
すると、バイトの留美は慌てて両耳を塞ぎだした。
「あの、なにしてんの?」
間宮が留美の謎の行動に、嫌な予感を感じながらそう聞くと「ウチは何にも聞こえてないから!」とだけ返してきた。
要するに、未成年と分かっていてアルコールを提供したら、問題になるが知らなかったら無問題と言いたいのだろう。
いや、俺の声きこえてんじゃねえか。
形だけの雑な処置に、ここが新世界だと改めて実感させられた。
留美は、瑞樹が手に持っているアルコールのメニュー表を裏返して「酎ハイあたりならジュースみたいなもんやで」と、酎ハイの一覧を指さした。
「いやいや! 酎ハイは飲みやすいけど、十分にアルコール含まれてるやん」
「大丈夫! ウチのはうっすいから!」
「おい! 留美! 何バラしとんねん!」
間宮は諦めずに抵抗を試みたが、留美と辰の漫才のようなやり取りで、店内に笑いが起こりかき消されてしまった。
「お、オカン! オカンから止めてくれや!」
「え? 別にええんちゃう? 折角の席なんやしアンタこそ空気よみや」
最後の手段だと、間宮は雅紀の隣に座っている母親の涼子に訴えたが、涼子は物おじせずニコニコしながら、息子の訴えを退けた。
最後の砦も崩壊してしまい、間宮は向かい側に座っている松崎を見ると、松崎も観念したようで黙って首を横に振るだけだった。
間宮と松崎の諦めた様子を確認して、その空気が変わらないうちにと加藤がすぐさま頼んでいたウーロンのキャンセルを告げた。
加藤がそのままカルピス酎ハイを注文したのを皮切りに、瑞樹達も次々とウーロンをキャンセルして、各々で各酎ハイを注文して間宮と松崎にニヤリと笑みを向ける。
「飲み物はそんな感じで、串はとりあえず辰のおすすめをガンガン揚げたってや!」
「了解! ちょっと待っててや!」
おすすめの串の注文を受けた留美は厨房へ戻り、元気な声で辰に注文を通した。
雅紀がそう注文してくる事を予想していた店主は、すでに串を揚げていてビールが座敷に運ばれるのと同時に、辰のおすすめの串が20本程運ばれてきた。
「よしっ!皆グラスは持ったな!」
雅紀が座敷にいる連中にそう声をかけると、全員グラスを構えて音頭をとっている雅紀に注目する。
「え~! 瑞樹ちゃんに加藤ちゃん! それに神山ちゃんに佐竹君! 全員志望大学合格おめでとう! お祝いに今日は全部ワシの奢りやから腹いっぱい食って飲んでくれ! 乾杯!!」
「かんぱ~~い!!!」
全員雅紀の号令に似た音頭で、同時に持っていたグラスの飲み物を喉に流し込み拍手でお祝い&歓迎会が始まった。
「二度つけ禁止?」
串カツのソースが入ったアルミの缶の蓋に、そう書かれていて瑞樹は首を傾げる。
「あぁ、瑞樹は初めて見るのか。それは他の客もそのまま使うソースやから、最初の一回でたっぷりソースをつけて二度つけは厳禁なんだよ。一串に一回が原則な」
「へぇ! 私串カツって初めて食べるんだけど、そんなルールがあるんだね」
瑞樹は大阪独特のルールに驚きながら、恐る恐る手に取った串カツをアルミ缶の中に投入して、たっぷりとソースを染み込ませた串を口に運んだ。
「ん~~!! 美味しい! すっごく美味しいよ!」
それと同時に留美が串が乗ったプレートを運んでくる。
「めっちゃ美味いやろ! ほい! 追加の串や! ジャンジャン食べてや!」
「おう! めでたい席やし勘定はワシにつけといてええから、辰も留美ちゃんも飲んでくれや!」
「ありがとう! 雅やん! おめでとう!」
「おめでとうさん!」
雅紀が景気よく2人にそう告げると、辰と留美はジョッキを手に瑞樹達の合格を祝う言葉を送った。
「ありがとうございます!」
大阪ならではのノリに瑞樹達は最初は戸惑いを見せたが、この温かくて人情味あふれる雰囲気と、美味しい串カツを心の底から楽しでいた。
宴会中に瑞樹達の前に置かれていたグラスの中身が何度か色が変わっていた気がしたが、間宮はもう諦めて何も言わなかった。
全員酒が入ったせいか、宴会は想像以上に盛り上がり、腹を満たした雅紀が席を立ちあがり、このままカラオケに行くぞと言い出した。
もう瑞樹達のテンションが最高潮だった為、即決で雅紀に提案に賛成の声があがり、皆でカラオケに移動する事になった。
カラオケのパーティルームを陣取り、早速雅紀が先陣を切って熱唱を始める。
決して上手くはない歌声だったが、上機嫌で歌う雅紀にボルテージが上がり、部屋が異様な盛り上がりを見せる。
二番手に高校生の先陣に加藤がマイクを握った。
加藤の歌声は、いつもの元気な加藤を表しているような元気な声で、聴いている者は無意識に体でリズムをとっていた。
次に涼子、松崎、神山、康介、佐竹の順でマイクを回して、残りは瑞樹と間宮だけが残る。
瑞樹がマイクを持ち席から立ち上がり、前奏が流れる前にマイクを口元に運んだ。
「間宮さんのお父さん、お母さん! 今日は見ず知らずの私達の為に本当にありがとうございました。おかげで最高に楽しい思い出が作れています!ホントに、ホントにありがとうございます!」
瑞樹がマイク越しに雅紀達に、心からの感謝の気持ちを口にすると、まるで打ち合わせたように加藤達も立ち上がり、「ありがとうございます」と感謝を言葉にして頭を下げる。
その時、瑞樹が選んだ曲の前奏が流れた時、頭を下げていた加藤達が一斉に瑞樹の顔を目を見開きながら見る。
それは高校生の加藤達だけではなく、間宮も同様に、いや、それ以上に驚いた表情を見せていた。
なぜなら瑞樹が選んだ曲が、中々CDが売れないこの時代において、発売して僅か数日でミリオン達成という偉業を成し遂げた神楽優希の最新曲だったからだ。
事情を知っている加藤達や、当事者の間宮が驚くのは無理はなかった。
だが、間宮はこうも思う。
歌っている本人との関係を無視して歌わせてしまう程、優希の曲が素晴らしく、またそんな優希の才能がどれだけ凄いのかを思い知った。
そして前奏が終わりマイクに瑞樹の声を乗せた瞬間、動揺していた加藤達の視線を違う意味で独占する事になる。
瑞樹の喉から発せられる歌声が、作曲者の神楽優希とはまた違った力強さと、まるで聞いている者を優しく包み込むような歌声で、間宮も瑞樹の声に聞き惚れた。
『天は二物を与えず』という故事ことわざを聞いた事があるが、彼女にはそれが当てはまらないと感じずにはいられなかった。
絶世の美貌、優秀な学力を備えその上この歌声だ。
間宮の他に加藤達も、そう思わずにはいられない程のパフォーマンスだった。
最後に間宮がマイクを持ち歌いだす。
「あ、この曲って」
瑞樹が間宮が歌っている曲に聞き覚えがあった。
加藤達は聴き慣れない洋楽に、画面に映し出されている英語の歌詞を必死に目で追っていたが、瑞樹は以前神楽の車の中で聞いた事がある曲で、翌日にそのCDを手にいれて、神楽に宣言した通りその日からこのCDばかり聴いていた。
間宮の歌声を聴いていると、あの時のドライブの事を鮮明に思い出す。
目標にしていた大学に合格した今、もう間宮に想いを伝えるのに障害になっている物はなくなった。
だが、受験前までは焦る気持ちがあったのだが、今は少し構えてしまっている自分に、間宮の歌を聴いていて気が付いた。
すぐ隣にいるのに、何故か今は凄く遠くに感じる。
何故だかは分からないが、間宮の歌声は瑞樹の心を締め付けた。
カラオケでも相変わらずの雅紀劇場で盛り上がり、2時間程歌った後、再びタクシーで間宮の実家に帰宅した。
帰宅してもう遅い時間だった為、疲れをとろうと風呂の準備を始めた。
今日は大人数が入浴するからと、まず男連中が先に入り、その後お湯を抜いて再度風呂を沸かして女性陣が入る事になった。
男連中の最後に間宮が入浴した為、風呂から上がる際お湯を抜いて浴槽を簡単に洗ってから、リビングで雅紀や涼子と話をしていた女性陣の元へ向かい、風呂が空いた事を告げる。
お湯が張り直されるのを待ち、早速加藤から入浴を始めて、神山が風呂へ向かったところで、雅紀は少し用事があるからと書斎に姿を消して、リビングには瑞樹と涼子の2人きりになった。
「瑞樹さん。その後良介とは何か進展あった?」
2人きりになってすぐに涼子が瑞樹に、息子である良介との進展を聞いてきた。
「え? あ、い、いえ! あの、ま、間宮さんとは、その……そんな関係じゃ……」
突然の質問に、瑞樹はかなり挙動不審に陥った。
「あ、あぁ、ごめんなさいね。いきなりでビックリするやんね」
「い、いえ! 全然大丈夫……です」
涼子は頬杖をついて軽く溜息をつく。
「そうなんやね。私はてっきり瑞樹さんとお好み焼きを食べた時の2人を見て、瑞樹さんは良介の事が好きなんかと思ってたんやけどな」
そう言った涼子の顔が寂しそうに瑞樹の目に映った。
「えっと……嘘です……本当は好きです。ま、良介さんの事……すみません」
瑞樹はそんな涼子を見て、嘘をつくのは止めて、本心を話す事に決めた。
「何で瑞樹さんが謝るん?」
「だって、こんな子供が好きになっていい人ではないと思っていますので」
「そんな事気にしてたん? 昔から言うやないの! 恋に年の差なんて関係ないって」
「そう言いますけど、やっぱり良介さんは立場がある人だし、そんな人にこんな子供がいたら世間体的にも迷惑だと思うんです」
涼子は瑞樹の話を聞いて、頬杖を解き姿勢を正して、真剣な眼差しを瑞樹に向ける。
「それはないよ。絶対にない! 母親のウチが保証する!」
そう言い切る涼子の目は、これ以上ない程真剣な目をしていた。
「失礼ですけど、どうしてそう言い切れるんですか?」
「東京で会った時も思ったんやけど、今日だってあの子が瑞樹さんを見る目を見たら、親ならハッキリ分かるねん」
息子が瑞樹に恋愛感情を抱いているのかは本人にしか分からないが、ただ迷惑と思っている事は絶対にないと涼子は確信を持った目でそう説いた。
目に見える根拠があったわけではない。
だが、瑞樹には涼子の真剣な目を見て、素直にその言葉を信じようと思えた。
その時、ずっと頭から離れる事がなかった事が静かに消えていき、肩の力が抜けて随分と楽になった気がした。
「あ! お母さんお風呂先に頂きました。次、志乃の番だよ」
風呂からあがった神山が、リビングにいる瑞樹にそう告げにきた。
「あ、うん。わかった」
「疲れはとれた?」
「はい! 凄く気持ちのいいお風呂でした。志乃もきっとビックリするよ!」
「それはよかった。瑞樹さんもゆっくりと疲れをとってきなさい」
「はい! じゃあお先にお風呂頂きます」
そう話してソファーから立ち上がり、神山とリビングを出ようとした時、瑞樹は足を止めて涼子の方に振り返る。
「あの、お話ありがとうございました。おかげで凄く気が楽になりました」
「ふふふ、本当の事を言っただけなんやから、気にせんでええよ」
瑞樹は涼子に軽く会釈して、リビングを出た。
「何の話?」
一緒にリビングを出た神山が、何の事かと聞いてきたが「なんでもないよ」とだけ告げて、瑞樹はそのまま脱衣所に入っていった。
脱衣所で服を脱いだ瑞樹は、そっと風呂場へのドアと開くと、その風呂場から木のいい香りが瑞樹の鼻を刺激した。
「うわぁ! 檜のお風呂だ!」
間宮の実家の風呂は、浴槽は勿論の事で、床や壁、天井まで全て檜で作られた檜風呂だった。
瑞樹はその場で深呼吸をして、檜の香りを肺いっぱいに詰め込んでゆっくりと息を吐き檜の香りを堪能した。
早速軽く掻け湯をして、湯船に浸かってみると、天井から雫がピチョンといい音をさせてお湯を弾いた。
その音が心地よく響き、檜の香りが湯気に乗って一層瑞樹の鼻に届く。
全身の力を抜いた瑞樹は、文字通りリラックスしてゆっくりと息を吐いた。
揺れるお湯の表面を眺めながら、さっきの涼子との会話を思い出す。
間宮さんの家族に、凄く勇気と元気を貰えた気がする。
ここに来られて本当に良かった。
今日一日あった事を思い出しながら、瑞樹は気持ちよさそうに瞳を閉じた。