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29  作者: 葵 しずく
最終章 卒業
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第4話 間宮先輩

 2月25日 国立K大学入試当日


 前日は体調を整える目的で、軽く勉強をしてかなり早くベッドに入った。

 緊張して寝付けないと思っていたが、自分でもビックリする程、熟睡出来て気持ち良く目が覚める。

 かなり多く睡眠時間をとるつもりだったが、日ごろの生活リズムが染みついてしまっていたのか、予定していた時間より2時間早く目が覚めた。


 だが、体調も問題なく頭の中もスッキリしている。

 ベッドに腰を掛けて、自分の右手をジッと見つめる。

 緊張からくる震えはない。不安がなくなったわけではないが、過度に緊張しているわけではないようだ。


「よし!」


 自分の状態を確認した瑞樹は、ベッドを飛び降りてリビングへ降りていく。

 元気にリビングのドアを開けると、私立入試の時のように朝食を作っている母親とその隣で希も手伝っていた。

 父親の姿を探したが、リビングやキッチンにはいないようだ。

「おはよう! 朝ごはんありがとう」

「おはよ、志乃。今朝は豪華なの作ってるからしっかり食べていきなさいね」

「おはよ、お姉ちゃん。手の込んだ朝食を作るからって叩き起こされて、手伝わされてるんだけど」

「あはは! ありがとね! 希! ところでお父さんは?」


 瑞樹がそう尋ねると、母親と希は溜息交じりでトイレの方を指さした。

 どうやら、起きてすぐにトイレに籠ってしまっているらしい。

 2人は、自分が受験するわけじゃないのにと、苦笑いを浮かべていた。


 暫く待ちようやく出てきた父を迎えて、家族4人で食卓を囲み朝食を摂る。

 食事中は何だかぎこちない雰囲気が流れていた。


「皆がそんなに緊張してたら、私まで緊張しちゃうじゃん」

「そ、そうだよな。うん! すまん」

「そうだよ、お父さん。お姉ちゃんは大学に受かって、間宮さんとイチャイチャする事しか考えてないんだから」


 ぶっ!!


 味噌汁が注がれているお椀を口に付けていた瑞樹が、盛大に吹き出す。


「ちょ! の、希!?」

「え? おい、間宮って誰なんだよ! お父さんそんな男がいるなんて聞いてないぞ!」


 突然家族の前で間宮の名前を出されて慌てる瑞樹と、聞き覚えの無い名前に激しく動揺する父親の行動がほぼ同時だった。

 そんな2人の反応をクックックッと愉快そうに希が笑った。


 それからは受験の話題なんてどこへやら。

 終始、間宮に対する質問責めだった。

 そのおかげか、さっきまであったピリピリした空気は消え去りはしたが、もう少し違う手段はなかったのかと、瑞樹は希を横目で見ながら溜息をつく。


 食事が終わり、洗面台での準備を済ませた瑞樹は自室へ戻った。

 部屋へ入ると、机に置いてあったスマホがチカチカと光っている。

 画面を立ち上げると、学校の友達からと加藤達ゼミ仲間から激励のメッセージが多数届いていた。


 メッセージを見ながら支度を進めていると、既読が付いたのを確認した加藤から電話がかかってきた。

 ハンズフリーで応答すると、受験する本人より加藤の方がガチガチになっているのが伝わって、なんだかそれが無性に可笑しかった。


 仲間や友達から勇気を貰った瑞樹は、元気に部屋を飛び出した。


「それじゃ! いってくるね。お父さん、お母さん、希」

「お、おう! 落ち着いて頑張るんだぞ!」

「お父さんが落ちつきなさい。しっかりね! 志乃」

「来年は現役K大生に勉強教えてもらうんだから、頑張ってね! お姉ちゃん」

「あ、あはは いってきます!」


 瑞樹は受験会場であるK大を目指して、A駅へ自転車を走らせた。

 加藤達からのメッセージは嬉しかったし、元気が出た。

 でも、本音を言えば一番大事な人から何も言って貰えなかった事に、寂しさを感じている。

 あの専属講師をしてくれた夜、帰り道に散々甘えてボロボロと涙を流して、本音を聞いて貰った。

 優しく抱きしめてくれて、凄く嬉しくて勇気を貰ったし集中力も回復してラストスパートも上手くいったと思う。

 でも、だからって本番当日に何も言ってくれないのは、正直寂しいし、不安が大きくなっていく。


 A駅に到着してホームへ向かっている途中に、メッセージが届いていないか確認しようと鞄からスマホを取り出そうとした時、スマホから着信音が鳴っているのに気が付いた。

 瑞樹は慌ててスマホを取り出して、画面を確認しようとした。


 今日の為にメッセージや電話がかかってくる知り合いは、あと一人を残してもういないはずだ。

 瑞樹は期待をこめて画面を覗いた時、少しだけ表情が曇った。


「もしもし」

 ―あ、もしもし! 瑞樹さん? 岸田だけど―

「うん、おはよう。岸田君」

 ―忙しい時にごめんな。今日入試だよな?頑張れって一言いいたくてさ―

「今、大学に向かってるとこだよ。ありがとう! 頑張るね」

 ―瑞樹さんなら大丈夫だよ! K大で待ってるからな!―

「うん! ありがとう!」


 そんな簡単なやり取りを終えて、瑞樹は電話を切った。

 ホームで電車が入ってくるのを待っていると、さっきの期待した気持ちのやり場に困り、ソワソワと落ち着きがなくなってしまった。


 到着した電車に乗り込んで、大学の最寄り駅で電車を降りる。

 何とかして、落ち着きがなくなった気持ちを抑えようと、厳しい顔つきでK大に向かって歩いた。


「おはよ! 何か凄い顔してるね。瑞樹さん」

 正門の前で声をかけられた。

 聞き覚えのある声に呼び止められた瑞樹は、足を止めて振り向くと、そこには藤崎が立っていた。


「藤崎先生。こんな所で何してるんですか?」

「冷たい台詞ね。ゼミから激励を飛ばしに来たんだけどな」


 確か昔テレビで見た事がある。

 大学前に予備校の講師達が鉢巻を頭に巻いて、生徒達に檄を飛ばして入試に送り出していた。


「あぁ、あれですか。でも、鉢巻巻いていませんね」

「いつの時代よそれ。もう鉢巻を巻いてる講師なんて殆どいないわよ」

「いやいや! 俺は巻いてきたぞ! ほらっ!」


 藤崎の後方から奥寺が鉢巻き姿で現れた。


「なんですか? 応援とみせかけて仕事サボってデートですか?」

 ジト目で2人を見て、皮肉を言う瑞樹から黒い空気が漂っていた。


「どうしたのよ。何だか今日の瑞樹さん棘が凄いわよ」

「別にそんな事ないですよ」


 分かってる。こんなの只の八つ当たりだ。

 2人は忙しいのに時間を割いてここへ来てくれた。

 それが仕事だからでも、嬉しいし頼もしいと思う。

 なのに、私は一番聞きたい声が聞けなかったからって、イライラしてあんな事を言ってしまった。


 最低だな……私。


 間宮さんは私と違って、立場や責任を請け負っている立派な社会人なんだ。

 時間が余っている学生とは違う。

 今日だって平日で、普通に仕事を頑張っているんだから、我儘なんて言っていい場面じゃない。

 分かってる……分かってるんだけど、あの人にだけは気持ちを我慢出来なくなってる。

 それはきっとあの夜に言われたからだ。 


 ――俺の前でくらい無理なんてしないで、何でも話してくれ――


 あの言葉を真に受けたりしたから、気持ちにブレーキがかからなくなってきている。


 今から入試なんだ! 早く気持ちをリセットしてテストに集中しないと。


「もう! そんな事言ってると大好きな人に嫌われちゃうよ?」


 藤崎が溜息をつきながら、瑞樹の心の真ん中にある核を打ち抜く台詞をはく。



 ……嫌われる……嫌な言葉だ。

 男に嫌われるのは慣れているつもりだった。

 なのに、心の底からあの人にだけは、嫌われたくないって思ってる。


「瑞樹さんにこんな事言われたって、告げ口しに行こうかなぁ」

 藤崎は悪戯を思いついたような、少し意地悪な表情を作り瑞樹にそう話した。


 何も言えない。

 悪いのは自分だって分かっているから。


「すぐそこにいるしね!」


 ――え?


 俯いて黙り込んでいた瑞樹が、藤崎の言葉に反応して顔を上げると、藤崎はニヤリと笑みを浮かべながら、親指をクイッと動かして正門の中を指している。

 指している方向に目線を移動させると、まだ冷たい風に髪をふわりと靡かせてるスーツ姿にコートを纏った間宮がそこに立っていた。


 瑞樹は目を見開いて、何も言えずに立ち尽くす。

 目に映っている光景が信じられないと、言わんばかりの顔だった。


「ほら! しっかりエネルギー補充してきなさい!」


 藤崎は立ち尽くしている瑞樹の背中を、ポンっと叩いて押し出した。


「……間宮……さん」


 一歩、また一歩と歩き出す。


 正門に入ってすぐ右手に受付の窓口が設置されている為、他の受験生達は右側に流れていく。

 だが、瑞樹はその流れに逆らうように左側へ歩を進める。

 この大学のシンボルになっている、大きな木の下に立っている間宮の元へ。


「どうした? 鳩が豆鉄砲喰らった様な顔をして」

「ど、どうしたって……何でここにいるの? 仕事は?」

「ん? 仕事は瑞樹を見送ってから行くよ。今は仕事が落ち着いているから問題ないしな」

「でも、松崎さんがこの時期は忙しいって愛菜から聞いたよ?」

「あ、あぁ。あいつとは部署が違うからな」


 一瞬目線を逸らしてそう言う間宮が気になったが、今はそんな事より間宮が目の前にいる事実にただ驚いていた。


 本当は、本当の本当は、愛菜が羨ましかった。

 自分が愛菜の為に頼んだ事とはいえ、好きな人に直接応援してもらえる事が。

 私立の受験の時に、電話で励まして貰った事はある。

 でも、やっぱり直接顔が見れて、触れようと思えば触れる事が出来る距離にいる事が、どれだけ嬉しくて、どれだけ励みになるかなんて比べるまでもない。


「瑞樹の応援と挨拶に来たんだよ」

「挨拶って?」

 間宮は瑞樹を迎える前に、以前所属していた教授がいるゼミに立ち寄った。

 そこで教授の講義を受けたくてここに入学してくる女の子がいるから、宜しく頼むと挨拶してきたと話す。


「な、なんかプレッシャーかけられてる気がするんだけど」

「気のせいだろ」

 ニカっと笑みを浮かべて、そう話す間宮は何だか嬉しそうに見えた。


 瑞樹の頭にポンっと手を乗せて、瑞樹が大好きないつも向けてくれる柔らかい笑顔を見せる。


「よし! いってこい、瑞樹! お前なら普通にやれば落ちたりしないよ。何たって、俺の可愛い後輩になるんだからな!」

「うん! 絶対に間宮先輩って呼ぶんだもんね!」


 軽く深呼吸をして、真っ直ぐに力強く間宮を見つめる。


「いってくるね!」

「おう! いってこい!」


 瑞樹は間宮に背を向けて、受付に歩き出した。

 最高の応援をしてもらった今の瑞樹は最強だ。

 少なくとも、瑞樹本人は本気でそう思っている。


 いくぞ!K大!


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 K大の入試が無事に終わって、今日は前期の合格発表が行われる3月9日


 ネットの掲示板をチェックすれば、わざわざ大学にまで足を運ばなくても、今の時代は合否が確認出来る。

 だが、瑞樹は昔から憧れがあったのだ。

 大学の合格発表の時、現地で張り出されている合格者の受験番号をドキドキしながら探す事に。


 だから、瑞樹は迷う事なく結果を知る為に、再びK大を訪れていた。


 よし!いくぞ!


 K大の正門前まで来ていた瑞樹は、軽く息を吐いてから意を決して合格者の番号が張り出されている場所へ、受験番号を握りしめて歩き出した。


 ズラッと番号が表示されている大きな表の前に到着して、瑞樹は流行る気持ちを抑えて一度目を閉じる。

 そして、これまで頑張ってきた事を思い出しながら、自分に大丈夫だと強く心の中で言い聞かせた。


 周りからは受かって歓喜を上げる者、ポロポロと涙を流して喜ぶ者、番号がなくて落胆を隠せない者や、悔し涙を流す者と様々だった。


 気持ちを高めていくうちに、そんな周りの声が聞こえなくなっていく。

 そして、段々と真っ暗な思考の中に一人の顔が浮かんでくる。


 いくよ!間宮さん!


 意を決して瑞樹は、その大きな目を開いて掲示板に表示されている番号の中に、自分の番号を追った。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 同日、夜20時過ぎ


「お疲れ間宮! 手伝って貰って悪かったな」

「いや、気にすんな。俺だけ暇してて退屈だったからな」


 引継ぎ業務が予定より順調に進んでいて、3月に入ってから手持ち無沙汰になる事が多くなった間宮は、年度末でバタバタと忙しくしている同僚の手助けをする事にしていた。


「御礼にこれから軽く飲みに行かないか?」

「嬉しいけど、今日はちょっと気になる事があるから帰るわ」

「ん? あぁ! そっか! 今日だっけ! 合格発表」

「あぁ」


 分かったと言い残して、松崎はsceneに寄って帰ると会社を出た所で、間宮と別れた。


 O駅へ向かい歩いている途中で、間宮はスマホを取り出して画面をチェックするが、何も連絡は届いていなかった。

 最悪の展開を想像してしまう。

 もしかして……と。


 暗い表情でO駅に到着して、いつものように改札を潜り、そしていつものように不人気な車両に乗ってしまうホームへ向かう。


 こちらから結果を聞いてもいいのだろうか。

 でも連絡がないって事は、そういう事なのかもしれない。

 もしそうなら、俺は何て声をかけてやればいいんだ?

 頭の中で、真っ青な顔をして、激しく落ち込んでいる瑞樹の顔が過る。


 駄目だ!なんて言ってやればいいのか分からない!

 情けない!こういう時こそ、年上の経験値を役に立たせないといけない場面だろ。


 自分に腹が立ち、無意識に悔し涙が零れそうになる。


「お仕事お疲れ様。間宮さん」


 必死に感情を落ち着けようと、目を閉じて深呼吸をしている時、聞きたかった声が、いや、ある意味聞きたくなかった声に呼びかけられた。

 急に足が動かなくなる。

 恐る恐る声をかけられた方向に目線を移すと、やはりいつも待ち合わせをしているベンチに瑞樹が座っていた。


「……瑞樹」


 こちらを見ている瑞樹の表情が、少し曇っているように間宮には見えた。

 何か話さないといけないと思考を巡らせるが、喉が渇き切って何も言葉が出てこない。

 言葉の代わりに、またジワリと涙が目に溜まってくるのが分かった。


 何も発せない自分の前に、ベンチから立ち上がった瑞樹が少し目線を泳がせながら対峙した。


「ど、どうしたんだ? 今日は待ち合わせはしてなかったよな?」

「うん。ゼミに結果の報告に行ってて、間宮さんに会えるかなって少し待ってたんだ」

「そ、そうか……その……結果って俺も聞いて……いいのかな」

「勿論だよ……どんな結果だって間宮先生に報告しないわけないじゃん」


 少し眉間に皺を作っている瑞樹から、入試結果の報告を待つ。

 その時、ホームに電車が滑り込んできた。

 ついさっきまでの静寂が打ち消される。

 電車が走り去る走行風がホームに舞い込んで、瑞樹の綺麗な髪がサラサラと靡いている。

 その髪に電車の車内の明かりが注がれて、落ち着いた暗いブラウンの髪が綺麗な明るいブラウンに染まった。

 その明るさと対照的に、瑞樹の表情が沈んだように見えた時、電車が停車してドアが一斉に開く直前、瑞樹の口が動いた。


「春からよろしくね! 間宮先輩!!」


 最高の笑顔を間宮に向けて、そう報告された時、間宮の中の何かが決壊を起こして、気が付くと瑞樹を抱きしめていた。


「ふわあぁ!!」

「馬鹿野郎! 受かったのならすぐに教えろよ! 俺てっきり……」

 抱きしめた腕に力が入り、言葉の語尾が掠れた。

「ま、間宮さん? 泣いてるの?」

「は!? 泣いてなんかないって!」


 口では強がって見せても、懸命に止めようとしている涙が止まらない。

 嬉しさと、安堵感。それにこれで瑞樹にとって最高の未来へ続く道が作れた事への達成感が、間宮の体に流れ込んだ。


「おめでとう! 良かった! 本当に良かった!」

「ありがとう。間宮さん」


 自分事のように喜んでくれている間宮を見て、合格を確認してから間宮に会うまで何故か流れなかった涙が、間宮の腕の中でようやく静かに流れ落ちた。


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