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29  作者: 葵 しずく
第5章 それぞれの想い
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第27話 St. Valentine's Day act 3

 14日 午後21時過ぎ


 瑞樹は自室でいつも通り受験に向けて、走らせていたペンをピタリと止めた。

「もう帰ってる頃かな」

 そう1人呟くと、勢いよく椅子から立ち上がり着替えを済ませて、キッチンへ駆け下りていく。

 リビングで寛いでいた両親は、ドタバタと降りてきた娘が冷蔵庫を漁る姿に目を丸くした。

「おいおい!こんな時間から出かけるのか?」

 部屋着ではない姿に気が付いた父親が声をかける。

「え? あぁうん。ちょっとね」

 何やらゴソゴソと紙袋を両親に隠す様にしていたが、小柄な瑞樹では隠せる大きさではなかった。

「あぁ! 恋する乙女は大変だもんねぇ」

 隠そうとしていた物が何なのか気が付いた母親は、悪戯っぽく笑みを浮かべて瑞樹を揶揄った。

「え? そういう事なのか!?」

 父親はソワソワと落ち着きが無くなっていく。

 このままでは、外出の妨げになる恐れがあると判断した瑞樹は、秘密兵器投入に踏み切る。


「あ! 遅くなってごめんね。はい! バレンタインチョコだよ」


 瑞樹はまるで天使のような笑顔で、父親用に用意してあった袋を手渡した。

「おお! ありがとう! 志乃!!」

 瑞樹のチョコは、ついさっきまで醸し出していた険悪な雰囲気を見事にかき消して見せた。


「あはは! じゃあ、ちょっと出掛けてくるね」

「いってらっしゃい! 遅い時間だから気を付けてね」


 こういう時、あまり門限にうるさくない家で助かる。

 父の気持ちを考えると、罪悪感はあるけどチョコで勘弁してもらおう。


 瑞樹は急いで自転車に跨り、間宮のマンションを目指す。

 所々にある街灯の明かりを頼りに自転車を走らせていると、間宮のマンションに近づく度にドキドキする心が抑えられなくなる。

 不安な事はまだまだ山積みで、受験を理由に先延ばしにしている事を、今はすっかり忘れている自分がいる。

 我ながら呑気だなと、心で苦笑いするしかなかった。


 そんな事を考えて自転車を漕いでいると、いつの間にか間宮のマンション手前まで到着していた。

 目の前の角を曲がれば、マンションのエントランスが見えてくる。

 目的地のエントランスが見えて、マンションの照明が瑞樹を照らす所まで近づいた時、瑞樹は慌ててブレーキを握りしめて自転車を止めた。


 マンション前の通りに車が停まっている。

 どこかで見覚えがある真っ赤な車だ。

 自転車を降りて恐る恐るその車に近づくと、エントランスのレターボックスが設置されている場所に人がいるのが視界に入った。

 瑞樹は、停めてある車の側でその人影を追っていると、その人物がエントランスから出てきて、真っ直ぐこちらに向かって来る。


 パーカーのフードを被り、眼鏡にマスク姿で顔を認識出来なかったが、背丈や体つきで女性なのは分かった。

 向こうも自分に気が付いたようだ。

 こちらから視線を外そうとせず、そのまま近づいてくる。


「瑞樹 志乃さん?」

「え?」

 彼女が自分の目の前まで近づいた時、名前を呼ばれた。

 呼ばれた時は驚いたが、自分の背後に停めてある真っ赤な車と、目の前にいる顔を覆った女性とのセットで、1人の人物名が頭の中に浮かんだ。


「神楽 優希……さん?」


 瑞樹が名前を告げると、その女性は被っていたフードを頭の上までずらし、眼鏡を取ってマスクを首元まで下げる。

「正解!」

 そう言って、笑みを浮かべる彼女は、まさしくテレビや雑誌等で見る神楽優希そのものだった。

 自分から正解を言い当てておいて、改めて目の前に立っている彼女を見ると、信じられない気持ちになった。


 カリスマアーティストの神楽優希が目の前にいるという現実味の無い現実。

 その彼女の口から自分の名前が告げられた現実味の無い現実。

 一言、二言だけだが、会話が成立した現実味の無い現実。


 そしてなにより、圧倒的なカリスマ性からくる存在感に無意識に足が後退しようとする現実。


 事前に自分のライバルが神楽優希だと自覚していなければ、白旗を振って逃げ出してしまったかもしれない。

 それほど、目の前に立っている神楽優希の存在感に迫力があった。


 だが、事前に覚悟をしていると意外にも、頭は冷静だったようだ

「どうして、私の名前を知っているんですか?」

 気になる事は沢山あるが、まずはこれだろう。

 何故彼女が自分の名前を知っていたのか。この返答の内容次第では、ずっと知りたかった事を探る手掛かりになるはずだ。


「あぁ、マネージャーから聞いたんだよ。一緒に撮った写メを見せてもらったんだ」


 マネージャーから?それは茜さんからという事か。

 瑞樹はその返答で、期待していた状況にならなかった事に少し落胆の表情を見せる。


「文化祭liveの時に、色々とお世話になったって聞いたんだ。ありがとうね」

「……いえ、別に」


 その時、瑞樹の頭の中には最悪のシナリオが浮かび上がっていた。


 もしかして、これから間宮さんと会う予定だった?

 もしそうなら、ここに私がいたら鉢合わせになってしまう?


 瑞樹は慌てて、優希の背後に見えるマンションのエントランスへ僅かに視線をずらした。

「心配しなくても、間宮さんと鉢合わせになる事はないよ」

 ニヤリと笑みを浮かべてそう言う優希に、考えている事を見透かされた気分になり、ムッとした顔を見せる。

「どうして間宮さんが来ないって分かるんですか?」

「だって、彼はここにいないからね」

 どうやら間宮はまだ帰宅していない事が分かった。

 だが、それなら鉢合わせる可能性は残るはずなのに、何故来ないと言い切れるのか疑問が残る。

「じゃあ、神楽さんも会いに来たけど、会えなかったって事ですか?」

「あ、その言い方だと瑞樹ちゃんもチョコを渡しに来たクチなんだね。まぁ、私は少し違うんだけど」

「どういう事ですか?」

「いないって分かってて来たんだよ。彼、今日は出張で帰ってこないって言ってたから」

「え?」

「あれ?もしかして知らなかった?サプライズ的な感じを狙ってたのかな?」

 自分の狙いを優希に言い当てられて、言葉に詰まり何も言い返せなかった。

「それは駄目だよ!まだ高校生の瑞樹ちゃんには分からないかもしれないけど、営業マンにアポなし突撃は空振りする確率高いって」

 そう言って優希は愉快そうに笑った。

 何だか神楽優希のイメージがドンドン崩れていく。

 何が天才アーティストだ!何が世界に通用するロッカーだ!何がカリスマだ!

 只の、嫌味な女じゃないか!

 瑞樹の心中は穏やかではなかった。


「まだまだ若い高校生だから、知らない事も沢山あったので、教えてくれてありがとうございました」


 瑞樹も目の前にいるのが、神楽優希だという事など綺麗に吹き飛ばして、負けじと応戦を開始した。


「へぇ! 言うじゃん! あ、そうだ! 瑞樹ちゃんって今から時間ある?」

「どうしてですか?」

「私に聞きたい事あるんじゃないかなって思ってさ。私も聞きたい事あるし。まぁ、まだ受験生らしいから無理にとは言わないけどね」

 確かに最大のライバルである優希に、聞きたい事は山ほどある。

 だが、受験勉強の事もあるし、なによりすぐに帰ると言って出てきた手前もある。だが、彼女とこんな機会は恐らくもうないかもしれない。

 そう考えると、迷う余地など瑞樹にはなかった。


「いいですよ。家に連絡を入れた後なら、私は大丈夫です」

「そうこなくっちゃね! よし! これからドライブしようか!」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 同日 夜 名古屋駅周辺


「かぁ! やっぱ本場の手羽先は一味違いますよね!」

「そうだな。俺もこっちに来たら必ず食べるからな」

「ですよね! 味噌カツは好き嫌いが分かれると思うけど、手羽先は鉄板っすよ」


 間宮は引継ぎ担当者を連れて、名古屋の得意先へ挨拶回りを終えて、夕食を居酒屋で軽く飲んで済ませ、宿泊先のビジネスホテルに向かっていた。


「それより、今日は悪かったな。折角のバレンタインなのに付き合わせて」

「へ? 何でですか?」

「いや、彼女に怒られなかったか?」

「いやいや! 彼女なんていませんし、間宮さんと違ってチョコ貰える見込みもありませんから気にしないで下さい!」

「あ、いや、俺だってそうだよ」

「またまたぁ! 知らないと思ってるんですか? 女連中が毎年ボヤいてますよ? チョコ渡したいのに、いっつもバレンタインの日に出張でいないって! もう、有名ですよ」

 こんな若い後輩にまで知れ渡っていた事に、苦笑いを浮かべながら、頭をガシガシと掻くしかなかった。


 次どこいく!?やっぱカラオケっしょ!


 ふと駅前にいた高校生らしき集団の会話が耳に入った。

 話声が聞こえた方を見ると、高校生の男女が数人楽しそうに笑っている。

 バレンタインの過ごし方なんて色々なんだなと思うと、頑固にその日を拒否していた自分が滑稽に思えてきた。


 今まで優香を理由に拒んできた事が、本当に正しかったのか分からなくなってくる。

 多分、そんな考えをするようになったのは、あの二人が原因なんだろう。


 あいつら、今なにしてんのかな


「ん? どうしたんすか? 間宮さん」

「いや、何でもない。行こうか」

 再びホテルを目指して歩き出そうとした、その時


「あの! 間宮さんですよね?」


 背後から全く聞き覚えのない声に呼び止められた。

 分かるのは、声色から男だという事だけだ。

「はい、そうですけど」

 そう返事を返しながら振り向くと、そこには高校生らしい幼さが残る顔立ちだが、体つきは筋肉質なスタイルのいい男が立っていた。

「どうして、あなたがこんな所にいるんですか?」

 何故見ず知らずの人間に、何故そんな事を聞かれないといけないのか首を傾げていると、後輩の渡辺が間宮達に気がついて戻ってきた。


「お知り合いですか? 間宮さん」

「いや、知らないと思うんだけどな」


 間宮の知り合いか確認をとった渡辺は、高校生らしき男と対峙した。

「なぁ、お前さ!自分の事を名乗りもしないで一方的に話すのって、失礼な事って知らねえのか?」

 確かに言っている事は正しいのだが、子供相手にそんな言い方をする必要はないと、間宮は慌てて渡辺の肩に触れて制止を促した。

「君は誰なのかな?」

 間宮は渡辺が作ってしまった不穏な空気をふり払うように、努めて優しく話しかけた。


「確かにそうですね。まさかこんな所であなたに会えるとは思っていなかったから、気が動転してしまってました」


 目つきが鋭くなっていた高校生は、間宮の問いかけに冷静さを取り戻してくれたようだ。


「初めまして、間宮さん! 僕は岸田っていいます」


 岸田……やはり記憶を辿っても、そんな名前の知り合いはいなかった。

 何より高校生の男の知り合いなんて……


 ん?まてよ。

 岸田?高校生の岸田?岸田、岸田 ――あっ!


 高校生の男は、足元に視線を落として、間宮の反応を見て髪をガシガシと掻きながら、軽く息を吐く。


「間宮さんのその反応からすると、どうやら知ってるみたいですね。あいつの昔の事を」

 少し悔しそうな顔をして、再び間宮に視線を戻した。

「……あぁ、色々あってな。話してくれたんだ」

「……そうですか」


 少しの沈黙が生まれた。

 その沈黙の中、岸田と名乗る少年は僅かに苛立っている。

 間宮にはそんな風に見えた。


 沈黙を破ったのは岸田のほうだった。

「あの、色々と話したいので、よかったら今から少し時間貰えないですか?」

 岸田は意を決したような顔つきで、間宮にそう提案する。


 この少年が中学時代の瑞樹に唯一味方をした岸田で間違いはない。

 それなら、この申し出を断る理由なんてどこにもない。


 間宮は隣に立っている後輩に視線を向ける。

「渡辺、悪いけど先にホテルに戻っててくれないか」

「それはいいんですけど、大丈夫ですか? 最近の高校生なんて何しでかすか分かったもんじゃないっすよ?」

「俺の知ってる彼なら、絶対にそんな事にはならないよ」

「分かりました! それじゃ、明日の朝8時に一階の食堂で待ってます」

「あぁ!お疲れさん。ゆっくり休めよ」

 渡辺は最後まで、岸田を警戒した目線を向けて先にホテルへ戻って行った。


「さて! 岸田君だっけ。俺はこれからどうすればいい?」


 渡辺の姿が見えなくなるのを確認した間宮は、岸田の方に振り返り対峙する恰好になった。


 周辺の人間が見ても、只の年の離れた男達が向かい合っているとしか見えないだろう。

 だが、瑞樹の事情を知ってる人間が、もしこの場にいたらきっとこう思うのだろう。


 瑞樹志乃が心を許した、新旧の想い人達の運命的な出会いだと。


 そう間宮に問われた岸田は、空を見上げて少し考えているようだ。

 その間、間宮は岸田の姿を改めて良く観察した。

 背丈は間宮と同じ位だろうか。髪は少し明るく染めたショートヘヤでツンツンと立たせた髪を無造作にセットされていて、いかにも今時のスポーツマン系のイケメンって感じだ。

 瑞樹から聞いた昔話からでは、想像出来ない外見に少し驚いたのと同時に、瑞樹にお似合いな少年に間宮の目には写った。


「何ですか?」

 間宮の視線に気が付いた岸田は、警戒するような顔を見せてそう話す。


「いや、別に。それで決まったのかな?」

「この寒空の下で話すのも何ですし、近くによく行くカフェがあるのでそこでどうですか?」

「俺はどこでも構わないから、任せるよ」


 間宮がそう言うと「それじゃ」と一言だけ残して、間宮に背中を向けた。

 間宮は黙ってその背中についていく。


 その鍛えられているのが服越しでも分かる背中を見つめて、間宮は思う。

 俺の事を知っているという事は、ここ最近に瑞樹は彼と再会を果たしたのだろうと。

 もしかしたら、クラス会の話を聞いた時、瑞樹が話を途中で止めたのは彼と会った事を話そうとして止めたのではないか。

 そう考えると、今の状況がしっくりくる感じがした。


 それよりも驚いたのが、この運命性と言えばいいのか分からないが、この日本三大都市に挙げられている名古屋の地で、あの岸田に出会った事だ。

 名前と顔を知っているとはいえ、これだけの都会の中心で、しかもこの賑わっている人混みの中で彼が俺を見つけた偶然には、嫌でも運命を感じざる負えない。


 兎に角、こんな所で彼に出会った以上、状況次第では固まりつつある気持ちを岸田に話す必要があるかもしれない。


 間宮はある種の覚悟を胸に秘めて、嘗てのナイトの背中を追うように歩みを進めた。



 間宮と瑞樹は共に知らない。

 2月14日 バレンタインの夜にお互いの重要人物に会っている事を。

 そして、この出会いが進展しなかった関係がゆっくりとだが、確実に次のステージに動き始めた。


今話で5章最終話になります。

ここまでお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。


次章で最終章に突入しますが、例にもよって暫く準備期間を頂く為に、連載を休載させていただきます。


なるべく早く連載を再開させますので、少しの間お待ち下さい。


でわ、終章『卒業』でお会いしましょう。



葵 しずく

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