第4話 教える側と教わる側
18時 食堂にて夕食
この日は当然の様に間宮の講義の噂で持ち切りだった。
「ね!ね!聞いた?間宮先生の講義!」
「聞いた!聞いた!story magicでしょ?!」
「何でも先生が作った参加型の話を聞いただけで、テストがスラスラ解ける様になったんだと!」
「マジか!?そんなオイシイ講義聞いた事ないって!」
「一回の講義でBクラスのレベルまで上げたって噂だよ!」
「えぇ!?じゃ!もう私達と同じレベルって事!?」
「村田先生の講義なんて一方的に投げるばかりで手応えなんてなかったんだけど・・」
「三島さんはAクラスなんでしょ?どうだった?」
「う~ん いい講義だったと思うよ。要点をしっかりまとめてくれてるから、解りやすいしね。でも」
「でも?」
「内容はいいんだけど、藤崎先生はどこか違う場所を見てる感じはしたかな??だからってわけじゃないんだけど、
最後のアンケート制での講義は間宮先生のstory magic受講してみたいって思ってるよ?」
「凄いね!もうstory magic一色って感じだ。」
加藤がトレイを持って空いてるテーブルを探しながら言う。
「そう!それ!実際に瑞樹さんと加藤さんは受講したんでしょ?どうだったの?」
同室の神山達が興味津々で聞いてきた。
「もうね!凄かったよ!私達は間宮先生の物語に入り込んでただけなのに、テストが簡単になっちゃうんだもん!ねぇ!志乃!」
瑞樹はテーブルの椅子に座りながら答える
「そうだね。あの要所。要所を英語にして、質問を投げかけられる時、別に英語で答えるって決まりはないのに、英語で答えたくなってたね。
実際みんな英語で答えてたわけだから、そこがあの講義の肝だとは思うんだけど、受講中はそんな事考える気がおきなかった。それぐらい先生の作った物語が面白かったんだよね。」
そう加藤と瑞樹は神山達に答えた。
「おぉ!まさにstory magicじゃん!」
「ほんと!それ!」
「あははははは!」
周りの生徒と同じ話題で盛り上がっていると、入口の方が賑やかになった。
間宮が食堂に入ってきたのだ。
「間宮先生!今度こそ一緒に食べて下さい!story magicの話聞きたいんです!」
「あっ!すみません。それじゃお邪魔します。
それでそのstory magicってなんですか?」
誘われた席に座りながら間宮が不思議そうな顔をする。
「あははは!先生の講義の事ですよ!誰が言い出したかは知らないんですけど、先生の講義ってstory magicって名前がついてるんですよ!」
「へぇ!そうなんですか。また大袈裟な名前が付いちゃいましたね。」と笑う。
「いえいえ!そんな謙遜しないで下さいよ!もうその話題で持ち切りなんですよ?」
「まぁ、そうやって喜んでもらえたのなら嬉しいですね。」
「私アンケート制の英語の講義は絶対に間宮先生をリクエストするので楽しみにしてますね!」
「わかりました。期待に応えられるように頑張ります。」
それからも周りから質問攻めでタジタジの間宮だった。
食事を終えると基本的には自由時間だが、自主的に勉強がしたい生徒の為に、大きめの会議室を開放している。
そして、その会議室の向かい側に個室が何室かあり、そこには各学科の講師が当番制で待機する事になっていて、会議室使用時間と同じく22時まで、生徒からの質問を受け付ける事になっている。
今日の英語の当番は村田の番で、フリーの間宮はこれで本日の仕事は終了である。
食堂を出て自室へ戻り、シャワーを浴びて汗を流して、部屋着のTシャツと短パンに着替えて、濡れた髪をタオルで拭きながら、自動販売機コーナーへ向かい、間宮のお楽しみの缶ビールを買って、
部屋へ戻ろうとしたら、向こうから数学担当の奥寺と古典担当の藤井がやってきた。
「あ!間宮先生!藤崎先生見かけませんでしたか?」
「藤崎先生ですか?いえ!講義が終わってから見かけていませんよ?何かあったんですか?」
「いえ。講義の待機中に今晩飲まないかって誘っていたんですが、どこにもいなくて探してるんですよ。」
「なるほど。では見かけたらお二人が探していたと伝えておきますね。」
「宜しくお願いします。」
再び二人は藤崎を探しに歩き出した。
「・・・・藤崎先生・・・逃げたな。」
そんな事を考えて、ふと全面ガラス張りになっている外側の施設の中庭に目をやると、綺麗に手入れされた芝生に所々ランタンが設置されていて、
その優しい光が芝生を綺麗に照らし出して、とても癒されそうな場所があるのに気づき、部屋呑みをするつもりだった間宮は予定を変更して、その中庭で飲むことにした。
そこには何脚かデッキチェアが設置されており、間宮はそこへ座ってリラックスした姿勢で、よく冷えたビールを喉に流し込んだ。
「ぷは!美味い!これは中々贅沢はロケーションで飲めたな!」
間宮は幸せそうに呟く。
さすが避暑地に使われる伊豆高原である。
7月下旬なのに、地元なら間違いなくエアコンを使っている気温のはずなのに、ここでは必要性を全く感じない。
爽やかな涼しい風が間宮の体を吹き抜けて、風呂上りの火照った体を冷ましてくれる。
施設内の物音は完全に遮断され聞こえない。
聞こえるのは虫の鳴き声と時折吹き抜ける風で草木が揺れる音だけの静かな時間だった。
今日は朝早くに出発して、到着してからは打ち合わせ、午後からは慣れない講義で喋りっぱなし、講義の時間以外は若い高校生のお相手・・・
そんな疲れた状態でこのロケーション・・・眠るなと言う方が無理である。
抵抗する間もなく間宮は眠りに落ちた。
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しばらくして自主学をしていた生徒達が部屋へ戻り始めた。
その中には瑞樹達もいてワイワイと相変わらず賑やかに移動している。
途中で瑞樹が「あ!」と声を漏らした。
「どしたの?」
「あぁ・・・現地に着いたら親に電話するって約束してたのに、すっかり忘れてた。」
「それは心配してるんじゃない?」
「だよね。ごめん!親に電話してから戻るから先に行ってて!」
「OK!じゃ!部屋で待ってるね!」
「うん。」
この通路はまだまだ人が多く落ち着いて電話できそうになかったので、辺りを見渡してみると、
少し先に中庭が見えた。すぐ外に出られそうだったのでそこまで移動した。
ガラス製の少し重いドアを開けて中庭に出る。
涼しい風がとても心地よく大きく息を吸い込んだ。
「とっても気持ちがいい。」
瑞樹は幸せそうに呟いた。
それから早速親に電話をかけた。
「もしもしお母さん。寝てた?到着してからすぐにバタバタしてて連絡遅くなってごめんね。
うん。うん。大丈夫だよ。今自主学が終わって部屋に戻る途中なの。うん!うん!そうだね・・・・
それじゃまた明日電話する。うん!おやすみなさい。」
電話を切って辺りを見回すと建物に沿って庭がまだ続いてるようだったので、中には戻らずそのまま散歩する事にした。
爽やかな風が吹き、ランタンの優しい灯りに照らされたフカフカの芝生を散歩する。
しばらく歩いているとデッキチェアが設置されているのが見えた。
デッキチェアがあるんだ。あそこで寝そべったら気持ちいいだろうな。と椅子に近づくと誰かが寝ているのに気づいた。
先客がいたのかと少し残念だったが、寝そべるのは諦めて、そのまま横切ろうとした時、
横になっている人物の顔を見た瞬間、瑞樹の体が固まった。
「えっ?間宮先生??て・・ね、寝てるの?」
瑞樹は思わずおずおずと間宮の側まで近寄った。
風邪引くかもだし、起こしたほうがいいのかなと迷っていると、瑞樹のスマホが震えた。
届いたメッセージを確認すると、加藤からだった。
佐竹が瑞樹を探している事を知らせる内容だった。
「はぁ・・・またか・・」思わずため息が漏れる。
そういえば自主学を行わなかった女子達が間宮先生探してたっけ、と思い出しながら
隣で寝ている間宮の顔を見て
「2人でかくれんぼしてるみたいだね」と微笑んだ。
涼しくて優しい風が間宮から瑞樹に向かって吹き抜けていく。
微かに間宮からシャンプーの香りが届く。
「部屋着に着替えてるし、お風呂上がりだったのかな・・
何かラフな格好すると雰囲気変わるな。初めて会った時もスーツだったし、今日だってワイシャツにネクタイだったもんね。」
まだ髪も濡れている。しっかり乾かさないで外に出ていく所は
大人なのに子供っぽいなとクスリと笑った。
ふとテーブルを見ると飲みかけの缶ビールがあった。
お酒飲んでたのか・・・
ジッとそのビールを見つめる。
「お、お酒って美味しいのかな・・飲んだ事ないけど・・ひ、一口くらいならいいよね・・」
そう呟くと間宮の飲みかけの缶ビールを手にとった。
恐る恐る口元へ缶を運ぶ。初めて酒を飲もうとして思わず手が震える。
普段の瑞樹では考えられない事なのだが、合宿とはいえ旅の開放感がそうさせたのか、
そのまま一口「コクリ」と飲んだ。
飲んだ途端
「!!!!!ゲホ!ゲホ!何これ!?苦っ!!」
たまらず声を出してしまった。
すると・・・
「ん・・ん~ん・・・」
間宮が目を覚まそうとしている。
それに気付いた瑞樹は大慌てでビールをテーブルに戻し、すぐに建物の物陰へ隠れた。
「あれ?眠ってしまってたのか・・」
ムクリと上半身を起こして腕を頭の上で組み体を伸ばしてから
飲みかけだった缶ビールをグイっと飲み干した。
それを物陰に隠れながら覗いていた瑞樹は、さっき自分が口を当てていた部分に間宮の口が当たるのを見て、
間接キスをしたんだと、今更のように気付き顔が真っ赤になった。
コンコン!コンコン!
後ろからノックしている様な音が聞こえた。
振り返ると缶ビールを2本持った藤崎が間宮を見て立っていた。
ノックした後そのまま出入り口のドアを開けてこちらに向かってくる。
「こんばんわ!間宮先生。」
「藤崎先生。こんばんわ。」
挨拶すると藤崎は間宮の側にあったベンチに座わり持っていた缶ビールを1本間宮に差し出した。
「ちょっと付き合ってもらえます?間宮先生」
「ありがとうございます。それじゃ遠慮なく頂きますね。」
そう言ってビールを受け取り藤崎と間宮は缶を突き合わせ
ビールを喉に流し込んだ。
その様子を物陰に隠れたままの瑞樹は早く二人に見つからないように離れようと思ったが、どうしても二人から目が離せないでいた。
「そういえば奥寺先生達が藤崎先生を探してましたよ?」
「えっ?あぁ・・・そうですか・・多分大丈夫ですよ・・」
藤崎は苦笑いしながらそう答えた。
「お二人から逃げましたね?」と間宮は悪戯っぽく笑いながら言った。
「違いますよ!飲みには誘われましたけど、断ったのにしつこかったんですよ!」
「ははは!モテる人は大変なんですね。」
間宮は奥寺達が藤崎を必死に探してたのを思い出して苦笑いした。
「何を言ってるんですか!間宮先生の足元にも及ばないですよ。」
「え?僕ですか?」
「ええ!今日の講義が終わった後は間宮先生の噂で持ち切りだったじゃないですか。」
「あぁ。あれは物珍しかったんでしょう」
「そんな事ありませんよ。あの講義は私もモニターしてましたけど、これは負けたと思いました。」
「負けた?」
「えぇ!今回の勝負は私の負けです。まだ通常講義は6日ありますけど、どんなに頑張っても生徒達の票が取れるとは思えませんから・・」
藤崎はもう随分と酔っていてヤケ酒になってしまい悪酔いしていた。
「講義前にも藤崎先生は講師同士の勝負に拘っていたみたいですが、この合宿は目標を持って、勉強を頑張ろうとしてる生徒達が主役です。
それを忘れてしまったら、この合宿は意味がなくなると思いませんか?」
間宮は少し寂しそうな目で、藤崎を見つめながらそう言った。
「・・・・・!!」
その言葉とその目が藤崎のカンに触った。大きく目を見開いて、
「うるさい!そんな綺麗事言ってる場合じゃないでしょ!私もアンタも生活がかかっているのよ!?
正規の講師になって生計を立てようとして何が悪いのよ!!
大体!アンタみたいに、いい年してフリーター講師なんてやってる奴に、私の何がわかるのよ!知った風な事言わないでよ!!」
藤崎は間宮に怒鳴った。
すると間宮は立ち上がり無言で出口へ向かって歩き出した。
「待ちなさいよ!」
立ち去ろうとする間宮に藤崎は叫びながら追いかけようとしたが、
「・・だまれよ」
「えっ?」
藤崎の足が止まる。
その藤崎に背を向けたまま、間宮は続けた。
「正規だのバイトだの生徒になんの関係があるんだよ。生徒は目指してる大学に合格する為に、高い金を払ってここに来てんだ!
俺達講師はその生徒に対して最大限の努力をして最高の自信を掴んでもらう為に、この場にいるんじゃねえのか?
それを自分が正規社員になる為に、生徒からの票を集める事ばかり意識して、ガキ共の視線を奪うような格好してご機嫌取りかよ・・
アンタは生徒の事を自分が安定した生活を手に入れる為の駒くらいにしか見てねえだろ!そんな奴に勝負だの言われてもウザいだけだっての!」
間宮はそう一気に言い切ってから、軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、顔だけ少し藤崎の方を向いて
「ビールご馳走様でした。おやすみなさい。」
いつもの笑顔で言ってその場を去った。
呆然とした藤崎はただそこに立ち尽くすしかなかった。
呆然としていたのは藤崎だけではない。
結局最後まで物陰に隠れていた瑞樹も同じだった。
藤崎からは間宮の表情は伺えなかったが、隠れていた瑞樹からは横顔が見えていた。
怖い顔をしていた。
あの時と同じ顔をしていた。
瑞樹の瞳から無意識に涙がこぼれ落ちた。
間宮が怖かったからではない。
間宮の表情を見て、あの時の自分の気持ちと、今の気持ちが変わってしまっていた事に気付いたからだ。
鳴き声が漏れそうになるのを必死で我慢して、この場から逃げるように立ち去った。
瑞樹はそのまま顔を隠してトイレに逃げ込んでしばらく泣いていた。