第25話 St. Valentine's Day act 1
2月14日 バレンタインデー
「おはようございます!師匠!」
「うむ!おはよう!弟子よ!」
佐竹は、もうすっかり日課になった神山の道場で朝稽古をする為に、早朝に道場を訪れていた。
「しっかし、今更なんだけど、朝稽古続いてるよね」
「うん、偶に休むと一日気持ち悪い位だもん」
「あはは!なにそれ!」
2人は道場の真ん中で、談笑しながら稽古前のストレッチを行っていた。
佐竹は、この稽古前の談笑時間が気に入っている。
これまでは受験の事が中心で話題に困る事はなかった。
まだ合否待ちで落ちていれば二次試験の事も考えないといけない。
しかし、2人には確かな手ごたえがあったようで、今朝は受験の話題が上がらなかった。
「でも、今日は来ないと思ってたよ」
「え?何で?」
「だって今日は、バレンタインだよ?志乃か愛菜から連絡あるかもしれないじゃん!今日時間ある?みたいなさ」
「はは!それはないだろ」
「わっかんないよ~世の中に絶対なんて事はないいだからね!」
「そりゃ絶対はないんだろうけど、極小の可能性の為に稽古を休む気はないよ」
「ほほう!言うようになったねぇ」
確かにここに通う前の佐竹とは、明らかに変わっていた。
以前の佐竹なら、その極小の可能性に期待して部屋に引き篭もっていたはずだ。
だから、こうして目の前でストレッチをしている佐竹を、神山はなんだか誇らしく感じていた。
「うるさいよ!さて、十分ほぐれたし稽古始めようぜ」
「そだね!じゃ!今日も宜しくお願いします!」
「ウスッ!お願いします!師匠!」
始めた頃は、精神鍛錬と称して心を落ち着かせる稽古だけだった。
例えるならヨガに精通する内容をこなしていた。
だが、神山が使う古武術に興味が出てきたのか、少し前から型を教わりだして、今では偶に軽い組手をする事もある。
「はぁ、はぁ、やっぱ当たり前なんだけど、凄いよな神山さんって」
「そう?まぁ、私は物心がついた頃から、お爺ちゃんに稽古つけてもらってたからね」
いつもより長めに2時間ミッチリと稽古を終えた2人は、道場の真ん中で向かい合って座り込み談笑している。
「なぁ」
スポーツドリンクを喉に流し込んで、荒かった呼吸を整えると、佐竹は少し強張った表情で、神山に声をかける。
「ん?なに?」
神山も佐竹の表情が変わった事に気が付き、茶化す事もせずに佐竹が話す出すのを待った。
「女の子より弱い男ってどう思う?」
「どうって私の場合は殆どの場合、当てはまるから気にしないかな」
「でも、それって情けないと思うだろ?」
「それはないよ!」
佐竹の価値観を否定して、神山はスッと立ち上がった。
朝の光が道場内に差し込み、立ち上がった神山を照らす。
その姿を見つめていると、何故今まで気が付かなかったのか自分でも分からなった事に気が付いた。
稽古をつけてもらい始めた当初は、ここの道場の道着を着ていたはずだ。
その道着姿が格好良くて、見とれた事があるから間違いない。
でも、いつからか分からないが、今は長袖のシャツに縦に一本ラインが入ったジャージ姿になっていた。
これでも動きやすい恰好だとは思うが、道着姿と違い女の子らしい体のラインが浮かび上がり、可愛らしさを感じる服装だった。
「この前の文化祭の時みたいに、喧嘩が起こって勝てなかった事を、私は情けないなんて思わない」
神山の服装の違いについて考え込んでいると、神山は道場の格子から見える空を見上げた。
「情けないと言うのは、物事に対していつも逃げ腰になっている人間の事をいうと思う」
その考えは佐竹にも同意出来る。
だが、やはり誰かを守ろうとしても守れなかったりしたら、それも同じ様に情けないのも事実だろう。
「そう考えると、やっぱり間宮さんと松崎さんって凄い人だなって思うよ。同じ男として憧れる」
「何言ってんの!佐竹君は大事な事忘れてるよ?」
「大事な事?」
「うん!あの二人は私達より一回り以上多く生きてるって事!」
そんな理屈は可笑しいと思う。
それなら、あの二人と同い年の男は皆、強いという事になるからだ。
納得がいかない顔をして、黙っていると神山が話を続ける。
「まぁ、あの二人は特殊かもね。あの連中を一人で抑え込むとか流石に普通じゃないと思うし」
「俺も努力すれば、間宮さん達みたいになれるかな」
「佐竹君が、間宮さんみたいになる必要はないと思うよ」
「何でだよ」
「強い力って手にした途端に、人が変わる事って多いからね。私は今の佐竹君に変わってほしくない」
「それは違うよ。僕は間宮さんみたいになりたいんだ。それって何も喧嘩が強くなりたいって事じゃなくて、優しくて強い男になりたいって事だから」
佐竹も立ち上がって、強くなりたいのは守りたい存在を守れる男になりたいのだと、神山の考えを否定した。
そう言い切った佐竹の顔を見て、神山はクスっと笑みを零して、道場の入口付近に置いてあった紙袋を手に持った。
「そっか!それじゃ、頑張っている弟子に師匠からご褒美をあげるよ」
神山はそう言って、手に持っていた紙袋を佐竹に差し出した。
「いらないよ」
「え?」
佐竹は差し出された紙袋をチラリと確認した後、神山の目を見つめてそう言った。
「僕は今日ここに来たのは、神山さんからの義理チョコを期待してたからじゃない」
予想もしていなかった言葉が、佐竹から発せられて神山は動揺した。
「で、でも折角作ったんだしさ」
受け取って貰おうと、差し出していた紙袋を更に佐竹の方へ近づけようと、一歩踏み込んだ時だった。
「これを受け取って欲しいんだ」
そう言って佐竹が神山に差し出したのは、チョコが入った袋だった。
「僕は、神山結衣さんが好きです。」
「え?」
「僕と付き合ってくれませんか?」
神山の思考は緊急停止した。
聞き間違いでなければ、佐竹に告白された。
恐らく聞き違いなのだろう。
何故なら、彼は瑞樹と加藤の間で気持ちが揺れていたはずなのだから。
神山はそう頭の中で、今起こっている事を否定した。
「こらこら!告る相手違うくない?流石に告る練習台にされるのは無理なんだけど」
「いや、間違ってなんかいない。俺は神山さんに気持ちを伝えてるんだ」
佐竹は神山の話を否定して、告白を続けてきた。
ここまで聞かされると、流石に聞き間違いでも練習台でもないのだと認めるしかない。
「なんで?佐竹君は志乃と愛菜が好きなんだよね?」
「そうだな」
「じゃあ、何で私にそんな事言ったのよ」
「神山さんは、僕の事を見てくれるからだよ」
そう聞かされて、神山は佐竹が言いたい事を理解出来ずに困惑の表情を浮かべる。
「瑞樹さんや加藤がって事じゃなくて、今までこんな僕の事を見てくれた女の子は一人もいなかったんだ」
「そんな事ないよ」
「あるんだよ! でも、神山さんはこんな弱い僕を肯定してくれて、強くなりたいからと稽古を頼んでも、今まで一度も嫌な顔をする事はなかった」
「……」
神山は、知り合ってから特に文化祭以降の佐竹を思い出していた。
彼はいつでも一生懸命だった。
一生懸命に好きな女の子の気持ちを追いかけていた。
あの校舎裏での乱闘の時もそうだ。
あの中に飛び込むのには、相当な勇気が必要だったはずだ。
普通なら誰か助けを呼びに走る場面だったと思う。
でも、彼は愛菜が危ない時に体を張って、臆する事なく守ったんだ。
その光景を見た時、本音を言うと愛菜が羨ましいって思ったよ。
初めて合宿で知り合った時は、正直頼りなさそうだと思ってた。
だから、余計にあの文化祭での行動は驚いた。
頼りないイメージを訂正して、心の中で謝ったりもした。
だからなのかもね。佐竹君の事を応援しようと思ったのは
「前から思ってた事、聞いていい?」
「なに?」
「佐竹君って、惚れっぽい性格?」
「そう聞かれると、否定出来ないかも」
「だよねぇ!志乃が無理なら、愛菜に。愛菜も無理そうだったから、今度は私だもんね!」
「そ、それは」
「まぁ!志乃が一番なのは仕方がないとしても、私的には愛菜とは同等だと思ってたんだけど、佐竹君の中では愛菜が二番で、私が三番なんだね」
ジトっとした目を佐竹に向けて、棘のある言葉を並べる。
そして、俯いてしまった佐竹に冷たい視線を送り、口を閉じた。
「……違う」
「何が違うの?」
暫く口を閉じていた佐竹が、ようやく一言呟くように話す。
「確かにそう思われても仕方がないと思うし、惚れっぽいのも否定はしない。でも、手頃な神山さんで妥協したなんて事はない。絶対にそれだけは違う」
「だから、どう違うのよ」
具体的に理由を話そうとしない佐竹に、神山は少し苛立ち両腕を組んで、冷たい言葉を返す。
「だって、好きだって気持ちを伝えたのは神山さんだけだったから」
「そ、それは安い女だから言いやすかっただけでしょ?」
「違う!今、神山さんに妥協じゃないかとか言われて考えたんだ」
「何を?」
「瑞樹さんや加藤に好きって気持ちを言わなかったのは、憧れてただけだったんだって」
「は?それって、やっぱり私は手頃な女だって思ってるって事じゃん!」
「だから違うって言ってんだろ!黙って最後まで聞け!!」
佐竹の大きな声が道場に響いた。
こんな佐竹の大きな声を初めて聞いた神山は、ビクッと体を震わせて目を見開いている。
「2人には僕の勝手な理想を重ねていただけだって、初めて気が付いた。瑞樹さんなんて知り合った頃は、今の彼女とは別人ってくらい冷静沈着って感じでカッコいいって憧れてた」
佐竹はクールな雰囲気を持った瑞樹に、憧れていた。
勿論、今の瑞樹に幻滅したわけではない。
ただ、本当の彼女を導き出したのは自分ではない。
それは単に自分の魅力がなかっただけではなくて、本当の彼女を見つけられなかったからだ。
いや、見つけようとしなかったのが本音かもしれない。
そのクールな瑞樹に、格好良くなりたい自分の理想を押し付けて憧れていただけに過ぎないと話す。
昔から隅っこで生きてきた自分では、到底そんな人間にはなれないからと、瑞樹に理想を被せて追いかけていたのだと聞かされた。
加藤に対してもそうだという。
いつも明るくて周りを笑顔に出来る彼女に憧れていた。
自分には絶対出来ない事を、当たり前にやってのける彼女が気になった。
だけど、やはり瑞樹さんと同様に、自分では出来ない事を押し付けていただけだと分かったんだと話してくれた。
「でも、神山さんは違うんだ。勿論、神山さんも僕に出来ない事が沢山出来る人だとは思う」
瑞樹と加藤への気持ちを語り、神山の事を話し出した時、佐竹の肩が震えていた。
その震えが緊張などではなく、自分への不甲斐なさからくるものだと、神山は佐竹の目を見て悟った。
「志乃達と私はどこが違うの?」
佐竹の話を聞いていて、さっきまであった佐竹に対しての怯えが消えて、真っ直ぐに、そして真剣な眼差しを向けて問う。
「神山さんには、理想を投げて勝手に期待する気持ちはなくて、憧れではなく目標として写っているんだ。」
「憧れじゃなくて、目標」
「うん。どっちにしても、情けない事言ってるのは自覚してる。だけど、神山さんに対しては、諦めるんじゃなくて頑張ろうって気にさせてくれるんだ!」
「ホントに情けない事言ってるよね。何でよくそんな事を堂々と話せちゃうかな」
「分かってるよ。でも、だからこそ好きだって言葉に出来たんだ」
朝の冷え込みが厳しい2月中旬。
さっきまで稽古で体を動かしていた為、あまり寒さを感じなかった。
だが、熱を持っていた体が外気で冷まされるにつれて、次第に寒さを感じるようになってきた。
確かに体には寒さを感じている。
でも、道場にいる2人の心は熱をもったままだった。
「だから、そんな僕の目標であり大切な存在になっている神山さんに、一番近くで見ていてもらいたいって思ったんだ」
「てことはさ、佐竹君は師匠としての私と、彼女としての私の両方が欲しいって事?」
「うん。そうなるな」
「それは中々に大変な要望だよね。主に大変なのは私なんだけどさ」
「うん。それも分かってるよ。かなり自分勝手な事を頼んでるよな」
そこまで話して、佐竹を真っ直ぐに見ていた視線が、神山の足元に移動した。
二人の間に沈黙が訪れる。
その時、ようやく周りの音が耳に入ってきた。
高校三年生はすでに自由登校で休みだが、世間は忙しい平日の朝だ。
会社への出勤や、学生達の登校する様子が分かる音が聞こえる。
そんな慌ただしい時間のなか、2人がいる道場内はまるで世間に取り残されたように、静まり返っていた。
「返事を聞いてもいいかな」
沈黙に耐えかねたのか、佐竹が告白に対しての返事を求める。
「……うん、とりあえずこれで」
すると、俯いて無言だった神山がさっき差し出した紙袋を、再度佐竹に差し出した。
「いや、だからそれはいらないって!義理なんか欲しくないって言っただろ」
佐竹も再び差し出された紙袋を突き返そうとする。
「ふふっ!あははははは!」
すると、神山は突然笑い出した。
そんな神山に驚いた佐竹は、突き返そうとした手の動きを止める。
「もしかして佐竹君って、義理チョコも貰った事ないんじゃない?」
「し、失礼だな!義理チョコなら貰った事あるよ!……小学生の時だけど」
「ふふふっ!なるほどね、だからか」
何かに納得した神山は、動きを止めていた佐竹の手に、持っていた紙袋を引っ掛けるようにして手渡した。
「その袋の中をよく見てみてよ」
神山は手渡した紙袋の中身を、しっかりと見るように促した。
佐竹は言われた通りに、両手で紙袋を広げて中に入っている物をじっくり観察を始めた。
袋の中に入っている物は、素人目で見ても分かる位に凝った包装がされている長方形の箱が入っている。
恐る恐る中身を取り出してみると、取り出した箱は見た目より重さを感じた。
「それ手作りなんだけど、義理チョコでそこまで大がかりな物作ると思う?」
「……え?」
「本命チョコだよそれ!気持ちは伝えるつもりなかったから、義理チョコって事で受け取ってもらうつもりだったんだけどね」
そう説明する神山の頬が赤く染まっていた。
佐竹は予想だにしていなかった事に、困惑して差し出された箱をじっと見つめたまま、完全に固まっている。
「ホントはね、ずっと気持ちを伝える気はなかったんだ。佐竹君は志乃と愛菜が好きだって事は知ってたし、応援するって言っちゃってたしね」
「……神山さん」
「応援するって言ってた私が、そんな事言ったら絶対に佐竹君を困らせると思ってたから、たとえ志乃と愛菜に佐竹君の気持ちが届かなくても、言うつもりはなかった」
神山はずっとそう決めていた。
だが、佐竹の方から気持ちを伝えれて、押さえようとしていた気持ちが決壊してしまった。
「でも、ホントに私でいいの?自分で言うのもなんだけど、私って武道とかやってるせいか、性格ガサツだと思うし志乃や愛菜と比べて全然女の子らしくないし」
神山は自信無さげに俯き、頬を赤らめて話す姿は十分に女の子だった。
「あの二人は関係ないよ。それに神山さんは全然女の子らしいし、凄く魅力的だと思ってるよ」
佐竹は自分の気持ちを伝えて、その勢いで神山をそっと引き寄せて抱きしめた。
「うわわ!け、稽古した後で汗臭いから駄目だよ!」
佐竹の腕の中で、そう言いながら両手をバタバタとさせていた。
「そんな事ない!全然そんな事ない!」
佐竹がそう言い切ると、バタバタと抵抗していた神山の動きが止まった。
恐る恐る佐竹の背中に両手を回す。
ギュッと抱きしめると、密着した佐竹の胸から凄く早い鼓動が聞こえた。
「ふふふ、心臓の音凄く早いよ」
「す、好きな女の子を抱きしめてるんだから、当たり前じゃん」
少しの間だけ、お互いの温もりを感じてから、神山はそっと佐竹の腕の中から離れた。
「それって逆チョコってやつだよね?」
「え?あぁ、うん!そう!」
「じゃあ、これは受け取った方がいいんだよね?」
「うん、そうしてもらえないと、僕はフラれた事になっちゃうからね」
神山は頬を赤らめながら、佐竹からの逆チョコを受け取った。
「あ!でもね、私だって一応女の子なんだよ」
「え?勿論知ってるけど?」
神山が何を言いたいのか、見当もつかずに首を傾げた。
「だから、私が守るんじゃなくて、好きな人には守って貰いたいんだよね!」
顔を真っ赤なのを隠す為に、空を見上げながらそう訴えた。
確かに、神山の事を知っている人間なら、守ってもらうより守ってくれるイメージがあるかもしれない。
それは、なまじ武道をやっているからだけじゃなく、神山の性格がそう思わせていた。
「分かってるよ!だからさ、これからは僕の彼女としても師匠としても傍にいて欲しい」
そう言って、佐竹は手を差し出した。
差し出された手をジッと見つめながら、「よ、よろしく」と小さな声で呟き、佐竹の手をそっと包み込んだ。
「……結衣のやつが熱心に稽古とつけている奴がいると聞いて、少し見てやろうと思ってきたが」
自宅から道場へ繋いでいる廊下の脇に、一人の人影が場内にいる2人を見つめていた。
「これでは入るに入れんな」
その人影はそうボヤくように呟いて、音もたてずに道場をゆっくりと離れていく。
「これはひ孫の顔が見れる可能性が出てきたの。まだまだ死ねん理由が出来た。今晩から酒の量を減らしてみようかの……ほっほっほ」