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29  作者: 葵 しずく
第5章 それぞれの想い
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第20話 気持ちのケジメ

 正月休みが明けて数日が過ぎた朝、間宮が出勤すると営業部の周辺が騒めいていた。

 通路に人だかりが出来ている。

 その人だかりに交じっていた一人の男性社員が、出勤してきた間宮に気が付いて、小走りで駆け寄ってくる。


「おはようございます!間宮さん!」

「おはよ。何だか今朝は騒々しいな」

「いや、だって」

 男性社員は言葉の歯切れが悪い。少し声をかけてきた社員が落ち着くまで待っていると、他の連中も間宮に気が付いて一斉に駆け寄ってきた。


「あの!間宮さんが開発所に配置転換されるって本当なんですか!?」

 他の連中が間宮達を取り囲んだタイミングで、話しかけてきた社員がそう聞いてきた。


 間宮はそれを聞かされて、人だかりが出来ていた場所が連絡掲示板が設置してある場所だと気が付いた。

 ついに辞令が降りたようだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 2019年初出勤の日、間宮達営業部の社員達は得意先に新年の挨拶周りに奮闘していた。


 今日予定していたアポの予定を全て消化して、そろそろ帰社しようとした時、スマホから電話がかかってきた事を示す通知音が鳴った。

 人混みの中移動していた間宮は、着信者の名前を確認せずに電話にでた。

「はい!間宮です」

「あけましておめでとうございます!川島です。久しぶりですね」

 間宮は電話してきたのが川島だと知って、思わず歩いていた足を止めた。

「おめでとうございます」

 思わぬ人物からの電話で、間宮は思わず敬語で話した。

「今日、所長と本社に出向いて、社長に例の件の話をし終わった所なんですが、間宮さんはまだお仕事ですか?」

「いや、今日の予定は終わって、今から帰社しようと移動してたところです」

「そうですか!あの、もしよかったら所長と三人で今晩どこかで軽く飲みませんか?今後の話もしたいので」

「そうですね。わかりました!じゃあ、すぐに戻りますから少し待っていてもらえますか?」

「わかりました。では、本社でお待ちしています。ところで、何で敬語なんですか?」

「あ!そういやそうだな……あはははは!」

 笑って誤魔化して、電話を切り小走りで駅へ向かった。


 本社へ帰社した間宮はロビーの脇で、タブレットを操作しながら何やら話し込む2人組を見つけた。

 ビシッとスーツが似合う恰幅のいい50歳位の男と、同じく、いかにも仕事が出来ますっという雰囲気を醸し出しているスーツ姿の若い女性の2人だ。


「川島さん!」

 間宮は川島に声をかけながら、2人に駆け寄った。

「あ、間宮さん!お疲れ様です」

 川島は間宮に気が付くと、軽く会釈しながら駆け寄ってくる間宮を迎えた。

「お疲れ様!川島さん」

 川島達の元へ駆け寄った間宮は、軽く挨拶を済ませて川島の隣に立っている男に視線を向けた。

「こちらが開発所の村井所長です」

 そう紹介された村井は間宮にそっと手を差し出した。

「村井です。ようやく会えたね、間宮君」

「初めまして!間宮良介です!お会いできて光栄です」

 そう言った間宮は、差し出された手をしっかりと握り握手を交わした。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーーー


「それでは、新しい仲間に乾杯!」

「乾杯!」「乾杯!」

 挨拶を済ませた三人は、それからすぐにここsceneに移動して乾杯を交わした。

 三人ほぼ同時に一杯目のビールを喉に流し込み、一口目の至福の時を楽しんだ。


「なるほど!川島君がこっちに戻ってきてから、仕事が終わってから物足りないとぼやくはずだな。会社の近くにこんな雰囲気のいい店があるんだからね」

 村井はカウンターから見える店の様子を見渡して、苦笑いしながらそう話した。

「でしょ!仕事は充実しているんですけど、プライベートがここと比べたらぼやきたくなりますよ!」


 あははははは!


 三人はお互いの顔を見合って笑い合った。


「これは私からのサービスです」

 sceneのマスターである関がそう言って、三人の前に綺麗なグラスに盛られたピスタチオとチーズの盛り合わせを差し出した。


「え?いいんですか?関さん」

「あぁ!約束通り川島さんが来てくれたんだし、何だかめでたい席みたいだしね。今日はサービスさせてもらうよ」

 そう言った関は三人にニッコリと笑顔を見せた。

「ありがとうございます!マスター!私の事覚えてくれてたんですね」

「もちろんだよ。確かに年のせいか物覚えが悪くなってきたけど、間宮君と繋がりがあるお客さんは忘れるわけないよ」

 そう言われた川島は、嬉しそうに飲みかけのグラスの口をつけた。

「すみません。突然押しかけて気を使わせてしまいまして」

「いえ、気にしないで下さい。それではごゆっくり」

 村井の礼にそう応えた関は、それだけ言い残して他の客の元へ向かった。


 職業柄なのだろうか、あまり立ち入らない方がいいと判断して、間宮達の元から席を外したのだろう。


「それでだ!間宮君!」

「はい」

「今日社長の許可を正式にとる事が出来たわけだが、この件を役員会を通してから辞令が下りると思う」

「はい」

「もう後戻りは出来ないよ?ここの快適な生活を捨てる事に後悔はしないかな?」

「後悔ですか……正直な事を言わせていただくと、どちらを選択しても後悔する時は来ると思っています。ですから、後悔した時、自分で乗り越えられる方を選択したつもりです」

「……どっちも後悔するか、なるほど!いい答えだ。正直、綺麗ごとばかり並べる奴は信用出来ない質なんだよ。改めて宜しく頼むよ」

「はい!こちらこそ、宜しくお願いします」

 チンッ!

 そう話し合った2人は、改めてグラスを突き合わせた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 村井からそう聞かされていたが、この辞令の早さは役員会を通さずに社長の独断で移動を命じたのだろう。

 あの席で、村井と社長は旧知の仲だと聞かされていた。

 その信頼関係で下りた辞令なのだ。

 必ず所長に恥をかかせないように頑張らないといけない。


「あぁ、思ったより早く辞令が出て驚いたけどな」

 そう答えると、間宮の周りに集まった社員から驚きの声と、落胆の声があがる。

 間宮自身は自覚していなかったが、社内での間宮の人望は厚く、上の者からは期待を、下の者は間宮の背中を追いかける人間が多い事を、この移動する事が明るみに出た時に初めて知った。


「とにかく!サボってないで仕事だ!仕事!」

 間宮が手を叩いて、周りに集まった社員達にそう発破をかけて、この騒ぎを沈めた。


 その後、正式に辞令が下りた事で、営業部全体で会議が行われ間宮の担当している得意先の後任を決める事になった。

 基本的には間宮が所属している営業一課の人間が、引き継ぐ事になったのだが、間宮の要望により天谷のゼミだけは営業二課の松崎が後任する事になった。


 会議を終えて、間宮は早速後任者と打ち合わせて、各得意先に移動の報告と後任者の挨拶を済ませる為に、アポ取りに精を出した。


「間宮、今日仕事終わったら顔貸せ」


 最後に天谷のアポがとれた時、隣にいた松崎がそう話しかけて、間宮の返答を待たずに自分の部署へ戻り始める。

「18時には終わる」

 一方的な松崎の誘いを予め分かっていたように、そう一言だけ返事をして、それを聞いた松崎は、間宮に背を向けたまま軽く手を上げて姿を消した。


 予定通り18時に仕事を終えた間宮は、会社のロビーへ降りると出入口の自動ドアの脇に松崎が立っているのを見つけた。

 近づいていくと遠目では分からなったが、近づく度に松崎の表情が少し険しくなっているように見えた。


「松崎!待たせてわるいな」

 間宮はそう声をかけながら、松崎の元に到着したが、

「いくぞ」

 松崎は声をかけた間宮の顔を見る事なく、そう一言だけ伝えて会社の自動ドアを開けて外に出た。

 間宮もそんな松崎に首を傾げながら、何も言葉を返さずに歩き出す。


 会社を出た2人は、松崎が無言のまま間宮を引っ張るように歩き出して、気が付けばsceneの前に立っていた。

 引き続き、間宮に場所を確認する事すらせずに、松崎は店内に入り関がいるカウンターに向かって腰をかけた。


 2人の様子がいつもと違う事に気が付いた関は、後からついてきた間宮に視線を移したが、間宮は両肩を上げて顔を左右に振った。


「いらっしゃい。何にする?」

 2人がカウンターの席に着いたのを確認すると、関が注文を訪ねた。

「えっと、とりあえずジントニックを」

 間宮がそう答えると、松崎は少し間を空けてから「……俺はバーボンを」と呟く松崎に、関と間宮は顔を向ける。

「いきなりそんな強いの飲んで大丈夫?」

 関が心配してそう話したが、問題ないと突っぱねた為、仕方がないと僅かに溜息を洩らしながら、2人の飲み物を作り出した。


 ジントニックとバーボンがカウンターに置かれてから、お互いグラスを持ち軽く合わせようと、間宮は松崎を見たが、当に本人は正面を向いたままグラスを突き合わす事なく、一気にグラスに口をつける。

 流石の間宮もこの態度にムッとした顔をしたが、松崎はお構いなしに小さなグラスをに注がれたバーボンを一気に喉に流し込んだ。


 カンッ!


 バーボンを飲み干してグラスをカウンターに勢いよく置く音が響いた。

 その直後、松崎の顔に眉間の皺がよる。

 それはそうだろう。ただでさえキツイ酒なのに、一杯目からその酒を煽ったのだ。喉が焼けるように熱を帯びているはずだ。


「なぁ!ホントに今日はどうしたんだよ。何か変だぞ?お前」


 間宮が喉が焼けるのに耐えている、松崎の顔を覗き込むようにしてそう話しかける。

 すると、松崎は間宮の目をキッと睨むようにして口を開いた。


「変なのはお前だ!間宮!何だよ!開発所に移動って!何だよ!新潟に引っ越すって!」

 機嫌が悪い原因はそれか。

 確かに相談もなしに決めたが、でも、お前が何故そこまで怒るんだ。


 そう抗議しようとした時、2人の前にミネラルウォーターが差し出された。

 ヒートアップする寸前に絶妙なタイミングで、関が用意していた物だ。


「2人共、これ飲んでもう少し冷静になって話し合うといいよ」

 関はまるで2人の子供を宥めるように、そう言ってまた2人の前から離れていった。


 間宮と松崎は立ち去る関の背中を見送った後、差し出されたミネラルウォーターを見つめる。


 やがて、松崎がそのグラスの中身を一気に喉に流し込んで、深く息を吐きだした。


「……間宮、悪かった……すまん」


 松崎の謝罪を受けて、間宮も松崎と同様にグラスを空にした。

「……いや、俺が何も言わなかったのが、原因だからな。俺の方こそ悪かったよ」


 間宮も謝罪すると、何も言葉はなかったが、2人の間に流れていた空気が変わった。


 落ち着いてから、2人は関に追加の酒を頼んで、改めてグラスを突き合わせた。

 いつもの心地よいジャズがようやく耳に入ってくる。

 さっきまではどんな曲がかかっていることさえ、気が付かない程冷静ではなかったのだろう。


 松崎が一口酒を口に含んだ後、ゆっくりと口を開きだした。

「なぁ、今回の移動の話ってのはいつからあったんだ?」

 今回の辞令が下りた発端を、松崎が聞いてきたが、さっきまでの怒りに満ちた声色ではなかった。


「天谷さんとこに、新システムを導入する時、開発所から川島が派遣されて来ただろ?その時に初めてオファーを貰ったんだ」

「そうか、あの時からあった話だったんだな」

「あぁ、お前に話さなくて悪かったよ」


 それから、間宮がずっと希望していた転属の話が、何故今になって持ち上がったのかなど、詳細の説明を松崎に話して聞かせた。

「なるほどな。で?堰き止めていた連中はどうなるんだ?」

「いや、どうもしない。確かにそれを知った時は腹が立ったけど、嫌がらせでやったわけじゃなくて、必要とされていたからだしな……それに」

「それに?」

「川島に言われたんだけど、最初からエンジニアとしてやってきた人間では、分からない末端の声ってのを持ってから、開発に関わる人間は貴重なんだと。だから、今までやってきた仕事は無駄じゃなかったって知ったから、怒る気が失せたんだ」


「ククク……お前らしいわ!」


 入社当時からエンジニア志望で営業へ回された当時は、相当腐っていた事は知っている。

 前向きになったのは香坂優香のおかげだとも知っている。

 だからこの待望のチャンスを手放す事は出来ないのは当然だし、一緒に頑張ってきた同期としては少し寂しい気はするが、応援するのが正解なのだろう。

 ただ、それは同じ会社の同僚としての解だ。

 間宮の友人としての意見はやはり違う。


「でも、そうなると……どうするんだ?」

「何が?」

 何を聞いているのか分かっていたが、少し間が欲しかった為、そう聞き返してみる。

「何がって決まってんだろ?瑞樹ちゃんと神楽優希の事だよ」

 やはりそうか。分かっていたから、そしてまだその解は出せていないから、松崎にも移動の件を話さなかったのだ。


「……それは」

「何の話ですか?」

 間宮が言いにくそうに俯いていると、松崎でも関でもない声で話しかけられた。

 その声の主の方に、間宮と松崎が視線を向けると、腰に手を当てた藤崎がそこに立っていた。


「ふ、藤崎せんせ!……いつから」

「ついさっきですよ?どうするんだ?って辺りからです」

 そう聞いた松崎はしまったと言わんばかりに、額に手を当てた。

「藤崎先生お疲れ様です。久しぶりですね」

 だが、当の本人の間宮は平然とした態度で藤崎に声をかける。

 そんな間宮を不思議そうな表情で、松崎は眺めるだけで言葉が出てこなかった。


「御一緒してもよろしいですか?」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、藤崎が同席を希望する。

「いや、藤崎せんせ!今日は2人で大事な話がね」

「松崎さんには聞いてませんよ?」

「……」

 間宮と飲んでいるのは自分なのに、なんて理不尽だとは思ったが、藤崎のそう言い切る雰囲気に何も言えなかった。


「僕は構いませんよ」


 ニッコリと笑顔で、自分の隣の席に手を向けてそう答えた。

「ありがとうございます」

 藤崎は少し意外そうな顔で、そう言って席に座った。

「いらっしゃい、藤崎先生」

 藤崎が席に着いたタイミングで、関が注文を取りに近づいてきた。

「こんばんわ!関さん!えっと、間宮さんと同じ物を」

「かしこまりました」

 関が注文を受けると、早速間宮と同じカクテルを作り出した。

 そんな関を見ながら、思い出したように間宮が口を開く。

「そういえば、クリスマスの時、何も返信しなくてすみませんでした」

 間宮は、クリスマスの日に藤崎からの誘いのLineを返答しなかった事を謝罪した。

「いえ!事情は松崎さんから事後報告でしたけど、聞きましたから」

「……そうですか。それでもすみませんでした」

 右手を後頭部に当てながら、もう一度謝罪して飲みかけのカクテルを飲み干した。


「ところで、松崎さん!どうして私達の反対側を向いてお酒を飲んでいるんですか?」

 そう藤崎が指摘すると、松崎の肩がピクリと反応して体の向きを2人の方へ向けた。

「い、いや、別に意味は特にないんだけどさ」

 白々しくそう答える松崎に、藤崎の冷ややかな目線が突き刺さる。


「藤崎先生はおひとりで?」

 相変わらず、いつも通りといっても、藤崎の前ではあくまで臨時講師をしていた頃の口調で話した。

「いえ、今日はここで待ち合わせているんですが、私の方が早かったみたいですね」

「そうですか」

 それから沈黙が流れる。

 間宮と藤崎は特に表情を変える事なく、グラスを口に運んでいるが、松崎にはその変わらない表情が逆に怖かった。

 その空気に耐えかねた松崎は、お手洗いにと席を外して姿を消した。


 松崎がいなくなった途端、藤崎が沈黙を破る。


「……誰と待ち合わせなのか聞いてくれないんですね」

「聞いて欲しかったんですか?藤崎先生はそういう束縛とか嫌がる人だと思ってましたけど」

「確かに苦手ですけど、それも相手によるかもしれないですね」


 まるで何かに勢いをつけようとするかのように、間宮は三杯目のカクテルを飲み干した。

「藤崎先生・・・僕は」

「すみません!質疑応答が長引いて遅れました!」

 間宮が何か言いかけたところで、店の入り口方向から懐かしい声が聞こえてきた。


 その声の主を確認しなくても、誰だか分かっている藤崎はクスッと笑って、小声で間宮に呟いた。

「間宮さんが何を言いかけたのか凄く気になりますが、どうやら時間切れみたいですね」

 まるで昔見た洋画のワンシーンのような台詞だった。

 間宮はそう言われて話しかけた言葉を飲み込んで、横目で藤崎に声をかけた方を見ると、そこには天谷のゼミの講師である奥寺がいた。

「あれ!?間宮先生じゃないですか!」

 目を丸くして、そう言いながら間宮の方へ近づいてくる。

「お久しぶりです、奥寺先生」

「御無沙汰してます!間宮先生!」

「先生はやめて下さいよ」

 間宮と奥寺はそう話しながら、握手を交わした。

 そんな二人を見て藤崎は関に合図を送りながら席を立つ。


「あ、えっと……藤崎先生?」

 なんだか邪魔してしまったのではないかと、不安な顔色になった奥寺に藤崎は柔らかい口調で答える。

「奥寺先生は気を使いすぎですよ。間宮さんとは偶然に会っただけで、奥寺先生が来るまで話し相手になって貰っていただけですから。それに」

 そこまで話した藤崎は、松崎が姿を消したトイレの方に向かって、少し声の音量を上げて話を続けた。


「それに、場の雰囲気に逃げ出した人と2人で飲んでたみたいですしね!」


 ガタッ!!


 そう話すと、トイレの出入口付近から何か物音が聞こえてきた。

 その音を聞いてクスクスと笑いながら、再び奥寺と向かい合った。

「なので、今日は店を変えません?駅前の居酒屋にでも行きましょう」

「え?でも、本当にいいんですか?あの、僕の事なら気にしなくても」

「あら?そんなに私と2人で飲むのが嫌なんですか?それならここに残りますけど?」

「そんなわけないじゃないですか!」

「じゃあ、問題ありませんね」

 そう言いながら藤崎は、鞄から財布を取りだそうとしたが、その鞄の側面に間宮がそっと手を当てた。

「場所を変えさせてしまったお詫びに、ここは僕が支払っておきますので行って下さい」

 間宮がそう言うと、会計をしようとしていた関が、何も言わずに元の仕事に戻って行った。

「ありがとうございます。それでは遠慮なくご馳走になります」

 そう間宮に礼を言うと、奥寺と店を出ようと歩き出した時、

「あ!その前にトイレ行かせてください」

 奥寺はそう言って、間宮と藤崎に視線を送りながら、手洗いに消えて行った。

「奥寺先生は藤崎先生にアタック中なんですよね?」

「えぇ、あの人は気を使いすぎなんですよ。まぁ、その原因は今までの私のせいでもあるので、何も言えないんですけどね」


 あはははは!


 こうして藤崎と笑い合えたのはいつ以来だろうか

 久しぶりに彼女の自信に満ちた顔を見た気がする。

 だから、今から言おうとしていた言葉が喉まで来ているが、中々出て来てくれない。


「いいですよ、気にしないで下さい」

「え?」

 言葉が出てこなくて、少し眉間に皺がよっていたと思う。

 そんな時に藤崎からそう言われて、何の事か理解出来ずにポカンとしながら、隣に立っている藤崎の顔を見上げた。


「選択枠に私の名前がなかったって事は、そうゆう事ですよね?」

 やはりさっきの松崎が話していた事を聞かれていたようだ。

 軽く息を吐いて、間宮はいつもの表情に戻して口を開く。

「……ええ、そうゆう事です」

 それだけ伝えると、藤崎は少し俯いてカウンターの席の椅子に付いている、小さな背もたれをギュッと握った。


「すみません!お待たせしました!」

 奥寺が一切、空気を読めていないタイミングで間宮達の元へ戻る。

 この辺りは合宿の時と変わらないなと、間宮は奥寺に見えないように顔の向きを変えて苦笑いを浮かべた。


「……答えてくれてありがとうございました」


 隣に立っていた藤崎は少し間宮に近づいて、間宮にしか聞こえない程の小声で呟くようにそう言った。

 最後の語尾の方は、僅かに掠れるように聞こえた。

 でも、最後までしっかり言ったのは、藤崎なりのケジメだったのではないかと思う。

 だから、今、心の底から願っていた事を藤崎と同じ位の小声で伝える。


「幸せになって下さい」


 そう言った時、更に小さい声が聞こえたような気がした。

 ただ、店内に流れているジャズの音楽に溶け込んでしまうような声音だった為、気のせいだったかもしれない。

 でも、聞き違いでない事を願う。

 藤崎は最後に一言だけ言ったはずだ。


「……はい。間宮さんも」


 藤崎は握っていた背もたれをポンッと軽く叩いて、近寄っていた距離を元の位置に戻した。


「大丈夫ですよ。それじゃ、行きましょうか」

「そうですね!」

 奥寺は近づいてくる藤崎の表情が、さっきまでと違う事に気が付いた。

 それは、今まで見た事がないほど、清々しい表情で奥寺はその美しさに言葉を失っている。


「それじゃ、間宮さん御馳走様でした」

「いえ、気にしないで下さい」

 言葉を失う程、ドギマギしている奥寺を他所に藤崎は間宮の方に振り向いてそう話しかけ、手をそっと間宮に差し出した。


「それじゃ、また」

「はい、また」

 そう言って間宮は差し出された手を握り握手を交わす。


 握手を終えた藤崎は、そっと間宮の手を離して奥寺の方に向きを変える。

「あ、それじゃ、間宮さん!失礼します!」

「はい、さようなら」

 奥寺はそう間宮に挨拶を済ませると、移動を始めた藤崎の後を追うように出口の方に振り向いて歩き出した。


 立ち去っていく藤崎の後ろ姿を見つめながら、間宮は思う。


 それじゃ、また……


 その言葉に秘められた思いを


 確かに今後、また会う機会はあるだろう。

 だが、物理的に会うとゆう意味で、気持ち的には会う事はもうない。

 次に会った時は、藤崎の心は自分には向いていない。

 それは最後に見せた、藤崎の顔を見れば分かる。


 自分にとって藤崎は想い人ではなかった。

 だが、大切な人なのは変わりはない。

 だから、藤崎の後ろ姿に願う。

 彼女には幸せになってほしいと……

 フッておいて自分勝手な事を言っているのは自覚している。

 でも、心からそう思うのだから仕方がない。


 そんな事を考えていると、出口のドアが開き藤崎が外に出ようとした時、間宮の方を横目で見て、小さく手を振って店から出て行った。

 さっきまで隣にいた藤崎の香水の残り香が鼻に届く。

 初めて出会った合宿、施設の中庭で彼女に怒った事、帰りの駅で不意打ちで頬にキスされた事、彼女の自宅前で気持ちを伝えられて、気持ちを拒んで冷たく突き放した事。

 彼女と過ごした事が、頭の中を駆け巡る。


 そして間宮は藤崎に感謝する。

 こんな男が言った事を信じて努力した事に

 こんな男を認めてくれた事に

 そして、こんな男を想ってくれた事に


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーー

 ーーーーーーー


「何か話の腰を折られたな」


 立ち去った藤崎の事を考えていると、いつの間にかトイレで姿を隠していた松崎が戻ってきていた。

「気を使わせてわるかったな」

「いや、別に」


 カウンターに置いてあった飲みかけのカクテルを飲み干して、関におかわりを告げて席に着いた。


「まぁ、あれだ……お前が2人の事を何も考えていないはずないもんな。余計な詮索は止めておくよ」

 藤崎が来る前に、瑞樹と優希の事をどうするのか聞こうとした松崎だったが、話の腰を折られて、改めて聞く気になれずに諦めた。


「そう言ってくれると助かるかな」

「でも!後悔のないようにな!」

「あぁ、サンキュ!」


 関が次のカクテルをカウンターに置いたグラスを、手に持って間宮のグラスに付き合わせた。


「んじゃ!これからは、間宮の夢が叶ったお祝いだな!」

「バッカ!夢じゃなくて目標だっての!」


 あはははは!


 その日、終電ギリギリまで二人で色々な事を話して飲んだ。

 あと、数か月もしたら、この時間も手放さなくてはならない。

 寂しくないと言えば、勿論、嘘になる。

 だが、もう決めた事だ!後悔はない。


 戦友で、親友である松崎には、感謝してもしきれない恩がある。

 いつか、この借りをキッチリと返せる男になる時を新たな目標をして、間宮は再び松崎のグラスに自分のグラスを突き当てた。


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