黒い少年
ラウルス皇国までの話。ハイル目線。
ロサからラウルス皇国へ向かう途中。爽やかな緑の中に異質な黒を見たのは、丁度半分過ぎたくらいだった。
その黒は、冒険者風の身なりをした小綺麗な少年だった。黒い服とマントに身を包み、腰にはウエストポーチと短剣を装備していた。髪や瞳だけでなく装備まで真っ黒では怪しく感じるのも無理ないだろうが、怪しさより先に困惑し混乱してしまった。
少年は意識混濁状態だったのだ。マリーに頼み彼に回復魔法をかけさせると、記憶に少々障害が残ったようだが名前などは聞き出すことが出来た。
「リョータ、です」
黒い少年は、名をリョータというらしい。
リョータは本当によく笑う。親はなく、仲間がいるかも分からず、記憶が所々欠けてしまった彼は、それでも笑顔を欠かさず最後まで明るかった。
こんな頼りない少年がたった一人あんなところにと最初は同情ばかりしていた俺たちだったが、それは少し改めさせられることとなった。
ラウルス皇国までの6日間、欠けた記憶や知識を取り戻そうとしてか、彼はしきりに俺たちに情報を求めた。あれは何だ、これは何だ、と片っ端から問いかけるのだ。それは知っていることの確認と、知らないことや忘れてしまった知識の吸収をしているようだった。
どんな些細な事も聞き逃すまいと前のめりでニコニコと話を聞く姿は、まるで何も知らぬ幼子のようだと思うくらいだった。背もそれなりにあり歳は23だと言っていたが、身体の線も細く幼顔で、とても成人済みの男とは思えない素朴な可愛らしさがある。それもあってのことだろう。
しかし、常に笑顔で受け答えしていたものの、旅にも野営にも慣れていないようで日に日に疲れが溜まっていっているようだった。夜もあまりよく寝付けていないようで、数度あった戦闘も恐怖や戸惑いからか動けなくなっていた。
印象的だったのは、4日目の夜だ。その日、あと1日半日程でラウルス皇国に到着するあたりで日が落ち野営となった。
「今日の夕食、俺に任せていただけませんか?」
聞いたところ、同行の礼に料理を振舞いたいそうだ。断る理由もないので了承すると、彼は笑顔で俺たちに礼を言い、いそいそと鞄を漁り始めた。
「ん? 食材ならそっちのバックに…」
「ああ、いいんです。調理済みのものがあって、そろそろ食べないと冷めちゃうので。是非食べてください」
作り置きしてあったみたいです、とリョータは少し申し訳なさそうに指で頬を掻いた。少しずつ記憶が戻っているようで、料理のことはマリーを手伝っている時にでも思い出したのだろう。
しかし、作り置きしてあったということは、俺たちと出会う前に作ってあったもののはずだ。それが、作ってから「そろそろ食べないと冷めちゃう」程度しか経っていないとはどういうことか。想像に難くない。
「ということは、それは[収納袋]なのか?」
「ええ、まあ」
旅や戦闘の経験がないようだし、その上通常よりかなり性能の良い[収納袋]まで持っているとなると、彼はどこぞの貴族の出なのかもしれない。
「さ、どうぞ」
その[収納袋]から取り出されたのは、大きめな木の器に入ったシチューと魔物肉のステーキ、それとまだ温かい白パンだった。
「おお、ステーキだけじゃなくシチューまで!」
「はい。簡単なものしかないんですが…」
「いやいや、十分だよ! おいしそ~」
「昨日までで分かっただろうが、旅の間の食事は保存食など簡素なものが多い。日持ちしないミルクを使っているだけでも御馳走と言えよう」
「そ、そうですか? でもなんか申し訳ないなぁ」
普通旅の間の食料として持ち運ぶのは、比較的日持ちする野菜や干し肉、黒パンなどだ。魔物などの危険があるため、本格的に調理をするのは晩のみで、朝は簡単なスープとパン、昼は干し肉で済ますことが多い。本格的な調理といっても朝とそれ程変わらず、魔物肉のステーキなどの簡単な肉料理や野菜スープが主だ。
こんなに具材たっぷりのシチューなんて、普通は大きい街か国の料理屋でないと食べられない。俺たちからすれば十分凄いのだ。
「いただきまーす」
「ん~っ! 美味い!!」
「食べるの早っ」
アーウィが半ば叫ぶようにそう言うのも無理もない。リョータのシチューは本当に美味かったのだ。
大きめの切られたホクホクの甘い野菜、バドール種のものだろう柔らかい肉、旨味の強いスープ。具が多くてボリュームがあるのでこれだけでもなかなか腹が膨れるし、パンをつけて食べても相当美味かった。いつもなら少し味気ないと思うメニューでも、十分満足感と満腹感が得られた。
「お前、凄いな」
「そうですか? 別に普通だと思うけどな…」
「もうこのまま僕らについてこない? リョータのことは絶対守るから!」
「うむ。それがいい。是非そうしてくれ」
「え、えぇ?」
双子がそう言うのも無理はない。旅と間の食事といえば、もっと味気なくて物足りないものだ。街でさえこんなに美味いシチューは食えないだろう。
となれば、食事係として欲するのは仕方のないことだと俺も思うが…。
「…店でもやりゃあいいのにな」
「え?」
思わず呟いてしまってから、しまったと思った。
「ああ、いやな。こんなに美味い飯作れんなら飯屋でもやれば絶対稼げるし、俺らもまたリョータの美味い飯が食えるのに、と思ってな」
「「「それだ!!」」」
「えぇ?」
大袈裟だなあ、と少し恥ずかしそうに笑う姿が瞼の裏に張り付いて離れなくなったのは、ここだけの秘密だ。
この先記憶が戻ろうと戻らなかろうと、リョータにはこれからどうするか自分で選ぶ権利がある。それに、若くして高性能の[収納袋]を持ち礼儀正しく人柄もいいなんて、きっと何処かの国の貴族のお坊ちゃんだ。そんな人物を危険な旅に連れていくわけにはいかないだろう。
これ以上一緒にいて仲良くなったら、俺たちは―――少なくとも俺は、離れられなくなっていたかもしれない。…それくらい、妙に惹かれている自覚があった。
俺の道とリョータの道が重なる時がくればまた会える。きっとまた会える。だから今は別れるのが正解だ、これでいいんだと、そう自分に言い聞かせた。
…これで、良かったんだよな?
[マグナ・テンプスの生活水準について]
この世界では、料理などの生活を豊かにするものより、鍛冶や戦闘方法など生きる為に魔物と戦う術を優先して研究・発展させてきた。例に挙げれば、魔法については世界中で積極的に研究されているが、科学については変わり者扱いの学者数人が研究している程度である。
平均的に見れば、生活水準は現代日本と比べやや低いものと思われる。
――― ヘルプ [マグナ・テンプスの生活について] より