ボランティア
「ああん?」
訝しげに俺は唸った。
――あんた、不幸になるよ。
そんな言葉をかけられて、つい足を止めてしまった。
今日は給料日。魅惑的な、超ハッピーな日だ。それをどうして不幸になると言われるのか?
「不幸になりたくないなら――」
銭置いていきな。
「ああん?」
再度俺は唸る。
目の前の人物からこぼされた言葉の物騒さに一度目を白黒。更に、目の前の人物が“金”という言葉から不釣り合いすぎて再度、目を白黒させた。
「兄ちゃん、名前は?」
その人物はずずいと身を寄せながら名前を催促し始める。強面のおじさまならともかく、目の前の人物はどう見ても小さなお嬢さんだった。
「おい、名乗らないのは無礼だと教わってこなかったのか?」
生意気な幼女は、赤いランドセルを揺すりながら俺との距離を詰める。いや、今やゆすられているのは俺だろうか?
だが、無礼と聞かされれば答えねばなるまい。
「えっと、時人です」
「うむ、トキトよ、このままでは不幸になるから、お布施の一つでも払っていきなっせ」
「お、おお……」
見た目に反して随分と年季の入った言葉遣いの幼女にやや気圧されていた。
「んでもさ――」
最期の理性をフル動員して、俺は反論を試みる。月に一回の給料日、今が幸せマックスなのに、お金を払わないと不幸になるんてまったく想像もつかない。
「そのさ、銭置いていって、不幸を回避できるってのが、わから……ないんだけど?」
後半は詰まりながらも何とか言葉に出来た。
バイト先でも、主張が足りないと言われている俺だが、今日は出来たぞ! と内心ほくそ笑む。
「えー、なんでーーー」
だが相手はランドセルを背負う年齢のお嬢さんだった。
歳相応のだだをこねるような言葉を聴いては、自分が何と張り合っているのか、馬鹿らしくなってしまった。
「いや、払わないとは言わないけど、払うことで――否、払わなかったらどういう不幸になるのん?」
背をかがめて、幼女と視線を合わす。年の頃に不相応な程鋭い瞳は意志の現れか。鋭い瞳はトキトを射抜く。その視線は歳不相応に強いものだった。
少女は年齢よりも大人だ――その感覚が、大学生の自分が少女の話を真剣に聴き始めていたことを納得させにかかっていた。
「うん。不幸になるってのは間違いだな。だが、このままいつも通りお金遣っても、今と何も変わらないぞ?」
「――む」
俺は心の中を射抜かれたような思いに打ちひしがれていた。
『確かにそうだ』
心内で、一人呟く。
大学では部活もサークルもしていない身だ。友達がいない訳ではないし、外に出るのも嫌いではない。だが、何となく月のアルバイト代は服やら食費やら、ゲーム代金やらに消費されていた。
「何だ。この貨幣社会に物申そうって言うのか? えっと――」
「真希だ。お前さんが言うような社会に風穴を開けようっていうのでもないが……まぁ、ついてこい」
ふっと、口元を歪めながら少女――マキは歩き出す。
ここまで関わったのだからと、ついていくことに異論はない。ないが、ランドセルを背負った幼女の後を大学生がついて行く、このことが事案につながらないかだけが不安だった。
「お前……案外すごい人なのか?」
遥かに年下の人物を前にして、俺は何だか心が折れそうでもあった。
――お、マキちゃん。今日も元気そうだね。
――あら、マキちゃん。頑張っているわね。
一時は幼女の後をつけ回すことを不審がられるのではないかと心配していたが、自分たちにかけられる声は暖かいものだった。
どうやらこの少女の行いは、本当に不幸を回避するものではないか?
月のアルバイト代を消費するだけの俺は、ここに来て、少女の言うことを信じたくなりつつあった。
そして気になることがあった。初対面の時は(今でもそうだが)キツい目をしていた少女も、道行くおじさんおばさんに答える時には歳相応の笑顔を浮かべているのだ
「よし、止まれ!」
マキから威勢の声が響いては、俺は足を止めてしまう。
少女はよたよたと動作を繰り返す――どうやらランドセルを開けたいらしい――無言でその子の手伝いをすると、マキはにっこりと笑っていた。
「うむ。説明前から、力の使いどころがわかってきたようだな。こっからが本番だぞ」
限りなく偉そうであるのに、八重歯をむき出しに笑う少女の姿はほほえましい。
「何をするんだ?」
街の人の様子から、この子どもが詐欺を働くようなこと――既にそんな悪気があるようには思えなかったが――は感じられなかった。
尋ねたのは、単なる好奇心からだ。
駅前、人通りの多いところで、マキはえっへんと無い胸を張っていた。
「聞いて驚け! 人助けだ!!」
「――は?」
何だか、鼻白む思いで、俺は疑問の言葉を出した。駅前、金、人助け――募金というキーワードが浮かんだ。
神社によくじいちゃんが行っていたが、神様は賽銭なんかせんでも救ってくれるって! と聞かされていたので、何とも言えない気分に陥る。この程度で不幸が回避できるなら世の中の人はみんな不幸にならないじゃないか。
「あ、トキト。お前今、バカにしたろ?」
「え、いえいえ、全然」
遥かに年下の人物から呼び捨てにされるが、言い返すことは出来なかった。幼女には似つかわしくない鋭い瞳に何だか射抜かれる気分であった。
「よし、見ておれ!」
ウキウキ、そんな言葉が似つかわしい様子でマキはずいずいと歩いていく。しばらく、もせずに。すぐさまその足を止めた。
駅の販売機で立ち往生していたおじいちゃんの横にマキは寄り添っている。しばらくは観察と思っていたが、おじいちゃんに赤褐色の硬貨――十円玉を渡すと、にこにことこちらへと戻ってきた。
「な?」
どうだーー、というドヤ顔で、少女は俺を見る。
「……何が?」
まったく理解の出来ない俺は、マキに疑問をまたしても投げかけていた。
「お、おまえ、バカか! 困っていたおじいさんを十円で救えたんだぞ? 何か、こう、胸のすくような、これまでのクソみたいな生活から得られない快感はなかったか?」
「……いえ、全然」
「ええーーーーーー!?」
今日一番の大きな声が俺の鼓膜を打った。
駅前の人通りが多い中ではやめて欲しい。子ども連れの奥様がこちらを見てヒソヒソ話をしているのを見て、心が折れそうになった。
「なぁ、この人助けが不幸を回避する方法なのか?」
「うむ。そうだぞ!」
「……お前、幸せ?」
「悪くないぞ? て、何で溜め息を吐くんだ?」
自分でも気づいていたなかったが、大きな溜め息を吐いていたらしい。
「あ、いや、なんでも」
適当にお茶を濁して帰ろう。そう思った。
人助けは、嫌いかと問われれば、嫌いではないと答える。だが、少女がしたように、自らの金銭を他人に預けて喜ぶ趣味はなかった。
「あ、お前、あれで終わりだと思っているな?」
「え、違うの?」
「違うは! ついて来い!」
少女は肩をいからせながら――ランドセルが邪魔で肩は持ち上がらなかったが――ずずいと再び歩き出した。
「どうだーー!」
財布を忘れてきた少年に五百円を渡すマキ。
「いや、何とも?」
「何? くそ、ついてこい」
少女はズンズンと歩く。
「どうだーーーーーー!!」
先程よりも大きな声を上げる少女。
野良猫に上げるエサ代に困っていた少女に、ペットフード代を手渡す。
「あ、はい」
どうでもいいような声を俺は上げていた。
それからもマキは、歩き続ける度に誰かを助けようとしていた。
小さな少女がすることがいいことなのか、でも金銭だけで解決しようとすることに俺は若干の疑問を呈していた。だが、何も言えなかった。
「で、次はどこいくの?」
夕焼けの中、少女が黙って歩いていた。
「うん」
「うんじゃなくてさ、俺の不幸回避はどうなったの?」
「うん……」
うんといったきり、少女は答えない。
「泣いてるの?」
「……ひぐ、ひぐ」
夕焼けの中、嗚咽が俺の耳に届いた。
「お、お小遣い、なくなった」
人助けをし続けて、少女は金銭を使い切ったらしい。
昔ながらのがま口財布を開いて、びっくりする程号泣している。
「う、うーーーーーー」
アイス食べたかった。
そんな言葉すら聞こえてくる。
後をつけ回していた自分としては、情けなくなる。
確かに今日は今までの給料日とは違っていた。
俺は頭を掻いて、決断する。
「あー、もう、俺がお前の今日の活動費を買うよ!!」
半ばヤケクソ気味であったが、この声は届いたはずだ。
「……毎度有り!」
少女の笑みはあざとい程、素晴らしいものだった。
この笑顔が見れるならいくらでもつぎこめる!
……あれ、俺、不幸になってね?