第8話 華
夢を見てる。誰かがワタシを呼んでいる。
「――。……が……なのに――な……で」
悲しい夢だと分かる。でも、それ以上に幸せな夢だとも思った。
(ああ、あなたは――)
声が出ない。ああ、そうか、ワタシは――
「――様?」
「?」
近くで声がした気がした。
「――晴菜様?」
誰かに私の名前が呼ばれている気がする。優しい男の人の声……あなたは――
「ん――誰?」
「ああ、申し遅れました。私は蒼と申します。今日からあなた様の身の周りのお世話を任されました」
「ん、んん?」
布団の中にもぞもぞと入りながら、その声を聞く。
「晴菜様、朝食の準備が整っております。そろそ――」
「!!!」
ふと、布団の上から体に触れられ、瞬間的に飛び起きた。
「ああ、おはようございます。春菜様」
隣には、濃い藍色の髪――いや、彼の名を借りるのならば、蒼色の髪の青年だろうか(?)が優しい笑顔で佇んでいた。長い髪は後ろで一本に結われており、瞳の色も着物の色も髪と同じ綺麗な蒼色だった。そして、細身で白い肌の美人さん……
(何故彼が私の部屋に?)
「その……晴菜様? まだ寝ぼけていらっしゃるのでしょうか?」
「いや、うん……たぶん、私まだ夢の中にいるみたいだから現実に戻ってきます。美人さん、ありがとうございます。充分、目の保養になりました。それでは――」
「晴菜様!? ここは現実の世界でございます! 寝直してしまっては、せっかくの朝食が冷めてしまわれます!」
私は布団の中で身を丸めた。
「晴菜様!? 晴菜様――!?」
* * *
「いやあ、すみません、蒼さん」
うっかり寝直そうとした私は蒼の必死の呼びかけに目を覚まし、今はおいしい朝食にありつけていた。
「いえ、気になさらないでください。それから、私のことは蒼で結構でございます。私はあなた様の召使ですので」
「は、はあ……そうですか」
現実離れしすぎてついていけない。
(召使……ええと、執事的な何かか? セツが昨日言ってた配慮ってやつかな? それにしても――)
「ね、ねぇ……」
「はい? どうなされましたか?」
「蒼さ――いや、蒼はご飯食べないの?」
「私は大丈夫でございます。お気になさらず」
「その……私だけ食べるのは気が引けるんだけど――」
「ああ、すみません、配慮に欠けておりました。私は部屋の外に出ているので、何かありましたらこの鈴でお呼び下さい」
「え? あ、いや、そういう意味じゃ――」
私がワタワタしている間に、スッと流れるような動作で可愛らしい蒼いリボンが付いた鈴が手のひらに乗せられる。鈴が手のひらで転がったが、何故か音が出ない。
「? あの、蒼……これ、音が――」
「はい、普段は鳴りません。これには特殊な妖術がかけられているので……。晴菜様、一度、私の名を念じて鈴を振ってください」
「???」
蒼が優しく微笑みながら私の動作を促す。
(うーん、とりあえずやってみるか……)
私は心の中で『蒼』と呼びながら鈴を振ってみた。
リーン、リーン――
「わあ、綺麗……」
鈴がその綺麗な音と共に、淡く蒼い光を発している。
そして、それに共鳴するように、蒼が付けている銀色のイヤーカフスが蒼い光を発していた。
「なにか御用の際にはこれでお呼び下さい。どこにいたとしてもすぐに駆けつけます」
「あ、ああ、うん、ありがとう……ございます」
「それでは私は部屋の外で待機しておりますので――」
「あ、ちょっと待って、ここにいていいから!」
「いえ、晴菜様のお食事の邪魔をしてしまっては本末転倒ですので――」
「いや、邪魔じゃない、邪魔じゃないからむしろいてください!」
(むしろ部屋の外で待たせてる方が申し訳なくなるよ!)
私の言葉に、蒼は一瞬驚いたような表情をしたあと、また元の位置に控えた。
「それでは、ここに――」
蒼の行動にふうっと一息ついた時、私はあることを思い出した。
「と、ところでさ……一昨日の怪我、大丈夫?」
「怪我?」
「うん、セツに……その……蹴られてたでしょ?」
そう、あの時蹴られていた大きな青鬼――セツはその鬼を蒼と呼んでいた。
「ああ、大丈夫ですよ。セツ様も仕事に支障がないよう、いつも加減してくれるので問題ありません」
(加減してた? あれで? すごい音してたような気が……)
「それにしても、よく気づかれましたね。昨日は鬼の姿だったので、今とまったく違う姿だったと思うのですが――」
「え? あ、うん……なんとなく?」
そう、なんとなく……直感的に思い出したのだ。
「さようでございますか」
蒼が優しく――だけど、少し寂しげに笑った。
「?」
「ところで、朝食は晴菜様のお口に合いましたか?」
「うん、すごくおいしい! この卵焼きとか、もう絶品だよ!」
蒼の問い掛けに、私は元気よく答えた。蒼のあの表情の理由は分からないけど、今は目の前のおいしい朝食に箸が止まらない。
「それは良かったです」
「そういえば、こっちの世界の料理って、私が元いた世界の料理と同じようなものが多いんだけど、何かあったりするのかな?」
「何か……ですか? 一応、晴菜様のお口に合うように人族の料理を参考にさせてもらいましたが――」
「人族? 私がいた世界の料理を参考にしたってこと?」
「いえ、晴菜様がいた世界の文化は存じあげません」
「え? でも、人族ってこの世界にいないんでしょ?」
「はい、今はいません。正確には絶滅してしました」
「絶滅――じゃあ、元々はこっちの世界にも人族がいたってこと!?」
「はい、数十年前までは非常に小規模ですが集落もありました。私はそこの料理を参考に作らせていただいています」
「そっか、どこの世界も人間は同じような食べ物に行き着くのかもね――って、蒼がこの料理作ったの!?」
「はい、僭越ながら」
「蒼……」
「はい」
「うちにお嫁に来なさい」
「はい?」
「私の胃袋はがっちり捕まえられたってことだよ。お兄ちゃんも料理が上手だったけど、蒼、あんたもすごい! この私の舌を満足させるだけの技量があんたにはある!」
「は、はあ……その、晴菜様」
「うん、何?」
「私は男なので嫁にはいけませんが、召使としてならばお供しますよ?」
困ったように微笑みながら小首を傾げる目の前の美人さん――これぞ、日本美人。まあ、髪も瞳も黒くはないけど……。清楚で可憐、そして一歩引いたところから相手を思いやる美しさ――
(地球にいるお兄ちゃん、マジごめん。ここ、めっちゃ最高です! セツは微妙に怖いけど、蒼は天使です。鬼に変身したらゴツイけど、今の姿はマジで天使です!)
◇ ◆ ◇
障子から差し込む光が部屋を照らす。
(やることが何もない……)
よくよく考えたら、私は地球ではいつも何かしらしていた。宿題をやったり、バイトしたり……こんなにボーッとした時間を過ごしたことがない。まあ、ようするに――
(暇――めっちゃ暇)
安全な生活はいいことだが、さすがにこれだけ暇だと何か仕事が欲しい。
ギシッと障子の前で床が軋む音がした。
「少しいいかい?」
セツの優しい声が聞こえ、私はスッと障子を開いた。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと散歩しないかい?」
❅ ❅ ❅
セツの申し出は願ったり叶ったりで、私はすぐ了承した。行き先はセツの屋敷の庭だった……。
色とりどりの花々が花壇で咲き乱れている。私はそのあまりの美しさに言葉を失っていた。
「これ……」
よく見ると、知っている花もあった。
「カスミソウ? でも、これ……ピンク色?」
「それが気に入ったの? はい、どうぞ」
私が気に留めた花をセツは手折って私へと差し出してきた。
あ――これ、私知ってる。
ううん、違う、ワタシ――わたし――知ってる。
いろんな感情がごちゃまぜになる。とりあえず、一つ分かったことは、前世で同じことがあったこと……。
でも、その時どんな反応を示した?
分からない――何が正しいのか――
「ッ――」
同時に溢れてきた二つの感情――嬉しさと怒り……
(なんだろう、これ……私の気持ち? それとも――)
セツの行動は嬉しい。でも、簡単に生命を摘んでしまうその行為に怒りも感じる。
私は――
➊ 喜ぶ
➋ 怒る