第5話 異世界のコトワリ
さて、私が今やるべき事とは?
コクウは私に選択肢をくれると言う。そして、元の世界に帰るためにはこの世界の住人の協力が必要だということも分かった。それなら、私が次にコクウと会う時までやる事は――情報収集だ。
私はこの世界についての事をまだ何も知らない。
(まあ、昨日の夜ここに来たばかりだし……)
廊下の床が軋む音が聞こえ、私は反射的に障子の方を見た。日の光に照らされて男の影が浮かぶ。
「?」
影が揺らぎ、一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、得体の知れない化け物のように見えた……
「セツだけど……入って良いかい?」
「あ、どうぞ」
障子が開き、日の光が容赦なく部屋へと侵入してくる。
「ああ、ごめん、眩しかったかい?」
「ちょっとね。ところでセツ……それは?」
セツが片手に持っている大きな箱と大量の紙袋に若干引きながら尋ねると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、君用に新しく服を仕立てさせたんだ。君は綺麗だからどんな服だって似合うんだろうけど、どれが良いかな?」
「ええと……」
(この人の目は腐っているのかな……てか、コクウもコクウだ。私のこと可愛いとか――うん、きっとこの世界の住人は基準がおっそろしく低いんだ)
私は絶世の美女でも、可憐な乙女でもない。
普通の――いや、普通よりもちょっと低いレベルの女子高生だ。
それなのに、目の前の見目麗しい男性は私を綺麗だと褒める。
(なんだい、それは……嫌味かい?)
最終的に、なぜかそんな卑屈な結論が出た。
「これなんてどうかな?」
私の思考が完全に他のところに向いている時、セツが綺麗な桜色の着物を私へと合わせ、大きな鏡の前へと立たせる。
鏡の中のさえない顔の私は当然ポカンとしながらこちらを見ていた。
「うん、やっぱり綺麗だ」
耳元で囁くように呟くセツ。私は今、彼に抱きしめられているような体勢である。
自分が置かれた状況を理解した途端、身体の熱が一気に顔へと集まった。
「ふふ、君のほっぺ、着物と同じ桜色だね。可愛い」
「う、うるさい! てか、離れて!」
私は桜色の着物をセツへと押し返し、距離を取る。
そして、クスクスと笑うセツをひと睨みし、一呼吸おいて話す。
「あのね、セツ、私……この世界の事について知りたい」
「……へぇ、どうして?」
セツは笑顔を崩さないまま、私の真意を探るような鋭い視線を向けてきた。
「私はここに住むことになるんでしょう? それなら、私が生きるこの世界について知りたいって思うのは、当然な事なんじゃない?」
私はセツの綺麗な金の瞳をしっかりと見据え、言い切った。
(ここで動揺を見せれば、セツは『君は知らなくても良い』と言って教えてくれないかもしれない……)
外の世界を知ってしまえば、ここから逃げてしまう可能性がある――セツがその可能性に気付き、外との情報伝達を妨げてしまえば、私にはどうする事も出来ない。
(まあ、最終手段として、コクウに聞くという手が残ってるわけだけど――その分、今後の見通しを立てるのが遅くなっちゃいそうなんだよね……)
「良いよ、教えてあげる」
「え!? 良いの!?」
セツがあっさりと承諾してくれたことに驚きながらも、変に手間取らずにすんだことに安堵する。
「うん、君にはこの世界がいかに危険で、俺のそばがいかに安全かを知っておいてもらいたいからね」
「ああ、うん?」
(なんか不穏な言葉が?)
「まず、この世界――『グレイス』にはね、人族はいないんだ」
「?」
「つまり、妖怪や化け物の類が住む世界ってことだよ」
セツの言葉に思わず頭を抱えたくなるが、グッと堪えた。異世界なんだからそんな展開があってもしょうがない――うん、絶望的な状況な気がするけどね!
とりあえず、私はとりわけ気になった質問をセツにする事にした。
「つかぬ事お聞きしますが、セツは……ええと……何の種族?」
「鬼だよ。昨日、青鬼を見ただろう? 俺は鬼一族の統率者なんだ」
「え、でも――角とかは?」
「君が――いや、うん……俺は戦闘時にしか本来の姿に戻らない様にしているんだ。皆から怖がられてしまうからね」
「そうなの?」
(妖怪とかなら、怖がられて何ぼのような気もするんだけど……そこら辺、気にするんだ)
「まあね。俺の通り名から分かるように随分な言われようだよ? 羅刹とか、鬼神とか、殺人鬼とか……はっきり言って、皆は俺を何だと思ってるんだろうね?」
セツの言葉に、そのまんまの意味だと思いますけど――とは、口が裂けても言えなかった。
「あと、雪のように冷たい心を持った鬼って意味で、雪鬼とも呼ばれているね」
「雪鬼?」
「うん」
「私……呼び名の中で雪鬼が一番好きかも」
「そう?」
「なんか……しっくりくる」
「え、それって――」
「あ、いや、冷たい心って意味じゃなくって、雪ってさ、ふわふわしてて何だか温かい感じがするでしょ?」
「温かい? 俺が?」
セツが目をぱちくりさせながら、まじまじとこちらを見て来た。
その問いかけに対し、私はコクリと頷いた。
セツが時折見せる怖さは分かっていた。
でも、それ以上に、ワタシを大切にしてくれている事も分かっているつもりだ。
それがたとえ、私自身ではなくとも――
だから、私は金色の瞳を見据え、素直に言った。
「それからね、純粋で、よどみがなくて、すごく――すごく綺麗なの」
私の言葉を聞いたセツは、面食らったような顔をした後、急に笑い出した。
「ハハ、まさか、そんな風に思ってくれていたなんてね。君は――君から見た俺は、きっとひどい奴なのに――」
「!?」
初めて――初めてセツが私自身を見てくれたような気がした。
着物を持っていない方の手で前髪をぐしゃっとさせた彼。
その隙間から見えた彼の表情は切なげで――見ているこっちが苦しくなった。
私は目の前で悲しげに笑う彼を抱きしめたくなるのをグッと堪えた。
彼が欲しているのは、私ではない――
「いや、ごめん。話の続きをしようか」
「あ、うん……」
いつの間にか余裕の笑顔を取り戻した彼は持っていた着物を白いテーブルに置き、私に椅子へ座るよう促した。
「まず、この世界には三つの大陸と一つの海域があるんだ」
セツの手から青い炎が現れ、十字型の丸みを帯びた形が浮かび上がる。十字型の中心部にはぽっかりと穴が開いていて、まるでドーナツのようになっている。それが、今、私のいる世界の形状のようだ。
「この左の出っ張り――つまり、西側にある大陸が、俺達『妖怪』と呼ばれる種族が暮らしている妖園大陸」
セツの言葉と共に炎が揺らめき、西の大陸が淡い光を帯びる。
「そして、ここ妖園大陸には、北を治める俺達鬼一族と南を治める妖狐一族がいる。北の国――つまり俺が治めている国は北陰、南の国は南陽と言って、綺麗な国境線が引かれているんだ」
青い炎の中、大陸の真ん中から分断されるように、北側が黒、南側が白に染まる。
「まあ、妖狐一族は表面上友好的だけど、どうも裏では妖園統一を目論んでるみたいだから……そのうちこの国境線も変化するかもね」
セツがニッコリと笑った後、妖園大陸の国境線から染み込むようにじわじわと黒色が広がった。
「もちろん、勝つのは俺だけど――」
金の瞳が一瞬だけ発した鋭い光に、自身の身体が強張ったのが分かった。
「ああ、安心して、妖狐一族なんかには指一本触れさせないから。そう――もし、君に触れようものなら、一族皆殺しにしてやるから」
セツは炎が揺らめいている手とは反対の手で、愛おしげに私の事を撫でながらそんな事を言った。
(…………ねぇ、地球にいるお兄ちゃん、どうしよう……)
この人、怖いようぅぅぅ!!
あ、セツは人じゃなく鬼だっけ?
鬼って基本こんな感じなの?
鬼の愛情ってこんなヤンデレ――いや、むしろただただ病んでる――なの!?
私はセツの優しい手と、その内なる想いのヤミ具合に混乱していた。
(私が震えてたのはあんたが原因だよ!? 妖狐よりあんたの方が怖いよ!?)
と、口まで出かかったが、優しげな金の瞳を見ていたら――
「ああ、うん――とりあえず、そんな物騒な事はしないで」
という事しか言えなかった。しかも、私の目は明後日の方を向いていた。
「君が望むなら、そうしたいよ? でも、本当にそんな事になったら……俺自身、俺を抑えられるか――」
「抑えて! 頼むから抑えて!!」
そんなんじゃ、屍累々になっちゃうって!!
てか、この間クロウと会った時、手――捕まれたよね?
あの時はちょうどセツが現れる前に自分から手を振り払ったから良かったけど……
そこまで考えて、サァッと血の気が引く。
(もしかして、危うく血の雨が降るところだった?)
視線をセツの方に戻すと、彼はニコリと微笑んだ。
私は、引きつった笑顔を彼に送った。
(もう、何も言うまい……)
「話がそれちゃったけど、今度は俺達の国に隣接するもう一つの国――いや、大陸を紹介するね」
セツの右手に宿る青い炎が揺らめき、今度は十字型の上の出っ張りが淡く光った。
「ここはヘル・ヘイム――いわゆる、魔界だよ」
「魔界? それって――あの、魔物とか悪魔とかがいる感じの?」
「そう、イメージはそれで合っているよ。陰鬱とした空気が立ち込め、君では敵わないような異形のモノがたくさんいる。この土地が……一番危険だ」
セツの真面目な説明を聞きながら、私はどうでも良い事に思いをめぐらしていた。
……そもそも、魔物&悪魔と、妖怪の違いは何なのでしょうか、セツ様?
私にはどちらも異形のモノなんですが?
いや、うん、聞けないけどね。きっと一緒にしちゃダメな何かがあるんだよね。うん……。
私は一人、心の中で納得し、魔界大陸(?)へと目を向けた。
「彼らは総称して『魔族』と呼ばれているんだ。魔族には階級があって、上位の奴らはそれなりに美意識が高かったり、話を通しやすかったりするんだけど、下級の奴らは見境がないから、遊びに行く時は俺の傍を離れちゃだめだよ?」
「遊びに行く?」
「だって、流石にずっとここにいるのは退屈だろう? 今はちょっと忙しいから不自由な思いをさせちゃってるけど、今の仕事が落ち着いたらこの世界を案内したいと思ってるんだ」
嬉しそうに微笑むセツに、胸が痛む。
私は――ワタシは――
セツを置いてここから出られるのかな?
痛む胸を抑えていると、ヘル・ヘイムの真ん中に大きな西洋風のお城が浮かび上がった。
「これが、いわゆる魔王城だよ。まあ、上級魔族が住んでいる城だね。ここ以外にも、ヘル・ヘイムのあちこちに城があって、そこには上級・中級魔族が暮らしているんだ。それから、いたる所にある森には下級魔族が住み着いているから、気を付けてね」
西洋風のお城――綺麗だけど、なんか出そうな雰囲気……てか、魔族が住んでるんだから、もろ化け物屋敷か……。
「あ、そうそう、君が欲しいって言うんなら、下級魔族をペットとしてプレゼントしようか?」
「は?」
「君、そういうの好きだったよね?」
「いやいやいや!」
「遠慮しなくて良いんだよ。どんなのが良いかな? あんまり大きすぎてもあれだから、ちょっと小ぶりになっちゃいそうだけど、ちゃんと躾けてからあげるね」
「いらないよ!? てか、魔族って危険なんでしょ!?」
「下級魔族もちゃんと調教すれば危害は加えないよ。それに、契約すれば良い事だしね。――ああ、でも、君がそのペットに夢中になってしまったら、俺が殺しちゃうかもしれないから――やめた方が良いのかな?」
少し困ったように笑うセツに、再びゾワッとした。
(いやいやいや! そんな怖い事サラッと言わないでよ! 愛(?)が重すぎる!)
「まあ、君が寂しくないようにもっと色々考えるね」
セツが、私の目元を優しく指でこする。
今は泣いてなどいないのに、彼があまりにも泣きそうな表情をするものだから、思わず涙腺が緩む。
(……な、泣いたりなんかしないからな!? てか、そんな表情に騙されないぞ!!)
私は心に強くそう思いながら、震える唇を動かした。
「そ、それよりも、次! 下の――南の大陸って?」
「ああ、南陽と隣り合っている南の大陸は、アルフ・ヘイム。妖精の国だよ」
「妖精――」
どうしよう、お花畑でウフフ、アハハな私が想像できない……。
「ここもまあ、危険ではあるね」
「うん、主に私の精神が無事じゃなさそう……」
「そう、ここは精神力が強くなくちゃ、妖精族の世界に引きずり込まれちゃうからね」
「え?」
まさか、私の考えてる乙女チックな妖精像と違う?
「え、俺、何か変な事言ったかい?」
「い、いや、どうぞ、説明を――」
流石に、お花畑な頭の中の話はしたくない。
「? まあ、君も知っての通り、妖精――まあ、妖精族を含む精霊族全般に言えることではあるけど、彼らは自分達以外の種族を毛嫌いしているんだ」
(すみません、初めて知りました)
「だから、異分子を排除しようとするんだ。でも、彼らは血や争いを好まない」
(……なんか矛盾してるような?)
「そのため、彼らは排除したい者の精神に直接働きかけ、勝手に息絶えてもらうよう仕向けるんだ」
(…………すみません、お花畑な妖精さん馬鹿にしてマジすんません! だから戻ってきて! アハハでウフフな平和な妖精さん!!)
「そんな訳で、妖精族の国は別名、永遠の悪夢――エターナルナイトメアって呼ばれているんだよね」
(こえぇよ! 妖精族、マジでこえぇぇよ!!)
正直、泣きたい。希望が皆無なんですが?
「そして、最後に……ここが海域」
青い炎の中、右の出っ張りが淡く輝く。
「海?」
「そう、そして、ここは始まりの大地とも言われてるんだ」
「え? 海なのに?」
「元は大陸だったんだよ。そして、この真ん中には世界創設の巨木があるんだ。その木の根が綺麗に北と南の海を分けていて、北には魚人族や怪魚、南には人魚族が住んでいるんだ」
……魚人と人魚って別なんだ――まあ、人型の魚なのか、魚部分を残した人なのか、色々違いはあるんだろう。うん……。
私はどうでも良い事を考え、現実から逃れたくなった。
「ちなみに、この世界の真ん中の黒い空間と、大陸や海域の外側の白い空間は、異次元と呼ばれていて、見えない壁みたいなもので分断されているんだ。そして、それらの境目の事を、俺達は『境界』って呼んでる」
はい、分かりました。逃げ場はないって事ですね。
その結論に至った私は、頭を抱えたくなった。
ぶっちゃけ、私一人でこの世界で生きていける気がしないです。どうしましょう?
「ねぇ、これでこの世界については話し終わったけど――分かったかな?」
「うん、説明ありがとう。分かりやすかった」
「良かった――じゃあ、もうどこかへ行こうなんて思わないよね?」
「うん?」
「ふふ、だからね、君が安心して安全に暮らせるのは俺の傍だけなんだよって事だよ」
セツはギュッと手を握り、青い炎を消した。話しているうちに随分と時間が経過していたらしい。薄暗くなった室内に薄ら朱が差し込む――
「ねぇ、俺はね、君の為ならなんだってしてあげるよ? だから――」
室内に差し込んだ夕日のせいでセツの顔が陰った。
「君はずぅっとここにいてね」
鋭く光った金色の瞳が私を捉えて離さない。彼の言葉が纏わりついて離れない――
私は、喉に何かが張り付いたように声が出せなかった。
そして――血のように赤い夕日をバックに、にっこりとほほ笑むセツが、私はただただ怖かった……。