第22話 人族の血
「人族は弱小だけど異種族との間に子をなすと、子の能力を増幅させることができるんだ。そして、生まれた子には人族の血は一切流れてない――つまりはね、純血種の子供が生まれるんだよ」
「……は? いやいや、ちょっと待って! 子の能力を増幅させるのは百歩譲って、まあ、そういった特性だってことで納得はできるけど、純血種が生まれるのはおかしくない?」
地球の常識と同じならばの話だが【純】と付くからには、他のモノが混ざってはいけないはずだ。
「良いところに気が付いたね。そう、普通生まれるのは混血種のはずだよ。でも、人族の血は特別なんだ」
妖艶に微笑んだ彼の手が、スッと私の首筋に伸びてきて、サッと血の気が引く。
「と、特別って――正直、私は全然特別な血なんて持ってないからね! むしろ他の種族の血に押し負けちゃうような血なんだけど!」
「ああ、ごめん。もしかして怖がらせたかな? そんなに身構えなくていいよ。それから、君が言ったことは大正解だよ」
彼はフッと満足気に笑うと、私の喉元をゆっくりと撫でる。その手の動きに合わせ、背筋がゾクゾクする。
「個性が薄いから他種族の血に混ざっても消えてしまうんだ。そして、その瞬間、人族以外の血だけが活発化する。これは同族間でもできなかったことなんだ。同族でも多少の違いはあるからね……互いの血の本質をどこかで打ち消してしまう。それなのに、人族の血は他の血の本質を消さず、本来の力全てを宿した種族の集大成を生む」
彼の指がゆっくりと首から下にさがり、トンッと私の胸の間を軽く押した。
谷間がないのが悲しいが、胸付近に彼の手があるのにいやらしい感じは一切しない。むしろ、心臓に刀の切っ先が向けられているかのような感覚に、寒気が止まらない。心臓がバクバクと嫌な音を立て続けている。
「晴菜、君はね。今俺が話した人族そのものだよ? そして、君はその存在だけで様々な種族から狙われる。もちろん、子を産む道具として……ああ、そう言えば、前に人族が滅びた話はしたよね?」
彼は私の怯えを察してか、子供に言い聞かせるように優しく微笑む。
(そんなことしても、あなたの話の内容と行動のせいでまったく恐怖状態から脱することができませんがねぇ!?)
心の中で叫んでみるが、なんとも情けないことに、体が小刻みに震えるのを止めることができない。
(人族の滅びの原因――そんなの、今の話からなんとなく分かってしまう……)
セツの言わんとしたことを察した私がさらに顔を青ざめさせると、彼は満足そうに頷き、笑みを強めた。
「あれはね、たくさんの種族が人族を手当たり次第に乱獲したからさ。今言ったように、人族の血は他種族に混ざれば消えてしまう。つまり、人族同士がツガイにならなければ、人族は産まれないんだ。そして、君は最後の人族――この希少さが分らない君ではないだろう?」
セツの金色の瞳が楽しげに細められた。まるで、ほら、逃げられないだろう? とでも言うように……
私はされるがままになっているのが嫌で、思わず私に触れたまま動かないセツの手首を掴んだ。
「――でも、外出した時、誰もそんな風に血走った目で見てきたりとかしなかったよね」
「そりゃ、随分と前に滅びた種族だからね。生き残りがいるなんて誰も思わないだろう? ああ、でも、安心しないでね。俺のように力ある者にはばれてしまうよ? 君は妖力、魔力、霊力のどれもが備わってないんだから」
今度は反対側の手でスッと頬を撫でられ、ビクッと体が震えてしまう。
「ふふ、少し話が逸れてしまったね。話を元に戻そうか」
セツの熱が私から離れていき、内心、ホッと息をつく。セツに触れられるのはどうもいろんな意味で心臓に悪い。
「弱小鬼だと言われ蔑まれ続けた俺はね。ある日ふと気付いたんだ。弱小なのは彼らの方なんじゃないかってね。妖の世では力が全てだ。だから、力で全てをねじ伏せることにしたんだ」
セツは手持無沙汰だったのか、フッと左手を振り、空中に淡く光る青い蝶を出した。蝶はヒラヒラとセツの部屋を舞う。
「まあ、もともと綻びかけてた一族だったしね。最後は全てただ切り捨てたよ。そのガチガチに凝り固まった古い因習ごと」
蝶を見つめるセツの瞳が寂しげに見えて、私は思わずセツの服の裾を掴んだ。彼が何を思ってそんな表情になったのかは分からないが、彼の寂しげな想いを少しでも和らげたいと思ってしまう。
(さっきまであんなに怯えていたはずなのに……なんで私は……)
説明のつかない切ない胸の痛みを振り切るように、私は口を開く。
「セツは――それが必要なことだと思ったの?」
私の言葉に、セツが目を丸くした。
「そう……だね。まあ、ただ、色々と煩かっただけなんだけど。俺はあの場所が――嫌いだったから」
彼は近くに来た蝶をグシャッと握りつぶす。淡く青い光の粒子が跡形もなく散っていく。
それは術で出されたモノで、生き物ではないことは知っていた。でも、そうして散りゆくカケラがまるで命の散る様子のように思えて、どうしようもなく胸が痛んだ。
「騙し合いに妬み合い、正直、息苦しかったよ。責任の押し付け合いばかりでいつも言い争って、俺からしたらどいつも同じにしか見えないのに些細なことで言い争って、派閥なんか組んで、少数の意見を握りつぶして――本当に見苦しかった……だから、壊したんだ、何もかも。魔族のように不動のトップがいるなら、外にも目を向けられるからね」
「……内輪もめで他の種族から目を付けられないように、セツがトップになったってこと?」
幼少期に不当な扱いを受けていたから、家族を皆殺しにしたのかもしれない――と心のどこかで思っている反面、なんとなく、もっと正当な理由が欲しいと望んでいた私は、その言葉にすがるようにギュッとセツの服の裾を握る力を強めてしまう。
(セツは、鬼の一族を敵から守るために仕方なく……そう、きっと本当に仕方なく家族殺しを――)
「ふふ、君は思ってることが顔に出てしまうようだね」
私の考えは、セツに一笑された。
「でもね……残念ながら君が思うようなことを俺に期待しない方がいい」
セツは、やはり寂しげな顔で、自傷気味に笑う。
「内輪もめで他の種族から目を付けられないように――まあ、主に妖狐一族を弾圧するために俺がトップになったっていうのは正解。でもね、俺は俺の家族を切った瞬間、なにも感じなかったんだ」
「な……にも? え? でも、普通、何か葛藤とか、もし、その人たちが嫌いでも、何か――」
「うん、何も思わなかったんだ。目的のためにただ煩くわめく連中を払うことに、ためらいすら湧かなかった」
「ッ――」
彼を責めるような言葉が口から出ない。だって、彼は――殺しに何も感じることができなかった自分自身のことを寂しいと思っている……。遠くを見つめる金の瞳が、その時のことを思い出すように寂しげに揺れている。
私が元いた世界では、確実に殺人鬼の彼を最低な奴だと罵ることができないのは、きっと彼が虚無感で心を痛めているから……。きっと――彼の心がまだ未成熟だから……。
「セツ……殺すことに何も感じられない自分を寂しいと感じられるなら、何も感じてないわけじゃないよ。『寂しい』『虚しい』って感じてるんだから」
私の言葉に、セツが驚いた顔で数度瞬きをする。長いまつ毛からのぞく金の瞳が、私の真意を探るようにこちらを見つめている。
「えっと……今はまだその重みを分からないのかもしれないけど、きっといつか分かる日が来るんだと思う。でも、その重みを知った時、あなたはすごく――苦しむんだとも思う。きっとそれが命っていうものの重みで、あなたが背負うべき罪で、あなたが……本当に知らなきゃいけないこと」
セツの服の裾を握る手がプルプルと震えてしまう。それが緊張からくるものなのか、胸の痛みからくるものなのかは分からないが、手触りのいい彼の服の裾はもうシワシワになってしまっているだろう。
「私はセツがしたことで結果的に救われた妖もいるかもしれないから、正しいとか間違ってるとか、そういうことを頭ごなしに言うつもりはないし、何かを成し得る時には犠牲が出てしまうのかもしれない。でも、その犠牲を忘れちゃダメなんだと思う。まあ、やっぱり殺しはよくないことだとは思うけど……」
セツはやはり意外なものを見るような顔でこちらを見つめたまま動かない。
「殺してしまえば、確かにそれ以上事態は悪くならないかもしれない。でも、それ以上良くもならない。その人がいることで生まれただろう【もしも】の世界をすべて壊してしまうことになる。その人の可能性を全部失くしてしまうことになる。もしかしたら、その人が改心して誰かのために心を割いてくれるかもしれない、今後何か偉大な発明や発見をするかもしれない。その【もしも】を全て失くす権利が誰にあるの? その【もしも】を失くす覚悟ができるっていうの?」
固まったまま動かないセツに、だんだん自分が何を言っているのか分からなくなってくる。
「えっと――つまり、可能性を摘むことは良くないっていうか、そもそも命っていうのは支え合っているものだから、一つの命は他にたくさん繋がっていてですね……」
徐々に伝えたいことがまとまらなくなってきて、思わず視線を下に落としてしまう。
「なんていうか、そのですね。セツは奪った命の分、その命が成し得なかった分まで頑張って生きなくちゃいけない責任があるってことで――」
(ああ、自分、かっこ悪ッ! っていうか、セツ様こっち見つめすぎ! めっちゃ、居心地悪いって!)
「君は――」
セツの震えた声に、ふと自身の真っ赤に染まっているだろう顔を上げる。
「本当に予想外の反応をくれるね……」
「ッ――」
今にも泣き出しそうな顔に張り付いた悲しげな笑み、そんな彼の表情に胸が締め付けられる。
「命の重みを理解できないなんて最低だと、心が凍った鬼だと罵ってくれていいのに……どうして、君は――」
(あ、また、あの表情だ――晴菜を初めて見てくれた、あの……)
片手で前髪をクシャッとして、切なげな金の瞳がこちらを見つめる。思わず、私はセツの手を両手でギュッと握る。
「だって、それはセツ自身がもう分かってるんでしょう?」
思いのほか、優しい声が出た。
「君は――優しすぎるよ。本当に……」
うつむいたままの彼がボソッとこぼした言葉に、私は苦笑してしまう。
私は優しくなんかない。ただ、目の前で寂しげな表情をする彼に甘かっただけだ。そして、そのことが、私にとって何を意味するかなんてことを考えたくない。だって、それはきっと、私にとってただ切ないだけのことなんだから……。




