第2話 運命は巡る
「セツ様! 大変です、鴉と犬の連中が――」
「!?」
慌ただしい声と共に部屋へと入ってきた大きな青鬼に驚き、私は声にならぬ声を上げてしまう。
「ああ、分かってるよ。すまないね、少し行ってくる。君はこの部屋から出てはいけないよ。外は危ないからね――」
セツは、優しく私へとほほ笑みかけた後、クルリと青鬼の方へと向かう。
「ところで、蒼」
「はい」
「この部屋に誰の了承を得て入ったのかな?」
私からはセツの背しか見えていないが、その場が凍るのが分かった。
「は、はい。その、緊急事態でしたので――」
「そう……」
「グハッ――」
青鬼の声と共に、ゴキッと嫌な音がなった。
「次、勝手にこの部屋に入ったら……その命、ないものと思え」
セツの冷たい一言に私の背筋までが凍る……純粋に怖いと思った。
(これが……さっきと同じ彼なの?)
私は自身の震える体を両の手でギュッと抱きしめた。
「ああ、怖がらなくて良いよ。君を傷つけるモノは全部排除してあげる」
ニコリと笑う彼に対し、私の中の何かが叫ぶ。
早く――はやく――速く――逃げなくては――
――壊れてしまう前に――
◇ ◆ ◇
「クッ――開かない!?」
セツが出ていった後、部屋からの脱出を試みようとしたが、障子が一切開かない。
(逃げなきゃ――一刻も早く!)
妙な焦燥感が巡る。
手直にあった椅子で障子を殴ってみるが、まったく壊れない。
(ワタシはもう、二度とあんな――)
そこまで考え、私はピタリと動きを止めた。冷汗が背筋を伝う。
私は、私自身が怖かった。
(あんなって、いったい……?)
ワタシは、何を知っているの?
ワタシは誰なの? 何なの?
そもそも、私はここへ来てからおかしい。
私を拉致した張本人であるセツを強く拒めず、されるがまま。
私なのに私じゃないような感覚……
異世界? なにそれ? 意味分かんない!!
私にはここへ来てからの全ての事柄が、不安で、不安でしょうがなかった――
「ウッ――この、開いてよ!」
どうしようもない想いを開かない障子へとぶつける。ギュッと握った右手で、ドンッと障子をたたいた瞬間――
パキン――と、奇妙な感覚がした。
「?」
もう一度障子に手をかけてみる。
「開いた?」
(なんで――)
開いた理由は、まったく分からなかったが、開いたのならば好都合。こんなわけの分からない場所なんかにはいれるわけない。
私は部屋を出る時、一瞬だけ――ほんの一瞬だけセツの優しげな顔が横切ったが、全てを振り払い駆けだしたのだった。
◇ ◆ ◇
(どこに……どこに向かえば――)
屋敷の者達は皆出払っているのか、全く見当たらない。見つかったら連れ戻されるかもしれないから、こちらからしたら願ったり叶ったりなのだが……これからどうしたら良いのか見当もつかない。
「もう、どうしたら良いの……誰か、誰か教えてよ――」
心が痛い――胸の奥が苦しい――
何故か泣き出してしまいたくなるのを堪えながら、私はそんな事を呟いた。
「やあ、迷子の子猫ちゃん、そんなに急いでどこに行くんだい?」
「!?」
私は突然耳元で聞こえてきた明るい男の声に驚き、立ち止まった。
キョロキョロとあたりを見まわしてみたが、辺りには誰もいない。
「誰!?」
「ああ、そんなに警戒しなくて良いよ。僕は君の敵でも味方でもないんだから」
「それ、どう反応したら良いの?」
(敵でも味方でもないって――信用できるのかな?)
「まあ、好きなように捉えてくれて良いよ」
「はあ……」
「フフ、君は……輪廻転生って言葉、知ってるかい?」
「いきなり何? ようは、生まれ変わりって事でしょ」
「そうそう、そゆこと」
「それがどうかした?」
私は男の質問の意図が分からず、暗闇を睨み付けた。
「その輪廻転生ってのは、何も君がいた地球だけの話じゃあないってこと」
「この世界でもその話があるって言うのは分かったけど……」
それがどうしたと言うのだ。
そんな異世界の事情よりも、私は早くここから出たいのだ。こんな要領を得ない言葉の応酬をしている暇なんて――
「ああ、ちょーと違うかな。地球でもこの世界でも、魂が帰るところは一つ。大きな循環系から、たくさんある世界のどれかに魂は移動されるってことだよ」
「それって、私の前世は他の世界――つまり、この世界にいた事もあるってこと?」
「フフ、のみ込みが早いね。そう、君がここへ来たのは必然」
「じゃあ、セツは――」
「ああ、そろそろアイツが来るみたいだね。一つ君に忠告しておくよ。たくさんの魂に触れ、君が何を欲し、何を求めるかを見つけなさい」
言い聞かせるような男の声に、私は思わず顔をしかめた。
「それって…………忠告?」
「まあ、一応ね。それから、君はこの世界じゃ弱い。守ってくれる、信頼できる奴を見つけた方が良い」
「それって――あなたとか?」
私は、自分の口から出た言葉に驚いた。もちろん、この言葉に驚いたのは私だけではなかったようだ。
声の主は、今までの余裕ぶりとは打って変わって間抜けな声を出していた。
「……へ? 僕?」
私は自分が言ってしまった手前、何とか理由を付けようともごもごと口を動かした。
「ええと……だって、色々教えてくれるし、忠告とやらも――」
「フ、フフ――さっきから姿すら見せないこの僕を信頼できるというの? 君は……ああ、もう本当に」
「な、何? 馬鹿だって言いたいの?」
自分でもなんでこんな事を言ったのかなんて分からなかった。
でも、それでも……
――彼は大丈夫――
なぜか確信に近い想いが胸を占めていた。
「いや――良いんじゃない? 君の心を信じてみても」
(私の心……)
男の言葉に、私は思わず胸に手を当てた。
「それに――損はさせないよ?」
「!?」
突然、耳元で囁かれ、私は咄嗟に右耳を抑えながら左へと飛び退いた。男のクスクスという笑い声が辺りに響く。
「いやあ、良い反応だねぇ。ああ、そうそう……僕はコクウ、困ったら僕の名前を呼んでも良いよ。助けに行くかどうかは別だけど」
「いや、そこは助けに来てよ!?」
「フフ、じゃあ晴菜……また、近いうちに――」
「え? ちょ、ちょっと!? コクウ!?」
いくら呼びかけても、辺りはシンと静かなままだった。
「い、いなくなっちゃった? もう、結局私にどうしろって言うの!? てか、あんな奴信じちゃっていいわけ、ワタシ!?」
叫んでも何も解決しない――そう思い、私は行先も定まらぬまま、長い廊下を再び走り出したのだった。
(そう言えば、私――コクウに名乗ったっけ?)
✝ ✝ ✝
晴菜が走り去った後姿を見ながら、一人たたずむ青年。
「今回は、今回こそは、絶対に幸せになって――」
月明かりに照らされた廊下で、赤い髪の青年は祈るように銀色のクロスに口づけをした――
✝ ✝ ✝