第16話 解呪は心臓に悪い
(ここは――夢?)
世界が揺らぐ。色が安定しない。むしろ、足場も何もあったもんじゃない。落ちてるんだか、登ってるんだか、全くわからない……。そもそも、私の存在すらもあやふやで――
「おい、ここでお前の存在まであやふやにされちゃ、こっちが困るんだ。山瀬晴菜」
(山瀬晴菜……ああ、それが今の私――)
「あなた――いったい誰?」
私は寝ぼけた頭のまま目の前の男にそう問いかけた。
「俺は神だ。この世界の」
「……」
「ああ、そんな目でこっち見るな。正真正銘、俺は神だ。しかも、この世界――グレイスでの唯一神。俺、めんどくさくて他に創んなかったからな」
「……その神様が夢の中、こんなちっぽけな小娘に何の用?」
「そう、警戒すんなって。俺はお前に呪いをかけに来たんだ」
「へぇ、そう。……って、そりゃ、警戒しない方がダメでしょうが!?」
「警戒しても逃げられるわけがねぇから警戒すんなって」
「!? お、起きて、現実世界の私! 一刻も早く!」
「そりゃあ、無理だろう。俺の力で目覚めはもうちょい先だ。いいから少し落ち着いたらどうだ? ほれ」
金色と赤色の調和がとれた美しく輝く大きな客間――先ほどの無の世界がそんなふうに早変わりした光景に、思わず目が輝く。
「わあ、豪邸――」
「はい、捕まえた」
「わああぁぁ!!!」
「今更逃げても遅ぇよ――トゥーテーラ・クラヴィス」
優しい響きを含むその言葉と共に、額に何やら柔らかいものが触れた。
「な、な、な――」
「その呪いの印は、それと同じ印を持つ者がその部位に口付けることで消すことができる。せいぜい、呪いが体を侵食する前に頑張るんだな。全部の印を消せるように――」
☆ ☆ ☆
「ッ――」
バッと身体を起こすと、そこはセツに用意してもらった部屋のベッドの上。外はまだ暗かった。
(全部の印? まさか――)
夢の出来事を思い出し、急いで服を脱ぐ。
「いやああぁ!」
思わず、力いっぱい叫んでしまう。
「晴菜っっ!?」
いきなり開けられた障子。気崩れた夜着姿のセツ――多分、私の声を聞きつけ、ここまで全力疾走してきてくれたのだろう。
「あ――」
(ええと、セツが妙に色っぽいとか、そうじゃなくて――)
「その印は――」
(私は今、上半身裸で――?)
「ッ――いやああぁああぁ!!!」
思った以上に大きな声が出たが、セツはひるまずに私の両手を封じた。
「隠さないで、よく見せて……」
「え、いや、ちょ、ちょっと何す――」
「この印――誰に付けられたの?」
セツが殺気のこもった目で私の肌を突き刺すように見つめる。恥ずかしいやら、怖いやらで、赤くなったり青くなったりしながら、私はおずおずと答えた。
「神って名乗る奴が夢の中に来て、の、呪いって……」
「チッ――やっかいな」
「そ、それよりもセツ――」
「?」
「い、いい加減出てけぇ!!!」
私は思いっきりセツを外へと突き飛ばし、服を着てベッドに潜り込んだ。
「うぅ、も、もう、お嫁にいけない……」
「晴菜、そう落ち込まないで」
「……コクウ、聞いてたの――って、黒猫?」
いつものように姿がないものと思っていたが、ベッドの上にいたのはしなやかな体つきの黒猫。艶やかな赤い瞳が淡く青く光る蝶達の光を反射し、幻想的な色を見せてくれる。
(こ、これは――)
「うん、この姿の方が良いかと――」
「もう、可愛すぎ!」
「は、晴菜!?」
私はもう我慢できず、ギュッと黒猫を抱きしめた。触れた場所から、安心できる温かさが伝わってくる。驚きに大きく見開かれた瞳がクリクリしていて余計に可愛い。
「ああ、にゃんこ、にゃんこだあ! ふっかふかで、もっふもふで、肉球ぷにっぷにで!」
「ああ、ハハ、うん、お気に召したようでなによ――あ、ちょ、そこ触っちゃ――アッ――や、やめ――」
「にゃんこ、黒猫にゃんこ」
私は寝ぼけていたことと、セツに上半身だけとはいえ裸を見られたことで混乱していたこともあり、思いっきりその黒猫を撫で回した。
「にゃああああん!!!」
悲痛な声を無視し続けて……。
☆ ☆ ☆
「ごめん、コクウ大丈夫?」
「……もう、お婿にいけない」
ああ、被害者が増えただけになってしまった……。
黒猫姿のコクウは今、ぐってりとベッドに横たわっている。
「ご、ごめんってば。でも、コクウって姿も消せるはずでしょ? そんなに嫌だったなら姿消せば良かったのに」
「嫌というわけじゃないよ。だって、君が――って、なんで引いてるの、晴菜?」
「いや、コクウってその――Мなの?」
「なんでそうなっちゃうの!? ああ、もう、この際それはいいや。それよりも、晴菜。君、神に呪いをかけられてしまったんだね」
「うん……」
「ちなみに、身体にあった印の数は?」
「六個だったよ。背中にまでご丁寧に付いてた」
「じゃあ、今のところ八個か……。まさか、いや、それだと数が――」
「え? なんで八個?」
「晴菜。君、額と頬にもその呪いがあるんだ。さすがにそこは見えないだろ?」
「え――顔にも!?」
「うん、でも、その頬の呪いは多分すぐに――って、セツと蒼が来たようだ。それじゃあ、またね、晴菜」
コクウは慌ただしくそういい残し、淡く赤い粒子になって消えてしまった。
「うん、またね。コクウ……」
ガラッ――
私がそっと囁き終わるのと障子が開いたのはほぼ同時だった。
「ごめん、緊急事態だから早速入らせてもらうよ」
「失礼いたします。晴菜様」
「ああ、うん――って、蒼……それ」
「はい、先ほど、呪いが頬に発現致しまして……。そして、すみません、晴菜様」
蒼が私に跪く。
「いやいやいや、いったいどうしたんですか! 顔上げてください!」
「いえ、それはできません。先程はこの呪いがどういったものかわからず、晴菜様の叫び声を聞いても駆けつけられませんでした。呪いが晴菜様へと及ばぬように配慮しようとした結果でしたが、晴菜様の危機にいち早く駆けつけられず、本当に申し訳ありません」
「本当に気にしないでください!」
「うん、今回はもし蒼が来ていたら、うっかり目を潰していたかもしれないからね。お咎めなしにしておくよ。それに、その配慮は当然のことだしね」
「……」
(うん、うっかりで目を潰されるなんて、蒼がかわいそすぎるからやめてあげてください。そして、そういうこと、サラリと笑顔で言わないでください。マジで怖いです)
「それよりも、問題は呪いを消す条件――かな?」
「あ――」
蒼の頬には、蒼い唐草模様と鈴のような痣が浮かんでいた。そして、私の頬にも同じようなものが――?
そして、その呪いを解く方法は――
そこまで考えた瞬間、頬が熱くなっていった。
「ええ!? じゃ、じゃあ、私、蒼にキスされるの!?」
その瞬間、セツの笑顔が凍った。
(あ、これって、マズイかも?)
「ごめん、聞き間違いかな? ねぇ、呪いはどうやったら解除できるって言われたのかな?」
「その……同じ印を持つ人から、その印の部位にキスを受ければいいんだけど――って、セツ、ちょっと、待って! その刀しまおう! ね!」
「大丈夫だよ、安心して」
「刀を持ってる物騒な輩を見て安心できるか!!! それよりも、ちゃんと話聞いて! この話には続きがあって、呪いを持つ者が死んじゃうと、私も死んじゃうんだって!」
「!?」
「それは本当なのですか、晴菜様!?」
蒼が青くなってる……うん、嘘です。ごめんなさい。
「だから、蒼、その短剣やら何やらはしまってね。うん、早まっちゃダメだからね?」
「はい……承知致しました」
「…………分かった」
長い沈黙の後、セツがため息をつく。
「蒼。この子の頬への接吻――許可する」
(え――? ええぇぇ!!! あのセツが許可した!?)
「セツ様! しかし――」
「命令だ。もちろん、罰は与えない」
蒼の言葉を抑え、そう言い放つセツは、完全に鬼の頭領の威厳を放っている。
「いや、それでは――」
「お前に何か罰を与えれば、この子が黙ってないだろう」
セツが悔しそうにそう呟く。セツの奥歯がギリリと鳴ったような気がしたが、きっと空耳だろう。うん。
(なにより、セツが私のことを考えてくれたことが嬉しい)
私は、緩む頬をそのままにし、元気よく言葉を発した。
「そりゃもちろん黙ってないよ!」
「晴菜様……」
蒼が困ったような顔で笑った。セツはより不機嫌になっていた。
(……あれ? この反応ってもしかして――蒼にお咎めなしでキスをもらえることに嬉しがってるように見えてる!?)
「……だから、罰は与えない――が、解呪は今ここで、俺が見ている前でやれ」
セツが黒いオーラを発しながら、いい笑顔でそう言った。
(……ん? セツの前で? いやいやいや、そんなのできるわけ――)
「はい、承知致しました。それでは、晴菜様」
「え!? いや、ちょっと待――」
「失礼いたします」
グッと蒼の綺麗な顔が近づき、私は思わずギュッと目をつむった。
(わ、なんかすっっっごく良い香りが――蒼のサラサラの髪の毛も頬にいぃぃぃ!!)
大混乱の中、頬に触れた冷たい唇の感触。流れ込む、温かな何か。ついで、淡く蒼く光る私と蒼の呪いの印――やがてそれは、光の粒子になって消えていった。
「うぅ……」
「ありがとうございました。晴菜様」
(……正直、気まずい)
「蒼、あとはいいよ。とりあえず、他に呪いを受けた者達を探してくれ」
「承知致しました」
蒼が出ていき、部屋には私とセツのみ。なんとなく、顔をあげられない。
「晴菜――」
(あれ? そういえば、さっきもだけど、セツが私の名前――)
「ひゃっ!」
頬に生暖かい湿った感覚――!?
逃げようとしたが、しっかりとセツに顎を捕まれ、その感触から抜け出せない。
(私、セツに舐められてる!?)
あ、比喩でもなんでもなくです。マジでした。
「うん、これで良いかな」
「どこが!?」
セツを睨みつけると、奴は綺麗な笑顔で言った。
「大丈夫。解呪するごとに、こうやって同じ場所に俺が上書きしてあげるから」
「!?」
「だから、ちゃーんと、どこに何をされたか、言うんだよ?」
(ど、ど、どうしよう!? これがあと七回もあるってこと!? キスよりも厄介なんですけど!?)
人外ばかりの異世界に来てしまっただけでも前途多難なのに、そのうえ呪いまで受けちゃって――本当にどうなるんだよ、私!
私は頬を真っ赤に染めながら、目の前で妖艶に微笑む銀髪の美しい悪魔――じゃなかった、セツは鬼だったわ、うん――を睨みつけるのだった。




