第1話 切なる想い
時は満ちた。
ようやく、ようやく――君に会える――
❅ ❅ ❅
「!?」
私は誰かに見られているような気がして、咄嗟に振り返った。
「誰もいない……よね?」
モグモグと口を動かすのを再開し、口に広がる肉汁たっぷりの肉まんを堪能する。
「ふう、こんなに夜遅くに出歩いてるのがばれたら大変だもんね」
ただいま高校三年生の私、山瀬晴菜は生活費を稼ぐためにバイト三昧。
もちろん、高校には内緒で……だ。
今も中華料理屋でのバイト帰りで、気前の良いおやっさんが肉まんをくれたところだ。
「はあ、今日もあそこの道通るか……」
大通りからそれた街灯の少ない細道――人通りが少ないからあまり通るなと親代わりの兄からは注意を受けていたが、人通りがないからこそ見つからずにすむ格好の通り道なのだ。
(それに、そっちの方が家に近いし)
肉まんの最後の欠片を口へと放り込み、私は綺麗な満月が映り込む湖の横を通った。
ゴポッ――
「?」
奇妙な音が聞こえ、私は何気なく後ろを振り返る。
「なっ!?」
その瞬間、周りの風景は一変した。
私はどこまでも続く白い階段の途中にいた。階段には一定の間隔で白と黒の鳥居が交互に並んでいる。
「は? 何? 私、疲れてるの……?」
階段の周りはどす黒い液体で満たされており、得体のしれない気持ち悪さが込み上げてくる。
――おいで――
「!?」
何か聞こえた気がした。
――こっちだよ。さあ、おいで――
やはり、聞こえる。私を呼ぶ声が……
(どうしよう……私――)
「もしかして、死にそうなの?」
私の声は震えていた。
まさか、私は振り返った瞬間、誰かに殴られた? もしくは、過労が原因で倒れた? はたまた、あの肉まんが問題だったとか?
様々な考えが浮かんできた。
「……とりあえず、過労が一番ありえそうかな」
――ねぇ、はやくおいで――
「はあ…………ごめん! まだ行けない」
私は声のする方と反対側――階段を下る方へと走り出す。両親の顔……はほとんど覚えてないが、私の事を心配する兄の顔が何度も思い浮かぶ。
(お兄ちゃんを残して死ぬわけには――)
「捕まえた」
「!?」
急に後ろから抱きしめられ、耳元で男の声が聞こえた。優しい優しい声――吐息交じりのその声は、なおも甘く私に言い募る。
「逃げるなんてひどいよ。ようやく会えたのに――」
「な、なんなの!? あんたいったい――」
「ああ、そうか……君は覚えてないんだね」
男はそう言いながら、ギュッと私を抱きしめる腕に力を込めた。
「!? 離せ、 変態!」
兄以外に抱きしめられたことがなかった私は、当然顔を真っ赤にしてもがく。
(こ、この……こいつ、何やら甘くて良い香りが――)
「ふふ、元気が良いね。俺はセツ。僕は君を傷つけたりしない。今度は、今度こそは――君を守らせてほしい」
❅ ❅ ❅
「……ねぇ、そろそろ降ろしてくれない」
「もう少しで君の部屋だから待ってね」
「…………」
平安時代の貴族が住んでいたような大きな屋敷に連れてこられた私は、長い廊下を和服姿の美青年に姫抱きされた状態で進んでいた。
逃げる事は敵わないらしい。
――というのも、彼の説明を信じるならばここは……異世界なのだそうだ。はっきり言って、さっきの奇妙な現象さえなければ笑って受け流したいような話だ。むしろ、夢なら覚めてほしい。
そう思っているのに、セツの体温がこの出来事を夢でない――現実だと伝えている。
「さあ、ここが君の部屋だよ」
ようやく廊下へと降ろされ、障子が開けられた。そこには、日本風の屋敷には不釣り合いの可愛らしい洋風の部屋があった。
「どう? 君の好みに合わせてみたんだ」
「えっと……これが?」
「うん、気に入ったかい?」
「ええと……」
白と淡いピンクを基調とした可愛らしい部屋は、一般的な女の子ならば喜んだかもしれない。だが、私はいつもの自分の部屋のようにもっとシンプルな部屋の方が落ち着く。
(なんていうか、落ち着かない部屋なんですが?)
「さあ、ここに座って顔を良く見せて」
「はあ……」
何となく腑に落ちない感じのまま、言われるがままにベッドの端へと腰掛ける。
「ああ、ようやく君が俺のもとに戻ってきてくれたんだね」
「ええと……そもそも私あんたの事――」
「いや、良いんだよ。心配しないで、きっとすぐ元通りになるから」
セツと名乗った綺麗な青年は、私の左手を優しく握り、ほほ笑んで跪いた。
「ああ、ようやく君に会えた」
私は戸惑っていた。
この手を……振り払う事ができないことに――
この優しげな金色の瞳から逃げられないことに――
「ここに誓うよ。俺は君を守ってみせる。必ず――」
「な!?」
そっと、セツは私の左手に唇を寄せた。柔らかく熱いその感触に驚き、反射的に手を引っ込めようとするが、セツの手が私の手をとらえて離してくれない。
「逃げないで」
私の手の甲に熱い吐息がかかる。不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ……
――そんな泣きそうな目をしないで――
そう言って、抱きしめたい感覚になる。
(私、どうしたんだろう? 胸が痛い――)
「ねぇ、もう、どこにも行かないで……俺が守るから」
そう言い、セツはそっと私の手から唇を離した。離れていく瞬間、セツの綺麗な銀色の髪がサラリと手の甲をかすめた。
手の甲がじんじんと熱い――
「え……これ――」
「それは、印――俺が君を守る為の」
手の甲には、淡く白い光を発する雪の結晶のような印が浮かんでいたのだった――