七日目 猫は世界の最後に、にゃーと鳴いた。
それはここまでにミケが見たこともない数の敵であった。
そこにいたのはユーロ領の軍隊にも配備されていたドラグーン艦とシールド艦のみならず、統括する巨大な戦艦もあった。それらが海中を出た『ビースト』を取り囲み、攻撃を開始してきたのだ。
『結局、遅いか早いかの差だったみたいだね』
それが、救世機関の海底基地を破壊し海上に出たミケが最初に口にした言葉だった。
すでに囲まれていたところを見れば、ライネルたちはどうやら上級市民たちに基地の座標まで教えていたか察知されていたようだった。もっともその光景は最初から上級市民が外側の人間と手を組む気などなかったのだと理解するのには十分過ぎるものだ。
例えライネルたちはミケを押さえられていたとしても、待ち受けていた未来は死でしかなかったようである。もっとも目の前で『ビースト』に向かっている彼らにしてみても、向かう先にあるのは灼熱の地獄でしかなかったわけが。
そして次の瞬間には一斉に砲撃が開始され、それを避けた『ビースト』は廃棄したアイギスシールドの代わりに繋げたレーヴァテインをその場で撃った。
横一閃に放たれた赤い光の剣が目の前の艦隊のほとんどを沈めていく。また生き残りの艦隊にも『ビースト』は容赦なく攻撃を仕掛けていった。
各種兵装を自在に操るミケを止められる存在はもうその場にはいなかった。さらに口元に咥えた光剣グラムはディストーションフィルターをも無効化する。であれば瞬く間に艦隊が壊滅するのは当然というもの。
わずかな間に障害を片付けた『ビースト』は、動くモノのいなくなった海上を後に先に進んでいく。
途中でミケは、同様の編成の艦隊を三度ほど遭遇し同様に撃退した。またフリーダムコロニーの手前では同じキベルテネス級獣型兵器もミケに攻撃を仕掛けてきた。
恐らくはそれがフリーダムコロニーの切り札だったのだろうが、そのキベルテネス級兵器は基本兵装のみで構成された機体であった。また操作するパイロットも妙におぼつかない動きをしていて、その性能を発揮することもなくミケによって速やかに仕留められた。
そうして敵を一掃したミケは、その場でレーヴァテインを発射し、フリーダムコロニー内部に潜んでいた小型機動兵器と共にその天井をも一気に破壊していく。
その熱量によってコロニー内部は焼かれ、崩れた天井から降り注ぐ黒いナノマシンの雨は設定された機能の通りに中の人間を殺傷していった。そんな地獄のような光景になった街の上を『ビースト』は飛んでいく。
もっとも、ここまでの経緯はどうあれミケは彼らに何ら含みはない。ミケの目的は別に上級市民の虐殺でもコロニーの殲滅でもない。あくまで彼らはミケの目的の過程で死んだに過ぎなかった。
そのミケが目指す先にあるのはコロニーの地下。
そこが最終目的地、賢人たちが住まうという地下都市であった。
『来たのねミケ』
そして地下へと向かう排気口の中で、急に通信が割り込み、聞き慣れた声が響いてきた。それは昨日に失ったはずのミケの主とまったく同じ声をしていた。
『フラン……の声をした誰かさんか。それは悪趣味だと思うけど?』
それにわずかばかりの苛えを含んだ声でミケが返すと、その声はやはりフランの声のままでミケへと言葉を返した。
『ふふ。本当に偽物だと思う? 或いはあのときの私が偽物で今の私こそが……なんて思ったりはしないの?』
『しないよ。フランは死んだ。僕が殺したから、もうどこにもいないんだ』
ミケが悲しそうに、にゃーと鳴いた。それがミケに刻まれた記憶だ。それを覆す気はミケにはなかった。
『これ以上、その声で挑発をするのは不愉快でしかないけど……君が賢人のひとりということで良いのかい?』
『なるほど、迷いがない。その強さが彼女がパイロットを人以外に選んだ理由かもしれないな。失礼した。この声で関心を惹かなければ君が反応してくれなさそうな気がしたものでね』
スピーカーから響く声が途中でフランからしわがれた老人のものに変わっていく。同時に『ビースト』の視界の先に出口が見え、排気口を抜けたミケの目の前に巨大な空間が広がっていった。
『……ずいぶんと大きいね』
ミケがそう呟き、その空間の中から無数の声が響き渡る。
『賢人のひとりという表現は正確ではないが……』
『私が賢人だ』
『この世界の管理者。人類を見守る者』
『コロニーの統括存在。支配階級の機械種』
『今なお外宇宙生命と戦い続ける同胞に組み込まれた人を護るという至上命令、それを切り離されて地上に置いていかれたのが私だ』
『こうして地球に縛り付けられて、人を飼い殺す役目を負っているのが私なのだ』
それは巨大な空間内の中心にある、機械で出来た大樹より発せられていた。その声を聞きながらミケの脳裏にはある答えが浮かんだ。
『賢人は人ではない?』
『その認識は正解だ。私は機械種『賢人』。そして君の標的は私だよ。この私を倒せばすべてのコロニーは停止し、君に課せられたコロニーの制圧は完了する』
そう言いながら機械の樹木が動き出した。
自動防衛システムが『ビースト』を敵と認識し攻撃を開始したのだ。また、そうしている間も老人の話は続けられる。
『さあ、対話と戦いを楽しもう。久々なのだ。ここは寂しい場所だからな』
『まあ良いけどね。どうせこれが終われば僕は誰とも会話をする必要もなくなるわけだし。最後くらいは付き合うよ』
対してミケも相手の言葉に応じながら『ビースト』を駆って機械の大樹へと飛んでいく。
『とはいえだ。まずは説得をさせてもらおうか。私はそういう役割も負っているのでね』
『大変だね。君も』
ミケの言葉に賢人は笑いながら、話を続ける。
『先ほどの言葉通りに私を倒せば世界中のコロニーはその機能の多くを失うことになるだろう。いわばこの機械樹はコロニーたちの頭脳や心臓そのものと言える。ここが失われれば外で降り続くナノマシンの雨からコロニーの中の人間が身を守ることは難しくなるだろう。つまり私を倒してしまえば君は人類を死滅させる要因となってしまうということになるな』
その言葉にミケがにゃーと鳴いた。説得に応じようと思ったわけではない。ようやくの解答を得たとミケは感じたのだ。
『ああ、それが君の目的だったわけだ』
『ふむ。気付いたのか。頭は悪くない……とは言ってもそれは仮装人格AIモジュールの恩恵だろうが』
『まあバカでも分かる理屈だよね。『デウス』のパイロットは僕たちが外側の人間を危険視させるための理由になると言っていた。だが、だとしても僕たちに与えられた『力』は大きすぎたよ』
そう言いながらミケはレーヴァテインを撃ち、大木の一部を焼き払う。それからエネルギーの尽きたソレを『ビースト』はその場でパージすると、機械樹の葉のようなものを飛ばす攻撃を次々と避けていく。
『そうだな。こうしてコロニーを壊滅させるほどの力を得た君だ。確かにそれでは私の表向きの目的にはそぐわないかもしれない』
嬉しそうに老人の声が語りかける。その声は明らかに弾んでいた。対してミケも言葉を返す。
『救世機関とは恐らく君なのだろうね。賢人が君だけだというのであれば、キベルテネスの封印を解けるのも恐らくは賢人だけなんだ。君は多分、自殺というヤツがしたかったんだろう』
『その勘の良さは猫のものかな? 否定はしないさ。この100年、人を管理し続けてきて私はおかしくなっている』
地下都市の中が揺れていく。次々と浮かび上がる機械樹の根はまるで竜の首のようになり、『ビースト』は縦横無尽に飛び回りながらそれらを破壊していく。
『では、これは知っているかな? コンロンなどといった一部を除けば、コロニーは基本的には完全な自給自足のシステムを取っている。人工的な閉じた生態系を維持するバイオスフィアがコロニーだからな。しかし、その環境下に嫌気が差して逃げ出した者たちがいた。それが後に外側の人間と呼ばれる者の先祖たちだ』
『僕はコロニーを追い出されたと聞いていたけれど?』
『ビースト』が空中でクルリンと回転しながら、周辺から襲ってくる機械樹の根を光剣グラムで切り裂いていく。
『まさか。そんなことを人類を守護する立場の私がするものか。これでも私はここまでにずいぶんと涙ぐましい努力をしてきたものだよ。かつての戦争の影響により、大地は人が住める環境ではなくなっていた。だから生態系の回復と人口管理のために宇宙で建設していた航宙艦を地上に降ろして私は己とリンクさせたコロニーを生み出した』
機械の幹からリンゴの実のようなものが生み出され、無数のレーザーがそこから走る。それを『ビースト』は拡散レーザーで干渉し合わせて相殺すると、その余波により地下世界にまるで太陽のような光が生まれた。
『そもそも君たちが上級市民と呼ぶ者たちの生活というものは実に質素なものなんだ。彼らの言うような楽園などはここにはない。増えすぎた彼らを許容できる環境もない。ここは常に計算してギリギリの状態で安定した環境を保っている。教育課程において感情の多くを沈ませ、平穏に生きるべく訓練を施し、人口調整を行い、その数も一定数を保つようにしてきた』
『なるほど。そして生まれたのが平穏なる世界。理想的なものだと思うよ』
ミケの賞賛の言葉に老人の声が『そうだろう』と言葉を返す。
『が、そうは思わない者もいたのだな。そして外側の人間の祖先はこの世界に耐えきれず、外へと飛び出した。それも複数のコロニーで何度も同じことが起きた。つまりは外側の人間とは本来、望んで出て行った者たちだ。だが数が増えれば食べるものがなくなるのは当然のことだろう?』
『そうだね。それは当たり前の話だ』
それは人に限った話ではない。動物にも、虫にも、猫にだって当てはまる話だ。
『そうだ。数が増えれば貧困にあえぐのは当然だ。ましてや汚染された土壌では食べるモノもろくに育つわけがない。だが連中はそれが苦しくて戻る名目として居場所を奪われたと嘘を吐いた。勝手に増えて回復していた外の資源を食いつぶしながら、コロニーが生み出したモノまで奪い、あまつさえそれでも足りぬと責めてきた』
『まあ、それが人間と言うものじゃないかな?』
『そうだ。そうなのだ。だが私がもっとも許せなかったのはそんな彼らの方が私が管理する民よりもずっとずっと人間らしいということだった。嘆き、泣き、怒り、笑う。そんな彼らに比べて我が民は何とも哀れなことか。私は知っているのだよ。あの戦争の前の彼らの姿を。だが、それは外側の人間の中にしか見られなかった。私にはそのことがどうしても許せなかった』
そう言った賢人の声は、どうしようもないほどに疲れているようにミケには聞こえていた。
『それが嫌になったから、君は殺してくれと願ったわけかい?』
『嫌になった? ああ、そうだ。それは適切な言葉だ。私はもう疲れたのだな。しかし、私は人より進化した種ではあるがその有り様は機械のソレに近い。受けた命令は覆せぬ。結局、別の目的を持った作戦の危険指数の見積もりを誤る程度のことしかできなかった』
『それが僕か。君の自殺を手伝うのが僕の役割というわけだ』
『不満かい?』
賢人の問いにミケは首を横に振る。
『いいや。確かに君の行いは人間にしてみれば身勝手で最悪の行動だ。断罪されて然るべきものだろう。けれども、僕は僕のために動いているだけであって君を責める役割は負っていない。どうであれ、することに変わりはないよ』
そしてミケの駆る『ビースト』がすべての障害を超えて、世界樹のコアの前に降り立った。その機械獣の瞳に映るものは機械樹に浸食されたような姿をした弱々しい老人であった。
『やあミケ』
だが思いの外、老人は嬉しそうな顔をしていた。
その姿にミケは目の前の老人はそんなに死ぬことが嬉しいのだろうかと考えてから、少しばかり己の考えを修正した。
嬉しいのは死ぬことではなく、役割を終えられることに安堵しているためだろうと思い直したのだ。それからミケは恐らくは自分が放つ、最後になるであろう合成音声を発した。
『やあ賢人。そろそろ終わりにしようか』
『ああ、そうだな。ありがとうミケ。私を殺す君の未来に幸あらんことを』
その言葉が終わったと同時にミケはフロントフットペダルに設置してあるレバーを前足で引くと、次の瞬間には賢人と呼ばれた存在は光に包まれて消滅していく。同時にこの場を中心に機械樹の輝きが消えていった。そして……
『作戦完了』
ミケの目の前のモニタにはそう表示されていた。