二日目 猫は不思議そうに、にゃーと鳴いた。
ミケがサイタマKLT要塞を落とした翌日。
ひとまずはと身を寄せたサムライ支部のガレージの中でミケは目を覚ました。ヒゲをヒクヒクと動かしながらミケは大きく口を開いてノビをするとそのまま現在の状況を確認していく。
『時間は……もう昼か。結構寝たみたいだね』
そう言いながらミケは眠そうにまたノビをした。
昨日に初陣を飾ったミケだがそのことには何の感慨もないようだった。そもそもミケには昨日の戦闘とシミュレーションの違いもあまり分かってはいない。何しろ、ミケのいる機械の箱の中では何が夢で何が現かの違いを知るすべはないのだから。
またシミュレーションよりも遙かに難易度の低かった昨日の戦いについてはミケは勝利の喜びよりも呆れの方が大きかったということもあった。何のために呼ばれたのかと思うほどに昨日の戦いは呆気なかったのである。
ともあれ今の問題は、そんな昨日の戦いのことよりも周囲が妙に騒がしいという点にあった。ガレージの外から向けられている無数の視線をミケは確かに感じていた。
『おはようミケ』
そしてバイタルモニタで気付いたのだろう、飼い主のフランが通信越しにミケに朝の挨拶を交わしてきた。その声を聞いてカメラを己の飼い主に向けると、ミケは『おはようフラン』と挨拶をしてから気になっていることを尋ねた。
『ねえ、フラン。なんだか外が騒がしいようだけど何かあったのかい?』
そのミケの言葉にフランがいつものように笑って応える。その声はどこか悪戯っ子めいた印象があった。
『ふふ。昨日の英雄に挨拶をってね。みんながあなたと会いたがっているみたいよ。とは言ってもガレージ内に入れることは許可できないから窓からジッと見ているだけなんだけど。それでもかなりの数の人がここを見ているようね』
その言葉にミケがなるほど……と頷く。フランのような許可された人間以外が接近すれば『ビースト』は警告なしに自動防衛(つまり銃撃だ)を行うように設定されている。
そのことは前日に説明してあるし、だから彼らもこの場には入ってこれないのだ。また昨晩に五人ほど仕留めていることが『ビースト』の稼働ログに残っているようだが、そのことについては特に何か言われてはいないようだった。
『英雄ね。僕は猫だけれども、それでも英雄と呼ばれるに値するものなのかな?』
『それはそうよ。あなたは結果を出したのだから。けど、その正体については秘密のままだけれどもね』
そう言ってフランが端末から『ビースト』に視線を移す。
『コードネーム『ミケランジェロ』。外宇宙生命を地上より一掃した十二体のキベルテネス級兵器の一体を駆る英雄……という程度の話が彼らには伝えられているわ。デモンストレーションの結果は各地に流されてもいるようね。君は彼らの希望。そうなるために昨日の戦闘もあったのよ』
『なるほどね。ま、外に出る予定もないからどう言われようが別に構わないけど』
顔を前足で洗いながらミケはフランにそう返す。
とはいえだ。モニタの映像を見る限りでは、この場で『ビースト』を見ているサムライ支部の人間が果たして友好的な相手と言って良いものなのかについてミケには疑問があった。
確かに純粋に『ビースト』に憧憬を抱く目をしている人間はいる。恐れを抱く者も少なくはない。中には憎しみを込めて睨む者や、純粋に『ビースト』という機体を羨む者たちがいることは各種メンタル解析の結果としてモニタに表示されている。だがこの場においてもっとも多かったのは『ビースト』をどう奪うべきかと考えている者たちであった。
なお、ミケにとって人間の区別というものはフランと他の人間ぐらいしか付けてはいないのだが、外でミケたちを見ている者たちは一般的には外側の人間、または豚人間とも蔑称されている者たちであった。
かつて起きた大戦後、荒れ果てた大地を再生させるために人類はコロニーと呼ばれる巨大なバイオスフィアに移り住むことを余儀無くされたのだという。
だがいつの頃からかコロニーから外の世界に不当に追い出された者たちもいた。それが外側の人間と呼ばれている人々だとミケは教えられていた。
彼らはコロニーから追い出された者たちの子孫であり、いつしか人類の楽園として造られたコロニーに戻ることを望み、またコロニー内に住む上級市民と呼ばれる者たちを羨み続けてもいた。
もっともこの荒れ果てた大地の中で生きることとなった外側の人間の文化レベルは当然のように低いものだった。だから長い間、彼らはコロニーや上級市民に対して羨みはすれど害意を働くほどの力がなかった。
それが可能となったのは救世機関という組織が外側の人間に接触し始めた10年ほど前からだ。世界中でコロニーに対して不平不満を持っていた外側の人間たちは救世機関によって与えられた兵器を用いて各地でコロニーに対して戦いを開始したのである。
もっとも各地で組織化され、救世軍を名乗って戦いを仕掛けるようになった外側の人間たちだが、彼らは言ってみれば烏合の衆であった。渡された武器も満足に使えず、戦術も組み立てられず、協力すら満足に行えなかった。だから彼らは次々と殺されてもいったが、しかし数だけはいたから戦いが止むということはなかった。
そうした背景を持つ外側の人間たちだから『ビースト』などというものが現れれば、それをどうにかして我がものにできないかと考えるのも自然なことではあった。とはいえ、だからといってミケが『ビースト』を彼らに渡すという選択肢は当然ない。
それから少しばかり目を細めて、ミケは己の飼い主に声をかけた。
『フラン、君も気を付けておくれよ。僕が見る限り、彼らの多くはどうにも紳士的には見えないからね』
『あら、気を使ってくれるの?』
くすりと笑うフランにミケは『まあね』と返す。
『君がいなくなった場合でも作戦の続行は可能だけど、君がいないのは寂しい。カリカリの次ぐらいにはいないと困る』
そのミケの言葉にフランは『カリカリの次なんだ……』と若干ショックを受けていたが、持ち直して言葉を返した。
『けれど大丈夫。問題はないわ。私には心強いボーイフレンドたちがいるからね』
そう言って胸を張ったフランを『ビースト』のカメラが捉えている。
ブロンドの髪をした、まだ二十歳を超えたぐらいの年のフランの左右には、全長2メートルは越えているシルバーメタルの人型マシンが二体配置されていた。
それもまた過去の大戦の遺物のひとつであった。完全自動制御のサイバネアーミー。作戦完了までフランを護るように設定がされている、歩兵単位としては最強に近い戦闘力を誇る機械だ。その一体だけでも現在いる基地を占拠するには十分すぎる戦力であった。
『それよりも起きたのなら聞いて頂戴。次の目的地が決まったわ』
『まあ進路から大体の予想はつくけれど、どこになるんだい?』
そのミケの問いにフランが『中国領ね』と返した。
『コンロンコロニーと呼ばれているコロニーの制圧が次の作戦目標となるわ。その周辺は現在救世軍が同時展開して各防衛拠点への攻撃を行っている。私たちはそれらを攻略しながら、最終的にコンロンコロニーを制圧することになる』
『了解したよ。であればさっさとこのガレージを出るとしようかな。ここはどうにも空気が悪いようだしね』
ミケの言葉にフランが『そうかもね』と言って笑った。
それからミケは機体のオートチェックをかけて異常なしとの診断を確認すると、フランが乗り込んだ指揮車両を『ビースト』の腹部のアタッチメントに接続する。それからのしりとガレージの外へと出ていく。扉は閉じられていたが、この基地内のコントロールを奪う程度のこと、『ビースト』には造作もないことだった。
それからガレージを出たミケがちらりと基地の方に視線を向けると、基地の窓から『我々と組もう』と書かれた旗が垂れ下がっているのが見えた。
『ふーん。組んでどうするんだろうね。せめて僕にとってのメリットぐらいは書いておいて欲しいものだよ』
『ふふ、まったくね』
そして一匹とひとりが笑い合うと、獣の形をした機械は西の空へと飛び去っていったのである。