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折鶴  作者: 水瀬 桜海
8/12

全力少年

コアックマのいとこ、五島博之視点です。

 薄闇に肩を落とした背中が、消え入りそうなほど儚く見えた。

 予想通りの状態になった友人に声を掛けると、縋るような苦しげな顔が、俺に向けられた。

「ヒロ……」

その声は、憔悴して、いつもの口の悪さを消していた。


「けいれん発作、見たって?」

 弱々しい声が俺に尋ねる。今藤慶人のこんな顔を、今まで見たことなかった。超絶美形のこの男は、キツそうな目元を更に釣り上げて、真っ直ぐに物事に向かっていくヤツだった。体育祭だろうと授業のサッカーであろうと、まったく手を抜かない。どこか張りつめた緊張感を持ち続けている、近寄りがたい存在だった。

 最初から留学を考えていたらしいケイトは、向こうの大検を取り、今年の三月に書類申請を終えていた。九月から向こうのカレッジとかいう学校で、最初は英語の勉強を、一年後に専門大学の履修プログラムへと進むらしい。

「うん、いきなりがくがくして、びびった」

軽く返そうと思ったのに、声にあの時の怯えが滲み出る。

「そうか……」

真っ直ぐな瞳は、やっぱり真正面を見ていた。

「僕が絵美奈を守る為に、今、何が出来ると思う?」


 慶人は絵美奈ちゃんのお母さんに会ったらしい。「絵美奈に似ていた」それだけしか言わなかった。多分それ以外は病気の話なのだろう。一応、ケイトは絵美奈ちゃんの彼氏、だし。

「ねぇちゃん。どうしたら絵美奈ちゃん、治るのさ?」

と、しーねぇちゃんに愚痴る。

「……ブラックジャックが手術してくれれば一番いいと思うよ」

その、しーねぇちゃんの言葉をケイトに伝えると、ケイトは無理矢理笑った。

「じゃあ、ブラックジャックを探すしかないな」

 俺らはいろいろ話して、結局、スーパードクターと言われる人たちの連絡先を必死に探した。そしてその人たちへ、片っ端から手紙やメールを送った。絵美奈ちゃんの病室でその経過を報告していると、立ち聞きしていたらしいしーねぇちゃんがズカズカ入り込んできた。

「そんなの梨木先生がとっくにやってるわ。あんた達みたいな子供が足掻いてどうにかなる事じゃない」

頭ごなしに言い放ったしーねぇちゃんの言葉に、見たこともない程猛り狂ったケイトが怒鳴った。

「そんなの! やってみないとわからないだろっ!」

そのまま部屋を出ると、廊下を走り抜けていく。唖然とする二人を残して、俺は慌てて追いかけた。

 病院の外で立ちつくすケイトの背中が見えた。並木の梢に夕日が降りているせいか、ジリジリと暑さがクーラーに慣れた体を焼いていく。

「……もし、駄目だとしても」

俺の気配を察したのか、ぼそりと顔も見ないで呟く。温度の高いその声に、俺の顔が歪んでいた。

「それでも僕には、扉を叩き続けることしか出来ないんだ……」

 木陰の後ろ姿に目を凝らすと、ケイトの周りを取り囲むように、いくつもの大きな扉が聳えていた。片っ端から力も加減しないで、体当たりで無数のドアを叩き続けているケイトの幻影が見える。いや、幻ではないのだろう。ケイトの言うとおり、俺たちには、そんな方法しか思いつかない。

 それでも、濁りの無い瞳には、「本当に大切なもの」がはっきりと映っている。

「今の俺達だからこそ、出来ることもあるはずだよ。ケイト」

本当に、心の底から、こんなにも真っ直ぐな思いを向けることのできるケイトを、凄いと思った。


 折鶴は、慶人の休み時間の日課になっていた。けれど、一人で折るには限界があった。ケイトには留学準備もある。自分の力の無さにケイトの方が折れてしまいそうだ。俺が手伝っても、なかなか数は増えていかなかった。

 終業式も迫ったその日、俺は休み時間にクラスに声を掛けた。

「みんな、ケイトに協力してやってくれないか?」

そう言って、折り紙を見せる。ケイトは目を丸くしている。

「ケイトの大切な人が、今、病気で苦しんでいるんだ。ケイトはどうしても、自分が留学する前に、千羽鶴を折りたいと思っている。病気が治るための願掛けだって。でも、とても一人では折れない」

ざわついていた教室が急に、水を打ったように静かになる。

「ケイトは折り紙にメッセージを書いてから鶴を折っているんだ。申し訳ない。一羽でもいい。ケイトの願いに協力してやってはくれないか?」

ケイトが小声で「いいって、ヒロ……」と呟く。けれど、一人の女の子が立ち上がった。

「やらせて。五島くん。私も折る。メッセージは何でもいいの?」

強い後押しに、俺の緊張も緩んだ。

「ありがとう。内容は任せるよ。助かる」

続いて何人かが折り紙を持っていく。後ろの方で様子を伺っていた何人かも、おずおずと手を伸ばしてくれた。

「隣のクラスにも声を掛けてくる!」

そう言って折り紙の束を持って、飛び出していったヤツもいた。ケイトは明らかに戸惑い顔だ。けれど、唇の形が「ありがとう」と動いたのは、そこにいた全員が判っていた。

 ケイトの願いを束にして、どうしても絵美奈ちゃんに届けてやりたかった。一人の願いでは足りないのなら、みんなで協力すればいい。

「元気になって」

「笑顔になって」

「病気に勝って」

「病気が治りますように」

手伝ってくれたクラスメイトの、様々な祈りの言葉が束ねられて、祈りを乗せた鶴が折られていく。

「元気になったら遊ぼうね」

「一緒にカラオケ行こうね」

「好きなことが出来る様になるといいね」

「ケイトとお幸せに」

ケイトと絵美奈ちゃんが描いた未来の方に、この折鶴が運んでくれる。

「絵美奈が良くなりますように」

「絵美奈が幸せになりますように」

そう書き続けたケイトが、口を結んで、赤い折り紙に何かを書いた。持ち上げた時に日差しに透けたその文字を、俺はしっかり読んでいた。

「僕は絵美奈と一緒に生きる」

整い過ぎた綺麗なキツネ顔が、目尻を歪ませて、涙を堪えているように見えた。

 丁寧に角を合わせるその真剣な姿に、俺は唇を噛みしめた。


 八月の声を聞くと、ケイトの多忙さはさらに増した。夏休みなのにもかかわらず、個人レッスンや塾で忙殺されていた。時間が空くと、親戚へのあいさつ回りをさせられているらしい。

「絵美奈の事を思うと、行きたくないのに」

 ケイトがこっそりそう話してくれた。

 自分であれだけ努力して手に入れた道を、たった一人の女の子の為に引き返したいと言う。けれどもう、学校も、親も、全てが動いてしまっているから、今更後にも引けるはずがない。

 近頃ずっと母親が絵美奈ちゃんに付いている。なかなか時間が取れないケイトとの距離を、絵美奈ちゃん自身が必死に離そうとしているように思えた。痛み止めでも、薬の切れ間に来る頭痛は酷いらしく、絵美奈ちゃんはどんどん暗く落ち込んでいっている。

「慶人さん、最近ひどく疲れているでしょう?」

俺にそんなことを聞く絵美奈ちゃんは、自分が慶人の重荷になっていると思っているようだった。

 千羽の鶴は、あともう少しで完成するというのに。

 虹色の鶴に糸を通しながら、今まで出した手紙やメールの返事を確認していく。けれど、今のところ、どの扉も開く予定はなかった。首都高の渋滞が酷かった翌日、しーねぇちゃんからメールが来た。昔の電報みたいなカタカナで、読むのをやめようと思ったけれど、何か嫌な予感がして、もう一度見直した。

「エミナ ダイホツサ。 ケイト シキュウ タノム」

けれど親戚への挨拶で、父親の生家に宿泊していたケイトは、すぐには戻って来られなかった。


 昨日と同じ今日も、今日と同じ明日も、あるはずがなかった。止まない頭痛と病気に苛まれていく未来は、絵美奈ちゃんの希望の灯を消し去ろうとしていた。そしてそれを、ケイトはどうすることも出来なかった。

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