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折鶴  作者: 水瀬 桜海
7/12

嘆息少女

 僕と絵美奈は、週に二、三回会っていた。病院内との制限はついているけれど、コーヒーショップや食堂で過ごしたり、病室で過ごしたりしていた。絵美奈は僕を待っていた。治療は主に午前中に受けているらしく、面会時間にはそわそわしながら本を読んでいたりした。

 思いが通じ合っただけで、十分満足だった。生々しい思春期男子の欲求は、僕の中にはあまりなかった。父と母を見ているうちに、どこか冷めてしまったのかもしれない。


 両親の仲があまり良くないのに気が付いたのは、中学二年生の冬。国際結婚の二人は、この頃からギクシャクし始めたと思う。髪の色はダークブラウンだし、目の色も明るい茶色だから気が付かれないことも多いけど、母はカナダ人。僕は、実はハーフだった。家での日常会話はほとんど英語で、中学まではインターナショナルスクールだ。

 母は日本の暮らしは気に入っていたけれど、父との暮らしがダメらしい。言い争う声が次第に大きくなっていったある日、母は家から飛び出した。以降、二人は別居状態だ。僕は母と暮らすことにした。

 本当は、両親のうちどちらかを選ぶなんて苦痛、味わいたくなかった。自分の居場所を求めた結果が、カナダでの進学だった。いずれは向こうの大学に留学する。それまでの短い間、日本での居場所が欲しかった。

 僕は日本を満喫するため、今の高校に入った。学校見学の時に説明された、みんなで物事に取り組む感じが、いかにも日本と思った。予定を一年延ばして一年半、僕は楽しく日本の高校生をした。カナダの大検を取り終えたので、今学期いっぱいで高校を辞め、向こうで九月からカレッジに通う予定だった。そのまま総合大学卒業まで、向こうにいるつもりだ。特異な進路を選んだ僕を、学校も友人も応援してくれた。

八月の終わりには、僕は向こうへ行く。でも今は、出来るだけ時間を見つけて、絵美奈のいる病室に行きたい。七夕よりこっち、僕は学校帰りや塾の帰り、出来るだけ絵美奈の病室に顔を出す様にしていた。読みたいと言っていた本も貸し借りしていたし、ゲームを貸す約束もしていた。何より、僕が絵美奈に会いたかった。

 病気について何度か聞いたけれど、絵美奈はあまり良く解っていない様だった。痩せている以外は、病気の気配が希薄だ。もしかして特に治療をしていないんじゃないか? そう思っていた。でも、どうやら日中放射線治療を受けているらしい。

「ケイト、お前大丈夫か?」

学校の休み時間に、懸命に折鶴を折る僕に、五島が声を掛けてきた。

「あ、ヒロ。この間はありがとう。絵美奈、喜んでたよ」

一週間前、五島と二人で絵美奈に会いに行った。五島はその後別の日に、わざわざ絵美奈にお見舞いを持って行ったらしい。

「あ、いや。それより目の下黒いけど、寝てないんじゃないか?」

酷く険しい顔をして、五島が聞いてくる。

「いや、大丈夫だよ。ちょっと頑張ってコレ折ってたら、気が付いたら夜中で」

簡単に返事をしてしまったはいいけれど、留学の予定を変えることは、もう出来ない。僕と別れている間に病気が治るように、ちょっとした願掛けのつもりで折り始めたのだ。どうせメールもあるし、時々は帰ってくるし、一生会えない訳ではないだろうけれど。

「……そうか。それならいいんだ」

五島の妙に濁したものの言い方が気になったけれど、僕は何も聞き返さなかった。


 夏休みが近づく学校は、少しだけざわついていた。

「もう少しでお別れだな」

口々に挨拶される。交わした無数の連絡先は、僕のスマホに記録された。出国前に機種変更しなくちゃいけないけれど、携帯会社にデータを移してもらえば確実だろう。絵美奈の連絡先も聞いておかなきゃ、そんなことを考えていた時、五島が声を掛けてきた。

「ケイト、顔、ゆるんでる」

そう、絵美奈のことを考えていると、五島曰く、デレているらしい。そんな情けない顔曝していたのかと思って、すぐに表情かおを引き締める。

「今日は、絵美奈ちゃんの所に行くのか?」

何故か厳しい面持ちで聞いてくる五島。

「……そのつもりだけど」

「そうか」

会話はそれで終わった。


 今までの五島の行動が何を意味していたのかを知ったのは、その日の夕方だった。

「絵美奈? 入っていいですか?」

ドアをノックする僕の肩を、いつもの手が掴む。振り返らなくてもわかる。コアックマだ。

「松崎さん……」

溜息と共に振り返ると、ひどく厳しい顔をしたコアックマと目があった。いや、もうそんな例えでは間に合わない。熊そのものだ。

「少年。こっち来なさい」

そう言われて僕は、カンファレンスルームに連行された。

熊+病棟主任+医者。相対するは僕一人。重々しい雰囲気。それが何を意味するのか、想像がつく。もやもやとした不安が、目の前の色彩を少しずつ、くすませる。今まで見ていた世界より、灰が懸ったように暗い。

「今藤慶人君、君に赤井さんの事を話す事は、ご家族と本人に、同意を得ています」

僕の表情を伺うように、気弱そうな医者が見る。頷くと話が続けられた。

「赤井さんは、脳動脈奇形という病気です。治療をしていましたが、この間、また発作が起きてしまってね。今は安静が必要な状態です。今日は面会出来ません」

 頭の中に、疑問符だけが浮かび上がる。頭の中がぐるぐる回って、一体何を言われたのか、うまく理解できていない。絵美奈の病気? 知っていたけれど、僕は本当には、何も知らなかった。

「今、頭痛がどんどんひどくなっているみたいで、痛み止めを使っても、薬では抑えきれない時も出てきている。発作はいつ起こるか予測が付かないんだ。十分注意して欲しい」

「発作って、どんなものですか?」

「意識がなくなってけいれんを起こす。けいれん、わかるかな? 体がこわばってガタガタ震える……」

「なんとなく」

曖昧にしかわからないけれど、それでもいつ倒れるかわからないということだけは、理解る。

「この間、君の友達が面会に来ていて、発作が起こったんだけれど、君の友達はとっさにベッドに寝かせて安全を守った。もし床に倒れて頭を打っていれば、最悪脳出血も考えられた。今そんな状態になったら、最悪の場合は半身不随や死亡の可能性もあり得るんだ」

――死?

そこから先の言葉は、うまく音を拾えなかった。


 いつも絵美奈と話し込んだコーヒーショップの片隅で、僕はぼんやりと日暮れを見ていた。この間まで楽しくて仕方のなかった毎日が、今は濁った水の中にいる様だった。風の流れが、水の動きの様に重く澱んでいる。体が水圧に負けて、ぺしゃんこになってしまいそうだった。隣の席に置いたカバンの中に、折り紙の青が見える。

 ペンを一本出すと、白い面に文字を書いていた。

「絵美奈が治りますように」

 僕にはなんの力もない。けれど願いを止められない。思いの流れるままに、願い続けるしかできない。震える指で角を重ねて、震える唇を噛みしめて堪えて、その折り紙を折鶴にしていく。

 今まで色々な事を、無力な子供だからと諦めてきた。両親が別れることも、住み慣れた場所が変わることも。「仕方ない」そう、自分に言い聞かせて。抗うためには早く大人になるしかないと思っていた。そのために努力をしてきた。けれど、そんなちっぽけな自分など、絵美奈の為になら、全部捨ててもいいと思った。

 絵美奈の事だけは、絶対に「仕方ない」にはしない。

 どうしても掴みたい願いがあった。望んだ未来を取りに行こうとしていた。

 けれどその願いは叶えられなかった。

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