大声独女
コアックマこと松崎静視点です。
午後一時十分、午後の処置を手早く済ませて、カンファレンスルームに入る。おばちゃんと主任はもう、席についていた。私の顔を見た主任が事務的に話し始める。
「じゃ、カンファレンス始めます。今回のプランの見直しは、赤井絵美奈さん、十四歳。主病名が脳動静脈奇形(AVM)で、今のところ手術困難のためガンマナイフで治療中です。現在のプランですが……」
淡々と主任が話す声を聞き流す。いいよな、みんな。
病気だけ見るには、距離を近くしてしまいすぎた。多分最初のきっかけは、少年A、もとい今藤ケイト君の事を知った時だろう。表向き柔和に話すあのクソガキは、陰で私に「コアックマ」という名前を付けたらしい。お蔭で何度も幼児たちに、猛獣扱いされた。絵美奈ちゃんも絵美奈ちゃんだ。黙っていれば今度は、「しげる」とか呼んでいるし! 少年は、「松崎」という苗字の下の名前が、「静」であることに不服らしい。
大柄・大声・大雑把。
どうしようもなくガサツな性分を、キャラエプロンで誤魔化すことなど出来なかったらしい。何時の間にか気違ぃちゃんなんて仇名までつけていた。本当に御苦労さんだよ、毒舌少年!
「御苦労さんなのは松崎さんの方ですよ! 貴方の受け持ちですよ。反省!」
立てた親指を下に向けた瞬間、主任と目が合って怒られた。半分くらい、脳内ダダ漏れだったようだ。他のスタッフがくすくす笑っている。
「笑い事じゃないの。この間の検査で、微量だけど出血痕が見つかっているんだから。あまりにも場所が悪いから、ガンマナイフで治療って事になっていたけど、発作も起きているし……」
そうだった。
赤井絵美奈の病状は、一言でいうなら「思わしくない」だ。無断外出の時にアレが起こらなくて良かった。
碌に説明もしなかった自分に非があるのはもちろん判っている。きちんとリスクを説明しなくても理解出来たら神様だ。でも、教えてしまえば絵美奈ちゃんが察してしまうし、教えなければ少年は絵美奈ちゃんの思いを叶えようとするだろう。
「……ガンマナイフでの治療は時間が掛るので、大量に出血するようなことがあれば後遺症は避けられなくなる可能性があります。プラン2は……」
主任の淡々とした声が、カンファレンスルームに響く。年配のおばちゃんが、それにブツブツ言いだした。こんな非生産的な話し合いに時間を割くより、もっと患者の所へ行けたらいいのに。表現だの文法だのナンダだのかんだだの、もう、どうでもいい。
赤井絵美奈の二回目の脱走は、明らかに少年に会いに行っていた。カンファレンス室で問いただすと、あっさり白状した。但し、秘密厳守という約束付きで。思春期少女の秘密は、そう簡単にはバラせない。
「もうとっくにバレていますよ。そんなの公然の秘密です。全員松崎さんじゃあるまいし」
おばちゃんにボソリと言われて、私は飛び上るほど驚いた。
「え! バレていたんですか? でも皆全然……」
「気が付くに決まっているでしょう。私達にだって、あのくらいの年齢の頃はあったんだし」
え? 何時の事よ? どう見ても最初から、この姿で生まれてきたとしか思えない。そんな私の顔を見て、溜息をついた主任が続けた。おばちゃんは顔を両手で覆って、ぐふぐふ笑っている。
「どこまで失礼なのかしら」
苦笑する主任に頭を下げながら、内心ぺろりと舌を出す。
どこまでも不真面目だった私に、いつになく厳しい顔をした主任が話す。
「難しい事例ですよ。来週には御家族へ医師からの説明が入ります。もしかしたら治療せずに自宅療養なんて方向にもなってしまうかもしれない。元々ここへは精査目的だったし、一定の治療効果が確認できれば、地元の病院へ返す話だったんだから」
そう、ガンマナイフでの治療で目途が立つなら、赤井絵美奈は地元の病院で治療を継続する予定だった。つまりは、あのキツネみたいに冷たい顔の少年ともお別れだ。
「松崎さんの脳内は、思春期の女の子みたいよねぇ」
おばちゃんが一言、余計な事を口にする。悪かったですね、無駄にファンシーなものが好きで! むくれた顔に顔をしかめた主任が言った。
「ちゃんと大人になりなさい! そんなだから、勤務表の印鑑を半年も押さないで、総務に呼び出されるんですよ!」
あーあ、とばっちり。
その時、ナースステーションの向こうで、聞きなれたイトコの声を大声を聞いた。
「しーねぇちゃん、赤井さんが変なんだ!」
体が反射的に病室へと走った。
二床部屋の奥で、手足を硬直させている赤井絵美奈がいた。
「門田さんは梨木先生に報告。松崎さん、発見時間と状況聞いておいて。成瀬さん、手伝って」
淡々と指示を出す主任に絵美奈を任せて、私はイトコの五島博之と病室の外に出た。
「ヒロ。発見時間と状況教えて」
「一時二十分くらいだよ。お見舞い持っていって、お礼を言われた後急に……」
「さっきみたいに、体が強張った感じ?」
「そう、それでガクガクしてて…………怖かった。死ぬんじゃないかと思った」
「ずっと続いてた?」
「わかんない。慌ててしーねえちゃん呼びに行ったから」
そこまで聞いたところで、部屋の戸を開けた成瀬さんが私を呼び止めた。
「松崎さん、ストレッチャー」
「はい。ヒロ、もう帰りな? 後で連絡するから」
そう言うと、私は言われたものを捜して廊下を走った。
「ガンマナイフじゃ、間に合わないかもしれない」
主治医の梨木先生が、モニターで画像を確認しながら溜息を零した。
「そんなに悪いんですか?」
呟いた私の声を拾って、小さく頷く。
「場所がココなんだよ……下手したら術中死だ。しかも結構大きい。こんなリスキーな場所、怖くて誰も手を出さないよ。ガンマナイフだと即効性に欠けるんだよなぁ」
ペンの先をコツコツ鳴らして、脳の深い場所を指す。赤井絵美奈の病気は脳血管の奇形で、静脈と動脈が直接結合した血管の塊、ナイダスと呼ばれるものが引き起こす。物理的に言うなら、それを取ってしまえばいい話なのだが、そうは問屋が卸さない。彼女のナイダスがある場所は、生命維持の中枢のある場所に近い。手術しても植物状態になってしまっては、何の意味もない。
でも、出血を起こしてしまったら、それこそ命に係わる場所だ。
「まだ十四歳なのに……」
「小児科はそんな子供ばかりだよ」
梨木先生は悲しそうに笑いながら言う。
「血管内治療は?」
無駄と知りつつ、聞いてしまう。真面目なこの先生なら、いろんな方法を検討したに違いないのに。
「完全閉塞は難しいだろうね……」
人の命を助ける仕事を選んだはずなのに、実際は自分の無力を思い知るだけだ。少年がこの事を知ったら、どう考えるのだろう。お年頃のキラキラした恋愛とは、あまりにも隔てられた、暗く冷たい現実を。
「出血、怖いなぁ」
梨木先生の小さな呟きに、一瞬肌が粟立って身震いした。
誰もが、それを恐れていた。このままだとそう遠くない未来に訪れる、最悪の結果を。