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折鶴  作者: 水瀬 桜海
3/12

迷走少女

 この間会った看護師さんは、今日はリラックスしたクマのエプロンだった。しかし本人はまったくリラックスしていない。むしろコワイ。

「この……っ、脱走犯!」

子供を叱るには迫力が有りすぎる大声が、廊下に響き渡った。

 病院が嫌で、脱け出す事が犯罪なのかと思うと、少し落ち込む。幼児ならともかく、自由が欲しいお年頃なのだ。そこを察して、少しは見守ってくれてもいいのに。

「そこの少年! 事の重大さ、わかってんの?」

 あろうことか、渦巻く怒りは僕の方にまで飛び火した。重大も何も、脱走犯(仮)を捕獲して返納した良識ある大人の対応だろうに、八つ当たりなど失礼千万だ。

「事情も分からない上、たまたま偶然彼女を見つけただけの僕に、無理難題振らないで下さい」

僕がそう言うと、コアックマの看護師は、やたらと少女と僕とを交互に見て、ポツリと呟いた。

「そういう事か……」

 どういう事か説明されることもなく、僕は無罪放免された。代わりに少女はナースステーションの横の部屋へ連行される。

「ご、ごめんなさい、今藤さん!」

必死に謝りながら、彼女は個室の中へと消えた。まさかこの状態で、帰るわけにもいかない。英語の勉強はどうしよう。僕、こんなんで生活出来るのかな?

 怒鳴り声がするかと思ったら、思ったより穏やかに話しているようで安心する。カンファレンス室と書かれた場所に入っていった少女は、十分程度で俯いたまま、そこから出てきた。顔を真っ赤にして、目に涙を貯めている。

「大丈夫?」

そう声を掛けると、ガバッと顔を上げ、更に顔が赤くなった。

「大丈夫? 熱出てきたんじゃない?」

「だ、だだっ、だ、大丈夫ですっ!」

そうは言っても、本当に顔はどんどん赤くなっていくし、声もうわずって、滑舌も悪い。

「休んだ方がいい。部屋まで送るから」

「あ、あ、いや、も、も、申し訳な、いし、あの、その、あ、あたし、ひとりでっ」

「遠慮しない。病気なんだから」

 さっと手を取ると、手までもが熱い。体調が悪いのにフラフラ外に出るなんて、本当に駄目な子だな。そんな事をを考えながら、この間行った彼女の病室へと手を引く。小さな声で「ごめんなさい」の声がした。

「しかし、頭ごなしに怒るよね、あのコアックマ」

話題を変えようと思って、うっかり本音が口に出る。

「こ、こ、こあっくまっ?」

「あ、知らない? リラックスな方じゃ無くて、口から血を流している方のキャラがいるんだよ。ま、あの看護師さん、そのキャラより怖かったけどね」

少女が、プッと吹き出す。

「す、凄いです。……っ。ぴったりっ!」

「だろ?」

涙を流して笑う顔は、さっきまでの寂しそうな影が消えて……可愛かった。


★☆★☆★☆★


 今日は塾の予定もない。なんとなく呼ばれた気がして、いつもの駅で振り返っても彼女はいない。外れないイヤホンの向こうから、ひたすら英語の会話が流れてくる。いつもの日常なのに、なぜか落ち着かなかった。大丈夫だろうか、と、ふと心配になる。一番最初に彼女に会った時、本当は、彼女は何か出掛ける目的があったのではないだろうか。

――諦めてばかり、なんだろうな。

 みんなが外で遊んでいる時、家の中で悶々とするしかなかった小さかった頃を思い出す。皆と思い切り走ったりしてみたかった。帰りに手を振った彼女の顔に、そんな自分の記憶が重なる。背中に背負った時の軽さが、なんだか無性に気になった。ホームに滑り込んだ電車に背を向けて、僕は歩き始めていた。


 シャーベットオレンジの線を辿って、その場所の入り口に辿り着く。

「おい少年!」

自動ドアが開いた瞬間、奥から飛び出してきた影があった。今度は白いネコのエプロンをしているコアックマが、むんずと僕の肩を掴んでいた。妙齢女子の言葉とは思えない。しかも声が大きい。お前は本当にクマかと突っ込みたくなる。

「赤井絵美奈、見なかった?」

「え?」

 見ていたら、ここに一緒に連れてくる。会わないからここまで来たのに。当惑する僕の顔を見たコアックマが、たちまち厳しい顔になった。

「事務に電話して! 御家族に連絡! 絵美奈がいない!」

後ろにいたほっそりとした看護師に、いきなり怒鳴りつけた。

「……彼女、いないんですか?」

厳しい顔のまま頷くコアックマの手を、僕は振りほどいていた。

「僕、捜してきます。」

踵を返す僕を女の人とは思えない力で引っ張ったコアックマは、無駄にファンシーなメモ帳に電話番号を書いて、僕に渡す。

「東二階病棟の松崎、って言ってくれれば繋がるから」

頷くと僕は、すぐさまダッシュをかけた。

「――廊下は走るな!」

コアックマの忠告は、もちろん無視していた。


 もう一度地下鉄のホームに戻る。でも、彼女は見当たらない。動けなくて苦しんでいるのではないかと、ベンチなどの座れる場所を重点的に探すけれど、それらしい人影はどこにもなかった。ひっきりなしに人は歩いているのに、彼女の姿はない。慌てて飛び出してきたので、どんな服装かも聞いていなかった。人探しの基本だったのに。

「……どこだ」

焦りが、無駄に言葉を吐き出させる。何人かに不審そうに眼を向けられた時、もう一つの人探しの基本を思い出した。

「すみません、女の子を探しているんです」

 見ず知らずの人に声を掛けるなんて、ほとんど経験がない。声が震えて、いらない汗が体を伝う。でも、それ以上に、青い顔でどこかで蹲っているかもしれない彼女の事が、心配だった。震える声で、僕は何人かに声を掛けた。

「女の子を見ませんでしたか、中学生くらいの女の子です」

迷惑そうな顔、通り過ぎる人、無数の人が足早に通り過ぎる。その中で、僕の肩を叩く手があった。同じくらいの年の、お嬢様学校の制服を来た女の子が、優しく言った。

「さっき医務室に女の子を連れて行ったよ。その子かもしれない」

「ありがとう!」

そう言うと、僕は窓口の人に声を掛けて、案内してもらった。


「大丈夫です。帰れます」

何度か聞いたことのある声に、ほっと胸を撫で下ろす。

ちっとも大丈夫じゃない顔色のその少女は、唇を噛んで下を向いていた。

「赤井……絵美奈ちゃん?」

僕の声に、ガバッと顔を上げ、途端にくしゃくしゃに歪める。

「……ごめんなさい。今藤さん」

今にも泣きそうなその子に、目の高さを合わせた。

「みんな心配しているから。病院に連絡するね?」

黙って頷いた彼女を確認して、病院へ電話する。

「少年? 赤井絵美奈ちゃん、いた?」

「今、医務室で休んでいます。落ち着いたら連れ帰ります」

「待て! 私が行くから!」

ガチャンとばかりに電話が切れる。声だけじゃなく、物音も大きすぎる。

 しょんぼりと肩を落とすその姿を、僕はじっと見つめた。何かを言いたげに開きかけては閉じる口が、音を乗せたがっているのがわかった。

「絵美奈ちゃん、どこか行きたいところがあるの?」

俯く彼女に話し掛ける。

「…………東京タワー」

その細い、小さな声を、僕の耳は拾っていた。


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